マックス・ヴェーバーのフランクリン論――理念型思考のダイナミズム
折原 浩
2004年6月5日
「倫理」論文[1]で、原著者マックス・ヴェーバーは、一方ではカルヴィニズム(ほか、「禁欲的プロテスタンティズム」)の宗教信仰、他方では(近代)資本主義経済との間に(前者が後者を促進する)「因果関係kausale Beziehung」があるという(ペティからマルクスをへて「ドイツ歴史学派」に引き継がれた)知見を、ひとまずは所与とみなし[2]、かれ自身としては「なぜそうなるのか」の根拠/理由を、双方にかかわる人間の「生き方/生活の営み方Lebensführung」の問題として、(関係当事者の「信条」「不安」「思惑」「動機」「目論見」「希望」「疑惑」「失意」「救済の確信」などの)内面的/主観的な「意味連関Sinnzusammenhang」に即して「解明」/「説明」しようとした。そこで、関係当事者を内面から駆動し、経済活動熱をたかめ、熟慮にもとづいて計画的に生活を律するように仕向け、結果として近代資本主義的商工業の資本所有/企業経営/(生産技術や経理を担当する)上層熟練労働といった社会的地位ないしは(そうした地位を占める人間群としての)社会層への帰属にいたらしめる動因(ある宗教信仰に発して展開されると想定される「意味連関」の最終項/当の宗教信仰にいたるべき「意味(因果)遡行」の出発点)(第一章「問題提起」第一節「信仰と社会層」参照)を、つぎの第一章第二節で「(近代)資本主義の『精神』」(以下「精神」)と呼び、これがいかなるものかを、かれが当時編み出しつつあった「意味解明Sinndeutung」の方法を適用して論じている。
節の冒頭、ヴェーバーは、「精神」のような、複数の諸個人に(人、所、時に応じて純度/強度/様相などを異にして)共有され、それ自体としても複雑/多岐な構成をそなえた「集合態Kollektivum」的意味形象を対象に据え、その個性的特徴を逸することなく、かえって際立たせるように認識するには、いったいどうすればよいのか、という方法上/方法論上の問題に触れている。かれの方法論文献から「理念型Idealtypus」論ほか、いくつかの論点を補足して敷衍すると、そうした個性認識には、まず⑴(研究者の「価値理念」に照らして「知るに値する」)対象の一特徴を抽出し、概念上純化し煮詰めて、要素的(第@)「理念型」を構成し、つぎには、⑵そうした第一要素の「理念型」的純化のさいにいったんは捨象されるけれども、まさにそうする過程で、被捨象態のなかの(同じく「知るに値する」)別の一特徴として捨象に抵抗し、際立ち、クローズ・アップされてくる第二の要素的特徴についても、第一要素との関連において、同じく要素的(第A)「理念型」を構成し、さらに、そのようにしていわば「芋づる式に」つぎつぎに構成される複数の要素的「理念型」群(B、C、D、……)を、こんどは、⑶個性的な「布置連関Konstellation」[3]に即して総合し、いわば「ワンセットをなす理念型複合ein Komplex
von Idealtypen」として「歴史的個性体 historisches Individuum」概念を構成し、よってもって複雑/多岐な対象「総体Totalität」に迫っていくよりほかはないであろう。
「倫理」論文第一章第二節の課題は、問題の「精神」を対象とし、これについてそうした「歴史的個性体」概念を構成し、そのうえで、その歴史的「文化意義Kulturbedeutung」を特定することに求められる。しかし、「歴史的個性体」のような複合的理念型を構成して、対象としての「精神」とは「かくかくしかじかである」と定義をくだすには、当然のことながら、研究を相応の段階にまで進めていなければならない。ところが、対象にかんするなんらかの事前了解がなければ、なにを採り上げてよいかも分からず、そもそも研究に着手することができない。概念的定義は研究が進んだ段階でなければ手に入らないが、他方、なんらかの定義がなければ、研究に着手し、当の段階にまで進めることができない。このディレンマを打開するのに、ヴェーバーは、問題の「精神」を(相対的に)もっともよく体現している(とおぼしき)特定の個人、しかも読者も熟知していて(あるいは容易に知ることができて)、著者と読者との対話として研究/叙述を進める共通の出発点(「トポス」)に据えるのに「もってこいの」特定個人を選び出し、「精神」を「暫定的に例示し、(読者に)直観的に把握してもらうprovisorische Veranschaulichung」事前了解の手段として、そのかぎりで活用しようする。
