「末人」の跳梁――羽入「ヴェーバー詐欺師説」批判結語(2−4)
折原 浩
2004年10月28日
(承前)「アポリア回避」の捏造
前稿「批判結語2−3」では、羽入書第二章「“Beruf”−概念をめぐる資料操作」第二節「ヴェーバーによるアポリアの回避」につき、羽入の論旨を、かれ自身の叙述に即して追跡し、かれが、「ヴェーバーの主張」を「まとめ」る形を借りながら、ヴェーバー本人とは「似ても似つかぬ」、ただ羽入にも「斬りつけやすい藁人形」をしつらえる「意味変換操作」を、逐一明らかにした。
ヴェーバーは、「倫理」論文第一章「問題提起」第三節「ルターの職業観」第1段落で、「使命としての職業」という聖俗二義を併せ持つ語BerufないしBeruf相当語(callingなど)が、近世以降プロテスタントが優勢となった諸民族の言語にのみ語彙として定着している事実に注目し、その歴史的始源を、まずはルターの聖書翻訳[1]に求め、それ以降、意訳語Berufが、後代の翻訳者たちによって(拒絶されるのでも、無視されて廃れるのでもなく)広く受け入れられ、(プロテスタントの宗派ごとにさまざまなヴァリエーションをともないながらも)現在にいたっている、という事情を明らかにした。そのさい、ヴェーバーは、「なぜ、かくなって、他とはならなかったのか」(ルターにおいて、『シラ』句にはBerufが当てられ、現在にいたる語義が創始されたのに、『箴言』句にはBerufが当てられなかったのは、なぜか)といった経緯の詳細は、論点/素材配分の「価値関係的」また「合目的的」制御にもとづいて、本文ではなく、桁外れに膨大な注3に送り込み、しかし内容としては十二分に論じている[2]。そこでは、当の経緯が、ルターの直面した、先行諸与件の「布置連関」からなる歴史的状況と、この状況に対処する改訳主体ルターの意味志向(思想)およびその変遷という両面から、わたしたちにも容易に(「明証的」に)「理解」できる「意味連関」として「解明」され、再構成されて、じつに鮮やかな歴史・社会科学的「説明」が与えられている。
筆者が思うに、ヴェーバー歴史・社会科学の方法は、「ロッシャーとクニース」「客観性論文」「理解社会学のカテゴリー」といった抽象的方法論文をなんど読んでも[3]理解できないし、いわんや、その手順を会得し、「自家薬籠中のものとして」応用することなど、思いもよらない。むしろ、方法論文から読み取った抽象命題や知見がじっさいにはなにを意味しているのかを、たとえばこういうBeruf語義の歴史的「意味(因果)帰属」といった具体的適用例について、なんども確かめ、みずから歴史的諸与件(聖典の特定箇所の意味解釈など)も調べて熟考し、しかもそうして具体的に捉えられた方法を、試みに繰り返し、自分が直面している状況の問題に適用して――抽象的な方法論と具体的な経験的モノグラフとを統合的に解読するとともに、状況内主体として応用を重ねることで――初めて的確に会得され、「身につく」のではあるまいか。そして、それがひとたび「身について」しまえば、羽入流の「文献学」を振りかざされても、それを「拷問具」として押さえ込まれても、びくともせず、かえって即座に、そうした没意味外形論議の虚妄性を見抜き、容易に論駁することができよう。
16. 「『コリントT』7: 20、Beruf改訳説」への「反証」――藁人形との格闘
さて、羽入は、第二章第二節を「本章で資料に基づく検証が試みられるのは、……ヴェーバーの主張のうち、われわれによって強調を付された部分、すなわち、正にその骨格部分である」(77)[4]と結んで、第三節「資料による検証」に入っている。しかし、前稿でつぶさに立証したとおり、まさに当の「骨格部分」が、羽入の誤読か、思い込みによるすり替えで、「羽入作ヴェーバー藁人形」の「骨格」にすぎない。したがって、かれがいかに「資料による検証」に骨折っても、本物のヴェーバーには届かず、自作の「藁人形」を相手に奮闘し、かえって彼我の落差を展示するばかりであろう。
