「末人」の跳梁――羽入「ヴェーバー詐欺師説」批判結語(2−1)
折原 浩
2004年9月16日
はじめに(承前)
前々稿「『末人』の跳梁――羽入「ヴェーバー詐欺師説」批判結語(その1)」では、羽入書の第一章「“calling”概念をめぐる資料操作――英訳聖書を見ていたのか」を取り上げ、羽入の「意味変換操作」を剔出した。すなわち、羽入は、「倫理」論文第一章第三節「ルターの職業観」本文第1段落に付された注3の第6段落から、イングランドにおけるBeruf相当語の普及にかかわる原文16行約150字の叙述を、ⓐ原著者ヴェーバーの原コンテクスト――すなわち、英語のcallingを、ドイツ語Beruf、オランダ語beroepとは系統を異にするデンマーク語kald、スウェーデン語kallelseなど、ギリシャ語kaleōを語源とする語群の一代表例として取り出し、それが、ルターによるBeruf の語義(「神に召し出された使命としての職業」)創始「後すみやかに」、Beruf相当語となり、現在にいたっている、という事実を確認するコンテクスト――から抜き取り、ⓑ羽入が外から持ち込んだ虚構――すなわち、翻訳者のひとりルターのばあいには『シラ』11: 20, 21の意訳として成立したBeruf相当語が、歴史的・社会的諸条件を異にする他の「言語ゲマインシャフト」においても、一様に『シラ』11: 20, 21を起点として成立し、そこから普及して一様に「言語創造的影響」をおよぼすという非歴史的・非現実的な虚構(「唯『シラ』回路説」)――のなかに移し入れ、ⓒヴェーバーが「肝心の」英訳『シラ』11: 20, 21の原典に当たらず、OEDの記事に依拠して「なんの関係もない」『コリントI』7: 20の訳語を挙示しているのは「杜撰」(しかも『シラ』11: 20, 21を調べると自説が「破綻」するという予想から、わざと調査を怠る「狡い杜撰」)という「証拠」に意味変換し、「ヴェーバー杜撰説」を捏造している。
ところで、羽入は、「ヴェーバー詐欺師説」「犯罪者説」を立証しようとして、自著の表題にも掲げている。とすれば、第一章の主張がかりに成り立つとしても、このとおり「杜撰説」「狡い杜撰説」どまりで、「詐欺師説」の立証にはいたらず、羽入の企図は早くも挫折したことになる。しかも、その「杜撰説」でさえ、要旨上記のとおり、原著者ヴェーバーの叙述(「遺物」)を、羽入自身のコンテクスト(「配置構成図」)に移し入れ、「杜撰」の「証拠」に仕立てる「意味変換操作」により、もっぱら羽入の脳裏で組み立てられた虚説にすぎない。羽入の主張はむしろ、原著者ヴェーバーの原コンテクストを読み取れない、羽入自身の杜撰による「ヴェーバー杜撰説」の捏造というほかはない。「唯『シラ』回路説」のような「言霊崇拝」の呪術的カテゴリーを、まさにそういう「呪力崇拝の追放Entzauberung」を目指したヴェーバーの「倫理」論文に読み込んで怪しまない「学者」は、(羽入書をミネルヴァ書房に推薦した)越智武臣や、(羽入書を絶賛して「山本七平賞=SHOW」を演じた)加藤寛、竹内靖雄、山折哲雄、中西輝政、養老孟司、江口克彦らを除けば、世界中どこを探しても見つかるはずがないから、世にも稀な羽入説は、「世界初の発見」ではなくとも「世界初の独創的虚説」とはいえよう。
筆者としては、「ヴェーバーをヴェーバーで乗り越えよう」という壮図はもとより、なにかほかの、しかるべき学問的規準に照らしてヴェーバーの所説を批判し、そこからヴェーバーを越えるなんらかの客観的成果を達成しようという企図であれば、日本の歴史・社会科学のために喜んで評価し、できるかぎりの支援も惜しまないつもりである。しかし、世上「巨人ヴェーバー」に、「杜撰」とか「詐欺」とか、なんとも低い次元で、「重箱の隅」の「意味変換操作」により「杜撰説」や「詐欺師説」を捏造し、一挙に「巨人を倒し」て自分が「最高段階に上り詰めた」かのように思い込み、なんのポジティヴな成果にも、歴史・社会科学全体への直接/間接の危害にも、思いをいたさない、これほど自己中心・自己本位の「末人」風情は、とうてい容認するわけにはいかない。
しかも、この「末人」跳梁は、一個人の特別因子による孤立・突発現象ではなく、現代大衆社会における一連の構造的諸契機に規定され、1980年代以降とみに強まってきた傾向の、ヴェーバー研究という一特定領域への先駆け突出と思われる。すなわち、「高度成長」による生活一般の「安楽化」と、マス・メディアから携帯電話にいたるコミュニケーション手段の「なしくずし過剰普及」による「情報漬け」と「自己沈潜 Insichselbstversenkung」[1]機会の消滅、といった全般的背景のもとに、受験体制の爛熟/大学教養課程の空洞化/大学院の粗製乱造/研究者市場における競争の激化といった構造的諸契機から、学生/院生における克己心・向上心の低下/自己安住・自己耽溺癖/基本的修練は怠ったまま、手っとり早く世間の耳目を聳動して「寵児」「チャンピオン」「第一人者」に躍り出ようとする願望/そうしたスタンスを見抜いてたしなめるとすぐに「キレ」て敵意や怒気をむき出しにするか、そうした「手強い」相手を避けて通ろうとする幼弱性といった、まさに「末人」・「大衆人」としての小賢しい退嬰的傾向が、とみに優勢となり、これが大手を振って「言論の公共空間」に登場してきた先駆けと見えるのである。
それがなぜ、よりによってヴェーバー研究の領域にいち早く姿を現わしたのかも、ひとつの媒介要因を措定することで容易に説明がつく。すなわち、そうした耳目聳動には、世上「巨人」とみなされ、しかも当の「末人」的退嬰傾向を一世紀まえにいち早く察知して戒める(羽入流にいえば「脅す」)ことも怠らなかったヴェーバーを、ほかならぬ知的誠実性というかれ自身の規範を逆手にとって「引き倒した」かに見せれば、効果覿面、「センセーション」を呼んで「大向こうを唸らせ」、とりわけ同じ動機からヴェーバー本人には憎しみを、ヴェーバー研究者には妬みを抱く「羽入予備軍」の歓呼賛同を調達することができよう。こうした計算から、ヴェーバーを標的に据え、「末人」水準の「杜撰」や「詐欺」に「引き下ろして」撃つ戦略を採ったのであろう。あるいは、当初にはヴェーバーをそうした「巨人」として、つまり「偶像」として崇拝し、勉強を始めてみたものの、克己心・向上心の欠如から着実な研究は「性に合わず」、地道な業績では「埒があかない」と焦り、そうこうするうちに上記の計算と戦略が脳裏に閃いて、一躍「偶像破壊」に転じ、耳目聳動を狙うにいたったのかもしれない。いずれにせよ、こうした背景を考えるだけでも、この「末人」跳梁に「見てみぬふり」をし、「わがもの顔」に振る舞うのを放任しておくわけにはいかない。
しかも、ことは、そうした羽入および「羽入予備軍」かぎりの問題ではない。上記の「PHP名士」連が、いい歳をして羽入書に寄ってたかり、「倫理」論文も羽入書も書評も読まずに(あるいは、読んでも理解せずに)、歯の浮くような賛辞を呈して「山本七平賞=SHOW」を演じ、「江戸の仇を長崎で撃とう」とするやら、自己中心・自民族中心の本能(恣意)を誇示するやら、羽入本人を「寵児」として「自分の虚像を追いかける人生」に送り込むと同時に、「推理小説と学術論文との混淆」を奨励し、学問規準の曖昧化・「下降平準化」を押し進める挙に出てきた。「類が友を呼び」、片や「保守派論客」「PHP名士」の「末人デビュー」、片や末人羽入の「論壇デビュー」による、双方からの「時宜的ゲマインシャフト形成」がなされたのである。
こうなると、こちらの対応も、一羽入書の内在批判にとどめるわけにはいかない。かれら「保守派論客」「PHP名士」が、「羽入書は、『周到な文献検証』と『緻密な論理』によってヴェーバーの『学問的犯罪』を『完膚なきまでに立証』した『画期的』『壮挙』である」云々と喧伝し、学問の評価規準を曖昧にし、その「下降平準化」を押し進め、(中西にいたっては)自己中心・自民族中心の「本能」を押し通そうとしてきたからには、かれらを同じ土俵に招き入れてフェアに論争し[2]、当の羽入書の実態を、ほかならぬ周到な文献検証と緻密な論理によって暴露し、羽入による「ヴェーバー詐欺師説」の捏造を完膚なきまでに立証して、かれらの評価と宣伝の誤りを糺さなければならない。そうすることをとおして、かれらも押し進める客観的価値規準の曖昧化・「下降平準化」に歯止めを掛け、むしろこちらから一段引き上げて、将来の学問研究/批判的知性文化一般を担う学生/院生/読者に、その準拠標として提示していく必要があろう。
そういうわけで、あくまで学問性に徹するこの一連の内在批判は、同時に、「末人」の「類が友を呼ぶ」「集団−ゲマインシャフト形成」と、(そうした社会的な広がりと離合集散をとおして、学問なら学問の)客観的価値規準を下降方向に「平準化」する現実の「流れに抗しgegen den Strom schwimmen」て、むしろ当の価値規準を引き上げる思想−文化闘争という意味を取得する。以下、本稿では、前々稿につづき、羽入書の第二章「“Beruf”概念をめぐる資料操作――ルター聖書の原典ではなかった」を取り上げ、羽入が、架空の「アポリア」を持ち込む「意味変換操作」により再度「杜撰説」を捏造している現場を、紛うかたなく剔抉し、当の思想−文化闘争を一歩進めたい。
§2「語形合わせ」による「アポリア」と「資料操作」の捏造
