HOME

 

「末人」の跳梁――羽入「ヴェーバー詐欺師説」批判結語(2−3)

折原 浩

20041012

 

 

(承前)「アポリア回避」の捏造

 前々稿「批判結語(2−1)」、前稿「同(2−2)」で論証したとおり、羽入書第二章第一節「“Beruf”をめぐるアポリア」では、「倫理」論文第一章「問題提起」第二節「資本主義の『精神』」第7段落に付された(『箴言』22: 29の訳語にかんする参照指示の)小注が、「倫理」論文の「全論証にとって要」をなし、そこに「アポリア」が潜み、同第一章第三節「ルターの職業観」第1段落に付された「脚注の腫瘍」(「トポス」としての“Beruf”語義史にかかわる注3)も、当の「アポリアを回避するために」書かれた、との憶説が、petitio principii[結論を前提とする]論法で、「倫理」論文テクストの読み落とし/恣意的限定/意味のすり替えなど、いくえにも過誤を重ねながら、開陳されていた。「倫理」論文の「要」が、なんと、本論にも入らない「問題提起」章の、注と注との狭間にある、というのである。羽入は、これにつづく第二節を、「ヴェーバーによるアポリアの回避」と題し、「脚注の腫瘍」に立ち入って、当の「回避」を「立証」しようとする。

 ところで、当の「アポリア」そのものが、虚構と彼我混濁の産物であってみれば、その「解決」も「回避」も、「回避」の「立証」も、虚空を彷徨う迷妄にすぎず、本来は反論に値しないといえよう。羽入書第二章への批判は、当の「アポリア」を虚構として暴露した前稿で、すでに完結し、それ以上の縷説は要らざる徒労とも思われよう。しかしここでは、念のため、虚構の「まぐれ当たり」というなおありうべき期待に止めを刺し、それと同時に、むしろ羽入が、「アポリア」を虚構のうえ、その「回避」を「立証」する「ためにする議論」で、さらに虚構を重ねいかに無理なテクスト解釈と事柄の歪曲に踏み込まざるをえないか、虚構の「果報」連鎖を最後まで見届け、羽入書をそれだけ「反面教材」として活用するとしよう。


 

10. 『シラ』句へのBeruf適用は、奇妙な思い違いか?――「まとめ」の形を借りたバイアスと意味変換

 羽入は、前稿でも触れたとおり、第二節を「前述のアポリアを回避するためのヴェーバーの議論が始まるのは、“Beruf”−概念に関する注の第二段落目からである」(71)と書き出し、ここでもいきなり第2段落に短絡する。問題の「脚注の腫瘍」(第1段落注3)を構成する全六段につき、段の論点と論旨の展開を、本文との関連において、まずは全体として概観[1]、そこで原著者ヴェーバーがなにを論証しようとしているのか、対象に即して具体的に見きわめようとはしない。つまり、学問として不可欠の手続きを採っていない。それはちょうど、「倫理」論文の全篇を読み解いて、その「全論証構造」を具体的に再構成することなく、主題がなんであるかを確かめることもせず、(「資本主義の精神」に「含み込まれる」)「職業義務」思想の歴史的起源を求めて、ルターひとりの(「職業思想」でなく)“Beruf論に(「意味(因果)属」でなく、「語形合わせ」の意味で)「遡る」ことが、「全論証にとって要をなす」と決めてかかり、(『箴言』句引用注のような)微小部分に短絡したのと、まったく同様である。ここでも、「木を見て森を見ない」のでは「木も見えない」という教訓が引き出されよう。

 さて、その注3第2段落から、羽入はまず、ルターにおける語“Beruf”の用法をヴェーバーが二種に類別している箇所を抜き出し、「ヴェーバーの主張」をつぎのように「まとめて」いる。

引用「ここでのヴェーバーの主張をまとめてしまえば次のようになろう。ルターは、本来は純粋に宗教的な概念』だけに用いられるはずであった“Beruf”という訳語を『ベン・シラの知恵』11: 20, 21における二つのギリシャ語ergon (……)とponos(……)とを訳す際にも、この二つのギリシャ語は純粋に世俗的な意味しか持っていなかったにもかかわらず、用いてしまった!?]。言い換えるならばルターは、元来は『世俗的職業』という意味しか含んでいなかった二つのギリシャ語ergonponosに対して、奇妙なことにも!?]、純粋に宗教的な概念だけに普通は用いられるはずだった訳語“Beruf”をすっぽりとかぶせてしまった!?]のである。『世俗的職業』の意味しか持たぬ語に純粋に宗教的概念にのみ用いられてきた訳語をかぶせてしまった!?]こと、こうしたルターのこの言わば意訳から、宗教的な観念ばかりか『世俗的職業』という意味をも含み入れた、あのプロテスタンティズムに特有の“Beruf”という表現が生まれたのであり、そして正にこれこそがルターの創造であったのである、と。」[2](72

 羽入は、この文章を、「ヴェーバーの主張」の「まとめ」と称し、そのつもりで書いている。しかし、ここですでに、羽入のバイアスがかけられ、ヴェーバーの叙述を構成している語群(「遺物」)が、羽入のコンテクスト(「配置構成図」)に移し入れられ、「意味変換」をとげている。すなわち、羽入はなるほど、ルターの「言わば意訳」とも表記しているが、それがどういう意味の「意訳」なのか、宗教改革者ルターのいかなる思想にもとづく、いかなる内的必然性に支えられた「意訳」なのか、とは問おうとしない。むしろルターが、なにか「奇妙な」「思い違い」あるいは「ことの弾み」で、語“Beruf”の「本来」の用法から「逸脱」し、語“Beruf”を『シラ』11: 20, 21ergonponosにも当ててしまった(とヴェーバーが解している)かのように、語っている。ヴェーバー自身は、この「意訳」を、宗教改革思想にもとづく主体的な――内的必然性をそなえた――訳語選択と考え、だからこそ、本文では「翻訳者の精神に由来する」と表記し、第2段落以下で、当の宗教改革思想を、とくに職業観に焦点を合わせて、詳細に論じているのである。むしろ、当の第2段落以下を視野から逸している羽入が、『シラ』における「意訳」を、思想との結合関係から切り離して、「思い違い」ないし「ことの弾み」と解し、そのようないわば没意味的偶発事として貶価しようとしているのではないか。


 

