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学者の品位と責任――「歴史における個人の役割」再考

雑誌『未来』20041月号1-7頁所収

 

折原

 

 

マックス・ヴェーバーが重い神経疾患に罹り、それまでは「自由」と感得されていたにちがいない職業中心の生活軌道から外れた一八九八年に、プレハーノフは、「歴史における個人の役割」を論じ、歴史的「必然」の認識が、必ずしも個人の意思を萎えさせて「無為主義」に陥れるわけではなく、かえって個人の精力的な実践活動を支える心理的基礎にもなると主張した。「必然」の認識が、個人の迷いを払拭し、決然たる行動に打って出ることを可能にするばかりか、「別様にはなしえない」との自覚のもとに、当の行動にためらいなく没頭しつづけることを保障するというのである。

もとよりプレハーノフは、この主張によって、マルクス主義における歴史的「必然」の認識と個人の「自由な」実践との両立可能を説こうとした。この論点そのものにかぎれば、なにもプレハーノフにまで遡る必要はない。関心を惹かれるのはむしろ、かれが、こうしたテーゼを、きたるべきロシア・マルクス主義の発展を念頭に置いて提起し、しかもそれを、ピューリタンとイスラム教徒の歴史的類例によって裏付けようとした点である。かれは、ピューリタンについては「一七世紀のイギリスにおいて、その精力の点で、彼らにまさる党派は他になかった」と記し、イスラム教徒については「彼らは、短期間にインドからスペインにいたる地球の広大な地域をしたがえてしまった」と述べ、「宿命論[予定信仰]が、精力的な実践活動をかならずしもつねにさまたげなかったばかりか、その反対に、……そうした活動の心理的に必要な土台」(木原正雄訳『歴史における個人の役割』、一九五八年、岩波書店、一四ページ、傍点は原文、[  ]は引用者。以下、この書からの引用はノンブルのみ記す)ともなりえた歴史的例証と見る。しかも、ピューリタンについては、自分の父母であれ、夫であれ、子どもたちであれ、ひとたび神に見捨てられていると知ったら、「彼らを死ぬほどの憎しみで憎」み、「地獄におちるように願」うだろうとの、某皇妃のカルヴァン宛て書簡を引用し、「こういう感情をもっていた人びとは、なんとおそろしい破壊的な精力をしめすことができたことだろう!」(二二ページ)と、必ずしも否定的ではない感懐を吐露している。

さて、ヴェーバー文献に通じている人は、同趣旨の書簡が「倫理」論文にも引用されている事実(梶山力訳/安藤英治編『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の「精神」』第二刷、一九九八年、未来社、二二七〜八ページ、参照、以下「倫理」と略記)を思い出し、ヴェーバーにおける「マルクス要素」や「ニーチェ要素」をそれぞれ整理箱に収めようとするスコラ的系譜学の流儀(拙著『ヴェーバー学のすすめ』、二〇〇三年、未来社、一二三ページ、参照)に倣って、新たに「ロシア思想箱」の「プレハーノフ引き出し」を設けられないかと考えるかもしれない。しかし、そうしたことは、筆者の関心事ではない。ただ、ヴェーバーは、ニーチェの追随者が「永劫回帰」の思想から引き出した実践的帰結にも止目し(「倫理」、二一六ページ)、さまざまな類例間の比較によって、「必然」信仰が、一方ではその特質、他方では諸条件の「布置連関」に応じて、それぞれ異なる帰結にいたる関係をこそ、見極めようとしていた、と付言して置きたい。

他方、大きな歴史物語を好む向きは、前世紀における「精力的な実践活動」の華々しい三事例(ソ連、アメリカ、イスラム教徒)が、それぞれのエートスに潜む「予定」「必然」信仰と自己絶対化ゆえに、しばしば粗暴な帰結を免れず、現に免れていない国際情勢に照らして、それらの精神史的淵源に見られる一定の類似を照射している点で、プレハーノフの「炯眼」を、価値符号を反転させて評価するかもしれない。こうした見方は、原初的な着想として大雑把に過ぎるが、筆者の関心を惹く。しかし、それもやはり、類例間の比較をとおして精緻化されなければならない。

 

ここではむしろ、プレハーノフの提起した問題を、別の方向に展開してみよう。かれ流の歴史的「必然」信仰を、キリスト教信仰の世俗化形態と捉え、絶対化されて粗暴な帰結をまねく有害な迷信としてしりぞけるとき、「歴史における個人の役割」は、改めていかに考えられるべきか。

