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なぜ「『末人』の跳梁」と題するか――前稿(羽入「ヴェーバー詐欺師説」批判結語・その1)への補遺

折原 浩

2004822

 

 

はじめに

 前稿「『末人』の跳梁――羽入『ヴェーバー詐欺師説』批判結語(その1)」では、羽入書第一章「“calling”−概念をめぐる資料操作――英訳聖書を見ていたのか」の叙述に内在して、羽入の「意味変換操作」を剔出した。その後、若干補足したい点が出てきたし、前稿の論旨の一部(ヴェーバーBeruf論のコンテクスト)を整理しなおす必要も感じた。他方、連載予定の本稿全体を、なぜ「『末人』の跳梁」と題するか、についても、再度内在考察に転じた趣旨とともに、若干解説する必要があろうかと考えた。そこで、やや反復の嫌いはあるにせよ、ここでもういちど前稿の要旨を再構成して示し、あわせて題名の趣旨を述べたい。次稿は、「『末人』の跳梁――羽入『ヴェーバー詐欺師説』批判結語(その2)」と題し、羽入書第二章「“Beruf”−概念をめぐる資料操作――ルター聖書の原典ではなかった」を取り上げ、前稿同様、そこに見られる羽入の「意味変換操作」を抉剔する予定である。

 

1.ヴェーバーBeruf 論のコンテクスト――「遺構部位」の配置構成

 「羽入事件」と「藤村事件」とを類例として対比し、前者における「ヴェーバー詐欺師説」の捏造を、後者における遺物発掘捏造になぞらえると、羽入が「遺物」を取り出した「遺構」「部位」本来の「配置構成」は、つぎのとおりである(このばあい、「遺構」とは「倫理」論文、「部位」とは、同論文第一章「問題提起」第三節「ルターの職業観」の本文第1段落とそこに付された三つの注、「遺物」とは、三注のうち注3の第[6]段落に含まれ、内容としてはイングランドにおけるBeruf相当語callingの成立に論及した、原文16行約150字の叙述、「配置構成」=「遺物」群の「布置連関Konstellation」とは、当該叙述が内属するBeruf論のコンテクスト、にそれぞれ相当する)。

 ヴェーバーは、「ルターの職業観」節の本文第1段落で、読者との「トポス」(共通の場)として同時代のドイツ語語彙のなかからBerufを取り出し、@この語が現在「使命としての職業」という独特の意味で用いられている事実を所与として認め、そのうえで(比較語義史のパースペクティーフを開いて)、A同じように「使命としての職業」という聖俗二義を併せ持つBeruf相当語(callingなど)の時間的・空間的分布が、近世以降プロテスタントの優勢な諸民族の言語にかぎられている事実を指摘し、そこから(歴史的因果帰属に転じて)、BそうしたBeruf およびBeruf相当語は、宗教改革における聖書の翻訳に――しかも、原文ではなく「翻訳者たち精神der Geist der Uebersetzer」に――由来するとの仮説を立て、そのあと、この仮説に、二様の回答を示している。すなわち、一方では、C翻訳者のひとりルターのばあいそうした語Beruf が、まずはzuerst旧約外典『シラ』11: 20, 21の翻訳のさいに――原語ergonponos(原文では反貨殖主義・伝統主義的な「神への信頼」を説くコンテクストに内属し、もっぱら世俗的な「仕事work」ないしは「労苦toil」を意味していた語)に、語Beruf(それまではルター自身も主として「神の召し」ないしはせいぜい「聖職への招聘」にかぎって純宗教的に用いてきた語[1])を当てるという意訳の形式をとって――成立し(そのとき語beruff が語のうえで初めてBerufとなり)、この意訳語Berufが、排斥されるのでも、無視されるのでもなく、広く受け入れられて、現在にいたっている、他方、Dドイツ以外のプロテスタント諸民族のばあいにも、その後すみやかに dann sehr bald」、語形は異なっても同義・等価のBeruf相当語が成立し、普及して、現在にいたっている、と述べている。

 さて、本文を読んできて、この論点CDにさしかかると、やや性急との印象を免れがたいであろう。というのも、事実がはたしてそのとおりであったかどうか、そうとすれば、いかなる経緯をへてそうなったのか、という歴史的検証は省いて、結論だけが提示されているからである。ところが、ヴェーバーは、論点Cに、全六段からなる長大な注3を付し、事実の確認と経緯の説明は、そのなかに送り込んで実施している。すなわち(ここでさらに「言語社会学」のパースペクティーフを開いて)、一方では、Eルターにおいて、そうした宗教改革者としての「翻訳者の精神」が、いかに形成され、その「精神」によって孕まれた職業「概念いかなる事情を介して『シラ』11: 20, 21の訳語に表明されるにいたったのか、その歴史的経緯を、五つの段落([1][5])を振りあてて詳細に論じ、Cの仮説を立証ている。他方、Fドイツ語圏の境界を越え歴史的社会的条件を異にする他の言語ゲマインシャフト」においても、そうした宗教改革者・翻訳者の「精神概念、「その後すみやかに」なんらかのしかるべき(たとえばcallingのような)を見いだし、それにBeruf相当語としての語を賦与し、これが普及して今日にいたっているかどうか、そうしたことが起きたとすれば、Gいかなる歴史的経緯をへてそうなったのか、との問いに答え、論点Dの仮説を立証すべく、ただしDに特別の注を付すのではなくCにかんする注3末尾の第段落に繰り入れる形で(したがって、Eに比して1/6弱の紙幅で)、最善の努力を払っている。すなわち、ドイツ語圏以外のプロテスタント諸国のうち、結果的にBeruf相当語が普及して今日にいたっている「言語ゲマインシャフト」の一例として、イングランドを取り上げ、語calling(ないしはcallyngeなど、語形上のヴァリアント)を、Berufberoep(オランダ語)とは別系統のkald(デンマーク語)、kallelse(スウェーデン語)など、ギリシャ語kaleōから派生したと思われる語群の一代表例に見立てて、それが、Beruf相当語として成立した事実を、歴史的経緯にかんする詳論は省いて確認し、論点Dの仮説を、十全な立証とまではいかなくとも例証している。

 

2.規範的格率と経済的格率との狭間における選択と「限界問題」

 なるほど、この論点Fの叙述を、論点Eのそれと比べれば、質量ともに見劣りがする。前者には、注3末尾の一段落内に収まる原文16行約150字が費やされているだけであるが、後者にはその六倍強の紙幅が当てられている。かりにBerufならびにBeruf相当語にかんする比較語義史」が「倫理」論文の(「トポス」でなく)主題であれば、論点Fでは、イングランド以外にも、オランダ、デンマーク、スウェーデンなど、プロテスタントが優勢な「言語ゲマインシャフト」におけるBeruf相当語成立の事実[2]のみでなく、その歴史的経緯までが、論点Eにおける自国ドイツの等価事例に匹敵する密度で詳論されてしかるべきだったろう。ところが、じっさいには、唯一の例イングランドについても、Beruf相当語callingの成立が事実として確認されるだけで、その経緯の詳細は不問に付されている。つまり、論点Gは、ほとんど問い残されている。というのも、「倫理」論文は、比較語義史研究を主題としてはいないからである[3]

 ところで、ヴェーバーは、つねに過大な研究課題を抱え、どんな問題についても「一次資料に当たって事実を確かめ、歴史的経緯を究明すべし」と要請する規範的格率と、膨大な課題を効率よくこなして成果にむすびつけようとする経済的格率との「せめぎ合い」を、「素材探し」と「意味探し」との緊張を交えて、生きていた。ということは、一篇の論文を執筆するときにも、主題に向けて効率よく――つまり、個々の論点に割り当てる時間と労力を、論点それぞれの価値関係性ないしは合目的性に応じて制御して――叙述を進め、早く主題の議論に集中しようとする求心力と、「トポス」にかんする比較語義史的補足論議でも、「人間にかかわることで、わたしに無縁なことはない」とばかり、比較の諸項(少なくともその代表例)についても一次資料による検証にまで深入りして、「補説Exkurs(「経済的格率」の観点からすれば「道草」)にも時間と労力を惜しむまいとする遠心力との交差圧力を受けながら、双方の狭間に身を置いて、つねに最善の選択を心がけていた、ということであろう。

 「倫理」論文のばあい、ヴェーバーは、そういう「せめぎ合い」のなかでの選択として、論点DにかんするFの叙述は、形式上、独立の注を設けず、(論点Cに付され、叙述Eに当てられる)注3の末尾に繰り入れる形で、簡潔に切り上げようとしたにちがいない。また、内容上も、当時刊行途上にあったOEDの、英語語義史に通じた碩学マレーの記事を、なるほど「二次資料」とはいえ、(当時のかれには、にわかには蒐集できない)歴史的素材の最良の集成として、摂取し、活用している。かりにかれが生きていて、これを「資料操作」として咎められたとすれば、「杓子定規に『一次資料』規範に固執するよりも、柔軟に良質の『二次資料』を活用するほうが、(他に振り向けてもっと有効に使える時間と労力を節約できるばかりか)内容上も『おのれの足らざるところを補って』もらえて『結果的にベター』(『自分にとってはベスト』)ということもありうる」と答えたであろう。

 ちなみに、かれは、ルターの『シラ』句訳に源を発した「言霊」の「呪力」が、直接、英訳諸聖書の『シラ』句“calling”に乗り移り、このcallingから直接「禁欲的プロテスタンティズム」の職業概念が派生するなどと、信じてはいなかった。主題として念頭にある「禁欲的プロテスタンティズム」の職業概念/職業倫理は、後代、「禁欲的プロテスタンティズム」の大衆宗教性において「確証問題への関心」が前面に顕れて以降(17世紀中葉以降)、そのように主体的条件が熟して初めて、歴史的に形成され、ルターの職業概念そのときに初めて(『シラ』回路を含むにせよ、それだけではない多様なルートを経由して)イングランドのピューリタニズムに摂取され、鋳直された、と見ている。したがって、かりにこの論点F16行約150文字の叙述において、ルターとピューリタニズムとが、一語Beruf=callingで直結されなかったとしても、「倫理」論文の「全論証構造」が揺らぐわけではない。それは、ルターとフランクリンとが同じく一語Beruf=callingでは直結されず、geschefft≠callingと齟齬をきたしたとしても、(歴史・社会科学的に考えれば、用語法の歴史的変遷として)むしろ当然のことで、(当の齟齬は)なんら「倫理」論文の「アポリア」とはならず、その「全論証構造」の「命取り」ではなく、むしろ「補完材料」をなす、というのと同然である。「倫理論文の全論証構造においては、このFで、ルターによる語Berufの創始「以後すみやかに」、プロテスタントの優勢な諸民族の「言語ゲマインシャフト」にBeruf相当語が普及し現在にいたっている事実を確認し、本文のテーゼDを例証できれば、それで十分なのである[4]