1.「全体」から「前半部」へ、「古プロテスタンティズム」からルターへの視野狭窄と、「意味(因果)帰属」の「語形合わせ」へのすり替え
第一節「“Beruf”をめぐるアポリア」を、羽入は、「まず初めに、ルターの“Beruf”−概念に関するヴェーバーによる議論が、『倫理』論文全体の構成にとっていかなる重要な意味をもっているかを見る」(65)と書き出している。これは、抽象的提言のかぎりでは、いちおうまっとうな出だしといえる。そのあと、言明されたとおりに「『倫理』論文全体の構成」が概観され、そのなかに「“Beruf”−[語でなく]概念に関する[羽入でなく]ヴェーバーによる議論」が位置づけられ、その「重要な意味」が解説されるのであれば、結構なことである。ところが、羽入は、すぐにつづけて、「『倫理』論文前半部においてヴェーバーは『資本主義の精神』の起源を古プロテスタンティズムにまで遡る」という。
ここで早くも、@なんの理由も挙げずに、「全体」から「前半部」へと視野が狭められている。そもそもどこで「前半」と「後半」とを分けるのか。「前半」とは「問題提起」と題された第一章、「後半」とは本論の第二章「禁欲的プロテスタンティズムの職業倫理」のことか。とすると、羽入はここで、「後半部」の本論を切り捨て、「問題提起」部だけでBeruf論の意義を論じようというのか。念のため、この「第一節」をお終いまで読んでみても、「後半部」本論にかんする議論は見当たらない。つまり、「後半部」はここで、恣意的に切り捨てられたのである。これでどうして「倫理」論文全体の構成におけるヴェーバーBeruf論の意義が語れるのか。
つぎに、A「古プロテスタンティズム」とは、どの範囲をいうのか。ルターのみか、それともカルヴァン他の主だった宗教改革者も含むのか[3]、あるいはさらにカルヴァン派を初めとする「禁欲的プロテスタンティズム」の「大衆宗教性」までも含めるのか。羽入はこのあと、追って立証するとおり、もっぱらルター(しかも、ルターの「職業義務」思想ではなく、語Berufの用法)に論及するのみである。ところが、ヴェーバー自身は、当のルターにかんする叙述(第一章第三節「ルターの職業観」)を終えようとするさい(全12段落中、末尾に近い第10段で)、「[このあと本論で]古プロテスタンティズムの倫理と資本主義精神の発展との関係die Beziehungen
zwischen der altprotestantischen Ethik und der Entwicklung des kapitalistischen Geistesを探究するにあたり、カルヴァン、カルヴィニズム、およびその他のピューリタン諸『ゼクテ』が達成したところから始める」(GAzRS, I, 81, 大塚訳、133、梶山訳/安藤編、166)と予告している。つまり、「古プロテスタンティズム」に「禁欲的プロテスタンティズム」の大衆宗教性までを含め、むしろこれに力点を置いているのである。とすると、羽入はここで、「後半部」とともに、ルター以外の「古プロテスタンティズムの倫理と資本主義精神の発展との関係」という「倫理」論文の探究主題を、恣意的に切り捨ててしまったのではないか。そのうえで、いったいどのようにして、「倫理」論文全体におけるヴェーバーBeruf論の意義を論じようというのか。
さらに、B「遡る」とは、どういう意味か、あるいは、いかなる方法的手続きを指すのか。後代に用いられたある語(たとえば18世紀のフランクリン父子が、あるキリスト教聖典のある箇所の訳語として読んだcalling)を、時間的に遡って、前代に用いられたある語と比較し、双方が互いに一致するかどうか(たとえば16世紀のルターが、同じ聖典の同じ箇所の訳語にBerufを当てたか、それともBeruf は当てずにGeschäftで通したか)を確認するというような、たんなる(外面的・没意味文献学的な)語形合わせか、それとも、ヴェーバーが「倫理」論文でじっさいに駆使し、方法論文献で一般的に定式化している「意味(因果)遡行」=「意味(因果)帰属」のことか。
この点にかけては、ここで結論を先に述べ、追って証拠を挙げていくとすれば、じつは羽入は、歴史・社会科学方法論の理解を欠き、「意味(因果)帰属」を「語形合わせ」と取り違えている。そのため、18世紀のフランクリン父子はcallingで読んだ『箴言』22: 29の「わざmelā’khā」が16世紀のルターではGeschäft(geschefft)でBeruf(beruff)ではなかったという――片や、『箴言』と『シラ』とのコンテクスト、したがってそれぞれの語義(ないし含意)、および(プロテスタントはプロテスタントでも宗派ごとの)解釈、の差異、片や、語義の歴史的変遷、つまり「意味形象」の空間的/時間的被制約性と多様性を、歴史・社会科学として正当に考慮に入れれば、しごく当然の――齟齬を、語形合わせの「遡行」が達成されない「アポリア」と見誤る。そして、その当然の齟齬を、ヴェーバーも(羽入には好都合なことに)同様に「アポリア」に見立ててくれて、その打開に苦心惨憺したあげく、苦し紛れに「詐術」をも弄した(あるいは弄しかけて「ルター聖書の原典を見ない杜撰な資料操作」に陥った)という自己中心で彼我混濁の「お話」を虚構する。第一章「“calling”概念をめぐる資料操作――英訳聖書を見ていたのか」のばあいと同様、ⓐヴェーバー(「遺跡」)の「倫理」論文(「遺構」)における「『資本主義の精神』論」「『職業義務』論」「Beruf語義/語法成立史論」(「[遺構中の]部位」)の特定叙述(「遺物」)を、「意味(因果)帰属」にかかわる原コンテクスト(当該「部位」における「遺物」群の「配置構成」)から抜き取って、ⓑ「語形合わせ」のコンテクスト(著者の関知しない羽入の「配置構成図」)に移し入れ、ⓒ「アポリア」打開の「詐術」、ないしは少なくとも「杜撰な(原典代替)資料操作」に意味変換してしまうのである。
ところが、この捏造の段取りは、「PHP名士」連によれば、「緻密な論理」による「周到な文献検証」の体をなし、とくに竹内靖雄と養老孟司によれば「推理小説のように面白く」、中西輝政の「本能」には適って「ヒューマンな感覚」に溢れ、「やっぱりそうだったのか」と納得がいくそうである。また、少なくともその草案は、文献解読の厳密な訓練にかけては従来定評のあった東京大学大学院倫理学専攻において、「博士の学位に値する」との認定を受けたものである。そこで、われわれとしても慎重を期し、これから一齣一齣を取り出して、はたしてそのとおりかどうか、詳細に検証していくとしよう。
2.「資本主義の精神」の禁欲的特徴――読解不備による「搦手迂回論」の捏造
羽入は、当の「遡行」につき、上記の引用にすぐつづけて、「ヴェーバーの論証を多少とも子細に検証してみるならば……、ヴェーバーは実はそこでは『資本主義の精神』の起源を直接には求めておらず、むしろ間接に、すなわち『職業義務の思想』の歴史的由来を尋ねることによって、つまり言わば搦手から回り道をして求めている」ことが「すぐに分かる」という(65)。しかし、この文言からすぐ念頭に浮ぶのは、C「はて、ヴェーバーはなぜ、そんな七面倒くさい『搦手から[の]回り道』をしなければならなったのか」という疑問である。ヴェーバー自身が、はたしてそうした「回り道」をしているのであろうか。
そこで、「倫理」論文を「多少とも子細に検証してみるならば」、ヴェーバーは第一章第二節を正面から「資本主義の『精神』」と題し、当の「精神」を、(羽入が視野を狭めてもっぱら取り上げる第1〜8段落よりも少し下った第21段落では)「正当な利潤を、先にベンジャミン・フランクリンの例について見たようなやり方で、職業としてberufsmäßig組織的かつ合理的にsystematisch und rational追求する志操」(GAzRS, I, S. 49, 大塚訳、72ぺージ、梶山訳/安藤編、114ぺージ)と(暫定的に)定義している。なるほど、ここではさしあたり、羽入が主張するとおり、「精神」が「職業義務の思想」を一契機として「含んでいる」というふうに見てもよかろう。しかし、その一契機とは、なにもかも一緒くたにして「職業義務」一般を強調する思想という意味ではない。一貫して著者ヴェーバーの念頭にあるのは、この暫定的定義からも、フランクリン文献による例示に始まってここにいたる行論からも、明らかなとおり、「正当な利潤を組織的かつ合理的に追求する志操Gesinnung」「エートスEthos」にいわば溶け込み、「組織的かつ合理的な」(つまり、熟慮と自己審査による自己制御がよく利いた)利潤追求に活きてはたらき、体現されるような、そうした特定の「職業義務」思想である。後段で展開されるヴェーバーの「職業義務」論を先取りしていっそう正確に規定すれば、⒜およそ職業を、「神の摂理」にもとづく「伝統的秩序」の一環と見て、同じく「神の摂理」によって自分がいったん編入された職業に「堅くとどまれ」あるいは「忍従せよ」と説く「伝統主義」的な「職業義務」思想(ルター/ルター派)ではなく、⒝職業を、自分個人が「神から(伝統的秩序を媒介とせず、むしろ直接に)与えられた使命」を達成し、「恩恵の身分」に属する(「神の道具」に選ばれている)ことを「確証」して、「選ばれているのか、それとも捨てられているのか」という深甚な不安から逃れる「手段」、そのために「組織的かつ合理的な行為」を実践する「場」ないしは「拠点」とみなし、したがって、よりよく使命を達成できそうなら、伝統的秩序に逆らう転職も可とする、「禁欲(主義)的」な「職業義務」思想(カルヴィニズムをもっとも首尾一貫した類型とする「禁欲的プロテスタンティズム」)、――前者⒜でなく後者⒝に「選択親和関係 Wahlverwandtschaft」をもつような、そうした類型の「職業義務」思想なのである。
