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「なぜいま「ゲバラ・ブーム」か」

橋本努

雑誌『エコノミスト』2009310日号、77-79頁、所収

 


 

20世紀最大のカリスマとも言われるキューバ革命の英雄チェ・ゲバラ(1928-67)。その生きざまを描いた2部作映画『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳別れの手紙』1月に公開され、予想外のヒットを巻き起こしている。邦画に押されて不振に陥っている洋画において『チェ 28歳の革命』だけでもすでに国内で延べ65万人の観客を動員、約8億円の興行収入(210日現在)を記録している。

123日に放映された「報道ステーション」(テレビ朝日)や20081219日の「今日の世界」(NHK)はそれぞれ20分弱も特集。昨年1220日付『朝日新聞』朝刊1面コラム「天声人語」でもゲバラが取り上げられ、216日付『毎日新聞』夕刊「特集ワイド」では、議員事務所にゲバラの肖像画を飾り、ゲバラを「理想の人物」と語る亀井静香・衆院議員のインタビューを掲載。ホームレスの人たちが売り歩く雑誌『ビッグイシュー』もゲバラを特集。音楽ソフト大手タワーレコードの無料音楽情報誌『intoxicate』(イントキシケイト)では、ゲバラ映画のワンシーンが表紙を飾った。ゲバラは日本で完全に“生き返った”ようにみえる。いったいなぜ、ゲバラはこれほど人々の心を捉えているのか。

かつて、元ビートルズのジョン・レノンは、ゲバラを「世界で一番カッコイイ男」と述べた。映画俳優並みに容姿端麗で、医者の資格をもち、ゲリラ戦を指揮する。革命後のキューバでは国立銀行総裁や工業相を務めながら、最後はその地位を捨て、再び南米やアフリカでのゲリラ戦へと戻っていった孤高の人。そんな波乱万丈の人生を生きたゲバラを、フランスの哲学者サルトルは「同時代で最も完全な男」と評した。

ゲバラは、Tシャツに印刷された肖像でお馴染みであり、“不良少年”のシンボル的存在として一般に知られる。だが、その実像はもっと複雑だ。妻子を愛し、人民を愛し、並外れた文筆力と自己犠牲の行動力でもって、21世紀の「新しい人間」(エル・オンブレ・ヌエボ)たること目指した男。その八方破れの活動によって、ゲバラはいまも人々を覚醒させ続けている。

 

 

 カストロと出会いキューバ革命を指揮

 

 

チェ・ゲバラ(本名エルネスト・ゲバラ)は1928年、アルゼンチンの有産階級の家庭に生まれた。幼少の頃に喘息をわずらい、小学生の頃は2、3年時を除いて、あまり学校に通わなかったようである。しかし、自宅には約3,000冊の蔵書があり、ゲバラは父の書斎で、ルソーやガンジーなどの思想家、劇作家シェイクスピアや詩人ボードレールなどの著作を読み耽ったという。弱冠14歳で精神分析学者フロイトの著作を読み、17歳にして思想家・作家のボルテールに影響された哲学的考察を記述してもいる。

一方では、ラグビーやサッカーなどの激しいスポーツを楽しみ、身体を強靭に鍛えていた。また、ゲバラには放浪癖があり、13歳の頃から学校が長期休暇になると、自転車にモーターをつけて国内を旅した。19歳のときに両親が別居すると、ゲバラは母と暮らすことを選び、大学では医学を学んでいる。

ゲバラは23歳で友人のアルベルト・グラナードと南米大陸を縦断する長い旅に出ると、そこでチュキカマタ銅山(チリ)の炭坑労働者の惨状や、ハンセン病患者の隔離された生活、ペルー原住民の貧しさなどを目の当たりにする。この旅がきっかけとなり、ゲバラは次第に中南米全体を救済する革命を夢見るようになっていった。旅の経験は、ゲバラ著『モーターサイクル南米旅行記』(現代企画室)に描かれ、映画化されている。

その後、中米のグァテマラに身をおき、米中央情報局(CIA)と多国籍企業の陰謀によって同国の民主主義政権が転覆される事態を目の当たりにし、衝撃を受ける。1955年、メキシコに亡命中だったフィデル・カストロ(前キューバ国家評議会長)に出会い、これが運命の転機となる。

ゲバラはカストロとともにヨット「グランマ号」に乗り込んでキューバへ向かい、28歳でキューバ革命(1953-59)に参加、革命を成功に導いた。

 カストロが率いた革命軍は、当初82人。しかも最初の戦いで敗れ、生き残ったのはたったの12人だった。約2年間のゲリラ戦を経て、当時のキューバ正規軍2万人を倒すに至るのだから、まさに“奇跡の勝利”だった。その戦術は、ゲバラの筆による『ゲリラ戦争』および『革命戦争回顧録』(いずれも中公文庫)に詳しい。

ゲバラによれば、ゲリラ戦争とは「圧制者に対する民衆全体の戦い」である。農民を略奪せず、むしろ彼らの信頼を勝ち得ることで、抵抗の拠点を築いていく。正規軍よりも道徳的に卓越した人間であることを証明しながら、民衆の支持を拡大していく。

こうして革命軍は、圧倒的な政治的正当性をもって政権を奪取する。誠実な情熱と戦う肉体さえあれば、少数者でも圧制を転覆できる。その事実に、私たちはいまも新鮮な驚きを感じるだろう。

 

 

 「救い」と「カリスマ」を求める現代人

 

 