 ただ、つねにより高いいっそう完璧な究明と論証をめざす学問の規範に照らせば、他国の「言語ゲマインシャフト」におけるBeruf相当語の創始経緯にかんするFの叙述も、自国のルターにかんするEの叙述と同等の水準にまで引き上げることが、あくまで可能ではあったろう。ヴェーバーも、かりにそうした「言語社会学」的比較語義史が「倫理」論文の主題であったとすれば、万難を排して(あるいは、さなくとも「トポス」の補説についてまで一次資料を調べる時間と余力があったならば、よろこんで)、より高きをめざす学問の規範にしたがったにちがいない。「規範的格率と経済的格率とのせめぎ合い」を生きなければならない、実存(現実存在)としての研究者は、価値関係的パースペクティーフによって制御された研究の途上、時間と労力のおよぶ範囲の境界線上で、(別の観点からは、あるいは高次の規範に照らせば「欠落」「不備」「不足」と見なされてもやむをえない)こうした「限界問題」に直面し、現実にはその究明を断念し、問い残さざるをえないのである。

 ところで、こうした「限界問題」は、ちょうど学問論争と法廷闘争との「限界問題」をもなしている。学問論争を法廷闘争になぞらえることは、ある範囲内では可能かつ有効であろう。しかし、訴訟における「勝敗」といった後者のカテゴリーに囚われると、なによりもまずこうした「限界問題」が、「弁護」すべき「被告人」の「弱み」とも感得され、訴訟の展開には「不利な」材料にもなりかねないと予感され、ここから「限界問題」の存在すら認めないという防衛反応が生じやすい。そうなると、比喩は学問上、かえって有害になる。というのも、学問は、そうした「限界問題」をこそ、まさに知的誠実性をもって直視し、批判し、仮説を構成して検証し、そのようにして(単線的あるいは「弁証法的」な)進歩をとげていくものだからである。

 

3.「限界問題」にたいする二様の対応――学問的批判と偶像破壊

 ところで、学問論争において、ある研究者が、他の研究者を批判するばあい、そうした「限界問題」にどういうスタンスをとるか、という一点に、当該批判者の学者としての品位が顕れるように思われる。

 一方の極に想定される批判者は、批判相手の「限界問題」を、高次の規範に照らして「欠落」「不備」「不足」と認定するにしても、それを無条件に「瑕疵」「欠陥」一般に解消して非難するのではなく、相手が二格率の「せめぎ合い」のなかで最善の選択をなしたかどうかを、当該論点の位置価と価値関係性に照らしてまずは検証する。そのうえで、批判者自身もより高きをめざす学問の規範に服して、当の「限界問題」を問題として再設定しむしろ自分自身の問題として引き受けようとするであろう。あるいは、当の問題を自分の問題ともする(たとえば「言語社会学」的比較語義史を専門的に考究する)意思はなくて、他の(そうした意思をもつ)研究者とくに後進に託すとしても、当の「限界問題」に迫る批判相手の議論(たとえばヴェーバーのBeruf論、とくにルターとドイツ語圏にかんするヴェーバーとしてもっとも密度の高い議論)から、そこに潜在している(たとえば「言語社会学」的比較語義史の)研究方針とパースペクティーフを引き出し、つとめて明快に再構成して、当の「限界」を越える(たとえば「ヴェーバーでヴェーバーを越える」)方向性を示し、問題を託す他の研究者に提供する責任は負うであろう。

 このばあいには、批判者も批判相手も、ともにより高きをめざす学問の規範」に服そうとするから、批判が、相手の限界暴露と否定だけには終わらず、当の「限界」を越えるなんらかのポジティヴな成果を生み出す公算が高い。言い換えれば、そうした者どうしの論争は、どんなに激しくとも「生産的限定論争」となる。少なくとも、そうする責任は、批判者にも堅持されているであろう。

 それにたいして、他方の極に想定される批判者は、相手とともに「より高きをめざす学問の規範」に服し、そのもとで相互に批判を交わしながら、(どんなに熾烈な論争となっても)あくまで理非曲直を争おうとするのではなく、相手をむしろ、暗々裏にせよ「偶像」に見立て、その「偶像」を「引き倒す」ことで、みずからを偶像として立てようとする。そういう「批判者」はむしろ、「偶像崇拝の裏返しとして偶像破壊をこととする者」「偶像崇拝者と同位対立の関係にある偶像破壊者」「偶像破壊のかぎりにおける自己崇拝者」とも言い換えられよう。思うに、こうした「偶像崇拝=破壊者」は、対象の偶像化と自己の偶像化に通じる「抽象的情熱」ないし過度の興奮を制御できない。というのも、そうした情熱や興奮を鎮めて偶像化を背後から引き止める人間存在の原点に背いて、「根のない水草」のように大地から浮き上がり、ちょうどそれだけ、内奥の不安を鎮めようと、どこかに偶像を立てて「拠り所」とせざるをえないからであろう。

 とまれ、そういう「偶像崇拝=破壊者」が、「偶像」に見立てて「打倒」しようとする相手の「限界問題」に直面するばあい、なにが起きるか。かれは、「限界問題」を、関連論点の位置価や価値関係性にかかわりなくただちに相手の「瑕疵」「欠陥」と決め込み、「弱み」と見て挑みかかり、特定の「瑕疵」「欠陥」を相手総体の「瑕疵」「欠陥」にまで過当に一般化し、それに非難を集中して、相手を「倒した」かに見せ、まさにそうすることで、みずから「寵児」「勝利者」「英雄」として躍り出、「偶像」として祀り上げられようとする。

 

4.「偶像崇拝破壊者」の「末人」性 

 立ち入って観察してみると、かれは、自分よりも優れたより高い客観的価値を認めて、現実にそれをめざして努力する、ということができない。あるいは、かつてはめざしていたけれども、挫折し、絶望し、(その絶望を絶望として見据えて)再起してはいない。かれがたとえば学問を志すとしても、「より高きをめざす学問の規範」に服して、現にある自分の殻を割って出、克己し精進して「より高い客観的価値」を実現しようとし、まさにそのことをとおしてみずからも向上しようとするのではない。むしろ、現にある自分に安住したまま、自分よりも優れたもの、より高い客観的価値をそなえたもの、その意味で現にある自分を脅かすものを、なんとかして引き倒し、自分の水準以下に引きずり下ろして、自分は「人間性の最高段階に上り詰めた」と思い込みたがる。

 いっそう根本的にいえば、かれには、人間存在の原点に揺るぎなく腰を据え、さればこそ内外に偶像を立てず内面的に自己充足する、ということができない。だからかれには、なんらかの外的対象を打倒・否定し、ちょうどそれだけ自己を偶像化し、自己満足・自己陶酔に耽る以外、自己尊重感を保つすべがない。したがって同時に、そうした外的対象が、現にあるがままの自分にも打倒・否定できる範囲内になければならないと悟って、「死人に口なし」の「死者」を撃つか、生者なら「返り討ち」を恐れ、「手強い」相手は避けようと、小賢しく立ち回るよりほかはない。こうした退嬰的基調のうえにたつ「ライフ・スタイル」こそ、ヴェーバーが「倫理」論文の末尾で、『ツァラトストラ』(ニーチェ)の寓意を引いて「末人たちdie letzten Menschen」と呼び、後にオルテガ・イ・ガセが「大衆人 Massenmensch」と名づけた類型のそれにほかならない。

  いっそう正確にいえば、そうした「末人」としての「偶像崇拝=破壊者」は、「高い価値をそなえている」と評価されているものを、まさにそれゆえ(そうした評価の当否を批判的に吟味検証することなく「偶像」として受け入れ、当の「偶像」を世間の規準に即して「打倒」し、世上「偶像破壊者」の「栄誉」に浴そうとする。「最高の」「栄誉」をかちえるには、「最高」と評価されている「もっとも有名な」「偶像」を「倒す」にかぎる。それには、「偶像」の「弱みにつけ込む」のが、いちばん手っとり早い。それがはたして「弱み」か、自分はそうした「弱み」とは無縁か、などと胸に手を当てて考え始めると、足を引っ張られるから、そうした反問はいっさい止めにして、遮二無二「弱みにつけ込む」ことだ。「偶像」が学者であれば、世間一般には「学者は誠実で緻密」と見られているから、反対に「詐欺」「杜撰」と決めつけ、誰にでもある「限界問題」の「弱み」から無理にも「瑕疵」「欠陥」を引き出して「証拠」に仕立て、あたうかぎり「誠実で緻密」な「論証」を装い、世評をひっくり返して見せれば効果覿面、耳目を聳動するに足りよう。

 世間には、「最高」の「偶像」に反感・怨念を抱くだけの「学者」もけっこう多いから、そういう類の「識者」、あるいは「耳目聳動」を喜ぶ「評論家」には、効果抜群、かれらから絶賛/拍手喝采を引き出すのも難しくはあるまい。