11. 没意味的偶然としてのBeruf語義創造?――『シラ』句貶価への助走

 つぎに羽入は、こんどはいきなり注3第3段落の末尾に飛び、二種用法の架橋問題、すなわち「一見まったく相異なる二種の用語法を『橋渡し』しているのは、『コリントT』中の章句とその翻訳die Stelle im ersten Korintherbrief und ihre Uebersetzung であるGAzRS, I, 67, 大塚訳、104、梶山訳/安藤編、74)という論点を取り上げる。しかしここで、ヴェーバー自身は、この引用のとおり「『コリントT』中の章句とその翻訳」と明記したうえ、つぎの第4段落冒頭で「現在普及している諸版ではin den üblichen modernen Ausgaben」と明示的に断りわざわざ7: 1731のコンテクストをほとんど逐語的に引用している。ところが、羽入は、ここでもやはり、ヴェーバー自身によるコンテクストへの着目/参照指示の意味を、当のコンテクストの意味内容に立ち入って考えようとはせず、「ヴェーバーによってここで言及されている箇所とは7: 20節のことであ」ると速断する。そして、ヴェーバーが「ルター自身は、(「現在普及している諸版」では確かにBerufと訳されている)7: 20の原語klēsis1523年の釈義ではBeruf でなくRufと訳し、『身分Stand』と解していた」と主張している事実を、みずから認めながら、つぎのようにいう。

引用「さて、ヴェーバーがBeruf”−概念の成立史に関する自らの立論にとって決定的な主張を持ち出すのは正にこの次である。

 ルターが『コリントT』7: 20の“身分”という意味を含んだ、したがって、純粋に宗教的な元来の概念からはすでにいささか逸脱していたこの“klēsis”をも、純粋に宗教的な観念しか含んでいなかったパウロ的な“klēsis”と全く同様にBeruf”と訳してしまった!?]というこの事態は、今度は訳した当人であるはずのルター自身に逆に影響を与えてしまい、さきほどの『コリントT』7: 20における『各人は各人の現在の身分sicStandeに留まるべきである』という『終末論的に動機付けられた勧告』と、他方では『各人はその仕事に留まれ、という伝統主義的かつ反貨殖主義的に動機付けられた「ベン・シラの知恵」における勧告』とで、ただ!?]双方の『勧告が事柄として似ているということだけ!?]から』(……)、元来は『労苦Mühsal』(……)をしか意味しなかったはずの後者の『ベン・シラの知恵』11: 21における純粋に世俗的な“ponos”という表現までも、『同様に“Beruf”と訳す』(……)に至らせた、と。より端的に言うならば、ルターは『コリントT』7: 20で自分が行った訳に引きずられて!?]『ベン・シラの知恵』11: 21の“ponos”をも“Beruf”と訳してしまった!?]のである、と。」(74

 この晦渋な一節は、羽入のバイアスを、それなりにはっきりと示している。すなわち、羽入は、ルターが、やはりなんらかの「思い違い」ないし「ことの弾み」で、まず『コリントT』7: 20klēsisを“Beruf”と「訳してしまい」、これが「今度は訳した当人であるはずのルター自身に逆に影響を与えてしまった、あるいはルターが、「『コリントT』7: 20で自分が行った訳に引きずられて」、たんなる「事柄としての類似」だけから、『ベン・シラの知恵』11: 21の“ponos”までも、“Beruf”と「訳してしまった」(とヴェーバーが主張している)かのように記している。いうなれば、羽入は、翻訳者(のひとりルター)の精神における語義創始を、なにかビリヤード場で、突き手ルターの気まぐれから打ち出された「Beruf玉」が、たまたま『コリントT』7: 20の「klēsis玉」に当たり、跳ね返ってこんどは『シラ』11: 21の「ponos玉」にも当たったかのように、なにかそうした没意味的偶発事とヴェーバーが捉えていたかのように、解しているのである。なるほど、羽入は、終末論的勧告と伝統主義的勧告との「事柄としての類似」に言及はしている。しかし、当の「類似」の具体的意味内容を探り出し、それが『シラ』句へのBeruf適用とどういう意味関係にあるのか、――肝心のところを捉え、立ち入って論じようとはしない。むしろ、『シラ』におけるBerufの語義創造を、ルターにおける没意味的偶然に還元する方向で、先を急ぐかの風情である。

 しかし、立ち止まって考えてもみよう。まず、事柄として、宗教改革者として聖書の翻訳に心血を注いだルターともあろう者が、そういう「思い違い」ないし「ことの弾み」で、ponosBerufを当て、“Beruf”第二種の語義を創始して「しまった」というようなことが、およそありうることであろうか。また、「意味」のカテゴリーを彫琢して歴史・社会科学に持ち込んだヴェーバーが、「翻訳者の精神における語義創始」を、なにかそうした没意味的偶然の所産と解し、注記ながらそうした解釈を公表するほど「杜撰」であった、というようなことが、これまたありえようか。そうした解釈はむしろ、ヴェーバーの方法を理解せず、「意味(因果)帰属」を「語形合わせ」にすり替えている羽入が、ヴェーバーの叙述をそうした没意味文献学の平面に無理やり移し替えようとして、いかんせん捉え損ねている実情を、はしなくも露呈しているだけではないのか。

 いまひとつ、羽入はここで、ルター自身が『コリントT』7: 20klēsisを“Beruf”と訳した、だから1523年釈義のRufから“Beruf”に改訳した、と(ヴェーバーが主張しているかのように)決めてかかっている。しかし、そうした判断の根拠は、いったいどこにあるのか。この点は、羽入による一連の主張を、ヴェーバー側の典拠と突き合わせて検討する後段で、改めて問題にするとしよう。


 

12. 『箴言』句は「全論証の要」、『シラ』句は「思い違い」――軽重関係の転倒?

 さて、羽入は、自分の要約した「ここまでのヴェーバーの論証」を、その「独創性」には留保を設けながらも、なぜか「巧妙で精緻」と認める。上記の「没意味的偶発事」論が、なんで「巧妙で精緻」なのか、筆者にはさっぱり分からないが。しかし、それはともかく、羽入は、「ここまでのヴェーバーの議論に関してはっきり確認しておくべきこと」(74-5)として、つぎのように述べる。いよいよここで、『箴言』句と『シラ』句との「軽重関係」が持ち出され、「アポリア回避」論も佳境に入るかのようである。

引用「ここまでのヴェーバーの叙述によって明らかにされたことは、いかにして『ベン・シラの知恵』11: 20, 21(……)におけるルターによる“Beruf”という翻訳がプロテスタンティズムに特有なあの“Beruf”という語の始原となるに至ったか、ということだけに過ぎぬ!?]、ということである。右の説明によってはいぜんとして一向に明らかにされていぬことは、『箴言』22: 29における“Geschäft”という訳語と『ベン・シラの知恵』11: 20, 21における“Beruf”という訳語との双方を前にして、一方では前者の『箴言』22: 29は『倫理』論文の全論証の構成にとって極めて重要な箇所である!?]にもかかわらず、そして他方では、後者における“Beruf”という訳はそれに比すれば、双方の勧告が『事柄として似ていた』がためのルターの思い違い!?]から生じた言わば、単なる誤訳!?]、不適訳!?]、あるいは少なくとも余りにも自由な意訳とみなすべきようなものであるに過ぎぬ!?]にもかかわらず、なにがゆえに前者をあっさりと無視して後者を格別に重んずる!?]ことがヴェーバーには許されるのか、ということである。」(75