かれのように、社会的生産力の不可逆的増大にともなう社会的諸関係の段階的継起を「合法則的」と決め込み、最終的には「理想状態」に「予定」されている(「千年王国」=「社会主義」の過渡期を経て「神の国」=「共産主義」の実現にいたる)歴史発展を「必然」とみなすとき、そうした根っからの楽天主義のもとでは、「他の人びとよりもよく先をみとおし、また他の人びとよりも強くものごとをのぞむ」類の人物が、「創始者」、「偉大な人間」、「英雄」として手放しに称揚される(八五ページ)。なるほど、プレハーノフは、こうした規定に含意される「英雄崇拝」は避けようとして、末尾に「偉大という観念は相対的な観念である。道徳的な意味では聖書のことばをつかえば、『自分の生命を友のためになげうつ』人はだれでも偉大である」(八八ぺージ)とイデオローギッシュに書き加えた。時あたかもロシア・マルクス主義の思春期とあっては、「英雄」の座に就く政治指導者のもとに、理想社会を夢見る若者が殉教もいとわず馳せ参ずる未来をかれが思い描いたとしても、無理もないかもしれない。しかし、『職業としての政治』におけるヴェーバーのように、歴史の歯車に手をかけたがる「政治指導者」の平均的な人間的資質を冷静に考慮に入れれば、ひとたび「先をみとおし」「歴史的必然」を身方に付けたと確信した「英雄」が、「自分の生命を友のためになげう」(傍点、引用者)つはずはなく、「歴史的必然」の大義名分をかざして、他人には「自分の生命を友のためになげうつ」ことを強要し、したがうべくもない大衆を「無為主義」ときめつけて「無為主義」に追い込み、粗暴な支配体制を構築していく客観的可能性は、容易に予測されたのではなかろうか。

しかしここで、「政治指導者」論、「英雄」論に立ち入るつもりはない。むしろ、「必然」信仰とともに、それを前提とする「英雄」と「大衆」との区分も取り払うとき、「歴史における個人の役割」論は、どう再構成されるべきか、を問おう。

プレハーノフ以前にこの問題を取り上げ、当時のヘーゲル主義を念頭に置いて鋭く異議を唱えたのが、ゼーレン・キルケゴールであった。かれによれば、個人が世界歴史の華やかな舞台にうつつを抜かし、世界史的影響に心を奪われていると、自分の行動についても結果や効果に気をとられ、いつしか「自由」、すなわち「全力をかけてある行動にうって出ようとする意志の純粋さ」と「行動の力」を失い、「腑抜け」になってしまう。それにたいして、真の倫理的行為とは、自分の志操を貫く無制約的行為にほかならないが、それはじつは、「行動の結果と効果のいかんを神に委ねていっさい問わない、信仰的超越のゆとりに支えられ」てもいる(杉山好/小川圭治訳『哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき』上、一九六八年、白水社、二四三ページ)。

右に見られるとおり、これは、ヴェーバーのいう「志操(心情/信条)倫理Gesinnungs- ethik」の簡明な定式化に当たる。そして筆者は、「責任倫理」の名のもとに「志操なき適応倫理」「志操なき結果倫理」がはびこり、「心情倫理」に負の価値符号が付けられやすいわが国の文化・思想風土のもとでは、この「志操倫理」の意義をどんなに強調してもしすぎることはないと思う。しかしそのうえで、キルケゴール流の純粋「志操倫理」には、ともすれば「実存的思考者」に通有の「狭さ」のなかで「思い詰めた熱狂」に転ずる危険がありはしないか、と危惧する(筆者のキルケゴール批判として、詳しくは『デュルケームとウェーバー――社会科学の方法』上、一九八一年、三一書房、一一七〜二〇ページ、を参照されたい)。

ところで、ヘーゲル/プレハーノフ流の「必然」とキルケゴール流の「自由」との狭間で、両者の極端な帰結をともに避け、両者を止揚しているのが、ヴェーバーの「責任倫理」論である。個人はもはや、歴史的「必然」に支えられることはなく、まったき個人として自分が「意味」付与する行為を状況に投企し、自分の「価値理念」を実現し、自分の「志操」を表明するほかはない。しかもそのうえで、「結果や効果のいかんは神に委ねていっさい問わない」のではなく、当の行為の蓋然的諸結果を、状況における諸条件の「布置連関」の認識をとおして予測し、意図しなかった結果にも責任をとらなければならない。そこでは、個人としての責任が、歴史的「必然」にも「神」にももたれかかれないだけ、かえってそれだけ鋭く、厳しくなる。

 

では、この周知の「責任倫理」論を、羽入辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪――「倫理」論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』(二〇〇二年、ミネルヴァ書房、以下羽入書)への対応という問題に適用すると、どうなるであろうか。

