Essay on Learning English
2002.05.
橋本努
海外での苦労といえば、とにかく語学である。英語など簡単にしゃべれるのではないかと思いきや、そんなに甘いはずはない。うまく話せないという現実に直面して、語学の問題は予想以上のストレスとなった。いったい、生活の基本は会話にある。基本的なヒアリングと会話の能力がなければ、生活全体のバランスが崩れてしまう。会話力のなさから情緒不安定になり、疲労と焦燥にあえぐ生活を強いられる。そうした大変な思いをして身につけた英語力といえば、かなり怪しいものだ。おそらく私の場合、二十歳の頃に留学していれば一年間で身につけたような語学力を、三二歳の段階で留学したおかげで、二倍の時間をかけてしまったように思う。しかし語学に苦労したおかげで、何よりもまず、今後の人生が格段に面白くなるという感触を得た。コミュニケーションが世界に広がっていくというその感触は、日本社会を生きる上でも貴重なものになるだろう。以下に、ニューヨークで得た私の語学経験について記しておきたい。
もう十五年前になるが、十九歳のときにイギリスで一か月間のホーム・ステイを経験したことがある。そしてその後も、学生時代にいろいろと海外旅行を経験したおかげで、旅行に必要な程度の英会話は心得ていたが、それ以上の英会話力は身についていなかった。中学と高校では一生懸命に英語を勉強していた記憶があるが、大学から大学院にかけては、専門書を読んで翻訳するということ以外に、英語力一般を鍛える機会を持たなかった。そもそも英会話をする機会がなかった。今振り返ると、これはとても残念なことだ。あともう少しで英語力が身につくというところで英会話を勉強しなかったのだから、もったいない。学部生の段階でもっと会話力や英字新聞読解力を磨いておけばよかったように思う。ただし、英語の語彙や文法や読解力については、学部時代の四年間に、大学受験生の家庭教師を続けることで、かろうじて一定のレベルを維持していたように思う。
さて、客員研究員としてニューヨークに行くことが決まると、渡米前の約八か月間は主としてヒアリングの練習をした。月刊誌の英語教材に付属されるCDや、アメリカで発売されているカーズナー教授の講義カセット全九巻などを教材にして、これを毎日の通勤時に聴くことにした。とくにカーズナーの講義テープは、自分の専門分野の内容と重なるのでとても参考になった。
またライティングの練習としては、これまでに書いた自分の論文を英訳してみたりもしたが、それは自己流の英作文にすぎず、流暢な英作文とは程遠いものであった。しかしこの英訳をアメリカ人の知人に添削してもらうことで、いろいろ学ぶことができた。リーディングとしては、自分の研究分野に関するものを通常に読む以外は、他の分野の英語には触れることがなかった。英字新聞を読むこともなかった。いざ渡米してみると、新聞を読むことにしごく苦労したので、やはり英字新聞はあらかじめ読み慣れておくべきだったかもしれない。ニューヨークに来て新聞を本気で読むようになったのは、9月11日のテロ事件によって時事問題への強烈な関心が沸きあがってからであった。
この他に私は、トフルや英検などの勉強をしていなかった。大学生や大学院生として留学するためには何らかの試験勉強をしなければならないが、私の場合は客員研究員ということで、そうした勉強を免除されていた。要するに私の場合、留学するための準備をほとんどしていなかったのである。準備しないことに対する私の言い訳は、日本で勉強しても英語力はそれほど身につかないだろう、というものであった。実際、トフルの点数が高いからといって会話力が身につくわけではないようである。
いざ渡米してみると、語学の経験は失敗の連続であった。渡米時の私の語学力がいかにお粗末なものであるかを例証してくれたのは、例えば、マリオ・リッツォ教授とイタリアン・カフェでお茶をしたときのことである。マリオが錠剤を飲む用意をしているので、「それは何の薬ですか」と聞いてみると、「ヴァイタマン」であるという。「分からない」と答えると、いろいろ説明してくれたので、それでようやく「ビタミン剤」であることが分かった。日本語ではビタミンで「タ」にアクセントがあるが、英語では「ヴァイタマン」で「ヴァ」にアクセントがある。ビタミンと発音してもよいということだったが、こうした簡単な事柄に、私の英語はいちいち躓いていたのであった。この他にも、例えば「パーセント」という発音が通じなかった。「セ」に強くアクセントを置かないと、理解してもらえない。英語はアクセントの強い言語であり、スパークリングする発音とリズムを身につけないと会話が通じないということを知った。こうして私の語学トレーニングは、かなり低いレベルから出発したわけである。私が語学にいかに苦労したか、読者の想像に難くないであろう。
また私がニューヨークに着いて間もない頃、マリオ・リッツォ教授やサンフォード・イケダ教授など数名の教授たちは、私をさそって昼食会を開いてくれたことがあった。しかしそのときの私のヒアリング能力といえば、ほとんどゼロに等しかったように思う。昼食を食べながらザワザワしたところで英語を聞くというのは、非常に難しいことだった。さらに、何が共通のコンテクストであるのかが分からないので、会話を理解する手がかりをつかめない。会話の予備知識がない以上、会話の流れを追うだけでとても疲れてしまう。そのときはじめて理解したのだが、英語力を伸ばすためには、「コンテクストと食事の共有」という二つの大きな課題があるということだ。最初はこの事実にとても驚いた。