  ここで、これまで引用⒈⒉の文言から否応なく生じてきた「没意味的偶発事」論という印象が、「ルターの思い違いから生じた……誤訳、不適訳、余りにも自由な[恣意的な]意訳」という羽入自身の明示的表記により、客観的に裏付けられた。それと同時に、羽入がヴェーバーの「主張」「論証」「議論」を逐語的に引用せず、むしろ羽入流の「まとめ」をもって代えようとするとき、羽入がなに抜き去り、代わりになに読み込もうとしているか、いい換えれば、「まとめ」に表明された羽入の解釈が、ヴェーバー自身の元来の主張からいかにずれてきているか、またそれはなにゆえであるか、――かれの意味変換操作とその動機が、いっそうはっきりしてきたようである。

 というのは、こうである。羽入のこの「確認」によれば、「脚注の腫瘍」は、“Beruf”の語源を『シラ』句の翻訳に遡行して説明するだけでは足りないらしい。それに加えて、というよりもむしろ、本来はもっぱら、『箴言』22: 29の翻訳に論及し、それがなぜBerufと改訳されず、Geschäftのままだったのかを説明しなければならないらしいのである。というのも、羽入には、(ルターの精神における「意味」を射程に入れて考えれば)当然の(ルターとフランクリン父子との間の)齟齬・不一致が、(「意味(因果)帰属」の「語形合わせ」へのすり替えによって)「アポリア」と感得されている。そして、彼我混濁のかれは、この「アポリア」をヴェーバーにも押しおよぼし、ヴェーバーもまた「アポリアを知悉して」、その「回避のために」こそ、この「脚注の腫瘍」を書いたと決めてかかっている。したがって、その羽入はヴェーバーもまた、そこで『箴言』22: 29の翻訳に論及せざるをえず、しかも死活を賭けて、(語形「一致」を証明して「解決」することができないからには)「詐術」ないし「狡い杜撰」の操作で「アポリア」を「回避」「隠蔽」し、それが明るみに出て「全論証の要」が崩壊する事態だけは避けようと、悪戦苦闘するにちがいない、他方、そうした「回避」「隠蔽」を暴露してヴェーバーの「詐術」ないし「狡い杜撰」を立証することこそ、自分の「使命」である、と信じて怪しまないからである。

 とすれば、そうした羽入にとっては、ヴェーバーが、『シラ』論と『箴言』論とに軽重をつけ、後者にこそ力点を置かなければならないはずなのに、逆に前者を重視し、「本末転倒」に陥っている、ということになろう。そこで羽入は、第一章ではあれほど『ベン・シラ』『ベン・シラ』と「唯『シラ』回路説」を復唱して、『シラ』句の「原発・本源」的意義を強調してやまなかったのに、ここでは一転して『シラ』句を「思い違い」の所産として貶価する。羽入にとっては、「目的のために手段を選ばず」、「相手を撃つためには自己矛盾も手段のうち」なのであろう。これもちょうど、羽入書第三章「フランクリンの『自伝』をめぐる資料操作」では、フランクリンによる「神」表記を真に受けてはならないと説きながら、第四章「『資本主義の精神』をめぐる資料操作」では、一転して「神」表記をみずから真に受けているのと、まったく同様である。羽入には、ヴェーバーがこの「脚注の腫瘍」を書いたのも、羽入の「アポリア」をヴェーバーも引き受けて「回避」するためであるから、ヴェーバーもGeschäftのままだった『箴言』句そのものの意義をまるごと貶価して、フランクリン父子のBerufと一致しない「矛盾」「アポリア」を表に出すまいと、意義に乏しい『シラ』句を前面に押し出すことで、不一致を「隠蔽」し、「アポリア」を「回避」している、と映るのであろう。あるいは、そのように映し出そうとするのであろう。ことはすべて「アポリア」虚構の延長線上にあり、「脚注の腫瘍」が「アポリアを回避するために」書かれたから、そのためには『箴言』句の意義が貶価されなければならず、さらにそのためには『シラ』句の意義が強調されなければならない、という筋書きである。羽入は、ヴェーバーの「主張」を「まとめ」る形式を借りて、この羽入のストーリーを、ヴェーバーその人に帰そうとするのである。


 

13. 「軽重関係」から「時間的前後関係」へ――虚構のさらなる一展開

 こうして羽入は、プロテスタント諸民族の言語に特有のBeruf相当語の始源を、ルターの聖書翻訳に遡り、翻訳者の精神から説明するという(本文のコンテクストによって限定された)「脚注の腫瘍」の課題を、恣意的に踏み越え、もっぱら当の課題に捧げられているヴェーバーの議論を、『箴言』句と『シラ』句との軽重比較論という羽入のコンテクストに移し入れて、前者より後者を重視するヴェーバーの「論拠」を問い、つぎのように「要約」する。

引用「ルターは旧約聖典に属する『箴言』の方を、外典に属する『ベン・シラの知恵』よりも『数年……』早く訳した。他方では、双方の翻訳の間に当たる期間にルターの信仰は深まっていった。こうしたルターの信仰の深まりというものは、――ヴェーバー自身の言葉で言い換えるならば、『三○年代の正に初頭に……高まってきた……秩序の神聖視』や『神の……摂理へのますます精緻化されてきた信仰』、そして『神の不変の意志によって望まれたものとして世俗の秩序を甘んじて受け入れようとする……傾向』といったものは――『ベン・シラの知恵』の翻訳において初めて!?]現われたのであって、『箴言』を翻訳した際にはまだ!?]現われていなかったのである。ルターが、『箴言』22: 29におけるヘブライ語のmelā’khā……を――それは『ベン・シラの知恵』11: 20のギリシャ語テキストにおける“ergon”という語の『原語に当たる』……のだが――このヘブライ語を『箴言』の翻訳の頃にはまだ!?]“Geschäft”と訳していたのは、それゆえなのである。したがって、ルターの言葉遣いの研究に際しては、ルターの信仰の深まりがいまだ!?]現われていぬ“Geschäft”という訳語は度外視して一向構わぬのである、と」(75-6