そのさい、「個人」といってももとより、(誰でも自分個人を全体として捉えようと「自伝」「自分史」を書き始めてみればすぐ分かるように)これまた経験的には無限に多様で、汲み尽くしがたい一「総体」である。したがって、当該個人の無限に多様な意味表現/意味形象の混沌のなかから、「精神」の一特徴に関連のある特定の側面を、当の一特徴の要素的「理念型」概念を構成する素材として選び出し、(他にこれとは矛盾する諸特徴/諸側面が「混沌と渦巻いている」ことは当然のことと前提し、かえって)一面性をこそ意図し、さればこそ鋭い、第一要素の「理念型」を構成するのである。
このように、⑴要素的(第@)「理念型」から着手し、⑵の手順に移って別々の要素的「理念型」群(A、B、……)を漸次構成していき、これを⑶あるところで打ち切って、そうした要素的「理念型」群の総合に転じ、「ワンセントをなす理念型複合」として「歴史的個性体」概念を構成し、よってもって「精神」をその個性(個々の要素特性および要素間「布置連関」の特性)に即して認識するのである。
そこで、この方法を簡潔に表明した冒頭の断り書きにつづき、問題の「精神」を「暫定的に例示」するため、上記の「特定個人」として、そのかぎりで「合目的的」に選び出されるのが、18世紀の人ベンジャミン・フランクリンにほかならない。そして、かれの無限に多様な経験的意味表現/形象のなかから、「精神」の一特徴を表示する(フランクリンにとっても一側面にすぎない)一素材として、同じく「合目的的」に取り出されるのが、実業家志望の青年に宛てた助言の二文書であり、さらにそこから抜粋され、引用される特定の箇所(語群)である[4]。フランクリンの同一文書、他の文書、ましてや『自伝』のなかに、ことによるとそれとは矛盾する、多種多様な意味諸形象(したがって記述/語群)があろうことは、当然のこととして前提とされている。
「倫理」論文全体のパースペクティーフにおける研究対象は、フランクリンではなく、あくまで「精神」なのである。フランクリンはといえば、上記⑴から⑵、⑶の手順を踏んで肉薄すべき一「総体」として、いわば「丸ごと」、研究の対象に据えられているのではない。あくまで「精神」の(上記の意味における)暫定的例示手段として、まずは⑴かれの「生き方」の一面、それも、他の観点を採用すれば「非本質的/末梢的」として捨象されてもいっこうに差し支えない(が、ここでの著者ヴェーバーにとっては本質的に重要な)特定の一面(@「貨幣増殖」を自己目的として義務づける独特の「エートス」[5])に照射が当てられ、さればこそそこから、⑵一方では第二の、これまた特定の一面(A「功利主義への『転移』傾向」)、他方では第三の、(第二とは逆方向ながら)これまた特定の一面(B常套句『箴言』22: 29から、「超越的」背景として特定の宗派信仰との関連が予想される、「職業義務観」「職業倫理」との癒着)が索出され、集約的ながらごく簡潔に論及されるにすぎない。ここでの原著者にとっては(かれの価値関係的パースペクティーフとコンテクストからすれば)、それで十分なのである。当然、ヴェーバーは、第一章第二節、いやその(内容上はフランクリンへの論及に尽きる)初めの部分でさえ、「フランクリン研究」――いっそう正確にいえば、「フランクリンのほうを研究『対象』とし、一『総体』として、⑴から⑵への手順を踏んで一歩一歩アプローチし、⑶『歴史的個性体』として『フランクリン(の全体)像』を構成すべき、固有の意味におけるフランクリン研究」――とは「僣称」していない。はっきり、思考のヴェクトルが逆で、「精神」の概念的定義を獲得するための出発点、「暫定的例示手段」にすぎないと断り、そのかぎりで二文書からの抜粋/引用(わざわざキュルンベルガー『アメリカにうんざり』からの孫引き[6])を開始し、あとから「説教の主はじつはフランクリン」と明かすのである[7]。
