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橋本努『社会科学の人間学』勁草書房1999

 

論点ハイライト

 

 

 本書『社会科学の人間学』は、前著『自由の論法』と比べると、数倍のオリジナルな知見を展開しています。ハーバーマスの『コミュニケーション的行為の理論』や、吉田民人の三部作(とりわけ『主体性と所有構造の理論』)のように、独自の分類枠組を考案することによって、そこに自らの知見を注ぎ込む。そういう思考のスタイルを採っています。(私は密かに、ハーバーマスと吉田民人を私淑しています。)また私は本書において、ウェーバー研究の重鎮たちと対決しています。以下では中心的な論点にしぼって、『社会科学の人間学』をご紹介しましょう。

 

 

■「近代主体」と「問題主体」

 

本書における最も中心的な論点は、「近代主体」に代わる「問題主体」の提示です。従来のウェーバー研究者たちは、ウェーバーのなから「近代主体」の理念をさまざまに取り出して、それを望ましい価値理念として論じてきました。私はこの「近代主体」の理念を6つ類型に整理して、さらにそれぞれの類型に対して、新たに「問題主体」という理念を対比しています。ウェーバーから「問題主体」の理念を新たに抽出して、これを「近代主体」との対比で練り上げています。その要約は、次表のように示されます。

 

表1−9:近代主体と問題主体の対比

 

近代主体の六類型

近代主体の特徴

問題主体の特徴

(1)

究極的価値の設計主体

価値をコアにおく

問題をコアにおく

(2)

実践的人間

実存的な統一

問題系の統一

(3)

社会科学的人間

価値観点による自律

問題観点による自律

(4)

文化人

意味を与える存在

問題を与える存在

(5)

賤民知識人

周辺からの変革志向

多文化的状況からの内発的創造

(6)

変革主体としての予言者

予言の迫真性

問題の迫真性

 

この「問題主体」理念の提示によって、私はとりわけ、大塚久雄、ヤスパース、折原浩、内田芳明、中野敏男、元島邦夫の各氏のウェーバー像と対決しています。ニーチェ的モメントを読みこんだ山之内靖氏との対決は、別の論点(とりわけ「価値自由」論)においてなされています。また「問題主体」の理念は、廣松渉の役割行為論や、大庭健の呼応関係論との関係で、独自の意義を持つことを論じています。

 

 

■中野敏男の「文化人」論を転換する

 

 ここでひとつ、中野敏男氏のウェーバー像について取り上げましょう。中野氏のウェーバー像は、「近代主体」のなかの「文化人」という類型に分類されます。この「文化人」の理想について、私は次のような枠組を用いて内在的に分析し、その理想を、「意味を与える存在」から「問題を与える存在」へ転換しうることを論じています。

 

表1−8:文化人の諸類型

 

日常的意味

文化的意味=意義

究極的意味=価値

変更

持続

変更

持続

変更

持続

新しい意味の枠組みを与える

内属性

内発的創造型

(1)内発的創造型

境界性

境界的創造型

(2)境界的創造型

新しい意味を与えられて担う

内属性

流行追従型

/進取の気性型

(3)広報型

境界性

(4)変革型

既存の意味体系から解釈する

内属性

平板化された日常

(5)祭司型

境界性

(6)伝道型

既存の意味を与えられて担う

内属性

(7)確定した期待に応える優等生型

境界性

(8)確定した期待に応える英雄型

意味を問わない物象性を生きる

内属性

意味障害

疎外された日常

境界性

意味よりもそれ以上の体験を求める

内属性

@

B

内属的文化体験

現世内超越

境界性

A

C

異文化体験

現世逃避的超越

(@例:部屋の模様替え、A例:自己啓発セミナー、B例:アロマ効果、C例:旅行。)

 

 これ以外にもいろいろな分析がありますが、第一章ではとにかく、日本のウェーバー研究社たちと対峙しつつ、「問題主体」の理念をさまざまに論じています。

 

 

■「決断」概念の現象学的分析

 

 「決断」というのは、たんなる「選択」とどのように異なるのか、また「必然性」や「運命」という概念とどのように異なるのか。これまでの経済思想・政治思想では、この点が明確に分析されていませんでした。私は、これらの基礎概念を現象学的に分析して、次表のようにまとめています。

 

表2−1:「決断」概念の位置

 

状況依存的判断

状況非依存的判断

自己準拠

他者準拠

システム準拠

他でありうるがコレである

選択

被選択

可謬性/偶有性

他でありえなくてコレである

決断

運命

必然性

 

 

■責任に支えられた決断主義

 

 決断主義と責任の関係について、本書ではさまざまな責任のあり方を分類し、近代主体の構成について論じています。さしあたって、次表をご参照ください。

 

図2−1:責任が人格と社会に及ぼす機能

 

■責任倫理と信条倫理をめぐる新たな理論

 

 ここで私は、シュルフターのウェーバー解釈の不備を超えて、新たな責任理論を構築しています。その内容は、一言では述べ難いので、図表で表すことのできる部分のみを、以下に紹介します。

 

表3−1:平均倫理と英雄倫理

 