上記の暫定的定義のすぐあとで、ヴェーバー自身が明記しているとおり、「フランクリンの『説教』に明らかに現われているような、一定の禁欲的特徴ein gewisser asketischer Zug」[4](GAzRS, I, 55, 大塚訳、80、梶山訳/安藤編、121-2)こそが、かれにとって「知る値する」「精神」の「本質」であり、これをこそ、その起源と目される、しかるべきプロテスタント宗派(ルター派ではなく「禁欲的プロテスタンティズム」)の信仰内容に直接「意味(因果)帰属」することが、「倫理」論文の主題にほかならない。「職業義務の思想」という一契機も、そういう「一定の禁欲的特徴」と結びつき、そうした特徴を生み出すような特定の「職業義務」思想として、そのかぎりで問題とされる。「精神」と「職業義務の思想」とが、なにか別々の実体としてあって、前者の「意味(因果)帰属」を企てるのに、まず後者を前者に「含み込ませて」おいて、後者の「意味(因果)帰属」で代替する、などというのではない。
むしろ、「職業義務の思想」一般を故意に前景に取り出して「精神」に残る要素は不問に付す、そういう捉え方は、「倫理」論文の行論の大筋――すなわち、フランクリン文献による例示から「精神」の暫定的定義に進み、その「意味内容」(職業義務の禁欲的履行)の歴史的起源を求めて(第一章第二節)、ひとまずルター/ルター派への遡行を試みるものの、そこには、「職業義務」はともかく、(「わざ誇りWerkheiligkeit」 として排斥される)「禁欲的特徴」は「意味(因果)帰属」できないと見て(第一章第三節[5])、カルヴィニズムを初めとする「禁欲的プロテスタンティズムの職業倫理」に転じ、そこにこそ「職業義務の禁欲的履行」を十全に「意味(因果)帰属」する(第二章本論[6])、ヴェーバー自身による論旨の展開――を把握しそこね、なにか「前半部」「問題提起」章だけで「ことを済ませ」、「問題を処理し尽くせる」かのように錯覚する視野狭窄の産物であろう。「前半部」だけでフランクリンとルターとを無理に直結しようとすれば、前者によって例示される「精神」の「意味内容」の二契機を、「職業義務」と「禁欲」とに分離、実体化し、ルターとは結びつかない「禁欲」のほうは捨象し、(「職業義務」一般としては)ルターと結びつく「職業義務」のほうを取り出して強調し、これをルターに「語形合わせ」で直結するよりほかはあるまい。そうしておいて、直結できない「アポリア」を捻出し、その「アポリア」を打開しようとの「苦し紛れの詐術」をヴェーバーに帰そうという算段ではあるまいか。そういう「意味変換操作」――ヴェーバーの叙述に「アポリア」を「あらかじめ忍び込ませておいて、あとから取り出して見せる」操作、意識的に遂行されれば紛うかたなき詐術であるが、それが不思議なことに意識されない、「詐術すれすれの捏造操作」――が、羽入の脳裏で進行しているのではないか。しかし、あまり先を急がずに、羽入の説くところを、いましばらく聴くとしよう。
3.例示と定義との混同による徴表「エートス」の看過
つぎに羽入は、「搦手迂回論」が成り立つ二条件を、ひとつは「『職業義務の思想』を『資本主義の精神』の内に、それも『資本主義の精神』にとって構成的な意味を持つものとして含みこませること」、いまひとつは「『職業義務の思想』の起源を実際に古プロテスタンティズムへまで遡らせること」(65-66)に求める。そして、第一条件について、つぎのようにいう。「ヴェーバーがフランクリンの二つの文章から『資本主義の精神』の理念型を構成した時点では、まだ『職業義務の思想』は『資本主義の精神』の内には含まれていなかった。そこでの『資本主義の精神』の定義にしたがえば、『自分の資本(初版では財産)を大きくすることへの関心』は、確かに『自己目的』としてはみなされていたものの、いまだ『職業義務』としてはみなされてはいなかったのである」(66)。
さて、ヴェーバーは確かに、第一章第二節の冒頭に、「精神」の理念型を構成する方法にかんする覚書を記し、定義にかんする(研究が進展したうえでなければ定義はくだせないが、なんらかの事前了解がなければ研究に着手することもできないという)ディレンマを打開するための「暫定的例示」として、そのかぎりで「フランクリンの二つの文章」を引用し、その趣旨を、「信用に値する紳士という理想、とりわけ自分の資本を増加させることへの利害関心を自己目的として前提とし、この利害関心に向けて個々人を義務づけるVerpflichtung思想」(GAzRS, I, 33, 大塚訳、43、梶山訳/安藤編、91)と要約し、そこには、それにたいする違反が「一種の義務忘却Pflichtvergessenheit」として非難されるような「エートス」が表明されている、と特徴づけている。
この箇所のヴェーバーの叙述を、羽入による上記の解釈と比べてみると、羽入は、Dこの「時点」(第5段落まで)ですでに、「精神」の理念型が構成され、「定義」がくだされたと早合点しており、例示の趣旨の要約を「定義」と取り違えている。しかも、Eその「意味内容」としては、ヴェーバーが(まだ「職業義務」ではないとしても)「義務づける思想」「エートス」性を取り出して、これを「本質的」徴表として強調しているのに、羽入は、不注意にか故意にか、この徴表を見落としている。「自分の資本を大きくすることへの関心」を「自己目的」とみなすだけでは、「精神」とはならず、それだけでは「精神」を定義したことにはならない。というのも、「利害関心Interesse」とは、たとえ「自己目的」とみなされても、本性上、適度に充足されれば止まるか弱まるもので、それだけでは、資本蓄積を軌道に乗せ、システムとして近代資本主義を生み出すには足りない、つまり近代資本主義に「適合的」ではない。そうした利害関心が、「理念Idee」によって媒介され、「義務づけられ」て初めて、じっさいにも「自己目的的」つまり無制約的に発動されるようになり、資本蓄積の軌道が敷かれる。こうした「義務づけ」が、一定の規模で社会集団/社会層に共有されるまでは、並外れて強烈で止むことのない利害関心も、「慣習倫理とは無関係な個人的気質eine persönliche, sittlich indifferente, Neigung」(GAzRS, I, 33, 大塚訳、45、梶山訳/安藤編、92)にとどまり、ヤーコプ・フッガーのような「前期的大商人」を散発的に生むことはあっても、システムとして近代資本主義を創り出すにはいたらない[7]。
つぎの第6段落で、ヴェーバーは、「時は金なり」の信条を外面的には生涯貫いた当のフッガーを類例として引き合いに出し、かれには(慈善事業には出費を惜しまない道徳的資質はあっても)経済活動そのものにリンクされる「倫理的色彩を帯びた生活原則eine ethisch gefärbte Maxime der Lebensführung」――つまり、フランクリンの文章からはかれの一面として読み取れる「エートス」――は欠落していた、と指摘する。そうして初めて、「この論文では、この[エートスという]独特の意味で、『資本主義の精神』という概念を用いる」と定義風に定式化している[8]。そして、1920年の改訂稿では、その「資本主義」とは当然「近代資本主義」のことで、これ以外の古今東西の「資本主義」には、この「エートス」が欠けている――つまり、このエートスこそ、「近代資本主義の精神」の構成的契機である――と、初稿発表(1904年)以降の広汎な比較宗教社会学的研究(「世界宗教の経済倫理」)の成果を集約して、「精神」概念の普遍史的な「文化意義」を簡潔に浮き彫りにするのである。
ところが、羽入の解釈には、ほかならぬその「独特の意味」がすっぽりと抜け落ちている。羽入は、「資本主義の精神」と「職業義務の思想」とを区別するからには、前者の「意味内容」を(後者と区別して、それ自体「独自のもの」として)どう捉えるのか、明確に規定して提示しなければならないはずである。しかし、そうした規定は、上記「自己目的」論という不備な定式化以外、どこにも見当たらない。
4.コンテクスト無視の『箴言』句抽出と、「語形合わせ」論への移し替え