他にも例えば、もっと基本的な事柄として、「r」と「l」の発音の違いにはまったく苦労した。ヒアリングでは、文脈の助けによってどちらの発音であるかを推測することができる。しかし自分で発音する際には、舌が自然に発音の区別できるようになるまで、常に不安な生活を送っていた。滞在して最初の約半年間くらいは、rとlの区別に悩まされていた。なるほど語学力は筋肉と同様に、実際に使いつづけないと身につかない。たんに頭で理解できるというのではなく、同じことを何度も繰り返して会話しないと身につかない。したがってスムーズな会話ができるようになるまでは、とにかくぎこちない会話を続けるほかなく、英語力に自信を失いつづけることになるわけである。
こうして私の語学経験は、とにかく必死で英語力を上達させなければならないというプレッシャーの下に、ひたすら辛い日々が続くというものだった。そういうわけで海外生活の初期は、とにかく疲れていた。テレビやラジオの英語を数時間ヒアリングするだけで、一日の勉強許容量を超えてしまう。また、英語力の上達は自分の体調に依存して乱高下するので、あまり疲れすぎると、かえって話せなくなる。話せなくなると、今度は生活全体が漠然と不安になる。不安になるとさらに生活のリズムを失うので、最初は一日10時間くらいを睡眠に当てた。それでも精神的にはギリギリの生活であった。実際、ヒアリングと会話の簡単な練習に多大な時間を割くと、ストレスが溜まる。仕方ないので、コツコツと語学を勉強するほかなかった。教訓として分かったことは、こうした簡単な英会話は二十歳の頃に「遊びの一つ」としてマスターしておかないと、大変な思いをするということだ。
滞在してから約一ヵ月半後、ニューヨーク大学経済学部におけるオーストリア学派のコロキアム(研究会)が始まった。コロキアムのある月曜日は、まず10人程度のメンバーたちで昼食を共にし、コロキアムの後には喫茶店でお茶を共にする。とにかく食べながら飲みながらの会話は、周囲の「ノイズ」によって困難になる。ヒアリングの能力は周囲のノイズに大きく依存するので、コンテクストを解釈する力がないと、うまく聞き取れない。最初はヒアリングするだけで精一杯の日々が続いた。
これに対してコロキアムでは、周囲のノイズがほとんどない。しかし今度は議論の内容が高度になるので、それはそれでヒアリングが難しかった。コロキアムでは毎回発表者の原稿が一週間前に配布されるので、私はそれを毎回精読して、質問をいくつか考えていった。滞在当初は、コロキアムの準備に一週間のほとんどを費やしていた。気の効いた質問をしたいと思ったので、何度もペーパーを精読した。しかし例えば話題が「アメリカ退役軍人の福祉の歴史」といったものになると、ペーパーを読んでもほとんど文脈が分からず、したがって聞き取ることが難しかった。そういう日は悲しく帰宅するほかなかった。
いずれにせよ最初のセメスター(学期)では、とにかくアカデミックな研究会ではどのような議論の手法が用いられるのか、そして必要な語彙は何か、ということに神経を集中させて参加した。また、使えそうな表現を真似るために、ヒアリングしたフレーズをメモ用紙にたくさん書き留めていった。しゃべるよりも最初はヒアリングに集中して、各メンバーの発音の癖を理解しようとしていた。アメリカでは、英語の発音やイントネーションや表現方法に、とても大きな幅がある。例えば、マリオ・リッツォ教授の英語はとてもフォーマルで分かりやすいが、カーズナー教授の英語は、司教の説法のように威厳があってリズミカルだ。デビッド・ハーパーの英語はイギリス英語で気品があり(したがって私には分かりにくい)、トーマス・マケードの英語はオーストラリア英語、ウィリアム・ビュートスの英語はブルックリン訛りの英語である。サンフォード・イケダ教授の英語は、はたしてアリゾナの方言が混ざっているのか、最も日本語から遠い発音で分かりにくかった。この他にも、ラテン・アメリカ系、ドイツ系、フランス系、アジア系などのさまざまな発音があって、アメリカの標準的な英語よりも分かりやすかったり、そうでなかったりする。私はとりわけ、アメリカの大学で教える韓国人のヤンバック教授から多く学んだ。同じアジア系なので発音の癖が似ており、いかに発音を分かりやすくするかというコツを学ぶことができた。またヤンバック教授からは、アジア的アイデンティティを保持しながらアメリカ人と話す会話の基本というものを会得したように思う。
ヒアリングの他に、コロキアムでは質問をすることに準備を重ねた。しかし実際に質問をする段になると、最初は上がってしまい、用意した文章を口頭で話すことができず、めちゃくちゃな英語で単純な質問をしていたように思う。めちゃくちゃな質問には陳腐な答えが返ってくるので、なんとかして冷静かつ正確な文章と発音で挑まなければならないのだが、最初はこれがとても大変なことであった。