さて、抜粋文の内容は、「時は金なり」「信用は金なり」の二標語に象徴されるとおり、個人の生活時間と対他者関係とを一途に捧げて貨幣増殖につとめよ、との訓戒である。この「金儲け心得」が、不利益を避ける相対的に賢明な選択肢として、その意味の「処世術」として勧告されるよりもむしろ、その域を越えて、なにかしら高所から降りてきて無条件に遵守を迫る「要請」「定言的命令」の様相を帯び、そうした「エートス」の表明として「口を酸っぱくして」説かれている。まずはこの点に、この抜粋文(そこに表明されたかぎりにおける特定の意味形象)に顕著な、「精神」の特徴があるといえよう(第@理念型)。
ところで、『自伝』によれば、フランクリンは、この「エートス」をなす「正直」「勤勉」「節約」「節制」「規律」といった十三の徳目を、「自己審査手帳」をつくり、「習慣」として「身につけよう」――まさに「エートス」として体得/体現しよう――と努力したという。しかし、それらの徳目は、純然たる「固有価値」「自己目的」として措定されているのではない。「貨幣増殖」のために「信用」を獲得する手段の系列に編入されてもいる[8]。したがって、ともすれば「信用」獲得という効果に力点が移り、ばあいによっては「効果」が等価/同等なら「見せかけ」だけで十分と見る「偽善」にも傾きかねない。さなくとも、「貨幣増殖」にともなう快/安楽/その他なんらかの利益を「自己目的」とし、行為の倫理的価値さえも、もっぱら、当の目的を達成する手段としての合理性(「目的合理性」)を規準として評価する――「価値合理性」(すなわち、このばあい「倫理的価値」としての「固有価値」への意識的なこだわり)は、いわば「目的非合理的」な「価値硬直化」としてしりぞける――「純然たる功利主義Utilitarismus rein als
solcher」へと推転をとげる傾向を孕んでいる(第A理念型)。
この側面は、上記のとおり、⑴「精神」をいったん「エートス」性の方向で――(「貨幣増殖」を義務として意識的に遵守する「価値合理性」の方向で)純化して捉えた(第@理念型)からこそ、⑵それに逆らい、抵抗する別の側面として索出され、前景に顕れ、第二の特徴として(第A理念型をもって)把握された。とすると、こんどは、「精神」が「純然たる功利主義」へと完全に解体するのを背後から阻止している「なにものか」が、逆方向に想定され、視野に入ってくるはずである。あるいは、それ以前にも、⑴「精神」を、(第@理念型において)「貨幣増殖」にすべてを一途に捧げる「エートス」というふうに、純化/極端化して捉えると、さればこそまさにそこで、「ではいったい、なぜそうまでして貨幣を増やさなければならないのか」との問いが触発され、「至上価値」「自己目的」として固定化(いうなれば「物象化」)されている「固有価値」のさらに背後にある価値への関心が目覚めるであろう。
そこでヴェーバーは、「そうした『背後価値』『究極価値』は通例、宗教性の領域に求められる」という(数年後に「法則論的知識nomologisches Wissen」と命名される)一般経験則を(暗黙裡にせよ)媒介として、当の「なにものか」の方向に目を凝らし、宗教性との関連を探りにかかる。すると、フランクリンが、「なぜ人から貨幣をつくらなければならないのか」と同趣旨の問いを向けられた折に、(厳格なカルヴィニストの父から青年時代に繰り返し叩き込まれたという)『箴言』22: 29の聖句(GAzRS, I, S. 36, 大塚訳、48ぺージ、梶山訳・/安藤編、95ぺージでは「汝その職業(使命)に巧みなる人[rüstig in seinem
Beruf]を見るか、斯かる人は王の前に立たん」。新共同訳では「技に熟練している人を観察せよ。彼は王侯に仕え、怪しげな者に仕えることはない。」)をもって答えた、という故事が目に止まる。ヴェーバーは、この挿話を『自伝』から引用し、そのように宗教的背景を示唆しながら、まずは上記の問いかけに、「近代の経済秩序の内部では、貨幣利得Gelderwerbが、合法的におこなわれるかぎり、職業における有能さTüchtigkeit im
Berufの結果Resultatであり表現Ausdruckであって、この有能さこそが、……フランクリンの道徳のアルファにしてオメガ」(a. a. O.)