 ここでも羽入は、字面では、ルターの訳語選択にかかわる思想的契機、すなわち、「秩序の神聖視/摂理観の個別精緻化/伝統主義」に言及はしている。しかし、ルターにおいてそうした思想傾向が強まるときに、『七十人訳』の原語としては同一の、『箴言』22: 29ergonと『シラ』11: 20ergonとの、双方にたいするルターの意味解釈/意味関係が、具体的にどう変わってくるか、とは問わない。したがって、『箴言』句のergon にはBerufを当てずにGeschäftで通し、『シラ』句についてはergon ばかりかponosにまでBeruf を当てるルターの内的思想的必然性が、理解できない。というよりも、およそ考えられない。羽入には、ルターは相変わらず、ビリヤード場における一「玉突き手」として措定されており、かれから繰り出された「Beruf玉」が『コリントI 』の「klēsis玉」から跳ね返って、『シラ』の「ergon玉」ばかりか「ponos玉」にも当たったからには、こんどはさらに『箴言』の「ergon玉」にも当たるはずで、それこそ「時間の問題」と感得されている。ことはすべて、没意味文献学徒の「語形合わせ」論の平面で進行するかのようである。

 しかし、じつは、原語の語形は同一のergonでも、『箴言』のコンテクストに置かれたばあいと、『シラ』のコンテクストに入れられたばあいとでは、(「玉突き手」ならぬ)特定の宗教改革者たる特定の主体ルターにとっては、けっして(羽入が暗に想定しているように)同義等価ではなく双方への意味的対応意味関係も、かれの思想変化につれて、理解説明可能な形で変遷をとげ、したがって各対応・関係の意味内容を理解説明することこそ、肝要である。ところが、没意味文献学徒の羽入は、こうした課題設定に、およそ思いいたらないし、ヴェーバーがまさにそうした課題を負って意味解明に沈潜している姿も、目に入らない。したがって、ルターが『シラ』11: 20, 21ergonponosBerufを適用する経緯を、ルターの思想変化との関連において、ルターの思想的な訳語選択として(ヴェーバーが)説明しようとする文脈のなかで、ルターが同一語形のergonBerufを適用しなかった『箴言』22: 29の用例を「数年前」つまり時間的に至近の対照例として(ヴェーバーが)引き合いに出すのはなぜか、――その方法上の意味が、羽入には理解できず、「時間的前後関係」に還元されるよりほかはないのである。

 羽入は、ルターが『箴言』を訳した1530年ころには、「秩序の神聖視/摂理観の個別精緻化/伝統主義」がまだ強く顕れなかったので『箴言』のergonにはBerufを当てなかったけれども、『シラ』を訳した1533年には、「伝統主義/摂理観の個別精緻化/伝統主義」が強まったので『シラ』のergonponosにはBeruf を当てた――とすれば、1533年の『シラ』訳以降は同義等価の(と暗に想定されている)『箴言』22: 29にもBerufを当て、元のGeschäftからBerufへと改訳して当然である、いな、ぜひともそうしなければならない――、と信じて怪しまない。そうした想定のうえに、ルターがその後も『箴言』22: 29ergonにはBerufを当てず、Geschäftで通した事実を立証できれば、「『伝統主義/摂理観の個別精緻化/伝統主義』の強まりゆえに『シラ』のergonponosにはBeruf を当てた」というヴェーバーの「説明」が「崩壊」する――ということは、フランクリン父子における『箴言』22: 29の訳語callingから、ルターのBerufに「遡る」(羽入流没意味文献学では「語形を合わせる」)ことができず、(18世紀のフランクリン父子と16世紀のルターについて常識があり、「倫理」論文をまっとうに読んでいさえすれば、しごく当然のことなのであるが、もっぱら語形に囚われて歴史も「倫理」論文の全内容も目に入らない羽入にとっては)「倫理」論文が「全論証の要」で「破産」することになる――、と考えられたのであろう。すべて、「『箴言』のergonと『シラ』のergon(とponos)とは、ルターにとって意味上同義等価で、時間的前後関係だけが問題である」という非現実的非歴史的想定を持ち込み、そうした虚偽前提のうえに展開される、架空の議論なのである。

  さて、じっさいには、『箴言』のコンテクストでは、伝統主義的な神信頼を説く『シラ』のコンテクストとは異なり、「わざの巧みさ」が、伝統の介在制約ぬきに、フリーハンドで称揚されている。それゆえ、『箴言』句は、伝統の媒介なしにも、神から直接与えられた使命として(「神の道具」として)職業労働への専念を説く、たとえばバクスターら「禁欲的プロテスタンティズム」の徒には、それだけすんなり受け入れられ、愛好され、やがてはフランクリン父子のモットーともなっていく。しかし、同じくプロテスタンティズムといっても、「禁欲的プロテスタンティズム」とは異質で、むしろ対立する宗教性に生きたルターにとっては、『箴言』句は、それだけ「わざ誇り」を触発しやすい、なにか危うい句と感得されざるをえない。ルターは、「わざ誇り」をともなう「禁欲」を、神信頼の秘かな欠落ゆえに過度に人為に頼り、「神の無償の恩恵にたいする純一な恭順」(というルター的宗教性の中心価値)を脅かす、人為人間中心の「行為主義」として、思想的原則的に斥けてやまない。したがって、ルターは、それもかれが伝統主義に傾けば傾くほど、その『箴言』のergonBerufを当てて宗教的意義を賦与することはできず、改訳を怠るどころか、思想的自覚的にGeschäftで通すほかはない。ただし、「わざに巧みな」を「わざに熱心な」に改めるのであれば、「わざ誇り」を撓める方向への思想的改変/語彙選定であるから、かれの宗教性の原則に悖らず、むしろ意味適合的で順当であろう。『箴言』句にかけては、こうした熟慮にもとづく意味的対応こそ、(「玉突き手」ならぬ)宗教改革者・思想家ルターの精神に相応しい。ところが、こうした意味関係とその変遷は、羽入流没意味文献学の射程を越え、羽入の顧慮には入ってこないであろう。


 

14. 『シラ』句改訳の状況と主体――理解社会学的再構成

  このあと羽入は、以上のいささか冗漫な「まとめ」を、さらに五つの論点に「まとめ」ている。そこで、それら五論点を、逐一、本物のヴェーバーの主張と突き合わせ、羽入の「意味変換操作」を暴いていかなければならない。しかし、そのまえに、ヴェーバー自身の関連叙述を、労を厭わず全文訳出し、引用しておきたい。というのも、この問題にかかわるヴェーバーの叙述は、一方では、事柄として重要で、ヴェーバー的方法の妙味がいかんなく発揮されている箇所ではあるが、他方では、確かに難解で、既訳では決定的な箇所に(羽入の恣意的ストーリーを誘発したと思われる)不適訳が散見されるからである。後段における参照の便宜上、三分するが、原文ではひとつづきの五文章からなっている。