むしろ羽入は、「職業義務の思想」による「代替遡行」論の先を急ぎ、つぎの第7段落の叙述から、『箴言』22: 29(「汝、そのわざBerufに巧みなる人を見るか、かかる人は王のまえに立たん」)の引用を、これまたコンテクストを無視して抜き出す。そして、F「倫理」論文における語Berufの初出[9]と見誤り、そこでヴェーバーが「『資本主義の精神』の内に、……『職業義務の思想』を含みこませることに見事成功した」(67)という。しかし、ヴェーバーはじつは、前段で「エートス」(「価値合理的」「目的非合理性」)という第一(要素的)理念型を鋭く一面的に構成すればこそ、一方では、この第7段落で「功利主義への転移傾向」(「価値非合理的」「目的合理性」)という対抗的側面に着目して第二(要素的)理念型を構成し、そうした「転移」を引き止めてエートス性との均衡を保たせている背後の要因を求めて、他方では、(第一要素の)「時は金なり」「信用は金なり」と、すべての生活時間と対他者関係を一途に捧げて利潤追求・貨幣増殖に専念する「禁欲的特徴」の「不自然さ」にたいする「なぜ、そうまでして」との問いに答えて、「一般経験則」「法則論的知識」から、なんらかの宗教性を想定する。そして、フランクリン自身が同趣旨の問いに、「父親が少年ベンジャミンにつねひごろ『箴言』句を引いて教訓を垂れた」と答えている箇所を、『自伝』から引用する。つまり、ヴェーバーは、第一要素の「義務づけ」の起源を、「職業義務の思想」一般ではなく、「組織的かつ合理的な利潤追求」を「使命」として要請し、「一定の禁欲的特徴」を生み出すような、そうした「職業義務」思想に求め、その背景としても、宗教性一般ではなく、『箴言』句の愛好に表明されるような、そうした宗派信仰[10]を示唆しているわけである。羽入の解釈では、G第7段落で『箴言』句が引用されるコンテクストの理解、したがって、前半で構成される第二(要素的)理念型と、これに対抗する「職業義務」思想の特異な性格とが、脱落している。
5.語と思想との混同/すり替え――読解力不備と生硬な思考
つぎに、第二条件にかんして、羽入は、「『職業義務の思想』の歴史的由来への問いに対して、ヴェーバーは次のように答える」として、「こうした『職業義務の思想』は聖書翻訳者達の精神から由来したのである」(67)と「倫理」論文第一章第三節第1段落中の一文(GAzRS, I, 65, 大塚訳、95、梶山訳/安藤編、134)の参照を指示している。ところが、この箇所は、「現在の意味におけるこの語das Wort in seinem heutigen Sinnは、聖書の翻訳に、しかも原文ではなく、翻訳者たちの精神に由来している」とあり、主語は「語」であって、「思想」ではないし、もとより、『箴言』22: 29を引用して説かれるような「こうした『職業義務の思想』」ではない。ところで、著者ヴェーバーは、つぎの第2段落を、「語義Wortbedeutungと同様に、思想Gedankeもまた新しく、宗教改革の産物である」(GAzRS, I, 69, 大塚訳、109、梶山訳/安藤編、146)と書き出しており、語義論(第1段落)と思想論(第2段落以下)とを明示的に区別し、語義論を「トポス」として、第1段落とその三注に限定して集約的に論じている。したがって、H「職業義務の思想」の由来を、かりにヴェーバーが「ルターの職業観」節内で問うていると見て、そこに答えを求めるとしても、第2段落以下の思想論ならともかく、節の冒頭に出てくるとはいえ、Beruf一語ないし一語義の由来しか扱っていない「トポス」論議の第1段落に、一目散に直行し、いったんそこに固着したら他の箇所はいっさい顧みないというのは、いかにも短兵急な猪突猛進で、語義論と思想論との「混同」「すり替え」というほかはない。しかも、Iいささかなりとも肝心の「意味内容」に思いをいたすならば、本来、『箴言』22: 29を引用して説かれるような「こうした『職業義務の思想』」の起源が、ルターに遡れるはずはなく、かりに第2段落以下も参照するにせよ、問題を「ルターの職業観」節の枠内で扱いきれると考えて、そこに視野を限定してしまうこと自体が、ヴェーバーとは無縁な、羽入の独り合点である。それは、内容上も、フランクリンもルターも知らない「博士」の無謀な企て、といわざるをえない。
ところで、羽入は、せっかく「翻訳者」が「翻訳者たち」と複数であること
に着目しながら、「このすぐ次に続く部分での彼[ヴェーバー]の叙述、及びその部分に付された注からただちに分かることは、彼がここで重視しているのは実はマルティン・ルターただ一人である」(68)と決め込んで、折角の着眼の意味を考えようとしない。じつは、「ルターの職業観」節の枠内でも、著者ヴェーバー自身が念頭においている聖書翻訳者は、けっしてルターひとりではなく、明示的にもたとえばメランヒトンに言及しているばかりでなく、ルターによる『コリントT』7: 20のRufをBerufに改訳して現在にいたる翻訳者たちや、『シラ』11:
20, 21の意訳語Berufを(拒否するのでも、無視するのでもなく)受け入れて現在にいたる再改訳連鎖の当事者たちなど、黙示的には無数の翻訳者を考慮に入れている。それはともかく、羽入がここで「ルターの職業観」節に視野をかぎってしまった以上、そこで主に論じられるのがルターひとりなのは、むしろ当然で、なにも力んで述べ立てるまでもない。しかし、だからといって、ヴェーバーが「職業義務の思想」一般、ましてや『箴言』22: 29を引用して説かれるような「こうした『職業義務の思想』」の歴史的起源を、もっぱらルターひとりに求めている、ということにはならない。羽入は、意識的な詐術というよりもむしろ、「木を見て森を見ない」、そのため「木も見ない」、文献解読力の不備と、いろいろな箇所を関連づけて論旨の展開を慎重に追跡する柔軟な思考力の不足とのため、このようにしておそらくは無意識裡に、つぎからつぎへと議論を「すり替え」てやまないのであろう。
6.「全論証の要」としての「語形合わせ」――「アポリア」捏造の準備完了
このあと、羽入は、「使命としての職業」を意味する「ドイツ語の“Beruf”、あるいは英語の“calling”といった表現は、ルターの聖書翻訳から初めて生まれたものなのである」(68)と、じつは「ルターの職業観」節、しかもその全13段中の第1段落における「トポス」論議のみの、だれも知らない者はいない小括を、こと改めて要約し、そこからなんと、つぎの命題に飛躍する。「そしてここにおいて同時に、『職業義務の思想』をめぐるヴェーバーの探究は、おのれの目的をすでに達したこととなる。すなわち、ルター、つまり[!]古プロテスタンティズムにまで到達し得たのである。『職業義務の思想』の根源を古プロテスタンティズムに見出すことと、『資本主義の精神』そのものの起源をもまた古プロテスタンティズムの宗教世界へと遡らせること[[11]]とは、もはやあと一歩の違いでしかない」(68)。
羽入は、自分では気がつかないのであろうか。「思想」を「語」に、「古プロテスタンティズム」を「ルター」に、「意味(因果)帰属」を「語形合わせ」に、それぞれ「すり替え」ているということに。そうした無意識の「すり替え」によって、全「倫理」論文の探究目的が、本論にも入らないうちに、「問題提起」章「ルターの職業観」節の第1段落で、すでに達成されたかのように見えるのであろう。さらに羽入はいう。
「したがって以上のことからわれわれは次のように述べることが許されよう。フランクリンの『自伝』に引用されていた『箴言』22: 29の一節から、“Beruf”という語を引き出し、そしてさらにはただこの“Beruf”という語の語源をたどることのみによって直接にルターへと遡る部分、この部分こそが『倫理』論文の全論証にとって要をなす、と。そして本章で検討対象とするのが正に右部分である。なぜならこの部分のヴェーバーの論証には一つのアポリアが隠されているからである。」(68)
むしろ、羽入が「この部分」に「アポリア」を隠し、ここを撃てば「倫理」論文全体、あるいはヴェーバーその人を倒せる――あるいは、自分が撃って倒せるのはここしかない――と思い込んでいるので、当の「部分」が、(羽入の誤読と妄想の所産でも、取るに足りない末梢部分でもなく)まさに「『倫理』論文の全論証にとって要」と見え、あるいは半ばはそう見せようと、これまで剔出してきた@〜Iの「脱落」「混同」「すり替え」が犯され、やっと思い通りの命題に到達できた、というのではあるまいか。それが、「PHP名士」連には、「巧みなレトリック」「緻密な論理」「周到な文献検証」等々と映るのではないか。
とまれ、ここでこんどは、「前半部」から「全体」への恣意的飛躍がなされた。この第一節冒頭、「全体」からいきなり「前半部」(しかも、「精神」節の第1〜8段落と「ルターの職業観」節の第1段落とその三注のみ)に視野を狭めた羽入が、こんども唐突、独断的に、「語形合わせ」の微小部分から、一挙に「全体」に言及範囲を広げ、「全論証」にかんする論証ぬきに、当の微小な「語形合わせ」を、これこそが「全論証の要」と強弁する。内容としても、18世紀の人フランクリンの『自伝』から一語を抜き出し、それが16世紀のルターの訳語と直接一致するかどうかという見当違いの無理な「語形合わせ」を、「倫理」論文の主題と決めてかかる。いうなれば、オードブル皿の一品をちょっとなめただけで「この料理はフルコースまずい」との裁断がくだせると信じているのである。しかし、そんなことが、学問上、はたして「許される」のか。
小括
以上が、羽入書第二章第一節前半(四ぺージ分)の批判的検証で、羽入がおそらくは無意識に犯している@〜Iの誤り(脱落、混同、すり替え)が剔出された。このあと、「批判結語(2−2以下)」では、羽入がこの「全論証にとって[の]要」から取り出す「アポリア」とは、じつは原著者ヴェーバーのアポリアではなく、フランクリン父子における『箴言』22: 29のcallingが、ルターにおいてはBerufではなくGeschäftであったという歴史・社会科学的には当然の齟齬を、羽入が「意味(因果)帰属」の原コンテクストから抜き取って、非歴史的・非現実的な「語形合わせ」のコンテクストに移し入れるために、そのかぎりで没意味文献学者の脳裏に映し出される虚構にすぎないこと、したがって当然、ありもしない「アポリア」を「打開」せんがためにヴェーバーが「企てた」とされる「資料操作」なるものも、当の虚構を前提として捏造された「濡れ衣」にすぎず、むしろ羽入における文献解読力の欠落を露呈していることを、羽入の叙述そのものに内在して論証する予定である。