 09年はキューバ革命が成功してちょうど半世紀。ところが現代日本では、革命の希望とは無縁の閉塞感が漂っている。昨年は、小林多喜二の『蟹工船』(1929年作)がブームにもなったが、この小説の最後は象徴的である。悪徳経営者が運営する蟹工船に軍隊が乗りこんできて、船内の労働者たちは、彼らが自分たちを救ってくれるのではないかと期待する。ところが労働者たちは、その軍隊に逮捕されてしまう。国の軍隊は、資本家の味方であって、労働者たちの悲惨な境遇を救ってくれない、というわけだ。現代人はこうした物語に、自らの絶望を重ね合わせている。

この『蟹工船』の状況になぞらえて言えば、ゲバラは、正規軍に対抗する革命軍の一人として蟹工船に乗りこみ、労働者たちを救った、ということだろう。キューバ革命とは、資本家や国家に代わって、革命軍が労働者たちを救う希望の物語である。

むろん、現在の日本に革命の必然性はない。しかし私たちは、どこかこうした革命のヒーローを求めているのではないか。

昨年末から年始にかけて、約500人が東京・霞ヶ関の日比谷公園や厚生労働省の講堂などの「年越し派遣村」で過ごし、いまや企業による「派遣切り」の非情が社会問題化している。現在の雇用制度が、切り捨てられる労働者たちを救えないとすれば、いったい誰が救うというのか。それが問われているようにみえる。

人々の間に強い指導者を望む「カリスマ期待」の心性があるのではないか。ゲバラが人気を呼ぶ理由もそこにある。

昨年のTBSドラマ「ブラッディ・マンディ」は、ウィルス・テロに立ち向かう高校生が主人公。この世界を消滅させたいと企むテロリスト集団に、正義の味方が挑むというシナリオだった。同じく08年に流行した映画「闇の子供たち」は、タイの人身・臓器売買や児童買春を告発し、背後の組織と戦う正義のジャーナリストやボランティアを描いている。06年の映画「デスノート」でも、手段を選ばずに犯罪者を葬り去るような正義の味方が活躍している。こうした物語が近年、次々に生まれ、多くの人に受容されている。

 もっとも、ゲバラは、キューバ革命の後にさまざまな失敗をする。だから、彼のカリスマ性は割り引いて評価されなければならない。

たとえば、ゲバラが計画した経済政策は、キューバに大きな混乱と非効率を招いてしまった。しかもゲバラは、「反米・反ソ」を掲げて、第3世界の互恵的な連帯を求める外交を展開したため、ソ連の不興を買い、結局キューバの政治から身を引かざるを得なくなった。そしてカストロに「別れの手紙」を渡したゲバラは、アフリカ中央部のコンゴ民主共和国へ、続いて南米のボリビアへと向かい、それぞれのゲリラ戦を戦ったのだった。いずれもジリ貧であり、最後は、ボリビアのイゲラ村で政府軍に処刑され、非業の死を遂げている。39歳であった。

 しかし、ゲバラはボリビア戦では政府に勝てたかもしれない。

1825年にシモン・ボリバルがボリビアを独立させてから、この国ではクーデターが日常茶飯事で、その数は160回を数え、憲法は11回も変わっていたからである。ところが、ゲバラはあくまでも農民の支持を得ることにこだわり、他の戦略を拒否した。革命は下から起きなければならない。ところがそれが無理だとわかると、ゲバラは死をもって革命の種を蒔くことに希望を賭けたのであった。

その苛酷なまでに誠実な生き方は、どんな革命家の成功例よりも感動を呼ぶ。ボリビアでは、ゲバラの遺志を継いだ先住民族の農民政治家であるエボラ・モラレスが06年、大統領に就任している。

 ところで、日本はどうか。かつて70年代の左翼運動家たちは、ゲバラのキューバ革命に影響を受けた。その一部は、連合赤軍のようにゲリラ戦争を想定し、日本の山中で軍事訓練を行った。しかし、彼・彼女らは、「将来の革命を担うに値する人間」であるかどうかをめぐって、互いに批判し合い、内ゲバやリンチを繰り返すという悲惨な状況に陥ってしまった。活動家たちはなぜ、ゲバラのように凛とした行動をとれなかったのか。

ゲバラはジリ貧になっても、最後まで仲間たちをいたわった。自分の命よりも負傷した兵士たちの護送を優先した。また兵士たちも、日記をつけることで自省し、限界状況でも高貴さを失わずに行動することができた。いつか日記を公開し、将来の革命に役立てるという自覚があったためであろう。そもそも革命は、失敗する可能性が高いのであり、“捨石”になることが本望でなければならない。「我が過ちなり」と言って死んでいく。それでも今の社会に精一杯の抵抗を示し、支配的な権力に巻きこまれないサバイバル生活で精神を鍛えていく。

ゲバラはゲリラ戦の最中、ギリシャの哲学者プラトンやアリストテレスなどの著作を読み耽ったというが、その姿はいまもなお、近代の堕落した都市生活者たちに批判を投げかけている。ゲバラの『ゲバラ日記』(みすず書房)は、抵抗を目指す現代人に希望を与えるバイブルと言えるだろう。

 では、ゲバラが私たちに残した遺志とはなにか。最後に、ゲバラが妻子に残した手紙の一節を紹介しよう。「(筆者注・子供たちよ、)立派な革命家に成長しなさい。うんと勉強して、自然を支配できる技術を身につけなさい。革命こそが最も大切なもので、われわれがひとりひとりではなんの価値もないことを忘れないでほしい。とりわけ、世界のどこかでだれかが不正な目にあっていたら、いつもそれを感じることができるようになりなさい。それが、革命家の最もすばらしい性質なのです。」