ヒアリングと質問の仕方が上達してくると、しだいにコロキアムの準備も一日あるいは半日で済むようになってくる。滞在最後の頃には適当にペーパーを読み飛ばして、聞きたいことだけを質問するようになっていた。なるほどヒアリングの力はそれほど伸びたとは思わないが、伸びたとすれば、集中力を必要としなくなったということであろう。ヒアリングをしても疲れなくなるくらい、一定のコンテクストに慣れて来たということであり、慣れてしまうと今度は、ヒアリングそのものに対して怠惰になり、それ以上に語学トレーニングをするインセンティヴを失っていったように思う。滞在して二年目からは、慣れから生じるヒアリングの伸び悩みが、克服すべき課題となっていた。
他方でコロキアムのメンバーたちが共有するコンテクストがしだいに分かるようになると、ジョークだとか、説得技術のパタンだとか、レトリカルな表現というものに自然に反応できるようになってくる。しかしそうした個別文脈的なことを理解するために、一年半以上はかかったであろう。それまではジョークに反応できずに疎外感を感じていた。今でも英語力は不十分であるが、コンテクストを推測する力がついたおかげで、会話の進行についていけるようになったと思う。
客員研究員という私の身分は、ただ「聴講生(audit)」としていろいろな講義に出席することができるという自由なものであった。私の場合、最初の秋学期で四つの講義を聴講し、次の春学期では一つの講義を聴講した。いずれもペーパーを提出する義務はないので気楽ではあったが、しかし最初はかなり予習をして、講義の内容を理解することに集中していた。アメリカではとりわけ大学院の講義が充実しており、どれもすぐれた教材選択と講義内容に裏づけられた、学問の体系的なトレーニングの場になっている。私がもし大学院生として留学していたならば、アメリカの大学院講義を受講することにある種の誇りを感じたであろう。いずれにせよ、世界中を探してもこれ以上すぐれた教育機会はないだろうという印象を受けた。私はただ聴講生として参加しただけだが、毎回の講義に課されるリーディングの量はとても多く、それを消化するだけでも大変な日々が続いた。ともかく聴講生として参加することによって、オーストリア学派の現在を知ることができた。またアメリカにおける大学院の実態を知ることができて、とても参考になった。(講義内容については別のエッセイを参照されたい。)
願ってもいなかったのだが、私の場合、ニューヨーク大学の客員研究員という身分を得たおかげで、大学が運営する語学学校のコースを無料で受講することができた。これは恵まれたチャンスであった。もっとも渡米して最初の学期は、語学コースの時間帯が他の講義とバッティングするために、講義を優先して、別の語学学校に通うことにした。ジャパン・ソサエティという日本の文化センターにある語学教室である。アンドレア先生というすぐれた教育力をもった先生にめぐまれて、最初はとにかく会話の上達を助けられた。生徒は日本人ばかりなのだが、勤勉で語学力に長けた人たちが多く、互いに得るところが多かった。一週間に二日、毎回二つのクラス(中級と上級で計四時間)に出席したおかげで、しだいに英会話に慣れていったように思う。
アンドレア先生の語学教室では、基本的な文法や日常会話に使う語彙、それから海外生活を話題としたエッセイなどを中心に、多くの課題をこなしていった。とりわけ、動詞のイディオム、性格描写や感情表現に関する語彙、身体や服装に関する語彙、対人関係や異文化コミュニケーションの話題、アメリカの教育システムに関する説明、アメリカ英語とイギリス英語の単語レベルでの差異、ニューヨークに関する話題、ハロウィン・パーティの話題など、一通りニューヨークで生活するために必要な語学トレーニングになっていたように思う。宿題も多く課されたので、つねに忙しく英語を勉強していた。とりわけ、週末に何をしたのかについて英語で説明するという宿題は、自分の生活を英語化していくことに役立った。あるいは上級クラスにおけるテーマごとのディスカッションは、レベルが高くてチャレンジングであった。今振り返ってノートを読み返してみると、実際に使っている会話表現を多く学んでいたことが分かる。すべて、アンドレア先生の力量と生徒たちの真摯な参加に感謝したい。
冬のセメスターからは、ニューヨーク大学における語学学校での英語トレーニングに専念した。なるほど語学のトレーニングは、自分よりも英語力があってしかも勤勉に勉強している人たちといっしょに学ぶことが肝要である。ニューヨーク大学ではさらによい機会を得た。ただし、一般論として言えば、どの語学学校であれ、先生の質はバラバラであり、名の通った語学学校によい先生が集中しているというわけでは決してない。私の場合、冬学期は二人の先生に恵まれたが、夏学期はハズレだった。ただし夏学期にもなると、私の英語力もずいぶん改善されていたので、生徒たちの間で自由に会話することから多くを学んでいった。
ニューヨーク大学の英会話コースでは、生徒たちから最も評判の高いシルビア先生に出会うことができた。たんに英会話を磨くというだけでなく、コミュニケーションの作法や授業を効果的に組織する方法についても得るところが多かった。以下には、コミュニケーションのあり方、プレゼンテーション、ディスカッションの内容、という三つのテーマに沿って、シルビア先生の授業を紹介したい。