ここで一言、感想を差し挟むことが許されるとすれば、以上に逐一暴露してきたとおり、羽入には、「倫理」論文の論旨を汲み取る読解力も思考力もそなわっていない。ということは、大学/大学院において文献読解の基本的訓練が施されていないということである。かりに耳目聳動を狙う野望やヴェーバーへの誹謗中傷は垣間見られなかったとしても、これほど杜撰で粗暴な読解記録を、(研究者としての素質のある学生/院生には必ずそなわっている)慎重な謙虚さをかなぐり捨てて誇示しているような論文は、学部卒論としてはもとより、学部演習のレポートとしても、厳しくザハリッヒに誤りを指摘して突き返し、書き直させるのが、教師の務めであり、責任であろう。本人が抵抗しても、あえてそうするほうが、本人にたいしても親切で、少なくとも、それがそのまま衆目にさらされるような残酷な笑劇は避けられただろう。
ところが、「羽入事件」のばあいには、上記のとおり杜撰で粗暴な論文に、東京大学大学院倫理学専攻から、修士、博士の学位と、日本倫理学会からは、学会賞「和辻賞」が授与されている。しかも、授与当事者・責任者たちは、文献読解の厳正な訓練にかけては定評のあった研究室と関係学会に所属する者たちである。したがって、この側面は、むしろ「いい加減さ」で定評のある「PHP名士」連による「山本七平賞=SHOW」演出とくらべて、はるかに深刻な問題と受け止めざるをえない。というのも、羽入論文への博士号等授与に顕示された(代表的名門研究室における)学問的評価規準の崩壊、したがって学問外的要因の支配(少なくともその予想)は、信頼に値する評価規準と評価システムを整備せず、評価担当者の恣意と不公正がまかり通るままに「成果主義」「業績主義」を導入した組織一般が陥る「志気の低下」「人材流出」「組織崩壊」とほぼ同様の経過を、いっそう深刻な形で、まずは当該学会に、やがては他の分野にも波及させていくと予想せざるをえないからである。
「いっそう深刻な形で」という意味は、こうである。この間、このコーナーに発表した論稿にたいしては、直接間接、いろいろな感想や助言が寄せられ、筆者は、そのつど応答できないことも多いが、賛否を問わず、大いに感謝している。そのなかに、大学/大学院教育に携わるある専門研究者から、「じつは、研究者としての素質に恵まれていると見込んで、大学院進学を勧める学生が、近頃ではほとんど他に就職してしまう」という実情報告があった。ただでさえ、研究職への志望者は、たとえば(大学在学期間/研修期間は多少長くても、国家試験に合格すればまずまちがいなく専門職に就ける)医師の類例と比較して、大学卒業後最低五年、院生として研学を積んでも、研究職に就ける保障がなく、近年(本コーナーに掲載の「虚説捏造(その2)」稿に統計数値の一端を示したとおり)就職はますます困難になって、大学院進学のリスクはそれだけ大きくなってきている。そのうえ、就職の要件として求められる研究業績と学位について、信頼のおけるフェアな評価がなされず、学問外のなにかが「ものをいい」、「羽入事件」のような出鱈目なことがまかり通るとあっては、どれほど学問研究そのものには関心があって情熱を感じる学生でも、経歴形成にたいする自己責任から、そういう素質のある学生ほど、大学院進学は見限る、という選択に走らざるをえないであろう。その結果、総体として、研究職の「金権主義」的壟断と、それに見合う学問的批判性の喪失がもたらされることは必至と思われる。
ここで再度、羽入辰郎の指導教官/主任教授/研究指導助手/論文査読教官/「和辻賞」選考委員らの自発的見解表明を求める。「もう済んだこと」「一事不再理」では済まされない。学位に値しない論文執筆者に学位を与えた、学者としての学問的責任と、そういう無責任が少なくとも今後の研究指導/後継者養成にもたらす影響にかんする、社会的責任とを問いたい。なんどもいうように、公開文書としての博士論文原本と査読報告書を査読して、問題点を明らかにし、実名を挙げてその責任を問うのは、筆者がこの「批判結語」を書き上げたうえで着手する予定の課題で、時間の問題である。それ以前に、関係者が自発的に応答されるよう、重ねて要請する。(2004年9月14日記、つづく)
付記(ヴォルフガンク・モムゼン教授の逝去に思う)
『マックス・ヴェーバーとドイツ政治Max Weber und die Deutsche Politik 1890-1920』(1959, 2. Aufl.,
1974, Tübingen: J. C. B. Mohr) の著者として知られているヴォルフガンク・モムゼン氏が、去る8月11日、バルト海岸で遊泳中、心筋梗塞のため逝去された、との報が、嘉目克彦氏から雀部幸隆氏をへて筆者にも届いた。6月にロンドンで開催された学会に出席した矢野善郎氏からは、モムゼン氏も元気な姿を見せていた、と少しまえに聞いたばかりだったので、突然の訃報に愕然とした。モムゼン氏が、1993年春にミュンヘンで開かれた国際シンポジウム「マックス・ヴェーバーと日本」を主催し、ヴォルフガンク・シュヴェントカー氏との共編で『マックス・ヴェーバーと近代日本Max Weber und das
moderne Japan』(1999, Göttingen:
Vandenhoeck & Ruprecht,
552 Seiten) を公刊するなど、日独のヴェーバー研究/歴史・社会科学研究の交流に尽力された、生前の多大な功績を讃え、謹んでご冥福を祈る。この機会に、『マックス・ヴェーバー全集』I/22(『経済と社会』「旧稿」該当巻)の編纂にまつわるエピソードを、国際交流/協力の難しさの一端として記し、あわせて、モムゼン氏が『全集』編纂者のひとりとしてやり残したI/22, 23(『経済と社会』該当巻)の進捗に向けて、思うところを述べたい。
1998年秋、訪日して関西に滞在しておられたモムゼン氏は、上京の途上、関西学院大学の早島瑛氏とともに、10月16日、名古屋に筆者を訪問された。「いよいよ『全集』I/22, 23(『経済と社会』該当巻)の刊行に踏み切ることになったので」と編纂方針を説明し、モムゼン氏担当のI/22−1(第1分冊「諸ゲマインシャフト」)の「序論Einleitung」第一次草稿を手渡して、編纂方針と草稿内容につき、「できるだけ鋭く論争を提起so scharf wie möglich polemisierenしてほしい」と来意を告げられた。筆者は快諾し、タクシーで名古屋城を回ってもらい、プラットホームに見送って別れた。
しかし、学問上は、モムゼン案は受け入れがたい、と分かっていた。『経済と社会』の編纂問題について、筆者は、第一次編纂者マリアンネ・ヴェーバーと第二次編纂者ヨハンネス・ヴィンケルマンの「二部構成」編纂[12]を批判し、これにたいする批判者、故フリードリヒ・H・テンブルックの「『経済と社会』との決別」[13]とも決別して、まずは「旧稿」「1910〜14年草稿」を、原著者マックス・ヴェーバー自身の構成プラン「1914年構想」に準拠し、「理解社会学のカテゴリー」(1913年)を「概念的導入部」として「トルソの頭」に据え、テクスト中の前後参照指示と術語用例に整合するようにテクストそのものを再配列/再構成する、という再編纂方針を『ケルン社会学・社会心理学雑誌』に発表していた[14]。他方、モムゼン氏は、ヴィンケルマン氏によるヴェーバー・テクストの編纂独占を長らく批判してこられたので、筆者も同じ方向を目指す再構成論者で、容易に合意がえられるものと、わざわざ訪ねて、草稿を手渡すまでの好意を示されたにちがいない。しかし、先行編纂を批判して否定することと、自分が代わって妥当な編纂をなしとげることとは、別のことである。そのうえ、モムゼン氏は、手堅い歴史家ではあっても、社会学者ではない。ヴェーバーの精妙な社会学的概念構成と論理展開を、膨大な草稿の全篇にわたって追跡/再構成し、400個を越える前後参照指示ならびにそれぞれの被指示箇所と、おびただしい術語用例とを、細大漏らさず調べ上げ、先行の誤編纂ゆえに縺れた糸を細かく手繰って巻きなおすような仕事は、氏には相応しくない(氏は別のタイプの学者である)と見ていた。
そこで筆者は、モムゼン氏来訪の好意に答えるのに、詳細な私信をしたため、いわば「合わない頭をつけたトルソ」であったマリアンネ・ヴェーバー編、ヨハンネス・ヴィンケルマン編に代えるに、「頭のない五肢体部分(五分冊)」に解体するにひとしい氏の方針は、学問上受け入れがたいと、逐一論拠を添えて丁重に伝えた。これにたいして、モムゼン氏からは、直接の返信はなかった。代わって、第一分冊編纂協力者のミヒャエル・マイヤー氏から、「モムゼン氏から代って返事するように頼まれ、モムゼン氏宛ての私信を読んだが、……」と前置きして、「編纂方針にたいする基本的な了解がえられれば、細部について煩わせるつもりはない」という趣旨の書簡が届いた。これにたいして、筆者は、「細部はもとより、編纂方針そのものに賛成できない」という趣旨を、さらに詳細に論拠を添えて答えた。しかし、その後、マイヤー氏からも応答はなかった。