信条倫理

責任倫理

平均倫理

(幸福主義)

祭司的権力によって飼い慣らされた信条倫理

官僚主義・日和見主義・実利主義の責任倫理

英雄倫理

道徳的傾倒の信条倫理

政治的成熟の責任倫理

 

表3−2:宇宙に関する信条倫理と責任倫理

 

現世の非合理性を承認

=忍耐型(宇宙の否定)

現世の非合理性を否認

=変革型(宇宙の要求)

信条倫理

愛の無差別主義

祭司的な信条倫理

責任倫理

騎士精神的な責任倫理

変革主体的な責任倫理

 

表3−3:価値に対する責任

 

準拠

受容

整序

倫理の類型

補足説明

責任倫理/信条倫理

価値に対する完全な責任

×

粗野な決断主義的な責任

×

自己準拠倫理

/無責任

道徳の合理主義

×

×

粗野な決断主義

×

信仰倫理

価値の整序を伴う信仰

×

×

すべてをゆだねる立場

×

×

倫理学主義

価値を認知レベルで整序するだけ

×

×

×

反倫理

価値に対する責任の欠如

 

表3−4:結果に対する責任

 

受容

予測

現実準拠

倫理の類型

補足説明

責任倫理

真正の責任倫理

×

硬い責任倫理

×

責任倫理/信条倫理の中間形態

非受容型の責任倫理

/社会科学的信条倫理

×

×

×

非科学的責任倫理

/受容型の信条倫理

×

×

×

×

信条倫理

柔らかい信条倫理

×

×

×

真正の信条倫理

 

表3−5:責任倫理と信条倫理の諸特徴

表3−6:責任倫理の八類型

 

宇宙の否定

宇宙の要求=客観的価値整序

主観的価値整序

決断

主観的価値整序

決断

現実準拠

状況認識

近代主体

状況決断主義

近代変革主体

宇宙決断主義

現実非準拠

宿命信仰

近代的騎士

騎士精神

近代予言者

予言者

 

以上の図表のなかで、最後の表3-6は、これまでのウェーバー研究者たちの立場を整理したもので、大まかに言うと、例えば、大塚久雄氏は「近代変革主体」、折原浩氏は「近代主体」、山之内靖氏は「騎士精神」、内田芳明氏は「近代予言者/予言者」、というように整理されます。これに対して私は、「問題主体」の責任倫理というものが、以上のいずれとも異なることを指摘し、その内容を思想的に展開しています。

 

 

■運命と闘争の理論

 

 責任倫理の新たな構想につづいて、私は自由主義の思想に「運命」と「闘争」の理念を位置づけるという、新たな理論的試みを企てています。その内容もまた、一言では述べ難いので、図表で表すことのできる部分のみを、ご紹介します。(ただし図表は、分析の補助であって結果ではありません。また、図表ばかり紹介すると、本書は図表を使いすぎているのではないか、との印象を与えるかもしれませんが、そうではありません。)

 

表4−1.運命の位相

 

科学的因果性

人間存在の価値

必然性(necessity/inevitability)

決定論的世界

運命の世界(存在の全体にかかわる)

偶有性(contingency)

偶有性の世界

運の世界(存在の全体にかかわらない)

(科学における必然性はnecessityであるが、これに対して人間存在の価値における必然性は、「不可避性inevitability」、すなわち、現実の因果性によって決定されているのではなく、価値の次元において本質的に規定されているような、存在の真理である。)

 

表4−3.運命の諸類型

 

調和的秩序:

必然性

闘争的秩序:必然性

反秩序:

必然性

反秩序:

偶然性

人格的

摂理

神々の闘争

デーモン

フォルトゥナ

非人格的

内化

テュケー

モイラ

ニーチェの運命愛

フォーチュン

外化

過去

因縁/縁

競合する因果性

不可逆的必然性

不可逆的偶然性

現在

自然の合目的性

闘争的多元主義

必然的な力

偶然的な力

未来

必然的ユートピア

脱ユートピア

宿命

チャンス

(人格的な運命については、内化/外化の区別と過去/現在/未来の区別を省略した。)

 

表4−5.闘争の位置づけ

 

秩序の破壊機能

秩序の安定・維持・組織化機能

関心の不活性化

アパシー・アノミー

調和

関心の活性化(創造)

破壊的闘争

闘争的秩序

 

図4−1.「神々の闘争」の位置づけ

 この図表に続く議論において、私は、ウェーバーのいう「神々の闘争」を規範理論として練り上げて、「運命的闘争としての自由主義」という独自の思想理念を展開しています。これは、私の思想的中核部分です。

 

 

■「プロ倫」テーゼについての新たな解釈

 

 ウェーバーは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」において、次のような問いと答えを与えています。

 

 問題(1):西欧近代文化のヘゲモニーの特徴は何か。

 答え(1):市民的経営の資本主義である。

 問題(2):市民的経営の資本主義を成立させた道徳的資質は何か。

 答え(2):プロテスタンティズムの倫理である。

 