英会話においてもっとも肝要なのは、表現作法上のギャップを克服することである。親密さのあり方や身体表現のあり方などについて、アメリカ的(ニューヨーク的?)な表現を身につけなければならない。英会話が伸びないとすれば、それはアメリカ的なコミュニケーションの方法にいつまでも違和感をもっているからであろう。その違和感を克服するために、シルビアのコースではいろいろな試みがあった。例えばコースの初期に、一緒に食事をしたり、挨拶や握手や間接的にキスをしたりするという実践は、クラスのメンバーの共同性と学習への志気を高めるために効果的であった。また、詩を大きな声で抑揚をつけて読むことや、とにかく大きな声を出して発音することで、恥ずかしさの感覚をなくすことをした。例えば、Ra ra ra ra ra, la la la la la というフレーズに音階をつけて、最大の声を上げて発音練習をする。あるいは簡単な劇を三人のグループで演じることによって、rとlの発音の区別を練習したりする。やっていることはあまりにもクレイジーなのだが、こうした極端な演技というものが、表現上の文化落差を克服する上で重要であることに気づいた。英会話に限らずどの言語についても、非言語的な表現力が重要な役割を果たしている。スマイル、声量、服装、香水、立ち方・座り方、距離の取り方、アイ・コンタクト、など、こうした表現力に関する知識を学習することは、なるほどしゃべることよりも重要である。なぜなら、一定の文化に身体的な慣れを持つことが、その後の会話勉強を継続させる力になるからである。
また、会話力を磨く練習の一つとして、相手の言った事柄に対して、いったい一分間に何個の質問を考えつくか、というゲームをした。なるほど英会話を習得する上で決定的なのは、「いろいろな質問を即座に思いつく」という能力だ。例えば「昨日私、美術館に行ってきたんだ」という会話に対して、たんに「どうだった?」と質問するだけでなく、「だれと?」「何時ごろ?」「何が特によかった?」「どうやって情報を得たの?」といった質問をたくさん思いつくことが会話を継続させる。質問ができなければ、会話のキャッチボールが途絶えてしまい、それ以上に英会話を上達させることができない。そうした状態を克服することはとても重要だった。
また会話において、ジェスチャーも重要な要素である。「がんばれよ」「待って」「いいね」「ダメだよ」「おいで」「えっ」「もういいよ」「すごいね」「そうなんだ」などなどの表現には、身体表現がつねに伴う。あるいは、どうでもよいことにも常に身体表現が伴う。アメリカでは大げさな身体表現を学ばないと、英会話を学んだことにならないらしい。実際、身体表現は、過剰に練習してみてはじめて自然な反応ができるようになる。自分が自然だと思う身体表現を超えて、最初は演技力を学ぶつもりで英語に接しなければならない、ということなのだ。
第二に、シルビアのクラスではプレゼンテーションの学習に大きな比重があった。生徒たちには四種類のプレゼンテーションが課題として課された。新聞記事の要約と自分の意見を述べる発表(3分)。パネルやプロジェクターを用いた学問的な内容の研究発表(15分)。食事や映画や博物館など、社会的体験に基づくペアの発表(5分)。同様に、5人のグループで何か企画を立てるグループ発表(10分)、の四つである。以上のような発表を用意するために、生徒たちは授業外の時間に多くの作業をこなした。実際にニューヨークをいろいろ歩いて、プレゼンテーションの準備は社会見学にもなった。例えば私はグループ発表で、ハーレムにある教会を訪れた。そこではゴスペル音楽というものが、どのように宗教実践と関わりをもっているのかについて知ることができた。また一般に、プレゼンテーションのためにレジュメやシナリオを用意したりすることは、英作文の練習に大いに役立った。とくに研究発表では、私はマイクロソフト裁判について、新聞に載った風刺画をいくつか用いて、できるだけ分かりやすく楽しく説明するということをした。私の初めての英語発表は、こうして語学学校での課題だったわけである。この経験は後に、私がオーストリア学派コロキアムで研究発表をする際に、大いに役立った。
プレゼンテーションでは、準備の段階から先生と相談するだけでなく、事後的にも生徒たちによる相互評価や自己評価をしたり、ペーパーを書いて提出したりもした。とりわけ、評価シートを用いてプレゼンテーションの評価を生徒同士で行うことは、効果的であったように思う。評価される項目にしたがって、生徒たちは、模擬演習をしたりリサーチをしたり、さまざまな下準備をしたので、それが結果として効果的であった。この他に、プレゼンテーションのビデオ教材を利用することも効果的であった。
最後に、シルビアのクラスではディスカッションを多くこなした。最初に英会話のトピックの一覧表を渡されて、その中から毎回いくつかのトピックを選んで議論する。例えば自分の国とアメリカの比較。自分の将来に対する希望と不安。個人的体験談、自分に関する性格描写、道徳・政治・経済に関する一般的な話題(例えば戦争についてどう思うか)、社会問題(例えば中絶や麻薬やエイズに関する話題)、世界の問題(貧困や平和について)、社会的オピニオン(例えばアメリカ人はフレンドリーであるか、あるいは、男女の社会的・性格的差異などについて)、等など。こうしたトピックの一覧表を渡されると、何を話せるようにならなければならないのかについて、明確なイメージを得ることができた。英会話を初めて約一年の間は、トピックによって話せる程度が極端に異なるので、どのようなトピックに対応すべきかを一通り知っておくことは、とても助かった。また、ディスカッションの技術、積極的に聴講する方法、スピーチの準備と評価、などに関する説明と資料の配布が効果的であった。