第三節の「⑴『コリントT』7: 20における“Beruf”?」と題されたセクションで、羽入はまず、『コリントT』7: 17〜31のコンテクストにたいするヴェーバーの参照指示を、恣意的に7: 20に限定し、複数聖典にまたがる訳語の空間的な「揺れ」(ヴェーバーの論旨)を、『コリントT』7: 20におけるRufからBerufへの時間的な「揺れ」(羽入の主張)にすり替え、そのようにして「『コリントT』7: 20、Beruf改訳説」を虚構する。そのうえで、ルター自身に「時間的な揺れ」は認められず、Rufで通している事実を、「ヴェーバーの主張」への「反証」のつもりで、うやうやしく写真入りで証明する(77-81)。しかしこれでは、「ヴェーバー藁人形」は斬れても、ヴェーバーの主張そのものには届かず、むしろ側面的な補完をなすにすぎない。かりにヴェーバーが当の事実に言及したとすれば、「ついでながら、ルター自身は、この『コリントT』7: 20のklēsisは、RufからBerufに改訳していない。しかし、『普及諸版』からと断ってほぼ逐語的に引用した7: 17〜31では、『割礼/包皮』『奴隷/主人』『既婚/未婚』といった『種族的』『社会的』また『配偶関係上』の具体的な『諸身分』を、『神の召しを受けたときから現在にいたる状態』、『終末まで、いましばらくとどまるべき身分』として引き受けるようにと説かれ、この趣旨が7: 20と7: 24に一般命題として要約されている。したがって、ルターの宗教改革思想によって『命令』と『勧告』との区別が廃絶され、聖職と世俗的身分が等価とみなされたうえに、『摂理観の個別精緻化』が強まれば、当の『身分』が『職業』にまで細分化されることは『明証的』に『理解可能』であり、その意味で『コリントT』7: 17〜31の翻訳が、Beruf用法の第一種と第二種とを『架橋』しうることは明らかである」と簡潔に注記して済ませたところであろう。
17. 第二次虚構「『コリントT』7: 20、Beruf非改訳、隠蔽説」の捏造――「パリサイ的原典主義」の陥穽
ところが、羽入は、「補完」では気が済まない。なんとかヴェーバーを倒そうという焦りが、制御されず(「価値不自由」)に、自分がじっさいになしえている論証を飛び越えて突出/顕示され、この「勇み足」がみずからの墓穴を掘っている。そもそも「『コリントT』7: 20、Beruf改訳説」そのものが、ヴェーバー自身の主張ではなく、羽入による混同の産物にほかならない。前稿でも指摘し、先にも触れたとおり、羽入は、ヴェーバーが「現在の普及諸版では」と明示的に断り、ルター自身の訳とははっきり区別して『コリントT』7: 17〜31を引用している箇所から、7: 20だけを抜き出し、「ルター訳聖書では『コリントT』7: 20は……Beruf……と訳されている」と、ヴェーバー自身が「主張」している、と早合点してしまう(第三節冒頭)。ヴェーバー自身は「ルター訳聖書」とその「現在の普及版」とをはっきり区別し、後述のとおり理由あってわざわざ後者を用い、したがって当然、「ルター訳聖書では『コリントT』7: 20は……Beruf……と訳されている」と思ってはいないし、「主張」してもいないのに、羽入のほうが、両者を混同し、ヴェーバーが、「『コリントT』7: 20、Beruf改訳説」を定立するのに、本来は「ルター自身が訳した原典」を用いるべきところを、それができなくて、普及版で「代替」している、と決めてかかっている。