引用⒜「ところでルターは、各自が現在の状態Standにとどまれという、終末観を動機とする勧告のばあいに、klēsis Beruf と訳していたのであるが、その後später、旧約外典を翻訳したときには、各自がその生業にとどまるのをよしとする、『シラ』の伝統主義的な反貨殖主義にもとづく勧告についても、すでにschon両勧告が事柄として類似しているという理由からも、ponosBerufと訳し、この訳語が[受け入れられ、普及して]現在にいたっている。(これこそが、決定的かつ特徴的な点である。先に述べたとおり、『コリントT』7: 17の箇所では、klēsisはおよそ『職業Beruf』、すなわち特定された仕事の領域、という今日の意味では用いられていない。)」(GAzRS, I, 68, 大塚訳、106、梶山訳/安藤編、143

引用⒝「その間(あるいはほぼ同時に)1530年のアウグスブルク信仰告白が、プロテスタントの教理を確定し、カトリックの――世俗内道徳を貶価し、修道院実践によって凌駕すべしと説く――教理にたいして無効を宣していたが、そのさい『各人はそれぞれのBeruf に応じて』という言い回しが用いられていた(この点については前注2を見よ)。このこと[@]と、ちょうど1530年代の初葉、生活の隅々にもおよぶ、まったく個別的な神の摂理にたいするルターの信仰が、ますます鋭く精細に規定される形態をとるにいたった結果、各人の置かれている秩序を神聖なものとして尊重するかれの捉え方が、本質的に強まってきたことA]、それと同時に、世俗の秩序を、神が不変と欲したもうた秩序として受け入れようとするルターの[伝統主義的]傾向がますます顕著になったこと[B]、――これらのこと[@AB]が、ここ[『シラ』11: 20, 21]で、ルターの翻訳に現われているのである。」(GAzRS, I, 68, 大塚訳、106-7、梶山訳/安藤編、143-4)。

引用⒞»Vocatio« は、ラテン語の伝来の用語法では、神聖な生活、とくに修道院における、あるいは聖職者としての生活への神の召しという意味に用いられていたが、ルターのばあいには、上記[プロテスタントの]教理の圧力によって、世俗内の『職業』労働が、そうした色調を帯びるようになった。というのも、ルターは、『ベン・シラの知恵』に見えるponosergonを、それまでは修道士の翻訳に由来する(ラテン語の)類似語しかなかったので、いまや»Beruf«と訳すのであるが、数年前になおeinige Jahre vorher noch、『箴言』22: 29に見えるヘブライ語のmelā’khā――すなわち、『ベン・シラの知恵』のギリシャ語テクストに見えるergonの原語で、ドイツ語の »Beruf« や北欧語のkald, kallelseとまったく同様、聖職への»Beruf«[召し]に由来する語melā’khā――には、他の箇所(『創世記』39: 11)とまったく同様、»Geschäft«を当てて訳していたからである(『七十人訳』ではergon、公認ラテン語聖書ではopus、英訳聖書ではbusiness、北欧語やその他、わたしの手元にある翻訳はすべて、これと一致している)。」(GAzRS, I, 68, 大塚訳、107、梶山訳/安藤編、144


 

15.「まとめ」の「まとめ」による意味変換――斬りつけやすい藁人形の定立

  さて、そこで、ヴェーバー自身のこうした主張内容と照合しながら、羽入による「まとめ」の「まとめ」五項目を、逐一検討してみよう。

ルターは『コリントT』7: 20における“身分”の意味を含んだ“klēsis”を“Berufと訳した。」(76

 というようなことを、ヴェーバーはどこでも主張してはいない。羽入は、少し後の箇所で、「ルター訳聖書では『コリントT』7: 20は“Ein jeglicher bleibe in dem Beruf, in dem er berufen ist”(AfSS: 39; RS: 67; 大塚訳105頁、梶山訳・安藤編142頁)と訳されている」(77)と述べているが、この箇所の「ルター訳聖書」とは、ヴェーバーがわざわざ明示的に断っている「現在普及している諸版」であって、ルター自身が独訳した聖書そのものではない。ヴェーバーはそこで、読者との「トポス」としてわざわざ「普及諸版」を用い、『コリントT』7: 1731のコンテクストをほぼ逐語的に引用して、そのなかでは7: 20klēsisが、同一のコンテクストで具体的に論及されている「割礼/包皮別」「奴隷/自由人別」「未婚/既婚別」といった「種族的」「社会的」「配偶関係上」の「諸身分 statūs, Stände」を意味することができ、後に「普及諸版」では(別人によってBerufと訳されてもおかしくはない(「客観的に可能な」)意味連関をなしている事実を、具象的に読者に伝えようとしたのであろう。ルター自身によってはコリントT』7: 20klēsisが、少なくとも1523年の釈義ではRufと訳され、Berufと訳されていない事実は、ヴェーバー自身が明示的に述べ(GAzRS, I, 67, 大塚訳、105、梶山訳/安藤編、142-3)、羽入も認めていた(73)はずである。ルター自身の訳と「普及諸版」との混同に陥っているのは、いったいどちらなのか。

 なお、引用⒜に見える「各自が現在の状態にとどまれという、終末観を動機とする勧告」を、『コリントT』7: 20を特定して指すと解釈する向きもあろうが、それは誤りであろう。「終末の日が迫ったいま、現世における状態(→地位、→身分、→職業)に思い煩うことなく、そこにとどまり、主の再臨を待て。それもあとほんのしばらく」という趣旨の「終末論」的勧告とは、使徒書簡一般の根本性格であるから、「そのばあいには、klēsis Berufと訳していた」というそのBerufとは、第一種用法に該当する。たとえば『エフェソ』では[3]、「時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられ」(新共同訳1: 10)る、という展望のもとに、四章では、「神から招かれたのですから、その招きklēsisにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい」(4: 1-2)、キリストは「ある人を使徒に、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされた」、「こうして聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされキリストの体を造り上げていきついにはわたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまでに成長する」(4: 11-12)、「キリストにより、体全体はあらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、みずから愛によって造り上げられてゆく」(16)と述べられ、それゆえ、五章では「妻と夫」、六章では「親と子」「奴隷と主人」が、(それぞれの状態地位身分status, Standにあって)キリストの戒めに忠実に生きるように、と説かれている。終末への展望のもとに、現世そのものには無関心ながら、「招きから生まれた信徒団ekklēsia」としては、そのなかにも持ち込まれざるをえない現世の身分的差等を覆すのではなく、さりとてそれに思い煩うのでもなく、それぞれの「分に応じて」「招き」に忠実に生きよ、という(「伝統主義」に通じる)一種の「有機体説的社会倫理」が定立されている、といってよいであろう。ヴェーバーは、ルターが「後に」『シラ』を訳したときには、「すでにこうした事柄としての類似から」、『エフェソ』他のklēsisに当てていた第一種用法のBerufを『シラ』のergonponosにも当てることができたと主張しているのであろう。そうした「客観的可能性」が『シラ』句において実現されるあと一歩に必要な契機は、@「神の召し」による「状態・地位・身分」を「聖職者身分」への制限から「世俗的身分」一般に解き放つ、まさしく宗教改革としての「カトリック的世界像の打破」「聖職者道徳と在俗平信徒道徳との同等視」、A「世俗的身分」のみか「世俗的職業」をも「神の召し」と見る「摂理観の個別精緻化」、Bその「世俗的職業」を、「神の摂理」として神聖視される伝統的秩序に編入し、その一環として捉える「伝統主義」でなくして、なんであろう。