ディスカッションのトレーニングとして、実際に例えば、ドラッグの合法化といった問題を題材に、賛成派と反対派に分かれて議論をした。議論やリーディングのトピックとして、「アメリカ」ないし「アメリカニズム」の政治的・文化的意義をさまざまな角度から扱った。アメリカ人であるとはどのようなアイデンティティをもつことなのか。アメリカ文化の世界的な進出と影響力をどう考えるか。アメリカ文化の良い点と悪い点。移民の歴史。アメリカの愛国心、自由の意味、等など。こうした問題をニューヨークで考えることは、とても意義深いように思われた。また私の場合、一人の日本人としてアメリカ社会に接することで、「アメリカに追いつけ追い越せ」という戦後日本の近代化と高度経済成長の時代(私が過ごした子供時代)を振り返るきっかけにもなった。
ニューヨーク大学では、会話コースだけでなく、作文コースも充実していた。実際、ジョン・ビージング先生の作文コースは、これ以上にすぐれた授業は不可能であろうと思わせるくらいよいものだった。教材の選定、宿題や課題の設定、授業の運営方法、献身的なアドバイス、時間外の会話など、あらゆる点において学ぶところが多かった。生徒たちからの絶大な信頼を得て、とてもチャレンジングな課題と宿題を出す。毎回課されるエッセイの宿題には、丁寧なコメントを付して返却してくれる。何が克服すべき課題であるかについて、各生徒の能力に応じてきめ細かな対応をしてくれる。毎回2時間45分の授業で一週間に二回。宿題も大量に出るので、私の場合、ほとんど毎日がこの授業のために費やされたような気がする。
使った教材は、Andrea A. Lunsford and John J. Ruszkiwewicz 共著、The Presence of Others, (third edition, 2000) という大学一年生向けのライティングのテキスト。日本の大学受験における現代国語の教材を少し高度にしたようなもので、内容は、「読書と批判的思考」、「読書から作文へ」、「大学教育に関する話題」、「道徳哲学」、「科学と技術」、「アイデンティティの諸問題」、「生活、とりわけ故郷や仕事」などについて、それぞれのテーマごとに10本くらいのエッセイが収録されている。しかもそれぞれのエッセイには討論や作文のための一般的な問題が付されており、学習の助けとなっている。所収されているエッセイはどれも有名な作家や哲学者によって書かれたものばかりで、現代アメリカ社会を生きるための教養を身につけるものとして、生徒たちの思考と関心を掻き立てるものばかりだ。例えば、キャロル・ギリガンやエドワード・ウィルソンといった思想家の文章を読んでエッセイを書くことは、とても意義深いように感じた。
なるほどアメリカにおける社会問題を考えるためには、こうしたライティング用の教材が適しているだろう。社会学や政治学や経済学のテキストよりも内容が豊かで、生活感と思考のあり方が密接に結びついているからである。また私の感触では、すぐれたライティングの教材は、「批判的市民」を陶冶するための知的ツールとなっている。既存の自由放任社会を批判する批評や哲学や文学を中心に、アメリカ社会の悩みを深い次元で考察するためのツールを与えてくれる。およそ私たちは英語を学ぶ際に、外国人のマイノリティとして、しかも英語が不得意な言語障害者として、英語圏の社会と人々に接していかなければならない。その場合に、アメリカにおける障害者問題、マイノリティ問題、移民問題、人種差別問題、田舎者差別問題、などに一定の共感をもって社会を理解していくことは、英語の学習を助けてくれた。
この他に授業では、ニューヨーク・タイムズの記事を用いて、それを要約し、個人的な意見を述べ、何か社会的な提案をする、という作文のトレーニングをした。友達への手紙形式で書くので、しだいに自分なりの思考と文章スタイルを身につけるようになる。最初から論文形式の文章を書くことは、自分の観点を養うことがないだろう。これに対して手紙形式の文章を練習することは、生徒たちの作文レベルに適していた。
テストは中間テストと最終テストの二回で、先生とは別の採点者によって客観的に評価するというシステムになっている。この評価システムはライティングのコースを平準化し組織化する上でとても役立っているようだった。生徒たちはあらかじめ評価方法について知らされるので、その基準にしたがって作文の練習をする。生徒は先生にこびたりすることはできないし、また先生は生徒を差別することができない。これはなるほど、生徒たちのやる気を掻き立てるよいシステムであった。アメリカでは小学校から大学にいたるまで、英作文を客観的に評価するための基準がある。例えば高校三年生の段階で、どの程度の英作文レベルが求められるのかについて、具体的な尺度とサンプルがあって、いくつかの段階に評価をランクづけることができる仕組みになっている。一定の客観的な基準に基づいて作文能力を伸ばしていくという教育システムは、初等教育から高等教育に至るまで、アメリカではとてもうまく組織化されているようにみえる。英語の語学教育は、アメリカ人の学生にとっても重要である。とりわけ大学では英作文が必修科目になっており、ある種の教養とみなされているらしい。さらに大学には、「ライティング・センター」という特別の部門があって、生徒は作文を無料で添削してもらうことができる。これは日本の大学とはとても異なるシステムであるようだ。