この間、筆者はむしろ、「共同編纂上やむをえない『犠牲Opfer』」としてモムゼン氏に歩み寄ったかに見えるシュルフター氏に、「その『犠牲』は大きすぎる」と答えて、『ケルン社会学・社会心理学』誌上で論争し[15]、筆者の意図としてはむしろ、編纂陣内におけるシュルフター氏の立場を側面から補強しようと努めた。それはなにか、歴史学と社会学との「縄張り争い」といったようなことではなくて、シュルフター氏が当初、カテゴリー論文の前置ほか、筆者には正しいと思える方針を提唱していたからである。したがって、シュルフター氏にたいする筆者の批判が、モムゼン氏を横目で睨み、いっそう厳しくモムゼン氏の編纂方針を撃っていることは、事情通が読めばすぐ分かることであった。ところが、モムゼン氏からは、「シュルフター批判、興味深く読みましたよ」という一行が添えられるものの、もっぱら氏の既定方針を敷衍する独文/英文の論文[16]抜き刷りが送られてくるばかりであった。
それまで筆者は、一種のフェア・プレー感覚から、批判や編纂資料(たとえば被指示箇所と照合した前後参照指示の一覧表)をもっぱら独訳して、ドイツの編纂者にストレートに送り届け、どう対処するかはかれらの自由に委ねてきた。批判や資料を英文で発表すれば、英語圏読者の関心も喚起でき、その反響でドイツ編纂陣へのインパクトを側面から強められると分かってはいたが、なにか「外野スタンドに応援団をつくる」ように思えて、気が進まなかった。しかし、ここにきてモムゼン氏のほうが先に氏の編纂方針を英文で発表したからには、それにたいする批判の英文発表をもはやためらう必要はないと考えてよかった。折よく、その間にイギリスで刊行されたMax Weber Studies誌の編纂陣に加わっていた矢野善郎氏から寄稿の要請があったので、すみやかに論考「『合わない頭をつけたトルソ』から『頭のないバラバラの五死屍』へ?――全集版I/22巻の編纂方針にかかわる諸問題」をまとめ、矢野氏に英訳してもらって、2001年8月には、ロンドンの編集部宛て郵送することができた[17]。ところが、イギリス流なのか、MWS誌固有の流儀なのか、なかなか返事がなく、編集に手間取っている風で、とうとう2001年末には、先にモムゼン編の第1分冊がMohr社から公刊されてしまい、「編纂協力」へのモムゼン氏の感謝状を添えた献本が送られてきた。ちょうど同じころ、MWS誌編集主幹Sam Whimster氏からは、「モムゼン批判よりもむしろ、それまでに公刊された第1、2、5分冊に即して全集版I/22の編纂を総体として批判する論文に改めてほしい」という要請状が届いた。そこで筆者は、モムゼン氏には編纂の労をねぎらう献本礼状を送ると同時に、Whimster氏の要請に答えて、相応の改訂を施し、ふたたび矢野氏を煩わせて、論稿「『合わない頭をつけたトルソ』から『頭のないバラバラの五肢体部分』へ――全集版I/22巻の編纂方針にたいする批判」をまとめ、編集部に送った。ところが、これがまた編集に日時を費やして、翌2003年6月に、第3巻第2号の一篇[18]としてやっと日の目を見た。
大略上記のような経過を振り返り、いまもって気懸かりなのは、多忙なモムゼン氏は、事前に私信では伝えていた筆者の批判を、自分では読んでいなかったか、ざっと目は通しても(筆者の独文が下手なこともあって)真に受けなかったか、どちらかで、第1分冊の献呈にたいしても、とりあえずは編纂の労をねぎらう丁重な礼状を出すにとどめ、そのさいには批判は控えた(これは「日本的」か? むしろ、「あれほど事前に批判していたのに」と直言すべきだったか?)こともあって、刊行後になにかいきなり厳しい批判をMWS誌に発表してぶつけられた、というふうに受け取り、「名古屋にまで出掛けて挨拶したのに」と不快に思われたのではないか(これも「日本的」解釈か?)という点である。モムゼン氏本人以外にも、シュヴェントカー氏を初め、エディット・ハンケ女史、ミヒャエル・マイヤー氏ら、モムゼン氏の高弟筋に、筆者のMWS誌寄稿がそのように受け止められているのではないか、という点も、やはり気懸かりといえばいえる。もっとも、こうした懸念を抱くこと自体が、きわめて「日本的」なのではないかとも思う。筆者としては、どうもすっきり割り切れず、学問上の原則を堅持しながら国際的な友好関係を保つことの難しさの一例とも思えるので、あえて経過を記して、忌憚のないご批判を乞いたいと思う次第である。
筆者としてはむしろ、いつか、先行編纂にたいする批判を踏まえた、ポジティヴな再構成試案を携えて渡独し、こんどは筆者がモムゼン氏をデュッセルドルフに訪ねて、経過を説明し、わだかまりがあれば解きたい、と念願していた。じつは、椙山女学園大学を定年まえに退職して研究/執筆に当てる時間を確保/拡張したのも、ポジティヴな再構成試案の作成に専念し、論稿を急ぎたいと考えたからである。「学問的批判は否定に終わらず、肯定的な成果に到達して初めて完結する」という持論からも、ぜひ早く、批判を完結させたいと思った。モムゼン氏の突然の逝去は、筆者にとって、そういう再訪の機会が失われたという点で、たいへん心残りである。せめて、ここに記した経過と筆者の真情を、シュヴェントカー氏が汲み取ってくださって、ドイツにおける同門の知友にお伝えいただければ幸いと思う。
それと同時に、モムゼン氏亡きあとの『全集』編纂がどうなるか、ということも気懸かりである。当面は、I/22, 23(『経済と社会』該当巻)の問題である。いまにして思えば、本来、「『旧稿』全体をどう再構成するか」という問題設定を先行させて、編纂者グループをつくり、相当期間をかけて研究と討論を重ね、公開のシンポジウムないし聴聞会も開いて、まずは再構成案を作成し、具体的に煮詰めたうえで、(分冊刊行方針をとるならとるで)分担を決めるという段取りで進むべきだったと思う。それが、初めから、おおまかな内容区分にしたがって編纂者の分担を決めてしまい、各責任編纂者の作業が別個に進行してしまったため、異論や批判が出てきても、あとから変更するわけにいかず、「にっちもさっちもいかなくなり」、モムゼン氏の責任感と実行力で「強行突破」をはからざるをえなかった、というのが真相に近いのではないか。そう考えると、五人(ヴィンケルマン氏亡きあとは四人)の編纂者のひとりとしてその渦中にいたシュルフター氏が、明晰な氏らしからぬ「歯切れの悪い」(と筆者には思える)軌道修正を重ねたのも、「共同作業にともなう『犠牲』」として、よく理解できるように思う。
では、これからどうするか。残る第3分冊「法」、第4分冊「支配」については、もう、テクストの一部を既刊第1、2、5分冊と入れ替えるわけにはいかないであろうから、第3はゲッファート編、第4はモムゼン/ハンケ編で、そのまま予定テクストを収録して刊行するよりほかはなかろう。しかし、第3分冊「法」の「序論」では、「法社会学」のみの序論として残されてしまった「経済と法の原理的関係 Wirtschaft
und Recht in ihrer prinzipiellen Beziehung」が、じつは「理解社会学のカテゴリー」に相当する「社会的諸秩序のカテゴリー Kategorien der gesellschaftlichen Ordnungen」と、「団体の経済的諸関係一般 Wirtschaftliche
Beziehungen der Verbände im allgemeinen」とともに、「1914年構想」の第1項目(細分類で三項目中の第2項目)に属し、「旧稿」全体の第二番目に配置替えされるべきこと、第4分冊の「序論」では、第5分冊の「都市」が元来、「非正当的支配」論として「支配の社会学」に内属する一分肢であること、などが、編纂方針の批判/自己批判として明記されなければなるまい。そのうえで、「旧稿」全体の編纂にかんする諸論文、諸資料を収録することが当初から予定されていた第6分冊には、テンブルックに始まる編纂陣外からの批判論文、批判資料もすべて収録したうえで、そこでこそ、各分冊テクストの部分的入れ替え(じっさいにそうした入れ替えを実施して改訂版を出すかどうかは別としても)を含む、「旧稿」全体のもっとも妥当な再構成案が示されるべきであろう。そして、読者には迷惑に違いないが、「旧稿」を全体として読もうとする読者は、第1分冊からではなく第6分冊から読み始め、しかもまずは「理解社会学のカテゴリー」で基礎概念を十分に押さえてから「家ゲマインシャフト」に始まる具体的な諸章に取り組むべきことが、全巻に「注意書き」として大書され、周知徹底されなくてはならない。編纂者にとっては名誉なことではないが、学問のため、読者のためには、ぜひともそうしなければならない。
そういう方向で、誤編纂の繰り返しのために全体としては未解読というほかない約一世紀前の古典的大著(じつはシュルフター氏の主張どおり、『経済と社会』ならぬ)『経済と社会的諸秩序ならびに社会的諸勢力』を、なんとか「読める古典」として蘇生させたい。モムゼン氏亡きあとの編纂陣にあって、そうした方向へのリーダーシップを執れる人は、やはりシュルフター氏をおいてほかにはいないであろう。筆者もまた、本コーナー掲載の橋本直人寄稿も触れてくれたとおり、なるべく早く対シュルフター論争を再開し、こんどは再構成試案を示すポジティヴな方向で、モムゼン氏のやり残した仕事に、間接に寄与し、氏が日本の歴史・社会科学総体に示された好意と尽力に、日本の側から実質的・学問的に、いささかなりとも報いていきたいと思う。(2004年9月16日記)