 

初期における“Ruf”から“Beruf”へのルターの用語の揺れAfSS: 39; RS: 66; 大塚訳103頁、梶山訳・安藤編141頁)、及び、後者へと訳語が暫時[sic. 漸次?]確定していったプロセスを『コリントT7: 20そのものが証している。」(76

 というようなことも、ヴェーバーはどこでも主張してはいない。しかも、当の「用語の揺れ」とは、「以上見てきたヴェーバーの主張を……まとめ」ただけの確定済み論点ではなく、「まとめ」の形を借りて「既定事項」と見せかけながら、ここで初めて新たに導入された問題点である。その典拠には、羽入書ではこれまでいちども触れられたためしがなく、当然、検討されても確証されてもいない。羽入は、ここでもまた、いきなり第2段落に、こんどは遡って飛ぶ。そして、ヴェーバーが、ルター以前に、BerufでなくRufが「使命としての職業」という聖俗二義を併せ持つ語義で使われたことはないか、ルターがそうした用語法の影響を被ってはいないかを、『コリントTでなくエフェソにかんするタウラーの説教とタウラーとルターの関係について検証しているコンテクストから、「ルターの言葉遣いは最初の内は(Werke, Erl. Ausg. 51, S. 51を見よ)Ruf Beruf との間を揺れていた」(77)という一文のみを、ここでも例によって当のコンテクストを無視して引き抜き、したがって「揺れそのものの意味も誤解して自分に好都合な論点に仕立てあげるのである。

  ヴェーバー自身の叙述を引けば、つぎのとおりである。

「わたしがこれまでに知りえたかぎり、»Beruf«でなく»Ruf«が、(klēsis の訳語として)世俗的労働の意味で使われたことはあり、最初の用例は、『エフェソ』第四章にかんするタウラーの美しい説教『「施肥に赴く」農民について』(Basler Ausg. f. 117 v)に見られる。『施肥に赴く農民が実直にみずからのRufに励むならば、自分のRufをなおざりにする聖職者よりも』しばしば万事に優る、というのである。しかし、この語[Ruf]は、この[世俗的職業労働の]意味では、世俗語のなかに入り込んでいかなかった。ルターの用語法初め»Ruf«»Beruf«との間で揺れているs. Werke, Erl. Ausg. 51, S. 51)にもかかわらず、タウラーによる直接の影響は、けっして確かではない――なるほど、たとえば『キリスト者の自由』には、まさしくタウラーのこの説教に共鳴するところが、しばしば見られるが――。というのも、ルターは当初、この語[Ruf]を、タウラーの上記の句のように純世俗的な意味には用いていないからである。」(GAzRS, I, 66-7, 大塚訳、104-5、梶山訳/安藤編、140-1

 なるほど、「揺れ」にかんしては、ここで『エアランゲン版著作集』5151ぺージの参照が指示され、そこには『コリントT』7: 20における»Ruf«の用例が示されている。羽入は、ここを典拠に、この「揺れ」をⓐ『コリントT』7: 20に限定したうえ、ⓑその時間的な揺れと解釈し、ヴェーバーが»Ruf«から»Beruf«への改訂を主張した証拠と決めてかかっている。しかし、ヴェーバーは、上記のとおり「ルターのⓐ用語法Sprachgebrauchは、ⓑ初めanfangs」と明記し、ⓐ「用語」、すなわち、個々の用ではなく、いくつかの用例のまとまりについて、あるいはある範囲の用例に見られれる一定のパターンについて、しかもⓑ「初め」と、時期のほうを限定して「揺れ」に言及している。したがって、この「揺れ」とは、ある聖典の特定の一箇所(たとえば『コリントT』7: 20)にかぎって、そこに用例として当てられる語が、たとえば初期のRufから後期のBerufに変わるというふうに、時間的に「揺れ」る、というのではなく、時期を「初め」にかぎると、同じklēsis の訳語として、ある聖典にはRuf、他の聖典にはBerufを当てるというように、複数聖典間にまたがるいわば空間的な「揺れ」が認められる、という意味に解されなければならない。そのばあいの、他の複数の聖典とは、このコンテクストで取り上げられている『エフェソ』を含め、同じパラグラフの冒頭で列挙されている『テサロニケU』、『ヘブル』、『ペテロU』をおいて他にはあるまい。じっさい、初期1522年の「ルターの用語」は、『コリントT』を含むこの五書簡にまたがって、『コリントT』のruffとそれ以外のberuffとの間で「揺れ」を示していたのである[4]。ヴェーバーとしては、beruffの用例のほうは、この段落の冒頭で列挙してあるから、当然読者にも了解済みと見て反復は避け、稀少例で初出のruffのほうだけを挙示しておいたのであろう。したがって、“Ruf”から“Beruf”へと「訳語が暫時[漸次?]確定していったプロセスを『コリントT』7: 20そのものが証している」というのは、コンテクストを無視して複数聖典間の空間的「揺れ」を『コリントT』7: 20の時間的「揺れ」と取り違えた、羽入の早合点ないし思い込みではあっても、ヴェーバーの主張ではない。

 

『コリントT』7: 20における勧告と『ベン・シラの知恵』11: 21における勧告との双方の勧告における事柄としての類似性に影響されたために、前者の勧告『コリントT』7: 20においてBerufという訳語を自身が用いたことに引きずられ、ルターは後者の勧告『ベン・シラの知恵』11: 21においても、元来は宗教的観念を全く含んでいなかったギリシャ語ponosをも、『コリントT』7: 20におけると同様“Beruf”と訳すに至った。それは同時に、ルター個人の『神の全く特殊な摂理へのますます精緻化されてきた信仰』に影響された結果でもあった。」(76

