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「ウェーバー」(2,000字)

(マックス・ヴェーバー)

[英/独] Max Weber 1864-1920

執筆・橋本努

『現代倫理学事典』弘文堂2006、項目

 

 

父マックス・ウェーバー(1836-1897) は、亜麻布を商う豪商の家系の出身、市の助役を経て国民自由党議員(1872-84)となる。母ヘレーネ(1844-1919)は、フランスから亡命したユグノーの血を引く中産市民で、禁欲的なプロテスタント。厳格な精神生活のもとに、六人の子女を育てる。長男のウェーバーは、幼い頃から公明な学者や政治家と議論する機会に恵まれて、13歳でドイツ史に関する論文を書き、ギムナジウム期にはゲーテ全集を読破したりと、早熟な才能を見せた。幼少期には、脳脊髄膜炎の影響で虚弱対質であったが、大学生になると、毎朝一時間フェンシングの稽古をしたり、学生組合仲間との付き合いでは決闘をして頬に傷を負ったりと学生生活を大いに楽しむ。また大学生時代には、ハイデルベルク大学でドイツ歴史学派経済学を学び、ベルリン大学ではギールケ(Otto von Gierke)、トライチュケ(Heinrich Gotthard von Treitschke)、グナイスト(Heinrich Rudolf Hermann Friedrich von Gneist)、ゴルトシュミット(Rudolf K. Goldschmit-Jentner)、モムゼン(Theodor Mommsen)などに学んでいる。

1886年、司法官試補の試験に合格、大学卒業後は司法官試補として裁判所に勤務しつつ、1889年、ベルリン大学において、近代の株式企業の発生を中世の商事会社に辿り跡付けた論文「中世商事会社の歴史について」によって法学博士号を取得、さらに1891年には、論文「ローマ農業史の公法的・私法的意義」によって教授資格を取得し、翌1892年には委嘱の膨大な調査報告「ドイツ・エルベ川以東における農業労働者事情」を書き上げる。教授資格論文では、ローマの没落過程を農業の発展とその共同体的形態の解体という側面から論じ、調査報告では、エルベ川以東の地域における経済構造の実態が他の地域と異なることを分析している。

1893年にマリアンネと結婚、そして1894年にはわずか30歳でフライブルク大学教授に就任。その就任講演「国民国家と経済政策」では、ドイツ国民の気質の衰弱化と老化を避けるために、幸福主義的な経済目標の追求よりも、政治権力的な気高さと国民国家統合の強化を目標とすべきであると主張した。その2年後の1896年にはハイデルベルク大学に移り、当時問題になっていた取引所の改定問題をめぐって、商慣習に対する一般的誤解を解くために『取引所』を執筆。ウェーバーはしかし、この年に権威主義的な父親と大喧嘩をする。激論の末、父親は息子に批判されたことがショックで旅に出るものの、スイスで客死。そしてウェーバー本人は、そのあまりに禁欲的な研究活動もたたって、1898年から約2年間、精神疾患を患うことになる。妻マリアンネとともに、ヨーロッパ各地を訪ねる療養生活が続く。

1900年にジンメル(Georg Simmel)の大著『貨幣の哲学』が出版されると、ウェーバーはこれを読んで絶賛、自らの病状も回復の兆しが出て、1903年には歴史学方法論の革新的な研究『ロッシャーとクニース』の第一部を書き上げる。ところがウェーバーは、病状が全快することなく、大学を正式に辞職。以降は著作活動に専念して、翌1904年には重要な二つの論文、「社会科学および社会政策的認識の『客観性』」および「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(略して「プロ倫」)の前半を公刊している(後半は1905年に出版)。また1904年にはアメリカ合衆国を訪問、そして雑誌「社会科学・社会政策アルヒーフ」の編集をゾンバルト(Werner Sombart)とともに引きうける。1905年にロシア革命が起きると、短期間で語学を習得して革命の経過を追う。1909年、社会政策学会のウィーン大会では「価値自由」論争を展開、翌1910年におけるドイツ社会学会の設立に尽力する。1914年に第一次世界大戦が始まると、戦争に志願して予備陸軍病院委員会の任務に一年間携わる。しかし1918年にドイツが敗戦すると、皇帝の退位を主張、さらにドイツ民主党の政治に参加するが、民主党の比例代表制被選挙者名簿の上位掲載がならず、1919年、政治活動からの徹底を表明、有名な講演「職業としての政治」を講ずる。同年、ミュンヘン大学教授に就任し、社会経済史要論を講ずるが、翌1920年6月14日、肺炎のため急死する。

 ウェーバーの研究全体を見渡すならば、二つの主要業績がある。一つは『宗教社会学論集』であり、この中から『プロ倫』のほか、『古代ユダヤ教』『宗教社会学論選』『儒教と道教』『ヒンドゥー教と仏教』などが邦訳単行本化されている。もう一つは大著『経済と社会』であり、これには『社会学の基礎概念』『支配の諸類型』『法社会学』『支配の社会学I, II』『宗教社会学』『都市の類型学』などが含まれる。この他に、社会科学方法論に関する諸論文を集めた『学問論集』と政治評論を集めた『政治論集』がある。

ウェーバーを貫いている基本姿勢は、近代合理主義の特徴を多角的に捉えながら、時代を背負ってこれと対決する、という点にある。社会学の始祖にして独創的な理論体系を築いたその豊富な知見は、いまだ乗りこえがたい学問的地平を築いている。

 

【関連項目】価値自由

【主要文献】マリアンネ・ウェーバー『マックス・ウェーバー』大久保和郎訳、みすず書房1987年. 安藤英治『ウェーバー紀行』岩波書店1972年、長部日出雄『二十世紀を見抜いた男:マックス・ヴェーバー物語』新潮社2004年.