 確かに、「××研究者」は腹を立て、反感をつのらせるにちがいない。しかし、ここにも「××読みの××知らず」がけっこう多いから、「自分は××研究者ではない」とかわして反論を回避するか、『××入門』まで書いてしまってその伝は使えない「啓蒙家」も、「自分には『もっと巨大な』課題がある」とかなんとか、師匠ゆずりの「黙殺」つまりは「沈黙は金」の処世術に逃げ込むか、まあそんなところであろう。「××研究者」が在職する大学・大学院を見渡しても、昨今、「教官」のそうした日和見的・「亀派」的「ライフ・スタイル」を正面から問い質せる、気骨のある学生・院生は、絶えて見かけない。「大学教官」の「××研究者」は、「見てみぬふり」をしていさえすれば安穏としていられるわけで、みな、「放っておけばどうにかなろう」「だれかがやってくれるだろう」くらいに受け止め、「雉も啼かずば撃たれじものを」で、自分からあえて反論を買って出る「物好き」など、まずどこにもいないだろう。

 万一、「手強い」反論が出てきたとしても、そのときはそのときで、「やはりまだいる偶像崇拝者」、「詐欺師に騙された哀れな輩」「廃棄物を垂れ流す××産業の営業者」「ブランド商品をけなされてヒステリックに反応」とかなんとか、俗耳に入りやすいレッテルにはこと欠かない。だから、そのときは、反論内容にはいっさい応答せず、「ポピュリズムで押しきれば、なんのことはない。

 「末人」の計算は、小賢しくもしたたかである。この「羽入事件」についてみても、少なくとも結果的には、ひとつの「不安材料」を除き、状況は大筋として「末人」の思惑どおりに推移してきているではないか。

 

5.「末人」跳梁の予兆

 こうした事態にたいしては、さまざまな対応がありえよう。「ま、そんなに目くじらを立てなさるな。『若僧』の駄々を歎く光景は、なにもいまに始まったことではない。『××研究』もいまや、どこにでもいる驕慢な『分からず屋』をひとりくらいは抱え込めるほど裾野を広げたと考えれば『もって瞑すべし』ではないか」と達観して鷹揚に構える人もあろう。あるいはさらに、「向きになって正面から対応すると、かえって相手の『思うつぼ』にはまり、傷をいっそう広げかねないから、放っておいて『淘汰』に委ねるのが、やはりいちばん賢明ではないか」と政治的配慮をめぐらせる人もいよう[5]。それぞれ一理も二理もある批判で、筆者としては、そうした批判を受け止めてそのつど応答しながら、自分の対応を調整/制御していけることを、たいへん幸いなことと考えている。と同時に、そうであればこそ、そうした批判にあえて逆らい異なる方向をとろうとする個人としての理由を述べ、さらなる批判にそなえる必要もあろうかと思う。

 筆者は、50年の研究歴/40年の研究指導歴(とくに古典文献講読ゼミの経験)から、ヴェーバーにかぎらず、古典といわれる書物は、そう簡単には理解できず、三読四読し、沈思黙考し、「議論仲間」の友人と議論したり、先輩や師匠に問い質したり、研究文献/二次文献に当たったりして、ようやく解読の糸口が掴め、だんだん分かってくるものではないかと思う[6]。そうであればこそ、そうこうするうちに、そのように「努力して分かる」こと自体が楽しみとなり、それを励みにいっそう努力するという好循環も生まれよう。そのようにして、初見では難解な古典文献を根気よく精読するうちに、「恣意を克服して対象に就くSachlichkeitの)精神も育ってきて、これがやがては文献解読以外にも現実の問題に対処する場面で、その人のsachlichで明晰な判断と態度決定に活かされるのではあるまいか。ここに、「古典を学ぶ」意義のひとつがあると思う。

 ところが、1980年代に入ってから、学生/院生の間に、古典文献講読ゼミで「あなたのいまの読み方は間違ってはいないか、そこはむしろこう読むべきではないか」とストレートに指摘すると、考えなおすか反論するかではなしに、怒り出すという現象が目立ち始めた。そういうばあい、筆者としては、「当為」を振りかざしたり、権威主義的に「畳みかけ」たりした覚えはなく、むしろ「直截な指摘」をためらう弱さを克服しなければならないと気を引き締めながら、sachlichな理由を添えて、意図してストレートに指摘し、反論を促すように努めてきたつもりである。ともかくもそのころまでは、同一人が同じスタンスをとってきても、そうした怒気を含む対応に出くわしたことはなかった。だから、それはむしろ、学生/院生の側に、自分よりも優れたものから学んで向上しようという気構えと根気が薄れ、現にある自分に居直り、すぐ自己満足に耽りたがり、そういう退嬰的な姿勢をただそうとすると逆に恨む、あるいは、あえてそうする「手強い」相手は避ける、そうした脆弱な気質が蔓延してきた兆候と解釈せざるをえない。ある年度には、社会学専攻に、そうした怒気をヴェーバーにぶつけ、問題の退嬰的傾向を露にした修士論文(候補作)が提出され、「これはいかん、口述試験で正面対決しなければならない」と腹を固めたが、そのときには論文執筆者本人(羽入とは別人)のほうで気がついたらしく、いったん提出した論文を撤回し、翌年、問題傾向を改めた新作を提出して審査を通る、という「小事件」も起きていた。

 したがって、1998に初めて(名古屋大学の院生がコメントを求めてきた)羽入論文「マックス・ヴェーバーの『魔術』からの解放」(『思想』、同年3月号)を読んだときにも、「あ、あれだな、あれがとうとう『言論の公共空間』にまで大手を振って登場するようになったな」と察しがついた。そのときには、論文の内容よりもむしろ、そうした論文が、文献解読の厳密性にかけては定評があって、筆者も金子武蔵先生のゼミからは学ぶところのあった、東京大学大学院倫理学専攻から学位を取得して出てきたことに、たいへん驚いた。と同時に、その意味では事態を深刻に受け止めながらも、当の出身母胎の善処に、やはり期待をかけたのである[7]

 しかし事態は、筆者の期待する方向には動かなかった。「善処」がなかったか、あっても功は奏さなかったのか、図に乗って表題を「魔術」から「犯罪」にエスカレートさせた羽入書が、数年後、これも定評のあった『MINERVA人文・社会科学叢書』の一点として公刊されたのである。その後の筆者の対応については、本コーナーに掲載の「学問論争をめぐる現状況」§§3〜6、「横田理博寄稿への応答」、および「虚説捏造と検証回避は考古学界だけか(その1)」「はじめに」などに書きとめておいたので、ここでは繰り返さない。問題はむしろ、羽入書の自己主張(「偶像破壊=自己偶像化」要求)に「見てみぬふり」をし、「末人」が「わがもの顔」に振る舞うのを放任しておくと、いったいどうなるか、当面は小さな問題にすぎないとしても、そこからやがて、この日本社会における学問、ひいては文化一般のあり方に、どういう影響がおよんでいくか、という点に求められよう。

 

6.諸価値の「下降平準化」と「類が友を呼ぶ」「集団−ゲマインシャフト形成」

 「鳴り物入り」の「学界デビュー」は果たせても、「末人」は「末人」である。「より高きをめざす学問の規範」に服し、客観的(真理)価値に仕えて、その発展に寄与しつつみずからも向上しようとするのではない。そういう志、向上心をもたないのが「末人」の「末人」たる所以である。むしろ、客観的価値の世界を、ひたすら自己中心に、一方では、自分が「最高」の「偶像」を「詐欺師」と断する「世界初の発見」をなしとげ、「人間性の最高段階に上り詰めた」と思い込み、自己満足・自己陶酔に耽る、退嬰的営為の手段として、他方では、そのままで「寵児」「勝利者」「英雄」として脚光を浴びようという「虫のいい」イヴェントの舞台として、自己本位に最大限、利用しようとする。

 では、学問なら学問といった客観的価値の世界が、「末人」によってそのように自己中心・自己本位に、「偶像破壊=自己偶像化」に利用され、喰い荒されても、当の客観的価値そのものは、微動だにせず、安泰を保てるのであろうか。そこまで楽観が許される状況であろうか。むしろ、当初は目に見えない程度と形においてではあれ、客観的価値規準とそれに見合う価値パースペクティーフが攪乱され、たとえば「杜撰緻密」、「詐欺誠実とがこもごも取り違えられそうした混乱混濁のうちに諸価値が相殺され、「平準化nivellierenされ下降方向で均され)」ていくことにはならないであろうか。そのゆくてには、「なにが『価値』で、なにが『非価値』か」、もはや曖昧で判断がつかない、もう「なにがなんだか分からない」という「アノミー(無規範・無規制)状態」をへて、あげくのはて「けっきょくは自分の恣意を価値として押しつけ通せる、図々しいほうが勝ちだ」という権力主義が台頭し、気骨のない「大衆人」がこぞって追従に雪崩込む、という状況が、出現してはこないかどうか。

 もとより、ひとりの「末人」が孤立的にせよ登場すれば、事態がそこまで直線的に進む、というふうに考えることはできない。そうした予測を大真面目に掲げるのであれば、「強迫観念」に囚われていると決めつけられてもいたしかたない。しかし、ある「(物質的また観念的)利害状況Interessenlage」(たとえば「相対的に恵まれない『寵児』願望者のルサンチマンと『過補償』動機」)が構造的に生み出され、そうした「利害状況」を共有する「集群ないし統計的集団Gruppe」(les incompris intellectuels)が(「目には見えない」にせよ、いわば「潜在的ゲマインシャフト」として)生み出されてくると、そうした社会的基盤のうえでは「類が友を呼び」、まずはマス・メディアやインターネットを媒介とする「離ればなれの形成」、ついで「時宜的なゲマインシャフト形成gelegentliche Vergemeinschaftung」をへて、 ばあいによっては「カリスマ的」リーダーのもとに(開放的−閉鎖的)「ゼクテ(結社)」が結成されもしよう[8]。もとより、こうした「集団−ゲマインシャフト形成」の階梯は、一方向的な「進化」の「段階」として「実体化」されてはならない。それはむしろ、そのときどきの諸条件に応じて「形成されては反転して解消し、また反転して形成される」双方向的「離合集散」(漸移的流動的相互移行関係)を動態的に把捉しようとする概念標識理念型スケールと見なされるべきである[9]。ただ、そうした「集団−ゲマインシャフト形成」と交錯しながら、「形成−解消」の両局面で(「解消」の局面でも)客観的諸価値の「下降平準化」が進み、ただ、「形成」局面では「平準化」がいっそう加速される、と予想される。こうした概念構成によって、事態の推移ばかりか、思いがけない展開も予測し、見通せるようになる。