羽入がなぜ、そうした倒錯/速断に陥るのか、といえば、かれには「パリサイ的原典主義」ないし「原典フェティシズム(呪物崇拝的原典主義)」とも呼ぶべき習癖が顕著で、そのため規範と現実との区別がつかないからであろう。羽入は、ヴェーバーが「『コリントT』7: 20、Beruf改訳説」を定立していると(自分の混同にもとづいて)思い込んだうえに、「パリサイ的原典主義」の規範を杓子定規に適用し、当該説の定立には「オリジナルなルター聖書」を用いるべきであって、そうせずに普及版を引用しているのは、そうできずに、普及版で代替せざるをえないからにちがいない、と決め込んでしまう。普及版からの引用にはなにか別の意味がありはしないか、と思慮をめぐらす余裕がない。つまり、規範と現実とを区別し、規範の拘束力はいったん相対化して、むしろ規範の意味内容を、現実を索出する「理念型」として利用する[5]、ということができず、「現実は規範どおりでなければならない」との観念論的先入観を現実に押しおよぼして、規範と現実との混淆に陥り、この混淆を押し進めてやまないのである。自分の規範的所見からただちに、ヴェーバーもまた、本来は「オリジナルなルター聖書」に依拠すべきである、と自覚していたはずで、そうしなかったのは、(相応の理由があるからではなく)そうできなかったからで、やむなく「普及版」で代替せざるをえなかったのだ、と決めてかかり、さらに、そうとすれば、ヴェーバーもまた、「普及版」使用を、「『コリントT』7: 20、Beruf改訳説」の定立に必要で十分な「証拠の欠落」、「本来の論証からの逸脱」と「自覚」していたにちがいなく、その「不都合」を、「知的誠実性」の建前をかなぐり捨てても、なんらかの「資料操作」ないし「トリック」を用いて「隠蔽」しようとしたにちがいない、という方向に、ヴェーバーを「詐欺師」に仕立てる推論街道をひた走る。すなわち、「『コリントT』7: 20、Beruf改訳説」という第一次虚構から、これを論証ぬきに前提に据えるpetitio principii論法で、さらに「『コリントT』7: 20、Beruf非改訳、隠蔽説」という第二次虚構を捏造し、ヴェーバーに「濡れ衣を着せ」、これを「楯にとって」糾弾しようというのである。この筋書きに凝り固まった羽入は、彼我混濁から、そうした自分の推論がはたしてヴェーバー側の確たる証拠によって裏付けられるかどうか、と問うて、慎重に検証するいとまもなく、むしろヴェーバーによる(「普及諸版」使用の)明示も「暗示」にすり替え、なにかいかがわしい「資料操作」「トリック」の「証拠」に「意味変換」しようとする。
こうした捏造と糾弾の手順は、ある意味では巧妙で、意図してなされたとすれば、それこそ正真正銘のトリックと認定されるにふさわしい体のものである。羽入は、第三節「⑴『コリントT』7: 20における“Beruf”?」の末尾で、ルターが1523年の『コリントT』7章の釈義ではRufを用いていたという(ヴェーバーも確認/明記している)事実と、『エフェソ』四章にかんする(タウラーとルターとの関係を論ずるヴェーバーの)叙述から抜いてきた「初期における用語法の揺れ」という文言とを、短絡的に[6]結びつけて、またまた「以上見てきたことをまとめれば以下のようになる」(84)と、「まとめ」の形を借りて、自分の短絡的5臆断をヴェーバーになすりつける。いわく、「⑷……ヴェーバーは、ルターは『コリントT』7: 20の当該部分の訳語として初期の段階では“Ruf”を、しかしながらその後の段階では“Beruf”を採用するに至った、と判断した」(84)、「⑸……時間の推移と共にこの[RufとBerufとの間の]揺れも最終的には“Beruf”へと収斂していったのである、と論じた」、「⑹……この……事実こそが、逆にルター自身に影響を与え、ルターをして、元来は宗教的含意など全く含んでおらず、ただ世俗的意味をしか持っていなかった『ベン・シラの知恵』11: 21の“ponos” をも、『コリントT』7: 20と同様に“Beruf”と訳させるに至らしめたのである、と主張した」(84-5)と。このとおり畳みかけては、羽入が混同と「パリサイ的原典主義」によって虚構した「『コリントT』7: 20、Beruf改訳説」という、ありもしない「判断」「論定」「主張」に「ヴェーバー」を送り込んだうえ、「⑺ただしヴェーバーは、ルターの用語を研究するに当たって自らが用いていたルター聖書が『現代の普通の版におけるルター聖書』であることは自覚していた」(85)とする[7]。ただ、この「論点⑺を、どのように判断すべきかについてはここではまだ扱わぬ」(85)と留保し、後段における論難の伏線を張って、第三節「⑵翻訳の時間的前後関係に関するヴェーバーの論点」に移っている。