[1] Cf. Ortega-y-Gasset, José, Insichselbstversenkung und Selbstentfremdung,
1939, in: ders. Gesammelte Werke, Bd. W, 1956,
[2] このばあい、筆者としては、「初めから対話や論争を見かぎり、互いに別々のメディアで、別々に言いたい放題のことを言い、けっきょくは『双方言いっぱなし』に終る」という(「進歩的知識人」を含む「戦後文化人」の通則をなしてきた)従来のパターンは改めたいと思う。そこで、「山本七平賞」選考委員の六氏に、(事前に本コーナー開設者橋本努氏の了解をえて)9月7日付けで下記の書簡を郵送し、六「選評」内容への批判的論及を知らせ、あわせて本コーナーへの寄稿による論争参入を呼びかけた。
謹啓
時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
初めてお便り差し上げます。マックス・ヴェーバーの社会科学方法論と比較文化・社会論を研究しております折原浩と申します。
一昨年秋に羽入辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪』(ミネルヴァ書房)が刊行されましてから、小生、昨年四月に書評「四疑似問題でひとり相撲」を『季刊経済学論集』(東京大学経済学会編、第69巻第1号)に発表し、十一月には羽入書批判を主内容とする『ヴェーバー学のすすめ』(未來社)を公刊いたしました。そのあと、北海道大学経済学部の橋本努氏が、インターネットのホーム・ページに、マックス・ヴェーバー「羽入/折原論争の展開」コーナーを開設されましたので、数篇の論稿を寄稿し、現在にいたっております。羽入辰郎氏本人からは、まだ寄稿がえられませんが、ヴェーバー研究への直接間接の関与者を初め、数多くの研究者や読者が、それぞれの見解を寄せ、対話と論争を展開しております。
さて、このたび、そのコーナーに、拙論「なぜ『「末人」の跳梁』と題するか――前稿(羽入『ヴェーバー詐欺師説』批判結語・その1)への補遺」を寄稿し、そのなかで、羽入書への「山本七平賞」授賞にさいしての貴台の「選評」(『Voice』誌本年1月号所収)に、批判的に論及させていただきました。つきましては、ご多忙のところ恐縮ですが、下記のホームページをご参照くださり、反論がおありと拝察いたしますので、ぜひ論稿にしたためてご寄稿になり、論争に参入されますよう、ご案内申し上げます。
では、なお残暑の砌、ご自愛のほど、お祈り申し上げます。
敬具
記
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto
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2004年9月7日
(折原 浩)
[3]「倫理」論文第一章第一節「宗派と社会層」では、「ルター、カルヴァン、ノックス、フォエトの古プロテスタンティズムder alte Protestantismus der Luther, Calvin, Knox, Voët」に言及し、それは、「現在われわれが『進歩』と呼んでいるものとはほとんどまったく無関係」で、「今日では極端な[原理主義的な]宗派に属する者でさえ、もはやなしで済まそうとは思わない、近代生活の全側面に、真っ向から敵対していた」と指摘し、したがって「古プロテスタンティズムの精神における一定の特徴と近代の資本主義文化との間に、およそなんらかの内面的親和関係を認めようとするのであれば、われわれはそれを、古プロテスタンティズムが(見かけ上)多少とも唯物的な、さなくとも反禁欲的な『現世の楽しみ』を含んでいたというようなところにではなくて、むしろ古プロテスタンティズムがそなえていた純粋に宗教的な特徴のうちに求めるよりほかはない」(GAzRS, I, 29, 大塚訳、33、梶山訳/安藤編、83)と論じている。原著者ヴェーバーが「古プロテスタンティズム」に言及するばあい、いかなる射程で「近代の資本主義文化」との「内面的親和関係」を究明しようとしていたのか、この箇所からも一目瞭然であろう。
[4] この句の前後は、示唆に富む内容を含んでいて興味深いので、ここに引用し、補説を加えてみたい。「ドイツでも個別にはいくつか傑出した実例が見られた資本主義的企業家の『理念型』は、……見栄や不必要な支出を好まないのみか、故意に権勢を利用することを嫌い、現に自分のえている社会的名声にたいして外側から褒賞を受けることさえ喜ばずに避けるのである。言い換えれば、その生き方Lebensführungはしばしば、先のフランクリンの『説教』に明らかに現われているような、一定の禁欲的特徴をそなえている――これこそ、われわれにとって重要な現象で、その歴史的意義について立ち入って論ずることが、まさしく後段の課題となる。とくに、そうした企業家には適度に冷静な謙虚さの認められることが、けっして稀ではなく、むしろ頻繁でさえある。それは、ベンジャミン・フランクリンも巧妙な処世術として推奨することのできた、あの控えめな態度に比して、はるかに誠実なものである。そうした企業家は、巨富を擁しながら自分一個のためには『一物ももたない』。ただ良き『職業の遂行』という非合理的な感情を抱いているだけである」(GAzRS, I, 55, 大塚訳、80-1、梶山訳/安藤編、121-2)。
こうした「理念型」概念にたいしては、あるいは、@現実の「資本主義的企業家」を理想化して現実を隠蔽するイデオロギーにすぎず、「そんな企業家がいったいどこにいるか」との疑問が提起されもしよう。しかし、それはそれとして大いに議論されてしかるべきことではあるが、当面の「『倫理』論文における原著者ヴェーバーの『知的誠実性』問題」とは別次元の、当該理念型の「歴史的妥当性」にかかわる問題である。「知的誠実性」を問うための内在理解の問題としては、A当のヴェーバーが「精神」の「理念型」概念を、フランクリン論をただの例示として、外延・内包ともにその域を越え、各国の「近代資本主義的企業家」層の一特性を測る尺度として、広く適用し、展開していることは、ここまで読めば一目瞭然であろう。しかもそのさい、B例示から定義をへて広域適用/展開にいたる過程で、どういう側面について、例示かぎりのフランクリン論が凌駕されているのかといえば、それは、「巧妙な処世術として推奨することのできた、あの控えめな態度」、すなわち(図書館開設などの起業にあたり、自分が発起人として表に出ようとするのではなく、友人たちの発案を受けてまわって、いうなれば「下働き」として実現に務めているという形をとったほうが、事業が円滑に進むし、やがては真の功労者が誰の目にも明らかとなって十二分に償われるという)効果を計算に入れた「狡智」ともいうべき、あの「功利主義に傾く」側面(第二の要素的理念型で捉えられる側面)である。これにたいして、そうした「名声」を「償い」として求めず、外面的「褒賞」を忌避する企業家の「価値合理的」態度が、「はるかに誠実なもの」として対置され、「近代精神」の勝義の側面として強調されている。さらに、Cこうした理念型の適用範囲は、経済の領域における企業家層には限定されない。じつはこの「精神」とは、「職業義務」思想が「含み込まれる」上位概念ではなく、逆に、後者、すなわち「近代市民的職業エートス」が、経済活動にリンクされて、経済という一領域に発現する形態(その意味における一分肢)にすぎない。したがって、「一定の禁欲的特徴」にかかわる上記の「理念型」は、「近代企業家」にかぎらず、「近代芸術家」「近代科学者」などにも適用され、その特定側面を照射する概念として応用が利く。たとえば「作家は作品で勝負する」といって「ノーベル文学賞」を辞退したジャン・ポール・サルトルは、この意味における「近代作家」の理念型に合致し、「近代主義」を掲げながら晩年に「文化勲章」を受けた某経済史家は、そのかぎり「近代科学者」のこの理念型からは逸れている、等々の特徴づけが可能とされよう。なにか特定個人に道徳的価値判断をくだそうというのではなく、ヴェーバーの理念型につき、その適用/展開可能性の広がりを示唆するまでである。
[5] この節には、一カ所だけフランクリンへの言及がある。「まず、確認するまでもないことであるが、ルターが、本論文でこれまでこの[『資本主義精神kapitalistischer Geist』という]言葉に結びつけてきた意味における――あるいは、その他なんらかの意味における――『資本主義精神』と内面的な親和関係にある、などということはできない。宗教改革のあの『事績』をつねづねもっとも熱心に賞賛する教会関係者からしてすでに、今日でも全体としてみれば、いかなる意味においても資本主義に好意を寄せる味方などではない。いわんやルター自身にいたっては、フランクリンに見られるような志操とのいかなる親和関係も激しく拒否したであろうことは、まったく疑問の余地がない」(GAzRS, I, 72, 大塚訳、115-6、梶山訳/安藤編、151)。