だからである、と答えている。
とするとここで、先の第一特徴(第@理念型)では「最高善」と目された「貨幣利得」が、じつは単純にそうなのではなくて(たとえば「宝くじ」に当たったとか、たまたま資産を売却したとかによる職業外の「貨幣獲得」であってはならず)、むしろB「職業における有能さ」こそが「道徳のアルファにしてオメガ」すなわち「究極の倫理的価値」であり、「貨幣増殖」とは、それが(近代)経済の領域で持続的に現れた結果、指標にすぎず、そうであって初めて、そのかぎりで価値ありと見られる、ということになる。他方、「職業における有能さ」は、かならずしも経済の領域に現れるとはかぎらず、たとえば(近代)知性/学問の領域に現れて「業績」という結果をもたらすばあいもあろうし、(近代)芸術の領域で「制作品」に表現されることもあろう。ヴェーバーは、当の「職業における有能さ」を奨励し、義務として命じ、さまざまな領域で「結果」に「表現」される独特の「職業観」「職業義務観」を、「資本主義の精神」に「含み込ませ」[9]ているのではなくて、逆に「資本主義の精神」を、そうした「職業義務観」の(経済という)一特定領域への発現形態/一分肢として捉えているのである。ここで、「精神」の第三の重要な特徴が、(「職業における有能さ」を「究極の倫理的価値」とする)独特の「職業義務観」と癒着し、この「職業観」の経済領域への発現形態をなしている、というふうに(第B理念型として)定式化されよう。
ところが、そうするとこんどは、では、(どの領域に発現しようとも)「職業における有能さ」がなぜ「究極の倫理的価値」とされるのか、との問いが発せられよう。そこで、思考をまた一段、第三特徴のさらに背後に遡らせ、当の「職業」を「倫理的価値」たらしめる「究極の価値理念」が探索されることになる。これはおそらく、『箴言』句の引用からも予想されるように、宗教性/「宗教的観念」の領域に立ち入り、そのなかから探し出されるであろう。そして、それが索出された暁には、翻って、その「宗教的観念」と問題の「職業義務観」との関連/「意味連関」が究明されよう。あるいは、倫理的な職業観/「職業義務観」の「宗教的基盤」が問われ、双方の「意味連関」が「解明」される、と言い換えてもよい。じつはこれこそ、第一章「問題提起」中のつぎの第三節「ルターの職業観」から本論(第二章「禁欲的プロテスタンティズムの職業倫理」第一節「世俗内禁欲の宗教的基盤」第二節「禁欲と資本主義精神」)にかけて、連綿と展開される叙述に負わされている課題である。
ところが、著者ヴェーバーは、この第一章第二節では(25段中の7段目までで)、「職業義務観」との癒着という第三特徴を取り出し、第B理念型を構成したところで、⑵「芋づる式」探索/索出の歩みをいったん止め、あえて宗教的背景ないし基盤には立ち入らず(第三節以下に留保し)、(第二節の後続8〜25段では)翻ってこの「精神」の歴史的「文化意義」を論ずる。すなわち、この「精神」ないし(これにリンクされてその核心をなす)「職業義務観」とは、「西洋近代」以前の「生き方」としてあった「伝統主義」のただなかから、それに対抗して歴史的に「創造」され、以後、草創期の苦難の歩みを生き抜いた後には、形成途上の近代資本主義システムに「適合的」な「生き方」として、こんどは「淘汰」のメカニズムによって「普及」するにいたった。すなわち、「精神」を一促進因として近代資本主義システムが軌道に乗り、このシステムがいわば「一人歩き」を始め、「精神」のほうは、当該システムへの「適応」をとおして日々拡大的に生産/再生産され、そのためにかえって当初の本源的「意味」は忘却の淵に沈み、「没意味化」される。しかしなお、現代にも生き延び、残滓をとどめてはいる。そこで、まさにその歴史的「創造」(近代的「職業理念」の「誕生」)に、読者とともに現代から遡って立ち会い、その経緯と初発の「意味」を理解/追体験することが、つぎの第三節「ルターの職業観」以降の課題として設定される。さらに、著者ヴェーバーが「倫理」論文を執筆し公表した暗黙の意図としては(筆者の理解することころでは)、読者のひとりひとりが、著者ヴェーバーとともに、現代の「トポス」から遡って、歴史的創造の初期条件に立ち会い、「わがこととして」初発の「意味」を蘇生させ、心に止め、現代の惰性態としてある職業やシステムに、改めて明晰な態度決定をくだして取り組むように求められ、そのための思考材料が提供されるのである。