 じっさい、「類が友を呼ぶ」「時宜的ゲマインシャフト形成」は、今回、一見思いもよらないところに出現した。なるほど、羽入書の登場後、まずは羽入予備軍」(「利害状況」を共有する「統計的集団」としてのles incompris intellectuelsの間に、羽入書を歓呼して迎える「離ればなれの群集」が形成され、羽入書を「誠実で緻密な論証」と取り違え、客観的価値規準を曖昧にし、その「下降平準化」に一役買ったであろう。この事実は、その間の「インターネット評論」の動向から、ほぼ確実に推認される。ところが、「時宜的ゲマインシャフト形成」のほうは、一見思わぬところに「絶賛者」が群がり、「賞=SHOW」を演じて「偶像破壊」カーニヴァルの列に伍する、世にも珍奇な形態をとった。『Voice』誌20041月号に掲載されている「山本七平賞」選考委員、加藤寛、竹内靖雄、中西輝政、山折哲雄、養老孟司、江口克彦の「選評」は、「末人」の「偶像破壊」に唱和して「時宜的ゲマインシャフト形成」に走った「PHP名士」「PHP識者」の資質と水準を露呈したデータとして、客観的諸価値の「下降平準化」を押し進める「末人」共同戦線の広がりを示す一徴候として、注目に値する。

 

7.「信じ難きを信じ」――加藤選評を読む

⑴加藤寛(千葉商科大学学長)によれば、「戦後の学生時代、私たちはマックス・ヴェーバーに浸りつづけていた。若きヴェーバーと碩学Gシュモラー[sic]との大論争[10]、ヴェルトフライハイト(価値判断排除論[sic][11])など私たちは読み耽り、それを題材として友人たちと論じ合ったから、ヴェーバーは私たちの青春のシンボルであった」という。なるほど、若いころヴェーバーを勉強したこと、とくに、難解な題材をめぐる「議論仲間」を持てたことは、それ自体たいへん結構なことであったといえよう。ところが、当の加藤が、「そのヴェーバーが学問的犯罪を犯したという衝撃が羽入氏の研究を通じて解き明かされている。しかもそれがたんなる感想コメントではなく、厳密なテキストクリティークに基づきその検証を試みたのだから、読むうちに肯んぜざるをえなくなる。こんなことが小説ではなく学術論文によってなされるなど正直いって信じられなかった」と告白している。

 さて、かりに加藤が、羽入書を「小説ではなく学術論文」として読み、羽入の「検証」を「読むうちに肯ん」じたとすれば、加藤の「青春」とは、当の「学問的犯罪」を見抜けずに「ヴェーバーに浸りつづけ」た錯誤ということになり、加藤としては、まずそうした自分の「青春」を問い返すべきであろう。ところが、加藤は、そうせずに、なにか他人事のように、羽入書を評価し、歓迎する。なぜか。加藤は、「大塚久雄信奉というかたくなな日本の学界(空気)に抗したこの画期的な著作が陽の目を浴びたことを喜びたい」とも語っており、この感情のほうが強くて、自己点検を妨げられているのではあるまいか。この「大塚久雄信奉」とは、ヴェーバー研究の現況を知る者にはやや[12]時代錯誤に響くが、案外、加藤の世代には共有されている本音なのかもしれない。とすれば、加藤の「青春」体験は、かれには「かたくなな」ルサンチマンを残し、これが今回のいささか軽率な羽入書評価に発現してしまったといえよう。

 「軽率な」というのも、加藤自身、学者であれば、おそらくはPHP研究所から回されてきた推薦状に賛意を表するまえに、「倫理」論文を再読し、羽入の主張をそれと逐一対比して検証し、そのうえで羽入書を学問的に評価すべきであったろうからである。そうする暇がなければ、「信じ難きを信ずる」まえに、少なくとも専門のヴェーバー研究者の意見を聞いて、慎重を期すべきであったろう。羽入書が「厳密なテキスト・クリティーク」を装いながら、「検証」の体をなさず、「相手を見ない行司には、相手を手玉にとっているかに見えるひとり相撲」にすぎないことは、事前(20034月)に『季刊経済学論集』(691号)に載った書評「四疑似問題でひとり相撲」で指摘されていた。加藤が、「専門家の意見を聞く」という学者として当然の手順を踏まずに、羽入の主張を「肯ん」じたとすれば、軽率で無責任であったといわざるをえないし、かりにそうしてもなおかつ「信じ難きを信じた」というのであれば、よほどの「節穴」というほかはない(この「軽率で無責任か、それとも『節穴』か」という批判は、加藤のみでなく、六人の選考委員すべてに当てはまる)。加藤も、加藤自身の専門領域では学問的訓練を積み、ひとかどの業績も挙げてきたにちがいないから、多分前者であろう。かれの「青春のシンボル」が、かれに学者としての品位と責任感は残さず、あちこちでいい加減なことをいう「名士」「識者」にのし上がることは妨げなかったとすれば、まことに残念といわざるをえない。

 なお、加藤はいちおう、「『犯罪』という題名は語感が強すぎる。……これは出版社の売らんがための『犯罪』というべきか(?)」と、疑問を呈してはいる。しかしこのばあい、確かに出版社の、なりふりかまわぬ「売らんがための『犯罪』」も問題であるが、著者羽入自身も、本文でヴェーバーを「詐欺師」「犯罪者」と断じているのである218191。加藤はなぜ、著者の不見識のほうは不問に付せるのか。ここでもおそらく、あの「かたくなな」ルサンチマンから、羽入書が「陽の目を浴びたことを喜び」、広く推奨したいという願望が、かれの判断を誤らせたのであろう。

 

8.「ポピュリズムの走狗」――竹内選評を読む 

⑵竹内靖雄(成蹊大学教授)は、羽入書を「完成度の高い推理小説のように面白く読」んだそうである。「羽入探偵は、この[資本主義を推進した精神的エネルギーはプロテスタントの倫理であるという]ヴェーバーの推理を吟味し、そこにはインチキな操作があってこの推理は成立しない、ということを完膚なきまでに立証してみせたのです。これはこの学問の分野では大変な『壮挙』で、かの巨人ヴェーバーの像が、その売りものである『知的誠実さ』という土台から崩れ、倒れていくさまが見られます。これが面白くないわけはありません。」 なんたることであろう。「完膚なきまでに立証」「大変な『壮挙』」「巨人像が土台から崩れ、倒れる」等々、「決まり文句」の賛辞を連ねて推奨する竹内とは、「ポピュリズムの走狗」か。こういうコピーライターには、「『倫理』論文と羽入書を読んでからものをいえ」といってみても始まるまい。

  さらに竹内は、羽入書の書き出しを絶賛する。「この本の冒頭ではいきなり羽入夫人が登場して、『マックス・ヴェーバーの嘘』を指摘します。名探偵羽入氏のワトソン役かと思った夫人がじつは主役の探偵に指図し、叱咤激励して仕事をさせる。どんな小説も顔負けの鮮やかな導入部です。そして読みはじめると、たしかに難解な専門用語が充満してはいますが、緻密で明快な論理で組み立てられた文章に導かれて、一気に読み通すことができます。」劈頭一番、「女房」を「トイレに本を持ち込む癖がある」巫女に仕立て、「だいたいが詐欺師の顔してる」(@)との託宣を口に入れる「悪ふざけ」を、竹内が「大人」として「たしなめる」のも忘れて賞揚するとは、学者としてのスタンスと力量ばかりか、人間としての品位のほども疑われよう。羽入書に「緻密で明快な論理」を読み取るとは、「この私には、『緻密で明快な論理』をそれと判別する準拠枠がありません。推薦回状に掲げられた『決まり文句』をただコピーライターとして味付けするだけです」との告白と解しておこう。

 

9.本能/感情/恣意に居直る自己中心/自民族中心主義――中西選評を読む

⑶中西輝政(京都大学教授)は、羽入書の評価に入るまえに、自分の学問観を披瀝している。かれは、「若いころから『マックス・ヴェーバーにはどこか、ウソ臭いところがある』と本能的に感じていた」ので、羽入書を読んで、『やっぱりそうだったか』との思いを繰り返し感じた」という。若き中西は、そうした「本能的感情」から、「ヴェーバーを押し戴く友人たちを尻目に早々とイギリスに留学」する。そして、ドイツ人は「お話」として貶める「イギリス流の事実の羅列のような歴史にこそ、まだしも真実があると思うようになった」。というのも、「人間に関わる話はまず、すっきりと割り切れるようなものはない」。ところが、(かれによれば)「そこを強引にネジ曲げて『整然たる体系』ないし『○○理論』と呼ばれるようなものをつくらないと、『偉大』ということにならない」。そこで、学者はとかく(たぶん「偉大」と賛美されたくて)「人間に関わる話」を「すっきりと割り切り」「強引にネジ曲げて」、「整然たる体系」ないし「○○理論」をつくろうとする。とくに「職業としての学問(出世)[sic]を意識しすぎると」、どうしてもそうなる(らしい)。だから、そういう「『偉大な知性』というものには、つねに警戒が必要」というわけである。

  さて、学問も人間の営みであり、その根本性格も「人間に関わる話」の一種であろうからには「すっきりとは割り切れない」はずである。ところが、中西は、そう語った舌の根も乾かぬうちに、ドイツ人の「体系ないし理論志向」とイギリス人の「事実志向」というふうに、「民族性」ないし「国民性」を規準に立てて「すっきりと割り切って」見せる。なにしろ「本能」と「感情」[13]を重んじ、「恣意」に居直った中西には、自己矛盾などどうでもよいのであろう。