ところが、第二章を結ぶ第四節「『現代の普通の版』のルター聖書」では、つぎのとおり、羽入の「判断」を開陳して、「普及版」使用の明示を「暗示」にすり替える。「ここでわれわれにとって二重に残念なことは、ヴェーバー自身がそのことを、すなわち、自らが用いているルター聖書が“本物のルター聖書”ではなかったことを、承知していた節がある[!?]ことである。『倫理』論文における『(現代の普通の版における)ルター聖書では……』という表現、この言い回しは、ルターの用語法を研究するに当たって、オリジナルなルター聖書ではなく、ルターの死後すでに何度となく校訂され、1904年の当時『普通に』出回っていた『現代の普及版』のルター聖書を自分が用いていたことを、彼が知っていたことを暗示している[!?]」(104)と。
ヴェーバー自身は、「普及諸版」使用を「暗示」でなく明示して、『コリントT』7: 17〜31をほぼ逐語的に引用しているのであるから、そう「承知していた」のは当然で、「節がある」もなにもあったものではない。むしろ、羽入が、ヴェーバーの「普及諸版」明記とその意図を解せず、自分の生硬な「パリサイ的原典主義」のコンテクストに移し入れて、@「本来はオリジナルなルター聖書を用いるべきところを、そうすることができず、さりとて『オリジナルなルター聖書』であると称して読者を欺くわけにもいかず、苦し紛れに『普及版』とだけは記して、原典を参照しない怠慢を糊塗した」(「杜撰」説)、あるいはA「『オリジナルなルター聖書』を参照すると、ルター自身は『コリントT』7: 20を終生Rufで通し、Berufに改訳していない事実が明るみに出て、『「コリントT」7: 20、Beruf改訳説』(羽入にとっては『ヴェーバーの自説』)が破綻をきたすので、『普及版』で『代替』し、『自説』の『破綻』を隠蔽した」(「詐術ないしトリック」説)、ないしは(両者の中間を採って)B「『オリジナルなルター聖書』を参照すると、『自説』が『破綻』しそうだ、との予想から、わざと原典調査を怠った」(「狡い杜撰」説)という、なにかいかがわしい「資料操作」説に持ち込もうとする。その思い込みに凝り固まるあまり、羽入には、ヴェーバーの公明正大な明示も、なにか陰謀めいた「暗示」と映るほかないのであろう。
18. 実存的歴史・社会科学をスコラ的「言葉遣い研究」に意味変換
むしろ、こうした「意味変換」は、ヴェーバーがなぜ、よりによって(読者も参照しやすい)「普及諸版」を用い、もとよりそう明示し、『コリントT』から(7: 20のみでなく)7: 17〜31をわざわざ逐語的に引用しているのか、――その意図が、「呪物崇拝的原典主義」に囚われた羽入には、皆目分からず、思ってもみない、という実情を、かえって鮮明に露呈しているのではないか。ヴェーバーは、(拙著『ヴェーバー学のすすめ』第一章で詳論したとおり)実存的関心事としての「職業義務観」について、同時代の読者と「トポス」を共有し、そこを起点として歴史的始源に遡り、その「意味」を「生まれつつある状態でstatu nascendi」捉えたうえ、翻って現在の状況に戻り、読者とともに明晰な意味−態度決定にそなえようとする。