もとよりこの問題は、「世界史的」意義など帯びようもない瑣末な案件ではある。しかし、「責任倫理」論をなにか「世界史的」大問題にかぎり、日常生活や専門的研究/教育領域にしばしば出現する小問題への適用を怠っていると、いつしかキルケゴールのいう「腑抜け」になる。「責任倫理」のカテゴリーは、卑近な小問題にもひとしく適用されなければならない。むしろ、「歴史における個人の役割」論を、ヘーゲル/プレハーノフ流の誇大理論的適用制限から解き放ったところに、ヴェーバー「責任倫理」論の意義のひとつがあるといえよう。

羽入書の内容については、拙著『ヴェーバー学のすすめ』で論駁したから、ここでは繰り返さない。羽入書を言論の公共空間に押し出して実態を曝させた年長者の研究指導責任/査読責任にも同書で論及した。ここではむしろ、ヴェーバー研究者側の問題について考えてみたい。 

プレハーノフ流の楽観的な見方では、ある問題の解決にABC、……が携わったとして、Aが首尾よく問題を解決すれば、BC、……はもはや当の問題に取り組む必要はなく、別の問題に転ずることができる。ところが、Aが途中で死ぬか、なんらかの事情で当の問題を解決できないとなれば、BC、……のうち誰かが、Aに代わって当の問題を解決する。したがって、問題そのものは、いずれにせよ解決される(七〇ページ)。じつは筆者も当初は、誰か別人が羽入書を論駁してくれれば、筆者は「ヴェーバー『経済と社会』全体の再構成」という年来の懸案に専念できると考えた。そこで、「中堅」や「新進気鋭」のヴェーバー研究者に宛てた二〇〇三年の年賀状に、羽入書は「疑似問題を持ち込んだひとり相撲」との趣旨を書き加え、たしか「非行少年がはびこるのも、大人が正面からまともに対応しないため」と記して、遠回しに反論執筆を促したのである。しかし、思わしい手応えはなかった。そこで初めて、プレハーノフ流楽観論へのまどろみから醒め、「再構成」の仕事を中断して、『季刊経済学論集』(東京大学経済学会編、六九巻一号、二〇〇三年四月、七七〜八二ぺージ)に書評「四疑似問題でひとり相撲」を寄稿し、抜刷りを同じ範囲のヴェーバー研究者に送った。

これへの応答には、研究者とくに「中堅」が現在、大学でいかに多くの雑用に喘ぎ、「研究の自由」を制約されているか、が如実に示されていた。そうした条件下で、働き盛りの現職研究者には羽入書にかかわる余裕がないとすれば、悠々自適の老生が急遽登板し、ワンポイント・リリーフは果たしたともいえよう。ただ今後、いつまた得体の知れないピンチ・ヒッターが出てくるか分からないので、老生なりの苦言を呈して置きたいのである。

書評抜刷りへの応答のなかには、「自分も同じく羽入書を問題と感じたが、反論にも価しないと思って放っておいた」とまえおきし、「ああした際物は、『自然の淘汰』に委ねればよい」ので、筆者も「早く年来の懸案に立ち戻るように」と勧告してくれるものもあった。好意の勧告は、有り難く承る。しかし、「淘汰」というのは気になる。「責任倫理」論の見地から、この問題をどう考えるべきか。

周知のとおり、ヴェーバーは、あるライフ・スタイルなり学説なりが、淘汰に耐えて生き延び、支配的となるには、当のライフ・スタイルや学説そのものは、淘汰のメカニズムが作動し始めるまえに、予め歴史的に成立していなければならず、淘汰理論では、当の成立そのものは説明できない、と限界づけた。そのうえで、当の成立を、創始者個人に遡り、その普及過程とは区別して捉える、独自の説明方針を念頭に置いて、「倫理」論文も執筆していた(たとえば「倫理」九八ページ参照)。じつは、マルクスとドイツ歴史学派の「総体論」を、メンガーの「原子論」との相互媒介によって止揚したこの理論視角(拙著『ヴェーバー学のすすめ』、一一九〜二二ページ)は、デュルケーム社会学にたいするタルド「発明−模倣」説の理論的優位を、さらに一歩進めた位相にある。デュルケーム社会学は、「集団表象」から「個人表象」の派生を首尾よく説明できても、当の「集団表象」の発生そのものは、少なくともその質に立ち入ってまでは説明できない。