 ところで、方法的に限定された規準を意識して立て、そのようにいったんは「すっきりと割り切って」みると、問題はそれからで、「ドイツ人の学問」、「イギリス人の学問」といっても、前者は「体系ないし理論志向」、後者は「事実ないし素材志向」と、「割り切れる」ものではなく、「プロクルーステースの床」に寝かせて「強引にネジ曲げ」られるものでもなく事態は無限に多様であるという原事実が、明るみに出てくる。そうして初めて、そのように多様な「ドイツ人の学問」のなかで、ヴェーバーの歴史・社会科学が占めている独自の位置と根本性格を把捉し、規定することもできる。

 詳細は省くけれども、「人間に関わる話はまず、すっきりと割り切れるようなもの[で]はない」とは、ヴェーバーの根本了解ないし原認識でもある。ただ、そこからヴェーバーは、中西が(まさに中西の身の丈には合わせて)想定するように、「職業としての学問」を「出世」の手段と解し、「偉大」と称されるために、多様な事実を「強引にネジ曲げ」て「すっきりと割り切れる」「整然たるヴェーバー体系」ないし「ヴェーバー理論」を構築しようとするのではない。そういう「体系」ないし「理論」は(中西には「体系」一般、「理論」一般とみなされているが)、ヴェーバーにとっては「世界観」的「全体知」として斥けられるべきものである。さりとてヴェーバーは、中西と同じように、知性に早々と見切りをつけ、本能、感情、ないし「実感信仰」に逃げ込んで「居直ろう」ともしない。むしろ、知性ないし理論に、ある限界内で相応の役割をあてがい、観点による制約とその一面性を自覚しながら、現実の諸側面にたいする「叙述手段」「索出手段」「(因果的意義の)検証手段」として十全に活かそうとする。そうすることによって初めて、(中西もわれ知らず陥っている)実感信仰のもとにおける特定観点(「民族性」「国民性」)の排他的絶対化その観点からする理論の実体化というありふれた弊害からも脱却することができる。

 というわけで、中西の学問観は、ヴェーバーにたいする批判どころか、むしろヴェーバー以前への退行である。そういう退行点から無理に「批判」を装えば、「ウソくさい」というような「本能」「感情」「実感」を臆面もなく持ち出し、それに「居直り」、「立て籠もり」、あわよくば「ポピュリズム」で押し切ろうとするよりほかにはあるまい。もとよりそれでは、「イギリス人」にたいしても、あるいはイギリス人にたいしてこそ、説得力を持たない。じつは、こういうことは、中西が「ヴェーバーを押し戴く友人たちを尻目に早々とイギリスに留学し」たというちょうどそのころ、おそらくはその「友人たち」が「理論信仰と実感信仰との同位対立」を克服すべく、確かにヴェーバーを題材としながら対決していた問題で、日本の学界ではすでに解決ずみといってもよい。中西は、「尻目」にかけた日本でも、「早々と留学した」イギリスでも、この問題にかけてはなにごとも学ばず、とうの昔に乗り越えられた旧聞を、いまになって蒸し返すしか能がないのであろう。

 ところが、中西は、自分の退行点をなんと知的進化の頂点に定め、諸国民をそこにいたる進化線上に配列して、「自己中心egozentrisch」の「“お話”としての歴史」を組み立てる。いわく、「日本は極端な例としても、ドイツはもちろんアメリカでさえ、ヴェーバーは大変な偶像でありつづけてきた。しかしイギリス人、場合によればフランス人でも、ヴェーバーは『わかりきったことを、妙に難しくいう人』というイメージを抱いている人が多い。知的な後進先進社会のちがいかもしれない」。ヴェーバーの叙述は、再三指摘してきたとおり、「分かりきったこと」を「トポス」として出発し、そこから読者との対話を進めて、議論を深めていくが、この対話に就いていけないか、就いていこうとしない人が、「妙に難しい」と弁明するのであろう。ちなみに、英仏のヴェーバー研究は、とくに内在的解読の面で長らく遅れをとっていたが、1990年代に入ってから、さすがにそうした点が反省され、原典から触りの部分の仏訳[14]が刊行されたり、イギリスで専門誌『マックス・ヴェーバー研究』[15]が発刊されたりして、活況を呈してきている。

  さらに、中西の退嬰的「自己中心」主義は、通則どおり、独りよがりの「自民族中心主義Ethnozentrismus」に結びつく。「本書[羽入書]の、『きめ細かな論証』の手続きと問題を絞り込む『縮み志向』の持続、さらに本当の意味で『価値自由』な素直な視点とヒューマンな感覚でもって、西欧思想特有の偉大なウソ』に対し、いわばハチの一刺しで報いる痛快な仕事というのは、まさに日本人にしかできない仕事だと思った」。ここでは、さきほどの「知的な後進−先進社会」図式がいとも簡単に放棄され、「西欧−日本」図式にとって替わられている。西欧の諸国民においても、進化につれて克服されていくはずであった「偉大なウソ」が、いつのまにか「西欧思想特有」となり、それに羽入書が対置されて、これが「日本人にしかできない」、「痛快な仕事」に祀り上げられるのである。

 なるほど、中西は、そうした「自己中心」「自民族中心」の虚構により、いっとき「痛快」の「感情を味わい、羽入と自己陶酔をともにして「本能を充たしはしたであろうし、今後もそうしていたいであろう。しかし、日本という「島国のなかで」そうした児戯に耽っていたのでは、西欧の学問を、その最高の所産に内在して乗り越えることはおろか、その平均水準において対等に伍していくことすらおぼつかない。だいたい中西に、イギリスならイギリスの学界で相応に評価されている学問上の実績はあるのか。羽入書の登場と中西らによる有頂天の絶賛は、西欧の学者の目には、なるほど「日本人にしかできない」「壮挙」と映るかもしれない。ただし、その表情には、「そういうスキャンダルもセンセーションも、確かに『日本人にしかできない』ことで、まことにお気の毒」との同情と、高齢の学者であれば「かつての独善的日本主義に走らなければよいが」との憂慮が、避けがたく浮かぶであろう。中西が、「そんなことはない、羽入書は国際的に通用する業績だ」と主張したいのであれば、羽入が望んでいることでもあるから、羽入書の英訳刊行に「一肌脱いで」みたらどうか。その過程で中西は、「西欧思想」の現実にいくらかは触れ、羽入書の実態に直面させられるであろう。

 さて、中西流の退嬰的「自己中心主義」「自民族中心主義」は、それにもかかわらず、いな、まさにそれゆえ、普遍的な「ヒューマニズム」の衣を身にまとって現われ、ちょうどそれだけ人間的とかヒューマンとかの諸価値の下降平準化をもたらすほかはない。羽入をなんと「ヒューマンな感覚」の持ち主と讃える中西は、「夫人[マリアンネ・ヴェーバー]の書いた伝記を読んだときよりも本書[羽入書]を読んでヴェーバーをずっとヒューマンな存在に感じたものである。やっぱり彼も『人の子』ということである」と語って、選評を結んでいる。この間、中西にかぎらず、「ヴェーバーも『人の子』」、「ヴェーバーも一人の人間」という口吻が流行り、ときとしてヴェーバー研究の専門家にまで伝染してしまった。

 もとより、「ヴェーバーも一人の人間である」とは、ヴェーバー自身も認めていたとおり、当たりまえのことで、なにもとりたてて反論したり、問い返したりする必要もない。ここにきて、その「当たり前のこと」が、なぜ、殊更持ち出され、まことしやかに語られるのか。問題は、「人間」の内実をどこに求め、なにを規準としているか、にあろう。たとえば中西が、どこでヴェーバーを「ヒューマンな存在」と「本能的に感じて」いるか、といえば、その規準は、やれ「(注の片隅で)原典を調べず杜撰」とか、やれ「詐術を弄した」とか、(ちょうど羽入や中西には見合う)「あら捜し」や「こじつけ」の域を出ない、低い次元に設定されており、そうした次元でしか学問を語れない志の低さが臆面もなく誇示されて、ヴェーバーをそこまで引きずり下ろすことで自己慰撫・自己満足に耽ろうという魂胆が見え見えである。しかも、そうした水準で「末人仲間」になるのを潔しとしない異見者/異論者には、「聖マックス崇拝者」というレッテルを貼ろうと身構えていて、暗々裏に同調への心理的圧力をかけている(気の弱いヴェーバー研究者は、こうした圧力に屈しないように用心されたい)。「末人」には、人間として「より高い」規準に生きようとする他人は、低きに「縮み」込もうとする自分たちを脅かす存在として「目障り」このうえないのだ。この状況で、「ヴェーバーは人間」という口吻が、互いに低きに就き、ともに慰撫に耽ろうとする「末人ゲマインシャフト」の儀礼となり、呪文となる。「末人」たちは、そのようにして「ヒューマニズム」を装いながら、「類が友を呼び」、人間的諸価値の「下降平準化」に拍車を掛けるのである。

 

10. 「一論文を訳してはみたが、とてもとても……」――山折選評を読む

⑷山折哲雄(国際日本文化研究センター所長)も、竹内靖雄と同様、「押しも押されもしない巨人伝説を一挙に突き崩す鮮やかな仕事」、「何しろ、ヴェーバーが営々として築き上げた輝かしい理論的な支柱がじつはたんなる砂上の楼閣であったことを、緻密な実証を積み重ね、鋭い論理のメスを振るって白日の下にさらけだすことに成功している」と絶賛し、「ポピュリズムの走狗」としてコピーライターぶりを発揮している。山折も、竹内と同じく、なにが「緻密な実証」で、なにが「鋭い論理のメス」か、「自分の『学者』人生では学べませんでした」と告白しているのである。

 ただ、竹内といくぶん違うのは、「草木もなびく巨人への信奉者たちは目を剥いて驚愕するであろう」、「模倣と学習に明け暮れるヴェーバーかぶれ、ヴェーバー信者たちの魂を震撼させるであろう」と快哉を叫び、溜飲を下げている点である。さもありなん、山折はかつて、ヴェーバーの「ヒンドゥー教と仏教」第三章「アジア宗教におけるゼクテ形成と救世主[グル]崇拝」を、他のふたりの共訳者とともに邦訳し、『アジア宗教の基本的性格』と題して公刊している(1970勁草書房)。ところが、この翻訳は、「横を縦になおした」だけの代物で、誤訳/不適訳が多く、なによりもヴェーバーの原文を(「倫理」論文を含む)比較文化史のパースペクティーフのなかに位置づけしていない。それができなければ、この論文を訳す意味は皆無にひとしいのであるが。これでは、山折が、原著者ヴェーバーの作品は「自分にはとても分かりません」と「引け目」を感じ、さりとて自分では批判論文は書けず、ルサンチマンに凝り固まって、「ヴェーバーかぶれ」「ヴェーバー信者」に「八つ当たり」するのも無理はない。