そうした、かれ一流の実存的歴史・社会科学の一環として、ここでも、そうした「トポス」として、語Berufの現在の意味から叙述を起こし、読者も容易に手にしうるルター聖書普及諸版『コリントT』7: 17〜31のコンテクストに見られるBerufが、(ルター自身は訳語にRufを当てていたとしても、後継の訳者たちがBerufに改訳しても奇異ではないほどに)ルター的用語法の第一種と第二種とを「架橋」できる――そこに、ルターにおける「世俗的職業と聖職との同等視」「摂理観の個別精緻化」という主体的契機が加われば、容易に「神与の職業」という現在の語義に転じうる――「神与の身分」という意味がそなわっている、という(ルターの『シラ』改訳における語義創始にたいしては)与件としての事実を、読者とともに確認しているのである。むしろ羽入のほうが、ルターにおける語義創始を、現在の実存的関心事からも、ルター自身の実存的意味志向(思想とその変遷)からも、切り離して、ただたんに『コリントT』7: 20(のみ)の訳語が外形上どう変わったか、接頭辞Be-がついたかどうか、といった(羽入自身には等身大の)没意味偶発事論のスコラ談義に移し替えている。そのうえ、ここでまたしても、「『現代の普通の版』でルターの訳語の変遷をたどることは、与謝野源氏や谷崎源氏をテクストとして用いて紫式部の言葉遣いを研究することに等しい」などと、見当違いの比喩を持ち出し、(ルターに始まるさまざまな職業義務観と「近代資本主義の精神」との「適合的」「意味連関」を探索する)ヴェーバーの実存的歴史・社会科学を、「ルターの言葉遣いの研究」にすり替えている。
19. 前段の「資料操作」が、「結論」では論証済みの「トリック」に変る
ただし、この第二章第四節では、この論点にかんして、「あのヴェーバーに対して、あのヴェーバー本人に対して、直接に問い質してみたいことはいくらも出てくるが、答えはもはや返ってはこない。……ヴェーバーの資料操作[!?]の足跡を資料に基づいて確実にたどることは、それゆえ現在のわれわれには残念ながらこれ以上はできない」(105)と述べ、追及を打ち切っている。ただ、あたかも「直接に問い質してみ」れば、ヴェーバーが「オリジナルなルター聖書」を「普及版」で代替し、(『コリントT』7: 20のBeruf改訳という)証明されないことの証明を装った「詐術」「トリック」を、自分の「尋問」で暴いて見せられるのに、と悔しさをにじませ、「知的誠実」を装って余韻を響かせる風情ではある。そうしておいて、羽入書末尾の終章「『倫理』論文からの逃走」で同じ論点を再度取り上げるや、こんどはいきなり、こう裁断する。
「ヴェーバーによる『コリントT』7: 20にかんする論証が一つのトリックであったこと[!?]に、一人の人物がすでに気づいていた可能性がある。それはヴェーバーと同時代の人物であった。そしてその人物は、それにもかかわらず、そのことに関して死に至るまで沈黙を守り続けた、と思われる。その人物とは、他でもないトレルチである」(269-70)と。
トレルチさえ「ひた隠しにした」「トリック」を、われこそ「世界で初めて」暴いて見せた、と胸を叩きたい、羽入のはやる気持ちは、よく分かる。しかし、羽入はいったいどこで、当の「トリック」を、まさにトリックとして立証したのか。『コリントT』7: 20の訳語問題を、羽入流に支離滅裂ながら、それなりに主題化して直接取り上げていた第二章でも、羽入はなんとか「詐術」「トリック」の立証にまで持ち込もうと奮闘してはいるが、当然のことながら「決め手」を欠き、けっきょくは無理と悟ってか、「尋問すれば立証できるのに」と、悔しさをにじませ、余韻を響かせるだけで、打ち切っていたではないか。それを、「終章」にきていきなり、さながら立証済みの「結論」であるかのように持ち出すとは、それこそ、叙述の隔たりによって読者の正確な記憶が薄れるという事情につけ込む、いうなれば「正真正銘のトリック」ではないのか[8]。
20. 精妙な「意味(因果)帰属」も「奇妙」と映る「意味音痴」
第三節「⑵翻訳の時間的前後関係に関するヴェーバーの論点」では、この表題通りの疑似問題(羽入の「配置構成図」に移し入れられ、「意味変換」された「ヴェーバーの論点」)について、ヴェーバー自身は関知しない虚妄の議論が繰り広げられ、退屈で冗漫な「語形調べ」に紙幅が費やされている。