[6] この本論第一節「世俗内禁欲の宗教的基盤」にも、フランクリンへの言及が一カ所ある。しかし、そのコンテクストでは、前注に引用した箇所における「ルターとの親和関係の否認」とは対照的に、「倫理的な生き方を組織化Systematisierung der ethischen Lebensführung」する方法(「信仰日誌」)について、中世カトリック修道院生活の合理的形態から、一方ではイエズス会派における「懺悔聴聞資料」としての活用、他方ではカルヴィニズムの禁欲における「自分の脈拍を見る」手段としての展開をへて、後者からフランクリンの(「十三徳」樹立のための)「自己審査手帳」にいたる系譜(「親和関係」)が確認されている(Cf. GAzRS, I, 123, 大塚訳、213-4、梶山訳/安藤編、229-30)。
[7]ヴェーバーのこうした見解にたいして、その「歴史的妥当性」を問うことは、もちろん可能であり、有意義でもあろう。ただしそれは、当面の「知的誠実性」問題とは別である。
[8] 本コーナー掲載の拙稿「ヴェーバーのフランクリン論――理念型思考のダイナミズム」に示した筆者の解釈では、「歴史的個性体」(「個性的な布置連関をなすワンセットの要素的理念型複合」)としての「資本主義の精神」概念の、第一要素的理念型の定式化、ということになる。
[9]「倫理」論文は冒頭、「さまざまな宗派が混在している地方の職業統計Berufsstatistikに目を通してみると」(GAzRS, 17, 大塚訳、16、梶山訳/安藤編、69)、近代的商工業の資本所有、企業経営、上層熟練労働にたずさわる社会層が、顕著にプロテスタント的色彩を帯びており、この現象は「資本主義の発展が、……社会層別と職業分化beruflich zu gliedernをもたらした」地域ではどこにも見いだされる」(GAzRS, I, 19, 大塚訳、16、梶山訳/安藤編、69)166ぺージ)と書き出されている。第2段落でも、カトリック教徒の手工業徒弟は、そのまま親方になろうとする傾向が顕著なのにたいして、プロテスタントの同業者は、いち早く大工場に転出して上層熟練労働や経営幹部の地位を目指すという差異につき、「教育によってえられた精神的特性、しかもこのばあいは、郷里や両親の家庭の宗教的雰囲気によって規定された教育の方向が、職業の選択Berufswahlとその後の職業上の運命berufliche Schicksaleを決定している」(GAzRS, I, 22, 大塚訳、22、梶山訳/安藤編、74)と述べられている。
[10]「禁欲と資本主義精神」節の第4段落には、「バクスター[Richard Baxter,
1615-91]の主著には、不断の厳しい肉体的また精神的労働の教えが、ときとしてほとんど激情的なまでに、全篇にわたって繰り返し説かれている。そこには、ふたつの動機が協働している。労働はまず、古来試験ずみの禁欲の手段である。……宗教上の懐疑や小心な自己責苦だけではなく、あらゆる性的誘惑に打ち勝つためにも、節食、菜食、冷水浴とともに、『汝の職業労働に精励せよ』*との教えが説かれている。[第二に]労働は、それ以上に、なによりも神によって定められた生活一般の自己目的である。『働かざる者食うべからず』というパウロの命題は、いまや無条件に、万人に妥当する」(GAzRS, I, 169-71, 大塚訳、300-4、梶山訳/安藤編、303-6)とあり、*の箇所には、「バクスターは、この言葉を繰り返し用いている。聖書の典拠は通例、フランクリン以来われわれによく知られている『箴言』22: 29か、あるいは『箴言』31: 16[新共同訳では「熟慮して畑を買い、手ずから実らせた儲けでぶどう畑をひらく」]に見える労働の賛美である」と注記されている。羽入は、『箴言』句callingの直接の語源を、ルターでなくバクスターに求めるべきだったろう。
[11] ヴェーバーが、「精神そのものの起源」を、どのように「古プロテスタンティズムの宗教世界へと遡らせ」ているのか、――この点を羽入がどう解釈しているのか、聞きたいものである。「あと一歩の違い」というのであれば、具体的に説明できないわけはあるまい。
[12]「旧稿」「1910〜14年草稿」を「第二・三部」とし、そのまえに、基礎概念が変更されたあとの「新稿」「1920年改訂稿」を「概念的導入部」として配置して「第一部」とする、いわば「逆立ちの構成」。これでは、編纂者が、原著者ヴェーバーと読者との間に立ちはだかり、原著者が変更した後の概念で、変更前の叙述を読め、と指示することになり、読者を混乱か、不正確な「読解」に陥れるばかりである。
[13] Tenbruck, Friedrich H., Abschied
von Wirtschaft und Gesellschaft,
Zeitschrift für die gesamte Staatswissenschaft, Bd.
133, 1977, Tübingen: J. C. B. Mohr, S. 703-36.
[14] Orihara, Hiroshi, Grundlegung
zur Rekonstruktion von Max Webers “Wirtschaft und Gesellschaft”, Kölner Zeitschrift für Soziologie und Sozialpsychologie, 46. Jahrgang,
1994, Tübingen: J. C. B. Mohr, S. 103-21.
[15] Cf. Schluchter, Wolfgang, Max Webers
Beitrag zum “Grundriß der Sozialökonomik”−Editionsprobleme und Editionsstrategien,
KZfSS, 50, 1998, 327-43; Orihara, Hiroshi, Max Webers Beitrag zum “Grundriß der
Sozialökonomik”−Das Vorkriegsmanuskript
als ein integriertes
Ganzes, KZfSS, 1999,
724-34; Schluchter, Wolfgang, “Kopf” oder “Doppelkopf”−Das ist hier die Frage−Replik auf Hiroshi Orihara, a. a. O., S.
735-43; Orihara, Hiroshi, Zur Rekonstruktion der alten Vorkriegsfassung
von Max Webers Beitrag zum “Grundriß der
Sozialökonomik”−Eine Erwiderung
auf Schluchters Replik,
Working Paper No. 1, März 2001, Sugiyama Jogakuen University, The School of Human Sciences,
pp.1-17.(この応答は当初、KZfSSの編集部に送ったが、編集委員のシュルフター氏自身がかかわる論争でKZfSS誌の紙面を継続的に塞ぐわけにはいかない、との一理ある理由で、掲載は断念し、当時在職していた椙山女学園大学人間関係学部の好意で、Working Paper を発刊してもらい、その第一号として発表することができた)。なお、これらの論稿は邦訳され、シュルフター/折原著、鈴木宗徳/山口宏訳『「経済と社会」再構成論の新展開――ヴェーバー研究の非神話化と「全集」版のゆくえ』と題して、2000年、未来社から刊行されている。
[16] Mommsen, Wolfgang, Zur
Entstehung von Max Webers hinterlassenem Werk Wirtschaft und Gesellschaft.
Soziologie, Discussion Paper, No. 42, 1999,
[17] From “a Torso with a Wrong Head” to “Five
Disjointed Pieces of Carcass”?: Problems of the Editorial Policy for Max Weber Gesamtausgabe
I/22(Old Manuscript Known as “Part II” of the Economy and Society), Working Paper, No. 8, Feb. 2002,
Sugiyama Jogakuen University, The School of Human
Sciences, pp. 1-27.
[18] From “a Torso
with a Wrong Head” to “Five Disjointed Body-Parts without a Head”: A Critique
of the Editorial Policy for Max Weber Gesamtausgabe I/22, Max Weber Studies, Vol. 3, Issue 2,
June 2003,