 今回、「末人」後輩による耳目聳動作の出現に、その内容を絶賛するならするで、「自分もかつて当の『詐欺師』の作品を邦訳して普及に加担しました」と率直に認め、自己批判しなければならないところなのに、自分の責任には頬かむりして長年の鬱憤を晴らしたようである。加藤と同じ世代に属する「名士」「識者」のひとりとして「大塚史学」「大塚ヴェーバー論」へのルサンチマンに駆られていると読める。ただ、山折はいったん「青春体験」の域を越えて半専門家となり、責任が生じているだけに、加藤ほど「開けっ広げ」には振る舞えず、ちょうどそれだけ陰湿なのであろう。「願ったり叶ったり」とばかり後輩「末人」の「偶像破壊」にとびつき、ほんとうには分からないのに「緻密な実証」のお墨付きを与え、ヴェーバー/ヴェーバー学への秘かな敵意を正当化しているのである。

 

11.「掛け持ち推薦業」の弁――養老選評を読む

⑸数多の「賞=SHOW」への推薦業掛け持ちで忙しい養老孟司(北里大学教授)は、自分が無責任に踊らされていることを半ばは感知していて、弁明を怠らない。しかし、その理屈はいかにも無理で、かえってかれの実態を正直に語り出している。

  養老は、「本書は難解とされたヴェーバーの代表的業績、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるヴェーバーの論証が、知的誠実性をまったく欠くことを、文献学的検証によって明確に証明したものである」と、おそらくは推薦回状に謳われていたであろう文言を、分かったように書き写している。ただかれは、度はずれた掛け持ち業者だけに、他の五人ほど不用心/無批判ではなく、「この結論を鸚鵡返しにしたら危うい」と一瞬察したにちがいない。ただちに「仮に著者の論考が誤りであることを証明したいのなら、同じ手続きを踏めばいい。評者にはもちろんそんな暇はない。したがって当面、それがいかに破天荒なものであったとしても、著者の結論を素直に受け入れるしかない」と弁明し、防戦の構えをとっている。

 しかしこれは、なんともおかしな理屈で、弁明の体をなさない。誰も、評者養老に、羽入論考が誤りであると、同じ手続きを踏んで証明することまで期待してはいない。かりに暇があっても力量があろうとは思えない。だからといって、「暇がない」から、「著者の結論を素直に受け入れるしかない」というのは、短絡である。それでは、「自分の専門ではない」、「専門でない領域で反証している暇はない」と言いわけしさえすれば、どんな結論でも「素直に受け入れ」られることになり、(「掛け持ち推薦業」の「名士」として「賞=SHOW」に「箔を付けて」まわることはできても)評者は勤まらない。評者とは、最低限、候補作を読み、それにたいする反論があるかどうかを確かめ、あれば両者を読み比べて、双方の当否を検証する義務を負う。その「暇もない」というのであれば、評者にならなければいい。なった以上は最低限の義務を果たすのが、評者の責任である。

 さて、羽入書のばあい、「著者の論考が誤りである」と「同じ手続きを踏」んで「証明し」ている書評「四疑似問題でひとり相撲」が、事前に発表されていた。養老は、自分では「同じ手続きを踏」むことができなくとも、「同じ手続きを踏」んで反論している書評は参照し、羽入書にたいする推薦回状の評価を再検討することはできたであろうし、評者としてその「暇は」どうしてもつくらなければならなかったはずである。かれは、じっさいにはどうしたか。かれの選評には、書評「四疑似問題でひとり相撲」を参照した形跡はなく、推薦回状の結論を確かに「素直に受け入れ」たと推認される。

 もっとも養老は、上記のとおり「当面」という留保を設けている。とすると、上記の書評とその趣旨を敷衍した拙著『ヴェーバー学のすすめ』の羽入書論駁が、その後「言論の公共空間」で広く論議されるにいたっている以上、養老は、「留保」を解除し、養老として羽入書を評価しなおし、(たとえば本コーナーに寄稿して)提示すべきではあるまいか。遅ればせながら、羽入書と拙評/拙著とを読み比べ、評者として責任ある評価をくだし、ゆえあって広くいきわたっている「無責任な掛け持ち推薦業者」との汚名を晴らしたほうが、身のためではあるまいか。

 ところで、話を選評の内容に戻すと、養老には、羽入書の(再三具体的に指摘されている)冗漫で杜撰な叙述が、批判的に解読できなかったようである。そこで、竹内と同じく、「面白い」という「感じ/感想」に逃れ、無理な評言を捻り出しては、「読み物」と学術論文との規準混濁を押し進める。「本書が『面白い』のは、たんに内容が重いというだけではない。これだけ重大な結論を導こうとすれば、多くの反論が予想される。それを考慮しつつ、著者はきわめて慎重に論を進める[?]。ゆえに論述にムダがなく、手落ちがない[ほんとうか?]。そのために全体に緊迫感が生じる[ほう?]。同時に奥さんのコメントやドイツ人学者の手紙のような、付帯的なエピソードが生きる[人によっては?]。『読む本』としてsic!]たいへん面白く、よい作品になったのは、そのためであろう。」感想にも、読み手の水準が露呈されるのである。

⑹江口克彦(PHP研究所副所長)の選評は、とりたててコメントするに値しない。ただ、下記の評言がおそらくは推薦回状の原文であったろうと思われるので、引用しておく。「……『マックス・ヴェーバーの犯罪』は、マックス・ヴェーバーが、代表作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において展開した論理の曖昧さと『ごまかし』を徹底的に炙り出した学術論文である。著者は、周到な論理構成と厳密な文献検証によって、マックス・ヴェーバーの詐術の実態を明らかにしていく。その巧みなレトリックと畳み掛けるような論証の手法は迫力と説得力に富み、一瞬、本書が学術論文であることを忘れさせて、まるで推理小説を読んでいるような興奮さえ感じさせるほどであった。」

 

12. 醜態は自滅に予定されているか――個人責任にもとづく実存的投企の要請

 さて、以上の六選評はいずれも、評者が、各人の専門外にある「倫理」論文への論難につき、みずから「倫理」論文を読んで吟味検証することなく、専門家の意見も聞かず、おそらくはPHP研究所からの推薦回状を鵜呑みにして、学者としては軽率な評価をくだし、無責任な賛辞を呈したものである(そうでないといいたければ、ひとりでも、束になってでも、反論するがよい。筆者が相手になろう)。そのうえ六人(とくに竹内と養老)は、羽入の「図に乗った」「悪ふざけ」にたいしても、本人の将来を慮って「たしなめる」風もない。むしろ(とくに加藤、中西、山折は)羽入の幼弱な論難にかこつけて「江戸の仇を長崎で撃つ」かのようである。いい歳をして、若輩の羽入に寄ってたかって「食い物」にし、羽入を「知的誠実」から遠ざけ、「自分の虚像を追いかける人生」に送り込んでいる。かれらは、かれらの評価の誤りを学問的に立証され、それだけ羽入や羽入予備軍らの後進を毒したと知っても、なに食わぬ顔で「梯子を外し」、「あとは野となれ、山となれ」の無責任風情を通すであろう(責任を感じるなら、いまからでも遅くはない、反論するがよい)。

  ところが、そうした「PHP名士」連の賛辞を浴びて登壇した羽入のほうも、開口一番、「ほんとうをいうと皆さんが私からお知りになりたいことは、じつは一点でしかない」と切り出し、「お前のとこの夫婦はいったいどうなってるんだ? …… お前の女房はいったい何者なんだ?」を知りたいだろうと言い放って、得々と「世紀の偉業」の「楽屋裏」を明かす。「どっちもどっち」である。この「悪のり」ぶりには、さすがの「PHP名士」らも、「とんだ玉を掴まされた」と悟ったのではあるまいか。とまれ、『Voice』誌1月号のこの特集記事は、一方では世に「保守派論客」と呼ばれる「大衆人識者」[16]から、他方ではそういうポピュリズムに付け込む「寵児」願望者から、「類が友を呼んで」生まれた「時宜的ゲマインシャフト形成」の事実を証し、その知的道徳的な質と水準を端的に標示している。そうした資料としては、一読に値しよう。

  では、現代日本のこうした思想・精神状況を直視して、いまなにをなすべきなのか。このとおり露に示された「末人の跳梁」にたいして、それでも「見てみぬふり」をしていていいのか。

 この問題をめぐり、再度ある類型の批判者たちに登場してもらうならば、かれらは、「どちらも真面目に対応すべき相手ではない。放っておいて醜態をさらすにさらさせ、自滅するに任せよう」というスタンス[17]をとり、「『深追い』は避ける」と言い換えて、「見てみぬふり」をつづけようとするであろう。だが、それは、独りよがりの楽観ではないか。暗黙にせよ「自滅」に「予定」されているかのように想定しているが、その根拠はあるのか、あるとすればそれはなにか。むしろ、大塚久雄も折衷的に抱え込んでいた世界観的マルクス主義の影響をまだ引きずっていて(少なくとも自覚的に清算するにはいたらず)、なにか「歴史的必然」を味方につけているかのように感得(じつは迷信)して、やはり歴史に「世俗内救済」を求め、「明るい未来」への展望が開けなければ(あるいは逆に、「段階的飛躍」に「急転」すべき「破局」「前夜」にまで追い詰められなければ)行動に立ち上がれず、個人責任にもとづく状況への実存的投企には見向きもしない、なにかそうした「集団的無責任/集団的相互慰撫」の退嬰的気風に、いまなお(状況がここまできても)どっぷりと浸っているからではないのか。キルケゴールが鋭く指摘したとおり、「世界歴史の華やかな舞台にうつつを抜かして」、「腑抜け」[18]になってはいないか。