ヴェーバーは、ルター自身による『コリントT』7: 20の訳語が、1522/23年にBerufでなくRufであった事実を、二度にわたり――ひとつには『エフェソ』におけるタウラーとルターとの関係にかんする議論で、『エアランゲン版著作集』51巻51ぺージを参照して確認するように指示し(GAzRS, I, 66, 大塚訳、103、梶山訳/安藤編、141)、いまひとつには、「20節については、ルターは1523年になお、この章[7章]の釈義で、古いドイツ訳にならい、klēsis をRufと翻訳し(『エアランゲン版著作集』51巻51ぺージを参照)、当時はStandの意味に解していた」((GAzRS, I, 67, 大塚訳、105、梶山訳/安藤編、142-3)と明言して――見紛う余地なく提示していた。ところが、羽入は、ヴェーバーの当の所見を、たびたび、あるときにはみずから他ならぬ『エアランゲン版著作集』51巻51ぺージの写真を掲げて引用し、確認していた(73, 78-9)にもかかわらず、ここでは、ヴェーバーが「ルターは1522年に『コリントT』7: 20をBerufと訳した」と主張したかのように語り出し、この虚構のうえに論難を繰り広げる。しかも、そのつど「(実際には“ruff”であったが)」と括弧にくくって書き添え、あたかもヴェーバーの「錯誤」を羽入が発見し、是正しているかのように装っている。羽入は、「ヴェーバーの主張」(86)を、「1522年に『コリントT』7: 20にBeruf、1524年に『箴言』22: 29にはGeschäft、1530年の『アウグスブルク信仰告白』では『プロテスタンティズムの教理』が確定し、“einem jeglichen nach seinem Beruf”という表現、1533年には『シラ』でBeruf」というふうに、年表風にまとめたうえ、つぎのようにいう。
「時間的順序に基づいたルターの翻訳相互の影響関係に関するヴェーバーの右[表示]の立論は、純粋に年代的な順序の見地から見た場合には、やや奇妙に響く[!?]面を持っている。というのはそれは、『コリントT』7: 20においてルターが行った“klēsis”に対する“Beruf”という訳語の選択は(すでに見たように、実際には“ruff”であったが)、すぐ二年後の『箴言』のルターの翻訳には全く影響を与えず、他方、11年後の『ベン・シラの知恵』のルターの翻訳には影響を与えたということを主張しているからである」(87)と。
ルターの気紛れから打ち出された『コリントT』7: 20の「Beruf玉」が、近くにある『箴言』の「ergon玉」には当たらなかったのに、遠くにある『シラ』の「ergon玉」ばかりか「ponos玉」にまで当たったのは「奇妙」というのであろう。さらにいわく。
「またさらに奇妙なことには[!?]、『コリントT』7: 20における“Beruf”という訳語は――ヴェーバーにしたがえば、ヘブライ語のmelā’ khā(仕事・務め)こそは正に、hōq(定められたもの。……)と共に古代語における独語“Beruf”の唯一の相当語であったはずである(……)にもかかわらず――『箴言』22: 29におけるmelā’khāの翻訳の際には全く影響を与えず、ところが他方『ベン・シラの知恵』11: 20, 21 における“ergon”と“ponos”の翻訳に際しては、この二つのギリシャ語がドイツ語の“Beruf”に似た色彩を全く持ってはいなかったにもかかわらず、『コリントT』7: 20における“Beruf”という訳語が(実際は“ruff”であったが)この二つの語の訳語の選択に影響を与えた、と主張しているからである」(87)と。