  ということも、羽入流の没意味的「語形合わせ」論の平面における半ば誤った議論である。ヴェーバーは、宗教改革者ルターが『ベン・シラの知恵』11: 20, 21で「使命としての職業」という語義を創始する経緯とその諸契機を、意味関係において的確に捉えている。ところが、羽入の議論は、そうしたヴェーバーの叙述にたいして「まとめ」の体をなしてはいない。

  まず、ルターは、『コリントT』7: 20klēsisBerufと訳してはいなかったのだから、それに「引きずられ」て『ベン・シラの知恵』11: 21ponosBerufと訳すわけがない。縷々述べてきたとおり、ヴェーバーも、そんなことを主張してはいない。

  つぎに、羽入は、「事柄として類似している」ふたつの勧告のうち、一方を『コリントT』7: 20に限定し、繰り返し強調している。しかし、ヴェーバー自身の表記は、引用に見られるとおり、「各自が現在の状態にとどまれという、終末観を動機とする勧告」であって、『コリントT』7: 20ではない。したがって、ヴェーバーの一般的表記を、『コリントT』7: 20に特定するには、その根拠を示さなければならない。しかし、羽入は、その根拠を示していない。

  また、ルターが『ベン・シラの知恵』11: 21ponos の訳語としてBeruf 選択した根拠として、ヴェーバーは、確かに「事柄としての類似性」と「摂理観の個別精緻化」に論及している。羽入も、ここでいちおう「影響関係」として両者に言及はしている。しかし、両者がどんな意味内容をそなえ、どういう意味でルターの訳語選択を規定しているのか、という肝心要の問題点となると、(ヴェーバーはそれをこそ、上記引用⒜⒝のとおり、明快に説明しているのに)羽入は、その意味内容・意味関係にはまったく立ち入らない。

 「事柄としての類似 sachliche Aehnlichkeit」とは、一方では、前述『エフェソ』の「終末論を動機とする勧告」の具体例に明らかなとおり、そこですでに「使徒」「預言者」「福音宣教者」「牧者」「教師」などの「聖職者」が、神の「召し」による「状態→身分(職業)」と見られており、「妻と夫」「親と子」「奴隷と主人」といった世俗的「身分」も、それぞれの状態地位身分status, Standにあって、「おのおの……分に応じて働いて体[すなわちekklēsia]を成長させていく」ように、と説かれ、他方、『シラ』11章では、いわば「分を越える」「罪人のわざ」、たとえば「一攫千金」の「パーリア資本主義」的「暴利」に直面しても、「羨まず、妬まず」、「神信頼をかき乱されて思い煩うことなく」、心穏やかに「生業にとどまって日々の糧をえる」ように、との趣旨が、「神信頼の知恵」として説かれている事態、――こうして、双方の勧告が、各人の現にある状態を神の「召し」ないし「摂理」として受け入れ、そこで神に奉仕する「生き方」を最善の「使命」ないしは「知恵」として称揚している意味内容上の類似性を――片や終末論、片や(宗教的)伝統主義という根拠付けの相違はあっても、それはひとまず留保して――指していったものであろう。こうしてすでに「事柄としての類似性」により、『エフェソ』他の「終末論的勧告」に用いられていた第一種のBeruf(ないしRuf)が、(タウラーによっても)ルターによっても「聖職者」への制限を取り払われ、「『シラ』の「伝統主義的勧告」にも適用される「客観的可能性」が与えられる。そして、この可能性を実現する主体的契機こそ、つぎの引用取り出される三要因、すなわち、@(修道院実践による世俗内道徳の凌駕を説く)カトリックの教理を無効と宣告して、世俗内道徳をこそ重視するプロテスタントの教理が、1530年の「アウグスブルク信仰告白」で公式に表明されていたこと、そこで用いられた、強勢を付加されたBerufRufに戻す必要は、スコラ的語形論議ならぬ熾烈な社会運動としての宗教改革の経緯からして、さらさらないこと、Aルターの摂理観が「個別精緻化」されて、「世俗的身分」のみか「世俗的職業」をも「神の召し」と見るにいたったこと、B伝統的秩序を神聖と見て、「世俗的職業」もその一環として捉える「伝統主義」が強まったこと、――この三要因の、互いに相関連し、相乗して進展する作用に求められよう。

 

『神の不変の意志によって望まれたものとして世俗の秩序を甘んじて受け入れようとする……彼の傾向』が、後に外典を翻訳した時期ほどにはまだ高まっていなかった『数年前』の時期に翻訳された『箴言』においては、したがってルターは訳語として“Beruf”ではなく“Geschäft”を選んだ。」(76-7

 というようなことも、ヴェーバーの叙述の「まとめ」ではなく、論旨のすり替えにすぎない。ルターが『箴言』にGeschäftを当てたのは、「時期」の問題ではなく、『箴言』句の意味内容と、それにたいするルターの思想的意味関係の問題である。ヴェーバーは、『箴言』句と『シラ』句とが同義等価で、ただ、ルターの伝統主義が1530年から1533年にかけての「数年間急に高まり」、あるいは急に顕れ、その結果、1530年の『箴言』訳ではmelā’khā, ergonBeruf を当てず、Geschäftと訳していたのに、1533年の『シラ』句のergonmelā’khāにはBerufを当てるようになった、と主張しているのでは毛頭ない。上記の引用のコンテクストから明らかなとおり、ルターが、時間的に至近の「数年まえにはなお」、原文/原語からはBerufを当てやすい『箴言』22: 29melā’khā, ergonBerufを当て、数年後には、Berufを当てにくい『シラ』11: 20 ergonのみか11: 21ponosにまで、原語の原意からは無理でもあえて――まさに「翻訳者(意訳者)精神」において――じっさいにBerufを当てたのはなぜかといえば、それは、ルターの「摂理観の個別精緻化」と「伝統主義」とが強まり、こうした思想思想変化が訳語の選択に表明された結果である、というのである。