 筆者は、ヴェーバーとともに「歴史内救済」への幻想を拒否する。筆者は、「明るい未来」への展望よりも、「これ以上暗い未来」への現実の動向に歯止めを掛けることを、この時点における実存的責任倫理的課題として選びとる。そして、自分にとって制御可能な具体的な現場から出発し、自分の実存的投企の意味を、大状況も射程に入れて吟味し確認し展望し発表し、できることなら同じく個人責任から出発する実践者と呼応/提携していきたい。そのようにして、少しでも社会的に広がりのある運動を押し進め、「現実の暗い動向」に歯止めを掛け、そのことをとおしてこそ「少しでも明るい未来」を築く、いや、築くそなえをしていきたい。

 

13. 思想・文化闘争としての学問的内在批判

 では、「自分にとって制御可能な、具体的な現場」とはなにか。それは、現在の筆者にかぎっていえば、さしあたり「ヴェーバー研究」を中心とし、同心円状また遠近法的に広がっている学界および「言論の公共空間」である。今回、ほかならぬその中心点に、「限界問題」につけ込んでいとも斬りつけやすい、(しかし自分の身の丈に合わせて)矮小な「ヴェーバー藁人形」を創っておいて、一見鮮やかに斬って見せ、いっとき快感に浸ると同時に読者も楽しませ、学問をポピュリズムで押し切ろうとする際物の衣をまとって、学問の客観的規準とそれに即した蓄積を一挙に葬り去ろうという、ふてぶてしい「末人」のニヒリズムが、公然と姿を現し、「大衆人識者」と「大衆人読者」をたぶらかして絶賛と歓呼賛同をせしめた。この「時宜的ゲマインシャフト形成」について、かの類型の批判者たちは、「『保守派論客』が、またいつものようにたむろして『言いたい放題』の無責任を競い合っているだけだ」とし、「まともな相手ではない」と「タカをくくって」、問題そのものも「仲間うちだけの話題」にとどめ、いっさい対外的発言は差し控えようと政治的に申し合わせたかもしれない。しかし、当人たちはそうして自己慰撫/自己満足に耽っていられるとしても、「言論の公共空間」を構成する多様な関係諸階層は、はたしてどう受け止めるであろうか。とりわけ、そういう「不作為の作為」は、@やがては日本の学問/思想/文化を担って立つと期待されるが、いまのところは学問へのスタンスがまだ固まってはいない、後継者たるべき学生/院生諸君や、Aジャーナリズムや在野から学界の動向に注目し、「言論の公共空間」に書籍として登場する諸業績を学問としての客観的規準に即して評価し、そのようにして日本の学問・文化の一翼を担い、今後とも担っていこうとする、識見あるジャーナリストや読者層の健在は心強いとしても、すべてのジャーナリストや読者がそうではなく、B「読み物としての面白さ」や「センセーション」を好み、論述内容を自分で読んで検証しようとするよりも、「だれそれがどうこういっている」という「有名人」の評言や、「○○は××の弟子だから××に同調するのも当然」というような「人脈」「係累」「系譜」に準拠した判断に頼り、一見穿った評価を弄んで悦に入る「大衆人読者」や「インターネット評論家」も含む、広範囲の多様な公衆には、どう映り、どういう帰結をもたらすであろうか。それこそ、「専門家のひとりよがり」と映り、徐々に「黙っていたのでは分からない」、「それも、羽入書に応答できない『苦し紛れの沈黙』ではないか」との疑問が広まるのも当然であろう。そうこうするうちに、ポピュリズムがますます優勢となり、やがては「ヴェーバー研究」が外堀を埋められ、その前例が他の学問分野に波及し、広く文化状況一般に上記の「アノミー状態」がもたらされないともかぎらない。「そうなったらなったで、それでもかまわない」、「自分は自分の『巨大な課題』に専念するのみ」というような「天才気取りの」独りよがりな言辞は、社会とくに「言論の公共空間」のなかで、上記@ABなどの公衆に囲まれ、@Aに支えられて学問研究と教育に携われる専門家として、まことに無責任/社会的に無責任ではあるまいか。

 それにたいして筆者は、どの戦線でも論陣を張り、フェアな勝負に出たい。なるほど、六「名士」の選評は、政治的言表であって学問上は取るに足りず、逐一採り上げて論じても学問的ヴェーバー研究にはなんのプラスにもならない、とはいえよう。しかしそこでは、世上「名士」が、わけ知り顔で、自信たっぷりに、羽入書を「周到な文献検証」と「緻密な論理」でヴェーバーの「学問的犯罪」を「完膚なきまでに立証」した「画期的」な「学問上の」「壮挙」である、云々と喧伝しているのである。「名士」とはどういうものかを知らないで、これらの選評を読んだら、そのとおりと信じたり、信じたくはないが動揺する人が出ても不思議はない。@の学生/院生諸君のなかからは、羽入書と『Voice』誌1月号の選評を目にして、「この日本の学界と『言論の公共空間』では、こういうやり方で高い評価がえられ、(どんな類であれ)『有名人』も絶賛してくれるのであれば、自分がいまやっている暗中模索にも似た粒々辛苦の努力など、どういう成果に結びつくのやら、ひょっとすると徒労ではなかろうか」と、苦しい修業を疑い始め、放棄してしまう人が出てこないともかぎらないであろう。これにたいして、くだんの批判者は、「そんなことでギヴ・アップするようなら、初めから学問などやらなければいい」と無責任に言い放つかもしれない。しかしそれは、多くの弟子を初めから養成した経験がなく、ある程度業績を発表し始めて見込みのありそうな新人を「一本釣り」することにのみ専念し、それだけを「研究指導」と心得てきた「ひとり狼・お山の大将」の無理解な言である。少なくとも、こういう「賞=SHOW」が流行り、そのつど「名士」連が無責任な賛辞をふりまいて、反論も受けずに繰り返されていけば、「いったいなにが『周到な文献検証』なのか、『緻密な論理』なのか、『完膚なきまでの立証』なのか、『画期的な学問的壮挙』なのか、……」が、(とりわけ、プリオリにそうした規準と判定能力を持ち合わせているわけではない広汎な学生/院生また読者にとっては)どうしても曖昧になり評価規準の下降平準化」が避けられないであろう。

 これにたいする原則的な対応は、ただひとつ、しごく単純である。学問をポピュリズムで押し切ろうとする政治的な動きにたいして、こちらも政治的に対抗して「敵に似せておのれをつくり」、「同位対立」に陥るのではなくあくまでも学問性に徹して対応するのである[19]。「PHP名士」連のいうように、羽入書がはたして「緻密な論理」による「周到な文献検証」の体をなしているかどうか、ヴェーバーが「学問的犯罪」を犯したと「完膚なきまでに立証」しているのかどうか、その実態を緻密な論理と周到な文献検証によって暴露し、羽入が「ヴェーバー詐欺師説」という虚説を捏造している事実を、完膚なきまでに立証するのである。そうすることによって、ポピュリスト(羽入と「PHP名士」連双方)の企図を打ち砕くと同時に学問的な立証とはいかなるものかその実例をこちらから具体的に提示対置し、価値規準の曖昧化、「下降平準化に歯止めをかけ、むしろその規準をこちらから一段引き上げるのである。

 こうして、羽入書にたいするこの一連の学問的内在批判(羽入「ヴェーバー詐欺師説」批判結語)は、拙著『ヴェーバー学のすすめ』刊行後における各位の論議内容を摂取して、その補完篇をなすと同時に、「末人の跳梁にたいする思想文化闘争という意味を取得する。現在、日本社会のさまざまな領域に、「羽入事件」「PHP・山本七平賞=SHOW」と本質を同じくする価値崩壊・「下降平準化」の現象が顕われてきているが、筆者としては、筆者にとって制御可能な、具体的な現場の問題(マックス・ヴェーバー研究における学問的価値規準の問題)から思想・文化闘争を始めて、価値崩壊・「下降平準化」に抗し、その射程[20]を確かめながら一歩一歩日本の学問・文化の向上に微力を尽くしていきたいと思う。この一連の「結語」執筆を終えて、羽入書が学位(博士号)に値しない事実を確実に論証したうえは、当の学位を授与した東京大学大学院倫理学専攻における学問的価値規準の崩壊とその責任の問題に、思想闘争の戦線を拡大していく予定である。2004825日脱稿)

 

閑話余録

 この夏の全国高校野球大会は、南北海道の駒大苫小牧が優勝した。優勝旗が白河の関をとびこして津軽海峡を渡るとは、だれが予想したろうか。筆者も、苫小牧が、PL学園に勝った日大三高、明徳義塾に勝った横浜高校を、それぞれ連破したのに驚いて、準決勝からテレビで観た。新興私立勢力らしく、連戦を見越して三人の投手を揃えていたが、準決勝に初めて登板した「秘密兵器」の二年生投手が140キロ台の速球をビシビシ決めるのには驚き、さらに、ちょっとピンチをまねくと惜しげもなく早々と三年生投手にスイッチしたのには、また驚いた。どうして、全員守備もよく、投捕球も正確で、バントも確実に決め、ここまで勝ち進んだのもフロックではなく、「高校野球」の基本的訓練を積み、鍛え抜かれた本格的チームと見た。「奇を衒う」だけの新興チームは、予選で敗退して甲子園には姿を現せないし、たとえ出てきても一二回戦どまりである。決勝戦も、1310というスコアからは大味の乱打戦にも見えるが、じつはそうではなく、3点リードされてもリードしていても、当たっている四番打者にもバントを命ずるというふうに、監督さんの方針は一貫して「高校野球」の鉄則を踏み、揺らぎがなかった。たしかに打力に秀でていたし、相手投手が連戦で疲労していたので、結果として大量得点を数えたまでである。準優勝の済美高校も、まとまった良いチームで、上甲監督の笑顔のもとに粘り強く戦ったけれども、創部三年目で春夏連続制覇というのでは、「高校野球」として「出来すぎ」で、ちょっと面白くなかろう。