後代から距離をとって「成功物語」として歴史を構成すると、ある説が「自然の淘汰」によって葬られたかに見えるばあいもあろう。しかし、当時の微視的現実に遡って仔細に検討すれば、当該説が存続に価しないことを証明するか、あるいはいっそう優れた説を提唱するかして、当該説の「淘汰」に道を開いた、ことによると無名/匿名の個人にいき当たるはずである。そうした現実を捨象し、歴史があたかもそれ自体として「淘汰」のメカニズムによってひとりでに動くかのように眺めてはならない、というのが、ヴェーバーの淘汰理論批判に込められたメッセージで、「責任倫理」論とも連動していたのではないか。

 

それに、現在の状況を考えると、羽入書が、「放っておいても自然に淘汰される」代物とは考えにくい。管見では、受験体制の爛熟、大学院の粗製濫造、学位規準の意図的引き下げといった構造的要因により、分からないことを分からないと認めて分かろうと努力する根気がなく(「大衆人」化)、逆に、分からない相手に「杜撰」「詐欺」と難くせをつけて、分からない自分のプライドを救い、あわよくば世間をあっと驚かせて学界デヴューも飾ろうという、幼弱でエクセントリックな願望が、羽入のみでなく、若い世代に広まっている。そこで、こうした風潮に「賞=ショー」を出しておもねながら、翻って当の傾向をバック・アップしようとする勢力も現れるし、読者の側にも、羽入書を歓呼して迎え入れ、その「共鳴盤」にもなりかねない「羽入予備軍」が形成されている。羽入書は、この統計的集団に秋波を送ってエンタテインしようとしているし、版元も、この層の広がりを当て込んで、際物と知りつつ売り込みをはかっていると思われる。仄聞するところ、大学の生協書籍部には、羽入書が「平積み」にされているという。こういう状況を放っておくと、「悪貨が良貨を駆逐し」、先達の根気よい努力によって築き上げられてきたヴェーバー研究の蓄積をつぎの世代に引き渡し、乗り越えを促し、わが国の歴史・社会科学を発展させようにも、担い手が育たなくなる。

現に、学生/院生のなかには、ヴェーバー著作のような古典を厭う傾向が、趨勢として顕れてきている。じつは、羽入書にたいする筆者の批判も、対応上やむなく微細にわたっているが、若い世代への「テューターによる介助を欠くと、かえって「ヴェーバー離れ」に拍車をかけるのではないか、と危惧している。

 

しかし、つきつめたところ、そういう状況論以上に重要なことがある。学者の品位という問題である。もし自分も恩義を受けている親しい友人が、だれか第三者に、いわれのない難くせをつけて「詐欺師」と決めつけられたら、「そんなことはない」と友人を擁護するのが、人情であり、人の道であろう。そういう状況で「見て見ぬふりをする」人を、古人は「義を見てせざるは勇なきなり」と看破した。ところが、ことが学恩、友人が外国人、しかも故人となると、ともすればそうした人情は影を潜め、「やらずぶったくり」の「見て見ぬふり」がまかり通る。ことほどさように、この島国の学者のエートスには、「対内倫理と対外倫理の二重性」が内在化しているのである。

わが国の学者は、長期間、欧米の学問にたいする一方的な授受/依存関係になじんできた。もっとも、この関係をかつて「本店−出店」関係と揶揄した評論家よりも、みずから学問的に苦闘する学者のほうが、欧米人学者の学問的苦闘も追体験でき、学者としての共感と敬意という普遍的品位感情を培うとともに、欧米学問の土俵にも乗り込み、対等に論争し、積極的に寄与することで、当該関係の是正につとめてもいる。しかし、そうした学者は、まだわずかで、圧倒的多数は、欧米の最新流行を追い、手早く紹介したり整理したり実証的に適用したりするのに熱心である。そこでは、「言いたい放題」と「見て見ぬふり」をともに「人間として浅ましい」と受け止める品位は、育ちようがない。羽入書への対応は、はからずもそうした島国根性の深層を露呈してはいないか。

ここで筆者には、一九六八〜六九年東大闘争のさい、東大当局による事実誤認とその隠蔽という現実の直視を避け、首をすくめて嵐が過ぎ去るのを待った「亀派」教官の姿が思い出される。あれから三五年、事態は変わっていないのか。筆者がいま、あえてこの一文を草し公表するのも、「中堅」や「新進気鋭」の研究者には、この機会にぜひ「学者の品位と責任」について考え、今後に予想される危機状況には慎重にも敢然と立ち向かってほしいからである。

問題と状況のいかんによっては、多忙による回避が許されないこともある。学者は、学問研究と教育に直接責任を負うべきである。あてどなくさまよう人間組織への責任を優先させ、研究への直接の責任を忘れるとすれば、本末転倒であろう。(二〇〇三年一一月三〇日)