この他にジョン先生の授業では、マーティン・ルーサー・キング牧師の説教を聞いてエッセイを書いたりもした。キング牧師の説教はとても感動的で、魂を揺り動かさずにはいない。ジョン先生も涙を隠さずに泣いていた。あるいはまた、アメリカ市民になるための模擬テストをしたが、そのテストはまったく簡単なもので、なんだこの程度の試験で市民権を得られるのか、と驚いたりもした。ジョン先生とは授業の前後によく話す機会があって、会話の勉強にもなった。とにかく先生は、私たち生徒の語学力をネイティヴ・スピーカー並に上達させたいと考えており、その意気込みが常に伝わってくるので、なんとか期待に応えたいという気にさせられた。この場を借りて、ジョン先生のエネルギッシュな授業に感謝したい。
ところで私見では、およそ英作文が伸びるためのコツは二つあるだろう。第一に、つねに英語に触れて、とにかくでたらめでもいいから、大量の作文を書く機会を得ること。たとえ少量の作文を正確に書くことができても、作文能力は決して伸びない。作文能力を伸ばすためには、とにかく間違いつづけながら書きつづけるという覚悟が必要だ。ミスが減らなくても作文能力は伸びるので、ミスを恥ずかしがらずに書きつづけなければならない。これは日本の大学教育でも可能なことであろう。第二に、自分の「内なる声」を英語で持つこと。作文というのは、事務的な内容であれ私的な内容であれ、自分の内なる声に導かれた場合にはじめて、リズムが生まれる。そしてすぐれた推敲が可能になる。書くことは、文章展開のリズムを持つことであり、そのリズムはなかなか翻訳できないものである。作文能力は、日本語の作文を英語に翻訳する能力というよりも、英語で書いたものをさらによいものへと推敲していく能力であると思ったほうがよいだろう。ではその「内なる声」はどこから生まれるのかといえば、最初はひたすら他人の文章を真似して、読んだ文章を紙に写しながら、それを自分の「声」のなかに取り込んでいくほかない。そして、大量の日記や日誌を英語で書いていくほかない。また、友達とe-mailを使って英語でやり取りをしていくならば、基本的な日常的思考が英語に置き換えられていくだろう。こうして作られる「英語の内なる声」は、英作文を鍛えるために必須でさえある。大量に書いてすぐれた「内なる声」をもつことができれば、テクニカルな表現方法はそれほど学ぶ必要がないだろう。
次に、語学学校以外の学習経験として、テレビやラジオを通じてヒアリングをすることについて、参考までに記しておきたい。
もともと私の場合、日常会話よりもアカデミックでフォーマルな英語のほうが、英語として分かりやすいということがあったので、渡米直後はそうしたジャンルのテレビやラジオ番組をよく利用していた。テレビでは、週末にC-SPAN2というチャンネルが、Book Reviewという番組を二日間連続で放映している。そこでは、著者が自分の本について語り、オーディエンスがいろいろ質問して、著者と読者の対話が繰り広げられる。そうした会話のやり取りをテレビで見ることは、自分の研究生活にいろいろな意味で刺激を与えてくれた。どのようなタイプの人が何を書き、どのような読者を得るのか、という社会的・心理学的な文脈を知ることができたように思う。とにかく毎週日曜日は、このテレビ番組を三時間くらい見ていた。またアメリカのテレビ放送では、ほとんどの再放送番組に英語の字幕をつけて見ることができる。だからテレビを見て字幕を追うだけでも、ヒアリングと読解のトレーニングになった。
次に、ラジオでは、FM Public Radio (約92kHz)というチャンネルをよく利用した。例えば、午前10:00-12:00に「ダイアン・リーン・ショー」という面白い番組がある。この番組では毎回さまざまな社会的問題を取り上げて、ホストのダイアン・リーン女史がゲストと会話し、電話での質問をリスナーから受け付けて、ゲストとリスナーのあいだに意見交換を設けている。ダイアン・リーンはとてもゆっくり話すので分かりやすい。またさまざまなジャンルの英語に触れる機会になるので、私は二年間の滞在の間に、これをカセットテープに録音して通学時に聞くようにした。そのおかげで私の英語力はだいぶ改善されたように思う。最初は、どうしてアメリカ人はこういうテーマを話しているのか、という文化的ギャップに驚いていたが、やがて日本社会のことを忘れて暮らするようになると、文化のギャップに鈍感になり、かえってアメリカ国内の社会問題を理解できるようになった。すべてヒアリングが伸びたとすれば、アメリカ社会に対して内在的な観点から関心をもち、そして話題の文脈や会話の展開に慣れたということであろう。アメリカ社会に外在的な観点からヒアリングをするかぎり、社会に対する関心そのものが広がらず、結果としてヒアリングの能力が伸びないということが分かった。