 そもそもヴェーバーは、『箴言』22: 29を主軸として、ルターにおける1530年から1533年にかけての思想変化を、訳語選択について検出しようとしているのではない。そうした見地は、この第1段落注3全体が、本文から被っている限定を顧慮せず(「枝葉は見ても、木は見ず」)、「アポリア回避」のために書かれたと決めてかかっている羽入の、恣意的な想定にすぎない。むしろ、ヴェーバーは、原文原語からは無理な『シラ』11: 20, 21の意訳によるBeruf語義(「使命としての職業」)創出という(この「脚注の腫瘍」の主題として本文から注に送り込まれている)事実を、歴史的結果に見立てて、そこに表明される「翻訳者の精神」に「意味(因果)帰属するために『箴言』22: 29を、時間的に至近の類例、しかも絶好の比較対照例として、合目的的に選択し、引き合いに出しているのである。なぜそれが「合目的的」なのかといえば、『箴言』22: 29には、ergonmelā’khā)という『シラ』11: 20ergonmelā’khā)と同一の原語が用いられながら、コンテクストからは、「わざの巧みさ」をフリーハンドで称揚し、「わざ誇り」「行為主義」を触発しやすい問題傾向を帯びており、翻訳者ルターにおける、まさに「伝統主義」が強まれば強まるほど、かれとしては原則上ますます斥けざるをえない意味関係にあるからである。したがって、ルターが、その『箴言』22: 29ergonmelā’khā)にはBerufを当てず、時間的に至近の『シラ』11: 20, 21ergonponosにはBerufを当てたという事実は、伝統主義的な神信頼を説く『シラ』句は愛好して、これには宗教的な意義を認め、Berufを当てる、翻訳者ルターの伝統主義精神を、それだけ鮮やかに浮き彫りにし、Beruf語義の創始という結果を、当の意訳に顕れたルターの伝統主義精神という一契機に、こよなく「意味(因果)帰属」することになるわけである。羽入には、ヴェーバーが『箴言』22: 29を引き合いに出す、こうした方法上の意味が、皆目分からないのであろう。

 

したがって、ルターの用語法の研究に際して、『箴言』22: 29における“Geschäft”という訳語を考慮に入れる必要はないのである。」(77

 というようなことも、ヴェーバーは主張していないもしほんとうに「“Geschäft”という訳語を考慮に入れる必要はない」というのであれば、上述のとおり『箴言』22: 29Geschäftを引き合いに出すにはおよばない。問題は、どういう意味で『箴言』22: 29Geschäftを「考慮に入れる」のか、にある。ヴェーバーは、ルターが『シラ』11: 20, 21ergonponosにはBerufを当てて語義「使命としての職業」を創始した結果事実について、それにたいする翻訳者ルターの伝統主義精神の「意味(因果)」的意義を問うコンテクストにおいて、そのかぎりで上記のとおり十二分に、『箴言』22: 29Geschäft考慮に入れている。したがって、そこからは、そのルターにおいては、その後伝統主義の精神が強まれば強まるほど、『箴言』22: 29ergonmelā’khāにはそれだけますますBerufは当てられず、「わざに巧み」を「わざに熱心」に撓める改訳は順当としても、「わざ」そのものの訳語としては原則的自覚的にGeschäftで通す以外にはない、という帰結も導かれる。そうした当然の帰結を、『シラ』11: 20, 21改訳以降の『箴言』22: 29の訳語を調べて立証してみても、ヴェーバーの立論を側面的に補完しこそすれ、その「破綻」を立証することにはならない。かえって、問題を「意味(因果)帰属」から「語形合わせ」の「時間的前後関係」にすり替えている羽入の水準が、立証されるばかりであろう。

 というわけで、羽入がつぎの「第三節」で「資料による検証」に委ねるという(羽入は「ヴェーバーの主張」の「まとめ」と称している)以上の五論点は、いずれも本物のヴェーバーの主張とは縁もゆかりもない。むしろ、羽入の水準で、羽入にも「斬りつけやすい藁人形」を立てているにすぎない。


 

小括――「蟷螂が斧」

 以上に見てきたとおり、羽入は、ルターによる『シラ』句改訳という第1段落注3における「トポス」の主題について、一方では、Berufの(第一種を含む)用例とそれぞれのコンテクスト、改訳対象ないし素材としての『シラ』句の意味内容、媒介項(「架橋句」)としての『コリントT』7: 1731の意味内容などを、具体的に調べて与件としての状況の布置連関を再構成し、他方では、その状況に対処する改訳主体ルターの、改訳に関与する諸契機(プロテスタント教理の成立/宣言、摂理観の個別緻密化、伝統主義)をやはり具体的に調べて、ルターによる歴史的な状況内改訳の経緯と思想的必然性をみずから理解(できれば追体験)し、その内実を論証/叙述するという(上記引用で、ヴェーバーが地で行っている)学問的手続きを、みずから採っていないし、ヴェーバーの叙述を綿密にフォローして理解することさえしていない。羽入は、そういうヴェーバーの「理解社会学」的「意味(因果)帰属」の方法を理解(いわんや会得)していないし、この方法が適用され、ルターにおける歴史状況内改訳という事柄そのものが(羽入の脳裏に)再構成される基礎/素材として読みこなされるべき、ヴェーバーの叙述そのものを読み解くこともできなければ、関連のあるキリスト教聖典のコンテクストと意味内容を、みずから聖書をひもといて調べ、理解することも、していない。熟考と労苦を要するそうした地道な学問研究に代えて、ルターをいわばビリヤード場に移し入れ、安直な没意味文献学的「語形合わせ」論の水準で(そこから出発するとしても、まともな文献学の「意味(因果)帰属」論の水準にみずから到達しようと刻苦精励することなく、「末人」としてそうした向上への努力は回避したまま)、当の「意味(因果)帰属」の方法を自覚的に駆使したヴェーバーの立論/論証を、一挙に「打倒」しようと、いわば「蟷螂が斧」を振り上げ、見当違いに降り下ろしているにすぎない。ただ、彼我混濁の羽入には、そうした彼我の落差と、自分がどこでどう間違っているのか、自力では対象化できないであろうから、こうして、かれの行論に密着して親切に論駁していくことが、なお必要とされようし、後進の学生/院生諸君には、かれと同じ轍を踏むことなく、「理解社会学」的「意味(因果)帰属」の方法が的確に会得され、駆使されていくように、そのための「捨石」、その意味における「一里塚」として、役立てられもしようか。(20041012日脱稿。つづく

 

 



[1] 「ルターの職業観」節第1段落とそこに付された三注とを「全体として概観」し、論旨の展開を跡づけた論稿として、本コーナーに掲載の拙稿「マックス・ヴェーバーのBeruf論――ルターによる語義創始とその波及」、参照。

[2] 以下、引用文中の著者による強調は、原文では圏点を付されているが、HPソフトの関係で太字に換える。アンダーラインは、引用文中も含め、筆者の強調。[  ]は筆者の挿入。

[3] いまひとつの類例として、同じ『コリントT』でも、七章ではなく一章について論じたものとして、拙著『ヴェーバー学のすすめ』(2003、未來社)133-4、参照。

[4] Cf. WADB 7: 90-1, 104-5, 194-5, 200-1, 252-5, 350-1, 316-7.