しかし、われわれとしてはここでひとまず、節の冒頭から7段目までの叙述内容を要約し、「精神」の概念を定式化しておくことにしよう。「精神」の特徴として取り出された三要素を振り返って、それらの関連を見ると、第一特徴(第@理念型)においては「最高善」と見られた「貨幣増殖」が、じつは第三特徴(第B理念型)の「職業義務観」にリンクされ、「職業における有能さ」を表示する結果/指標という「意味」を帯びるかぎりで「善」たりうるのであった。したがって、「貨幣増殖」が「職業義務観」との癒着関係から切り離されてくると、それだけ「究極価値」「自己目的」と錯視されて、「最高善」にのし上がる。さらに「職業義務観」による手段系列への掣肘/歯止めも弱まる――「価値合理性」が薄れる――と、(いまや「最高善」にのし上がった)「貨幣増殖」を「至上目的」とする「目的合理性」が、「価値合理性」にとって代わり、その掣肘を脱して「一人歩き」を始め、唯一の価値規準として思考/行為を律するようにもなる。この方向で、第A理念型では「萌芽」として捉えられた「転移」傾向が行き着く先は、終着駅で待ち受ける「純然たる功利主義」である。このようにして、三つの個性的要素理念型が個性的に関連づけられ、「ワンセットをなす理念型複合」に総合され、「歴史的個性体」としての「精神」概念が構成されている[10]。これによって事態は、第二/第三特徴が相互掣肘によって均衡を保つかぎりで存立する第一特徴として、互いに相反する両方向性の緊張を孕んだ矛盾的統一/連関として、動態的に把握されることになろう。
たった七つの段落に凝縮されている原著者ヴェーバーの思考は、このようにいかにも自然で、明晰かつダイナミックである。しかもその、よく読めばけっして飛躍することのない一歩一歩は、読者との「トポス」を出発点に、対話しつつ過去に遡行し、蘇生/復元される「意味」を携えてはたえず現在に戻る、「意味」覚醒の連続であり、水平的また垂直的な視圏拡大の旅なのである。(2004年6月5日記)
[1] Die protestantische Ethik und der »Geist« des Kapitalismus, in: Gesammelte Aufsätze zur Religionssoziologie, Bd. 1, 4. Aufl., 1947, Tübingen, S. 17-206, 大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の〈精神〉』, 1989, 岩波書店[改訳第二刷文庫版], 梶山力訳/安藤英治編『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の〈精神〉』、第二刷、1998、未來社
[2] やがて、1910年の対ラハファール論争を契機に、この与件自体が問題とされる。「倫理」論文では、「因果連関」のほうが与件とされ、「意味連関」として捉え返されるが、1910年以降、当の「意味連関」が「明証性」はそなえた仮説とされ、その因果的「妥当性」が、(宗教性に由来する「意味連関」が別様に発展をとげた西洋近代以外の文化圏では、「近代資本主義の精神」や「(近代資本主義を含む)近代的文化諸形象」が発生したのかどうか、しなかったとすれば、別様に発展した「意味連関」がその発生阻止にどう与ったのか、という)比較研究によって検証され、当の「意味連関」が「因果連関」としても捉え直される。後期ヴェーバーの歴史・社会科学は、こうした世界史的比較の遠近法において「西洋近代」を相対化して捉え返していく。かれ自身は「近代化論者」ではなかったのである。
[3] 語源cum+stellaからも明らかなとおり、星々が個性的な位置関係に置かれて唯一無二の星座をなすこと、またその連関を意味する。