およそ日本人にとってヒアリングの訓練は、日本にアメリカのテレビとラジオを多く導入するならば、多くの問題を解決しうるであろう。南米のチリではすでに、60局以上のテレビ番組がケーブル・テレビを通じて放映されており、そのうちの約10%は英語の番組ないし英語圏で作られた映画である。こうしてチリの人々は、テレビというメディア環境の整備によって、英語に多く触れる機会をすでにもっている。それに比べて日本では、英語の番組が少なすぎるように思う。これが決定的に日本人の英語力の劣等性を原因づけているのではないだろうか。英語の番組が多く存在すれば、そして英語の字幕(caption)を各番組で利用することができれば、それによって語学学習者たちのヒアリング能力は格段に伸びるに違いない。ヒアリングを伸ばすためには、毎日二時間程度英語のテレビ番組に触れて、その中で面白そうな番組を字幕つきで見るようにすればよいのである。
海外経験は、35歳までに済ませておかないと、ほとんど適応できないと言われる。私の場合、32歳での渡米は、語学を学ぶ上で最後のチャンスであっただろう。とにかく語学の経験は異文化への精神的・身体的なコミットメントが必要であり、体力勝負であるという面が強い。そして年齢とともに、新しい体験をすることに極度の疲労を覚えるようになる。歳とともに新しさの経験は疲労からの回復を遅くし、結果として語学が伸び悩むということだ。また別の面から言えば、35歳を過ぎてから簡単な英会話に時間を割くことは、あまりにもばからしくなるだろう。ばからしいから興味が湧かず、したがって語学が伸びないということにもなる。語学の習得は、中学生から大学生にかけての頃が最適だ。それ以降に学ぶ語学の経験はつねに、「極度の疲労」と「ばかばかしさ」に付き合わなければならない。
とりわけ日本ですでに安定した地位を築いている人々にとって、あえて語学の苦労を経験することはムダに感じられるにちがいない。日本で過ごすことにそれほど不満を感じていなければ、一年間程度の海外滞在は、とにかく自分の自尊心が失われていく期間となるだろう。英語による会話や作文や講読が不完全であれば、自分がこの地において二流の市民として生きているという感覚をもつからである。この感覚は、逆に「日本」への反動的な愛国心をもたらすことにもなる。自分の自尊心を支えてくれているのは、日本語を用いたコミュニケーションの空間であり、その社会であり、その文化である、ということが自覚される。英語で不器用なコミュニケーションを重ねることは、かえって国際社会における劣等感情をもつようになり、そうした劣等感に基づくゆがんだ愛国心を促進しかねない。
実際に私もまた、ある時期に反動的な愛国感情が沸いてくるという経験をした。ニューヨーク社会に受け入れられていない(社会的役割を引き受ける場所がない)という感覚から、この街の文化と日本の関係に関心をもつようになった。例えば、ニューヨークの人々は日本製の車を乗り、日本製の電気製品を使って暮らしている。世界貿易センターや地下鉄もまた日本製であり、さらに子供たちは、ポケモン・カードを集めて遊んでいるではないか。ニューヨークで目立つのは、日産、トヨタ、ホンダ、ソニー、ポケモン、キティちゃんである。アメリカで活躍するこうした日本の産業文化は、ニューヨークで暮らしていると自分の自尊心のなかに組み込まれてくる。語学に自信がないので、自分のアイデンティティを「日本産業」という集合体のイメージへ拡張して、過剰にコミットメントしてしまうのである。こうして自尊心は、一時的であるとはいえ、まったく情けない誇りの感情へと移行してしまうのであった。
国家公務員として客員研究員を経験する場合、もしかすると、そうした愛国心を得ることが暗に奨励されているのかもしれない。すなわち、海外生活を経験することによって、生活の下部構造から国家意識をもつこと、そして国家に仕える使命を得ること、これである。おそらく一年間の海外滞在で帰国すると、語学の勉強に割いた時間はムダになり、暗黙の国家意識のみが植え付けられるのではないだろうか。そして帰国後には日本社会へ過剰適応して貢献することになるのかもしれない。
しかし、二年間も海外に暮らしてみると、そうしたつまらない自尊心の拡張はおのずと収縮していく。滞在して二年目からは日本社会に疎くなり、これに対して国際社会のさまざまな動きに敏感な感覚が身についていく。それゆえ二年間の海外滞在は、愛国心よりもむしろ、国家のセキュリティを高めることに結びつくのではないだろうか。つまり海外滞在は、研究員の「国際感覚」を育てるための国家的な投資であり、平和で豊かな国際社会を形成するための「人的資本」になるということだろう。私のように、基本的な給料をもらいながら義務がないという身分で海外滞在をすることは、国家の観点からすれば、自由な国際人の形成という抽象的な意義しかもち得ないように思われた。