はて、なぜ「奇妙」なのか。原語ergon = melā’ khā の原意からすればBerufを当てやすい『箴言』22: 29にはBerufを当てず、逆に当てにくい『シラ』11: 20, 21にはBerufを当てた、一見逆説的な事実を、「奇妙」と受け取る感性の持ち主は、「原語/原意を規準として似たものどうしが影響しやすい」との、いうなれば「没意味文献学的法則」を暗に前提とし、じっさいに起きたことが、その法則に反するがゆえに「奇妙」と感得しているのであろう。しかし、ルターにおいて、かりにその「法則」どおりにことが起きたとすれば(羽入には「奇妙」でなく「順当」と映るかもしれないが)、そのルターはそれだけ、原語/原意に忠実な祖述者でこそあれ、宗教改革者、その思想を聖典の翻訳にも貫徹する意訳者ではない、ということになる。そのばあいには、プロテスタントの優勢な諸民族の言語に固有のBeruf語義が、聖書の原文ではなく、翻訳者の精神に由来するという本文の命題と、当の由来にかんする注3の詳論とが、互いに矛盾をきたし、注の論証が本文の命題を裏切っていることになろう。ところが、注3を成心なく読めば、ルターが、まさに「没意味文献学的法則」に逆らい、Berufを当てやすい『箴言』句にはBerufを当てず、Berufを当てにくい『シラ』句にはあえてBerufを当てた、という当の事実が、妥当な論拠を添えて立証され、まさに順当な経過として力説されていることが分かる。そのように『箴言』22: 29訳を主題としてではなく、もっぱら至近の対照例として、そのかぎりで引き合いに出すことによって初めて、主題としての『シラ』11: 20, 21 訳におけるBerufの語義創始が、原文ではなく、翻訳者ルターの精神――しかも、『箴言』句に潜む「わざ誇り」「行為主義」は原則的に斥け、むしろ生業における堅忍を「神信頼の知恵」として称揚する『シラ』句のほうは愛好する「伝統主義」の精神――に、的確に「意味(因果)帰属」されているのである[9]。むしろ、この明晰にして精妙な論証を、哀しいかな「奇妙」としか受け止められず、そう言明して憚らない羽入のほうが、本文との関連で注を読まず(「木を見て森を見ず」)、『箴言』句と『シラ』句との、主体ルターにとっての意味内容上の差異を顧慮せず(「意味音痴」)、このコンテクコトで『箴言』句を(至近の対照例として、そのかぎりで)引き合いに出す、方法上の意味にも思いいたらない(「方法音痴」)、みずからの非力と浅学を、さればこそ「怖じず臆せず」誇示して恥じないのであろう。まさにそれゆえ、「時間的前後関係」という疑似問題に滑り落ち、「(語形合わせ)アポリア回避」の自分の筋書きに「ヴェーバーの論点」「ヴェーバーの主張」をつぎつぎに移し入れては、無理な「意味変換」に憂き身をやつし、「みずから墓穴を掘る」ことにならざるをえないのであろう。
[1] ルターが1533年、(世俗的な仕事ないし苦役を意味していた)旧約外典『シラ』11: 20, 21のergonとponosに、(世俗的職業を聖職に優るとも劣らない「神与の使命」と見る)宗教改革の思想・職業観から、(それまでは「神の召し」そのもの、あるいはせいぜい「聖職への招聘」にかぎって用いてきた)語Berufを当て、そのようにして聖典原文の忠実な訳としてではなく、「翻訳者の精神において」Beruf語義を創始した事績。これを羽入は、「思い違い」や「ことの弾み」による「没意味的偶発事」と取り違えて、なんとこの誤解をヴェーバーに帰するが、ヴェーバー自身は、上記のとおり内的・思想的必然性を自覚した訳語選択として、明晰に「説明」している。
[2] 当該注を、全六段の各々について論点を見定め、全体として概観した論考として、本コーナー掲載の拙稿「マックス・ヴェーバーのBeruf論」を参照されたい。
[3] もとより、それらを三読四読して呻吟すること自体は、必要・不可欠なことではある。
[4] 引用につき、ノンブルのみを記すばあいは、羽入書のぺージ。羽入の強調は、圏点で示されているが、ここではHPソフトの関係で太字で記す。
