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「近代(主義)」

[] modern, modernism

『現代倫理学事典』弘文堂、2006年、所収

橋本努(執筆)

 


 

 英語のモダンは「近代(的)」とも「現代(的)」とも訳される。「近代」とは、封建社会から脱皮した資本主義社会(あるいは市民社会)、とりわけその商業-工業段階(産業社会)を指す言葉であり、また同時に、その社会の理想となる諸価値(科学・進歩・啓蒙・普遍など)が流布していく過程を意味する。これに対して「現代」とは、時代現象として捉えた場合の現在を意味すると同時に、現在の社会関係のなかに未来へ向かう進歩の一契機を見出して、それを時代の特徴とするものである。近代の諸価値を体現するものは「近代的」と呼ばれ、また評価の定まらない新しい社会現象は「現代的」と呼ばれる。

 「近代主義(モダニズム)」は、元々18世紀の主観主義哲学や神学において、カトリックの教理(天啓など)を科学的な見地から批判する運動として生じた。19世紀になると、カトリック教会はとりわけ第一回バチカン公会議(1870)において教義の一本化と制度の集権化を計り、近代科学の知見を無神論・不可知論であるとして拒絶する。しかし近代主義はこれに反対して、歴史学的方法による聖書批判などを行った。このころからカトリック教会の影響力は次第に薄れはじめ、ニーチェ(Friedrich Nietzsche)やウェーバー(Max Weber)は、近代化された無神論社会において、人間の精神が危機的な状況にあることを問題化している。

 近代主義という言葉は他方で、19世紀から20世紀中頃にかけて、資本主義社会の発展を主導する時代精神そのものを意味するようになった。すなわち、進歩主義、科学的啓蒙、業績主義と実力主義、大量生産・大量消費型の産業化、禁欲=勤勉の労働倫理、画一化された個性、などのイデオロギー的総称である。近代主義は、伝統や束縛から自由な主体を理想として、政治的には「市民社会」と民主化の運動を導いた。しかし19世紀の社会は依然としてブルジョア階級による支配体制であり、労働者の社会的・政治的権利は十分に保証されていなかった。それゆえ当時の社会主義運動家たちにとって、近代主義とは支配体制に順応的なブルジョア意識と同義であるとされ、超克すべき対象とみなされた。現実的な政策を探る社会民主主義者たちは、近代主義の徹底による市民社会の充実を訴えたが、同時に近代主義の徹底は、近代社会における制度や道徳や知性のあり方を根源的に問い直すという懐疑主義を生み出し、そしてその懐疑から、政治的アナキズムを目指す急進主義が生じた。これに対して急進主義の背徳性や頽廃化を批判しつつ、近代の諸悪を超える近代社会の理想を掲げたのが全体主義であった。

1920年代には、芸術における前衛派が近代主義と呼ばれた。未来派、キュビズム、構成派、ダダイズムなどの諸派は、停滞するブルジョア社会の文化を超えて、来るべき社会主義社会の徴候となる文化表現を模索した。それらは同時に、都会的で享楽的な文芸・文学の運動でもあった。

第二次世界大戦後、全体主義の反省から、再び近代主義の意義が上昇する。資本主義社会を乗り越えるためには、個を滅した有機的な社会結合ではなく、まず近代主義を徹底して、主体性と個体性を確立することが重要な課題であるとみなされた。また戦争の勝利国であるアメリカとイギリスは、近代化がもっとも進んだ国であるとみなされ、これら二つの国の理想的な側面をもって「近代的」と呼び、後進諸国はこれを模範として、英米化を計ることが「近代化」政策の目標とされた。日本では、英米のみならず独仏を含めて、日本社会の欧米化を計ることが戦後の目標となった。「日本的」と呼ばれる封建的な文化様式を捨てて、真の自我を確立した欧米社会を見習うこと、そのために、欧米滞在経験と横文字テキストの読解力を重視することが、近代主義の文化的特徴とされた。いわば、すでに近代化を遂げたとみなされる諸国の文化水準に追いつくことが近代主義の態度であり、その態度は、日本経済が高度成長を達成する1980年代前半まで支配階級の規範となった。

 高度経済成長期の社会体制は、19世紀の時代精神である近代主義を継承したが、これに対する批判は、マルクス主義と実存主義によってなされた。この二つを結合したサルトル(Jean Paul Sartre)の思想は、来るべき社会主義社会を無限遠方に目標として掲げながら、近代主義の最も先鋭的な部分に身を投じていく、という考え方を示している。しかし1980年代以降になると、高度情報化社会の到来とともに、ポストモダニズムの思想が台頭する。科学主義よりも文芸主義、進歩主義よりも保守主義、画一的消費よりも差異の消費、禁欲精神よりも異文化感応的な漂流の精神、西欧中心主義よりも多文化主義、などの重視によって、近代の終焉が語られるようになる。現在、ポストモダンの思想はさらに相対化され、グローバル化とネオリベラル化が進行する社会を、民主社会と市場経済の普遍化を特徴とする「近代化の新たなプロジェクト」として理解する動きがある。

 

【関連項目】

【主要文献】アンソニー・ギデンズ『近代とはいかなる時代か?:モダニティの帰結』松尾精文/小幡正敏訳、而立書房1993年、佐藤俊樹『近代・組織・資本主義:日本と西欧における近代の地平』ミネルヴァ書房1993.