とくに私のような思想的研究に従事する場合、研究活動を英語ですすめることは、ある種の犠牲を伴っている。なるほど数学や統計のような手法が中心となる研究分野ではあまり問題にならないが、哲学や人文科学のような分野の研究では、英語で思考することは、自らの思考力を劣化させるという危険をはらんでいる。英語で読み書きをするトレーニングは、日本語で思考していれば可能であった研究を犠牲にしてまで、「国際人」になるという理想を掲げることなのだ。国際社会を担うという理想は、こうしてある種の断念に基づく「あらたな可能性」への企図を含んでいる。
では二年間の海外滞在で、はたして人は国際人になれるのであろうか。おそらく二年間では不十分であり、三年間が最適な期間であるだろう。三年間あれば、英語で一貫した研究成果を学界で発表していくことができるようになるにちがいない。もっとも人によっては三年間を無駄にするというリスクもあるので、やはり公式には一年半から二年間の滞在が妥当な期限なのかもしれない。これが一年間の滞在であると、およそ日本社会の文脈を離れて研究することにはならない。自分の自尊心を日本に置いたまま、日本に暮らしている感覚を捨てずに、たんに旅行しているというくらいの感覚で海外生活を過ごすことになるであろう。
また海外研修の成果は、滞在する場所にも大きく依存する。例えば、受け入れ先の大学には議論を共有できる教授が一人もいなくて、大学にはほとんど通わなかったというケースをよく耳にする。大学では図書館だけを利用して、あとは人生を楽しんだという人もいる。研究に専念できると思ったら、かえって孤独感に苛まれて研究がはかどらなかったという人もいる。思うに、文科系の客員研究員として海外に滞在する場合、コロキアム形式の研究会がある大学に行くべきだ。研究は、一定の議論共同体の中で刺激される。そして議論する相手を最初の読者として論文が書かれる。よい研究環境とは議論するメンバーが豊かなところであるだろう。
いずれにせよ私の海外滞在は、それなりの意義があったように思う。とくに語学学校とオーストリア学派のコロキアムに参加した経験は、研究、教育、国際感覚、人脈作り、といった点でよい経験となった。ニューヨーク大学、とりわけオーストリア学派コロキアムのボスであるマリオ・リッツォ教授には、受け入れを認めてくれたことに改めて感謝したい。また、コロキアムのメンバーたちに昼食代を提供してくれた、Earhart財団にも感謝しなければならない。そして何より、二年間という異例の海外滞在を認めてくれた、当時の北海道大学大学院経済学研究科の科長である内田和男先生に感謝したい。内田先生のすぐれた手腕がなければ、二年間の滞在は不可能であっただろう。
私の海外経験から、なにか大学生や大学院生にアドバイスをすることはできるだろうか。もともと私は、中学・高校を通じて英語の成績が悪くなかったと思うのだが、それでも海外では英会話が通用しなかった。また私よりも英語の成績がよかったという日本人の学生にお会いしたが、その人の発音もこちらが恥ずかしくなるような代物で、ニューヨークで英会話が上達したようでもなかった。こういう状況であるから、いったい日本の英語教育とは何なのか、と悲しくなってしまう。現在の大学生や大学院生もまた、英語に関しては私の世代と同様の困難を抱えているのであろう。
日本人の英語が下手である理由は、コミュニケーションの文化的ギャップに基づくところが大きい。日本の会話文化があまりにも欧米のそれと似ていないので、話し方の作法の問題に苦労するのである。しかし苦労して語学に取り組むことには、それなりの価値がある。一つには、英語教育によって国際市民としての感覚を得ることができる。英語力の目標は、なにもネイティヴのアメリカ人やイギリス人と同じレベルで会話することを目指すことではない。むしろ、英語を外国語として話す世界中の人々と、非公式なコミュニケーションのネットワークを築くことにあるだろう。韓国人や中国人とコミュニケーションするときでさえ、英語はとても便利である。何も深いところから英米文化を理解する必要はない。一般的な会話力と高校生レベルの読解や作文を習得すればよいのであって、それ以上の語学力は必要ない。あとはとにかく海外生活を経験することだ。日系アメリカ人や日系ブラジル人などの海外生活者を含めれば、すでにエスニックとしての日本人の10分の一は、海外生活を経験しているに違いない。ある意味で平均的な日本人とは、人生の10分の一の期間を海外で暮らす人であり、そうした国際感覚をもつことは、大学生・大学院生としてぜひとも必要であろう。
もっとも日本語を使う社会に生きるかぎり、深い思考やこまやかな表現は、日本語で磨いていきたいものだ。これに対して、日本に生活しながら国際社会を生きること理想は、「日本語を話せない人と普通に意思疎通をして、平和に共存していくことができる」という実感をもつことにある。語学はそのために学習する価値がある。
英会話が伸びるための秘訣は、二つある。第一に、おしゃべりであること、他人の話を聞き取れなくてもしゃべり返すこと、ずけずけしていること、恥を恐れないこと、日本人離れしていること、などの性格的・行動的特性である。第二に、自分に合った英会話の友達をもつこと、そして会話を定期的に楽しむことである。この二つを手に入れさえすれば、語学は日本にいても自然に伸びていく。逆にいえば、この二つを欠いてしまうと、英会話力は伸び悩む。問題は、英語力を伸ばす機会を得ることに貪欲であることだ。