[4] しかもヴェーバーは、その箇所をわざわざ「原典」からではなく、F. キュルンベルガーの『アメリカにうんざりDer Amerikamüde』(筆者は未見)から孫引きしている。丸山尚士によれば、この小説のモデルとされた詩人レーナウは、19世紀前半に夢を抱いてアメリカに渡りながら、「アメリカ的生活様式」の「拝金主義/功利主義」になじめず、一年で故国オーストリアに逃げ帰ったという。当の小説に表明されているのは(おそらく)、ドイツ国民に類型的な「アメリカ嫌い」の心情であり、これはこれで、「信仰のみ」の立場から(イエスの言にすら反して)行いとその果実は「みな見せかけであり、外面的であ[り]、その外見は多くの人を誤らせる」(「キリスト者の自由」、松田智雄編『ルター』、1969、中央公論社、70ぺージ)と説いたルターの精神に由来するであろう。著者ヴェーバーは、ドイツ国民の読者に「馴染み深い」か、さなくともすぐに「それと分かる」類型的嫌悪を「トポス」とし、これをいわば逆手にとって、当の「拝金主義」の主がじつは「道徳家」フランクリンであり、その信条が特定の職業倫理にリンクされ、特定の宗派信仰に発しているという来歴に遡行しながら、その途上では翻って、当の「アメリカ嫌い」の宗教的起源を解き明かしもするのである。
[5] 「倫理Ethik」を、生活/行為を「拘束」する「規範」(ないしその「綱要」「解説」「(倫理)学説」)として、それゆえ(「拘束」される)実践/生活/行為そのものとは一定の距離/緊張関係にある「観念」「ロゴス」として、捉えるとしよう。そのうえで、そうした「倫理」がむしろ生活のなかにいわば「溶け込み」、「生き方」の「血となり肉となり」、「習慣」とも化して、かえってときとして意識されずに行為を動機づけ、じっさいに規定している様相にスポットを当てれば、上記「ロゴス」としての狭義の「倫理」と区別して、「エートスEthos」と呼び換えられよう。
[6] わざわざそうする意味については、上注4参照。
[7] 冒頭にこうした方法的限定の断り書きが明記され、(以下、この論稿の本文でも確認するとおり)後続の叙述内容とも厳密に整合しているのに、見落としたのか、意味を考えなかったのか、「対象」と「例示手段」とを混同し、この混同から派生する奇想天外な非難を「怖めず臆せず」著者に投げつけ、「詐欺師」「犯罪者」呼ばわりまでして「世界初の発見」に胸を張るとは、「無知の怖さを知らない所為」というほかはない。そうした「博士」論文が「言論の公共空間」に登場し、「賞」の脚光まで浴びて衆目にさらされるのは、なるほど「世界初の」残酷な笑劇ではあろう。ただ、それを真に受けて絶賛する学者/識者/評論家や、拍手喝采して共鳴する読者もかなりいるので、笑ってばかりもいられない。
[8] フランクリンは、この点をつぎのように解釈した。人間は倫理的に弱く、「旨味」がなければ(つまり、純然たる「自己目的」としては)徳目を守ろうとはしないし、しようとしてもできない。そこで神は、そういう人間の弱みを「大目に見」、それでも徳目を守らせようとして、徳目遵守が利益にもなるように「按配」した。その意味で「貨幣増殖−信用−十三徳」の「倫理」は、神の「摂理」と見られる。この関係を表現するのに、当の解釈をフランクリンが一種の「啓示」として「受けた」という言い回しを使っても、レトリックの許容範囲内にあり、ことの真相を歪めることにはなるまい。もっぱらこういう些細な点に挑みかかっては、ほんとうに「啓示」「啓示による劇的な回心」があったのかどうか、「典拠の不備」を衝き、「原典」に遡って詮索してみても、肝心の「意味」を逸しているのでは、本末転倒の徒労というほかはない。
[9]この「含み込ませる」という表記の反復(羽入書、66-7ぺージ)に示されるとおり、羽入は「精神」を、「職業義務観」の「上位概念」と見ている。では羽入は、「倫理」論文の全内容を総括する、つぎの結びの一文をどう解釈するのか。「近代資本主義の精神の、いやそれのみでなく、近代文化の nicht nur dieses, sondern der modernen Kultur本質的構成要素のひとつである職業理念に根ざす合理的な生き方die rationale Lebensführung auf Grundlage der Berufsideeは、――この論文はこのことを証明しようとしたのであるが――キリスト教的禁欲の精神から生まれ出たのである」(GAzRS, I, S. 202, 大塚訳、363-4ぺージ、梶山訳/安藤編、355ぺージ)。「木を見て森を見ない」者には「木も見えない」。
[10] 行論を少し下ったところには、「先にベンジャミン・フランクリンの例について見たようなやり方で、正当な利潤を職業としてberufsmäßig組織的かつ合理的に追求する志操を、ここしばらく『(近代)資本主義の精神』と名づける」(GAzRS, I, S. 49, 大塚訳、72ぺージ、梶山訳・/安藤編、114ぺージ)と定義風に記されている。