  さて筆者、毎夏、一二回戦は一二試合だけ、興味のある組み合わせを選んで観ることにしている。今年は一回戦、伝統のある名門公立高の代表格・広島商が、新興私学勢の東の雄・浦和学院と対戦するというので、これを選んだ。広島商は、久しぶりに甲子園に出てきたせいか、伝統校らしい「卒のない」試合運びが見られずに残念だった。むしろ浦和学院が、新興勢力らしい大胆なチームづくりと同時に、伝統校に優るとも劣らない、きめの細かいオーソドックスな「高校野球」と「プラスアルファ」を身につけているのに感心した。新興勢力らしいチームづくりとは、勝ち進んで連戦となるのを見越して主戦級の投手を二三人揃えるとか、相手投手が右か左かに応じて打線を組み換えるとかである。浦和学院は、そうした態勢もとっていたようだが、正確な投捕球、連携プレー、確実なバントなど、「高校野球」の基本はきちんと身につけていたばかりか、「頭脳的プレー」が光った。たとえば、ワン・アウト満塁の守備で、二塁手が短いライナーをあえて前進せずにワン・バウンドで捕球してバック・ホーム、捕手が一塁に転送してダブル・プレー、といったプレーである。こういうばあい、前進して難なくノー・バウンドで捕球すれば、安全で確実にアウト・カウントを稼げる。そこのところを、ちょっと打球を待ってショート・バウンドないしハーフ・バウンドで捕ると、首尾よく捕っても本塁に高投しがちだし、三塁走者を刺せるか、捕手が転送して打者走者を刺せるか、いくつかリスクをともなう。よほど日頃から実戦の練習を積み、そのつど個々のプレーを反省して反復練習していないと、頭では分かっていても、いざ実戦となるとなかなかできないプレーなのである。

 筆者は、伝統校びいきで東の銚子商が甲子園から遠ざかっているのを寂しく思うひとりであるが、浦和学院がそうした高度のプレーをなんなくこなしているのをみて、よい監督さんのいる新興勢力は侮りがたい、と惜しみなく拍手を送った。また、長年住んでいた千葉県の地元チームを、例年なぜかやはり応援することになるが、今年の初出場・千葉経済大付属高の、千葉っ子らしからぬ「卒のない」「粘り強い」試合運びには、これまたびっくりした。しかし、かつて全国制覇をとげた「東京の田舎チーム」桜美林高校の松本投手が、監督さんとして当時とちっとも変わりのない姿を見せていて、納得がいった。現在住んでいる茨城県取手市は、かつて取手二高が全国優勝を飾った土地柄なのだが、木内監督が常総学院に移ったあと、無風状態に戻ってしまっている。

  そのように、高校野球は、伝統校/新興勢力入り乱れ、フェアーな戦いを繰り広げて、人々に爽やかな感動を伝えながら、確実に力をつけている。着実に進歩をとげている、ともいえる。筆者も、昔々ともに「甲子園へ」の夢を追った仲間たちに会うと、「いまの高校生は上手になったなあ。自分たちはかつて、先輩から精神主義をたたき込まれて、きまりきった練習に打ち込んでいたけれども、もう少し合理的な練習をしていれば、甲子園にも行けたろうになあ」などと(1953年夏、当時有数の激戦区・東京都予選の準々決勝で敗退した)「負け惜しみ」を楽しみ、夢破れた青春を懐かしむ昨今である。思うに、高校野球には、ルールとそれに即した鉄則があり、それを認め合って、練習を積み、フェアに戦うなかで、着実に進歩が生まれ、誰の目にも明らかになって、爽やかな感動を呼ぶ。じつは、人生と学問にも、そうしたルールと鉄則がある。しかしそれは、目には見えないし、言葉で抽象的に定式化しただけでは、なんにもならない。あるいは、そうした定式化は、筆者の任ではない。直面している問題について、なにがルールに適った健やかなありようなのかを、具体的に論証して伝えていく以外にはない。甲子園球場の外野の芝生に赤トンボが飛び交い、厳しかった今年の夏も終わろうとしている。(2004822日記)

 

 



[1] 以下、この意味のBerufberuffと記して、Beruf相当語としてのBerufから区別する。したがって、たんにBerufと記すばあいは、「使命としての職業」という聖俗二義を併せ持つ、Beruf相当語としてのBerufを指す。

[2]もとより「倫理」論文でも、オランダ語、デンマーク語、スウェーデン語などについて、Beruf相当語が歴史的に(経緯はともかく)成立し今日にいたっている事実は、現代の辞書を用いて確認されている。比較語義研究ではないから、それだけで十分ともいえる。

[3]「倫理」論文の主題とは、 これまでにも再三、一方では著者ヴェーバーの生活史における実存的・根源的原問題設定から、他方では「倫理」論文の「全論証構造」から、つとめて「整合的」に推認し論証してきたとおり、フランクリン文献によって暫定的に例示される「近代資本主義の精神」を、核心に「職業義務観」を秘めた「近代市民的職業エートス」の一分肢と見て、当の「職業義務観」の宗教的背景を問い、(伝統主義に「逸れた」)ルター/ルター派ではなく(カルヴァン派をもっとも首尾一貫した一類型とする)「禁欲的プロテスタンティズム」の「世俗内禁欲」「禁欲的合理主義」を直接の与件と見て、その間の「意味(因果)連関」を探究することにある。そうした多項目連関にかんする「意味変遷の理念型スケール」を構成し、西洋以外の諸文化圏と比較して「近代市民的職業エートス」を歴史的に相対化し、捉え返し、時間的また空間的に細分化した歴史研究による検証/展開を含む、明晰な態度決定にそなえようとするところにある。

[4] 前稿(その1)では、この点を明示的に強調することにかけて、欠けるところがあった。

[5] この類型の批判にたいしては、拙稿「学者の品位と責任――『歴史における個人の役割』再考」(『未来』、本年1月号、本コーナーに転載)で応答している。

[6] V・パレートは、「自分は経済学者として『資本論』を苦労して読み、ようやく理解したが、同時に、『資本論』を理解している経済学者が『白い蠅』ほどに少ないということも理解した」という趣旨のことをどこかで語っていた。筆者は、ヴェーバーにかんする『灰色の蠅』として、この寸言は古典解読の一面を鋭く衝いていると思う。

[7] 本コーナー掲載の「横田理博寄稿への応答」参照。

[8] ここで「カリスマ的」とは、もとより価値中立的な術語で、「価値自由」に用いられる。「オウム・アーレフ型ゼクテ結成」は、この方向における「逸脱的ゲマインシャフト形成」の一現象形態として位置づけられよう。

[9] これが、ヴェーバー社会学の基礎視角であり、「階級」「身分」「民族」などの「社会形象」を「実体化」せず、それぞれを構成する諸個人の行為に還元し、そのうえで諸行為関係の形成を、流動的相互移行の諸相に即して動態的に捉え返そうとするものである。

[10] シュモラーとの大論争の相手は、カール・メンガーであって、ヴェーバーではない。ヴェーバーは、シュモラーとは「大論争」はしていない。

[11]「ヴェルトフライハイト」を「価値判断排除論」と訳出する解釈は、@科学における「価値判断排除」と実践における「主体的・自覚的価値定立」との緊張のうえにたつWertfreiheitの両義性のうち、後者を捨象していて(論者自身の「技術論的頽廃」をヴェーバーに転嫁していて)一面的である、A教壇における価値判断排除」というまったく別種の(それ自体、教育政策的・実践的な)要請との混同をまねく、という二理由から、適切ではなく、現在ではまず顧みられない。

[12] 「やや」というのも、加藤のこの批判は、いまだに師匠にならって「批判黙殺」をつづける大塚久雄門下には、確かに当たっている、といえないこともないからである。ただし、かりに羽入が、そういう「かたくなな日本の学界(空気)に抗した」一面がなくはないとしても、「批判」が学問の体をなさず、はるか大塚以前に退行していたのではどうしようもない。加藤がそれも見抜けずに浮かれ騒ぐのでは、これまたどうしようもない。

[13] このばあい、中西の「感情」とは、H・ベルクソンのいう「知性以上の感情」ではなく、「知性以下の感情」である。

[14] たとえば、日本ではすでに1972に邦訳されている『宗教社会学論選』(大塚久雄/生松敬三訳、みすず書房)に相当する仏訳Sociologie des religions par Max Weber, Textes réunis, traduits et présentés par Jean-Pierre Grossein, Editions Gallimard, 1996.

[15] 編集陣には、日本から富永健一、矢野善郎が加わっている。

[16] オルテガ・イ・ガセによれば、「自分は狭い専門領域である程度の実績をあげたにすぎ ないという自覚(それゆえ、絶えずそのときどきの自分の限界を越えて客観的業績を達成すると同時にみずからも高まろうとするスタンス)を欠き、なにか無限定の『権威』『大御所』『大立者』にのし上がったかのように錯覚(自己偶像化)し、自分では皆目分からないか、せいぜい一知半解の問題についても、その道の専門家の意見を聞こうとせず、あたかも自分がそこでも『権威』であるかのように傲慢不遜に振る舞う」専門科学者ないし専門科学者上がりの「識者」は、「大衆人」の一部類であり、その最たるものである。

[17] このスタンスもじつは、「敵に似せておのれをつくり」、傲慢不遜である。

[18] 本コーナーに再掲されている拙稿「学者の品位と責任――『歴史における個人の役割』再考」参照。

[19] 橋本直人が、本コーナーへの寄稿で、「羽入事件」を「政治的問題」ととらえているのは、大筋として妥当と思う。では、それにたいして、どういう方針のもとに、どう実践的に対応しようというのか。

[20] 上記.でとりあげ、批判的に分析した中西輝政の退嬰的自己中心・自民族中心主義の質を直視し、かれがしばしばマス・コミに登場し、自民党右派と連携を保っている事実を考慮に入れると、この思想−文化闘争が、思想/学問/文化領域における反ファッシズム闘争への展開を余儀なくされることも、予期しておかなければならない。