[5] ちなみに、ヴェーバーの「理解社会学のカテゴリー」群は、法とくに団体法の諸規範を、「類的理念型gattungsmässige Idealtypen」に組み換えて、現実の集団−ゲマインシャフト形成にかんする動態分析に活かそうとする構想にほかならない。
[6] 「短絡的」という意味は、こうである。すなわち、『コリントT』7: 20の訳語の件につき、ヴェーバーの叙述から引き出される証拠は、ルター自身が1523年の釈義ではRufを用いた、他方、ルター以降の普及諸版ではBerufとなっている、という二事実に尽きる。したがって、一歩譲って『コリントT』7: 20の「時間的な揺れ」説(羽入説)を採るとしても、訳語の帰趨には、@ルター自身が1533年までにBerufと改訳、Aその後没年にかけて改訳、Bルター自身はRuf で通し、没後他の翻訳者がBeruf に改訳、という三つのケースがありうることになる。羽入は、ヴェーバーがこのうち@のケースを主張していると決めてかかるが、なぜABでなく@に特定できるのか、その証拠を挙げていない。つまり、決疑論的・系統的な論証抜きに、ありうべき三ケースのうちのひとつに短絡している。
[7] 「自覚していた」のなら、@普及版ではルター自身の「『コリントT』7: 20、Beruf改訳説」は定立できないから、ヴェーバーも当然そう考えて、普及版で「代替」しようとはしなかったろう、他方、Aかりにヴェーバーが詐欺師で、ほんとうに読者を欺こうとしたのなら、「普及版」と明示するはずもなかったろう。それにもかかわらず、じっさいにはB「普及諸版では」と明示して引用しているからには、その引用には、なにか別の意図があったのではないか、と考えてみるのが当然であろう。ところが、羽入は、そうした決疑論的・系統的な動機解明を企てることなしに、やはり短絡的に「代替」と決めてかかり、むしろその「代替」の背後に、なにかいかがわしい「資料操作」ないし「トリック」を嗅ぎ出そうとつとめ、(嗅ぎ出せないと)捏造も厭わないのである。
[8] 羽入書以前に「マックス・ヴェーバーの『呪術』からの解放」と題して雑誌『思想』(1998年3月号、72-111ぺージ)に発表された論稿では、この(羽入書)「終章」269ぺージ以下の部分が、(論稿)「四 結論――『倫理』論文からの逃走」104ぺージ以下に配置され、直接つづいている。そのため、読者は、論稿を読んできて、末尾でいきなりこの「トリック」表記に出会い、唐突と受け止めざるをえない。ところが、『犯罪』と表題をエスカレートさせた羽入書では、この第二章と「終章」との間に第三/四章が配置され、「トリック」の暗示(第二章)と明記(終章)とが隔てられているので、唐突感は確かに薄れるほかはない。
なお、羽入書第二章でも、注には、@「結果として彼[L.ブレンターノ]は、“『コリントT』7: 20におけるルターによる訳語‘Beruf’”というヴェーバーの主張が詐術に他ならなかったことに気づくには至らなかった」(126)、A「[H. M. ロバートソンが]ヴェーバーによって論拠として用いられた『コリントT』7: 20が、ルターによっては“Beruf”と訳されてはいなかったという、この余りにも基本的な部分でおこなわれていたヴェーバー側のトリックに気づくに至らなかったことは、非常に残念である」(128)、B「……ホルもまた、“『コリントT』7: 20におけるルターによる“Beruf”という訳”というヴェーバーの主張が正に“虚偽”であったことには気づくには至らなかった」(137)など、論証ぬきの決めつけが散見される。著名な誰某が自分の藁人形には到達できなかったと称して、自分が「最高段階に上り詰めた」かのように思い込み、豪語する「末人」流自画自賛・自己陶酔の証左というほかはない。こういうコンテクストで、この種の不用意な決めつけが頻繁に飛び出すのも、羽入叙述に特徴的な「自己表現」であろう。
[9] 拙著『ヴェーバー学のすすめ』、71-3, 本コーナー掲載の拙稿「マックス・ヴェーバーのBeruf論」、参照。