このような問題と答えを与える研究の背後には、しかし、さまざまな価値観点や価値判断が関与していると考えられます。そして日本のウェーバー研究者たちは、その価値観点や価値判断をさまざまに論じてきました。本書『社会科学の人間学』では、価値と問題の関係について、これまでの解釈を三つにモデル化し、第四の解釈として、新たに「問題主体」的解釈というものを提示しています。

 

@「近代主体」的解釈   :大塚久雄氏の解釈

 A「精神的貴族主義」的解釈:山之内靖氏の解釈

 B「可能主体」的解釈   :折原浩氏の解釈

 C「問題主体」的解釈   :私の解釈

 

 

■ ウェーバーの社会科学方法論を拡張する

 

 ここでは、社会科学の基礎理論を、新たに展開しています。正統性と妥当性の区別、意味・認識・観点の形成、社会科学システムの分化、意味の四つのレベルなど、ウェーバーの方法論をさらに掘り下げる議論をしています。そしてとりわけ、「価値」の問題について、(1)価値とは何であるか、(2)社会科学の営為においてどのように価値が入り込むか、(3)事実性は価値に対してどのような影響力をもつのか、という問題について、ウェーバーの方法論を拡張・発展させています。とくに(2)の問題への応答は、私がこれまで最も頭を絞った理論的成果の一つです。

 

 

■ 人格類型と方法論の関係を解明する

 

 本書『社会科学の人間学』では、社会科学方法論と人格の関係について、次のような知見を与えています。

 

 @ 大塚久雄氏の「近代主体」は、「価値理念」を観点として用いる。すなわち、学問的問題に対する答えとしての価値にコミットメントする。

 A 山之内靖氏の「精神的貴族主義」は、「価値理念」と「価値関心」の二つを用いる。すなわち、学問的問題に対する答えとしての価値にはコミットメントしないが、しかしそこから準演繹的に運命性という価値理念を引き出してコミットメントする。

 B 折原浩氏の「可能主体」は、「問題関心」と「価値関心」の二つを用いる。すなわち、学問的問題に対する答えとしての価値にはコミットメントしない点で「価値関心」をもち、また、さまざまな応答が可能であることを問題化する点で「問題関心」を用いる。

 C 以上に対して、本書が提案する「問題主体」は、「問題理念」を用いる。すなわち、学問的問題そのものにコミットメントし、それを人格のコアに据える。

 

同様に、「客観性」の概念についても、これら四つの人格モデルは、異なった解釈をもつことを、本書は明らかにしています。

 

 

■「価値自由」から「問題自由」へ

 

 実はこれまで、誰も「価値自由」論の総合的な検討をした人はいません。本書はこれを機能分析の観点から試み、さらに、価値自由に関する別の解釈として、「問題自由」というあらたな方法論を提案しています。ちなみに、私がこの理論をはじめて日本社会学会で発表したとき、富永健一先生に「あなたはこの理論によって自律したのです」と大きな声でコメントされました(笑)。ウェーバーという巨人の肩の上に座るのではなく、私はウェーバーの理論を一部でも超えて、先に進もうとしています。

 

 「価値自由」の機能分析は、次のように整理されます。

(a) システム正統化機能

(b) 政治実践的機能

 (b-1) 政治的価値判断を変更させる機能

 (b-2) 支配的思想に抵抗し創造する機能

(b-3) 責任を植えつける機能

(c) 講壇禁欲機能

(d) 人格陶冶機能

 (d-1) 「可能主体」的解釈

  (d-1-a) 領域設定機能

  (d-1-b) 価値観点の比較分析

 (d-2) 「精神的貴族主義」的解釈

(d-3) 「近代主体」的解釈

(d-4) 非公認解釈(「問題主体」的解釈)

 

 以上の整理から、私は、「価値自由」に関するこれまでの公認解釈をすべて批判して、これらに代わって、「問題主体」にもとづく「問題自由」の方法論を採用すべきである、と主張しています。新しい方法論の提唱です。

 

 

□この他にも、本書が貢献したと考えられるテーマについて、以下に列挙します。

 

自己やアイデンティティや人格といった類似概念の分析的整理

Imeの関係規定

役割関係と呼応関係の区別

パーソナリティ要因における分化の意義

実践的振舞の諸次元の整理

象徴的期待効用としての決断

責任が人格と社会に及ぼす機能の分析

決断主義批判に対する再批判

決断主体における真理論・原点論・責任論に対する批判

運動主体と批判的合理主義の類型化

「日常」の物語化に関する分析

価値合理性の概念規定

精神的緊張に対する態度の分析

運命概念の分析

決断と運命の反転的性格

悲劇的運命の考察

闘争概念の規定

闘争の類型学

闘争の正機能の分析

開かれた闘争の諸条件について

社会科学システムの分化に関する考察

観点・理念・関心の概念規定

客観性の分析

 

 

■ 最後に、社会科学が陶冶しうる人格のモデルについて、これを日本のウェーバー研究者たちとの比較でまとめると、次のようになります。

 

大塚久雄――近代主体モデル

折原浩――可能主体モデル

内田芳明――予言者モデル

山之内靖――精神的貴族主義モデル

中野敏男――文化人モデル

橋本努――問題主体モデル