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ハバーマス『公共性の構造転換』[1962→19902=1994]未来社

 

第一章 序論 市民的公共性の一類型の序論的区画

PRとしての公共性

・ほんらいの世論の機能であった公開性は、いまや世論の注目を引きつけるもの、「広報活動(PR=public relations)」となり、公共性=知名度を高めるものとなっている。(12)

 

◆ギリシアの公共性

・「公的生活(bios politikos)は市民の広場(agora)で演ぜられ、決して地域に結びついたものではない。すなわち公共性は、会議や裁判の形をもとりうる対話(lexis)と、戦争であれ闘技であれ共同の行為(praxis)とにおいて成立する。」(13)

・ポリスにおける市民としての地位は、このように家主(oikodespotes)としての地位を土台にしている。

・「すべて存在するものは、公共性の光のもとではじめて姿を現して、万人の眼に映るものとなる。万象は、市民たち相互の対話のなかで、言葉となり形姿を得る。平等な者たちが競い合う闘いのなかで、最優者が傑出してその真価を――不朽の栄誉を――勝ち得る。……国家(Polis)は光栄ある傑出の広い舞台を提供している。市民たちはあくまで対等の者(homoi)として交際するが、他より傑出しよう(aristoiein)と努める。」(14)

 

◆中世の公共性

・「領主権」は、「私的な自由処分権」と「公的自律権」が重なっている。すなわち、私的な支配権と公的な支配権が不可分の統一体になっている。(16)

・「共同的(common)」と「個別的(particular)」の区別。→ある面では、公的/私的に対応するが、封建制の枠内では、commonprivate, particularpublicとなる。平民=共通人は私人である。普通兵は私兵である。これに対して個別的なものは特権的なものである。

・「公衆的(gemein,common)」という語は、共通のもの、万人が立ち入ることのできるものを意味し、したがって、特別の権利(領主権)から閉め出されていることを意味した。

・君主の証印のような「表現的公共性」:社会的地位の徴表。(18)

・【代表的具現】公衆=人民の「前で」臨御する君主の人身によって、不可視の存在を可視化すること。偉大、高位、尊貴、栄光、威厳、名誉などの評価を帰属する。(18)

→「高貴な態度の厳格な作法」:宮廷的な徳の体系として結晶した。「しかし宮廷的・騎士道的な代表の公共性は……祝祭の日の『盛典』に繰り広げられるものであって、もはや政治的意思疎通の行なわれる生活圏ではない。それは封建的権威の威儀として、一つの社会的地位を顕彰するものである。」(19)

 

◆貴族的社交界としての公共性

・14世紀になると、人文主義の教養世界が宮廷生活に統合される。やや遅れて、イングランドの「紳士(gentle man)」、フランスの「貴紳(honnête homme)」が現れる。彼らの生活を「社交界」という。

・代表的具現性は、祝祭から、宮廷内部の庭園におけるに移る。すなわち、武技、舞踏、観劇などの「バロック様式」であり、外界に対して遮断された宮廷生活である。「ルネッサンスの社交界から出現してきたこの貴族主義的『社交界』は、もはや……自分の支配権、すなわち自分の領主権を具現するものではなくなり、専制国王の威光の顕示に奉仕するようになっていた。」

・ドイツでは、16世紀半ばにprivatという用語があらわれる。これは「公務・公職をもたぬ」という意味であり、国家機構からの排除を指す。(22)

 

◆ブルジョア的公共性の成立

1617世紀になると、公権力は、恒常的行政と常備軍を形成する。ここで「公的」とは「国家的」という意味になる。「この『公的』という属性は、権威を備えた人物をとりまく具現的な『宮廷』にかかわるものではなく、むしろ合法的実力行使を独占する装置の、職権に従って規制された運営にかかわることになる。」(30)

・「市民社会」という、公共的意義を帯びた私有圏が成立する。「17世紀に至るまで、家長の任務範囲に収まっていた経済の概念そのものが、いまはじめて、利潤の原則に従って計算する事業経営の実践のなかで、その近代的意義を帯びてきた。」(31)→ノ私的な経済活動に対する国家の財政政策(税制など)が、公的なものとしてイメージされる。

17世紀中頃に、「日刊新聞」が成立する。(32)→行政当局が命令や指令を公示するために、新聞を利用するようになった。政治新聞の成立。君主の旅行や帰国、外国貴顕の来訪、祝祭、宮廷の盛儀、任官などを報道した。→公権力の受け手は、公衆として成立する。(33)

→「けれども普通は、これら公示はこの方法では『一般人』にではなく、せいぜい『教養ある身分』にしか届かない。近代国家の装置と一緒に、『ブルジョア』という新しい層が成立し、これが『公衆』のなかで中心的な地位を占める。その中核は、領邦的行政の官吏、主として法律家である。……さらに、医師、牧師、将校、教授、『学者』などがこれに加わる。……そのあいだに、本来の意味での『市民』(町民)、すなわち手工業者や小売商などの旧来の職業身分は、社会的に下落していた。……『ブルジョア』の層こそは、公衆の真の担い手であり、これは始めから読書する公衆なのである。」(34-35)

 

◆公衆の成立

17世紀には、報道ではなく教育的啓蒙、批判、評論をめざす雑誌が現れる。→やがて公権力から分離した「民衆広場」として発展し、公権力の正当性の証しを求めるようになる。公論する公衆の成立である。イギリスでは、それまで「世界(world)」「世人(mankind)」と表現してきたものを、「公衆(public)」と呼ぶようになる。フランス、ドイツでも同様。(36-38)

 

 

第二章 公共性の社会的構造

◆「市民=私人=民間人=公衆」による監査原理としての公共性

・公衆として集合した私人たちの生活圏。「これらの私人(民間人)たちは、当局によって規制された公共性を、まもなく公権力そのものに対抗して自己のものとして主張する。それは、原則的に私有化されるとともに公共的な重要性をもつようになった商品交易と社会的労働の圏内で、社会的交渉の一般的規則について公権力と折衝するためであった。」→この政治的折衝の媒体となる「公共の論議」の出現。(46)

・「〔民間人〕は『支配』しない。彼らが公権力に対してつきつける権利要求は、集中した支配権を『分割』せよというのではなく、むしろ既存の支配の原理を堀崩そうとするのである。市民的公衆がこの支配原理に対置する監査の原理が、まさに公開性なのであって、これはもともと支配そのものの性格を変化させようとするものなのである。」(47)

・「公共的論議の自己理解の特色は、小家族の親密な生活圏において公衆に関心をもつ主体性から由来する私的経験に導かれているところにある。」(47)


◆私的領域と公的領域の基本構図(49)

私的(民間)領域

 

公的領域

市民社会=私有(民間)圏

(商品交易と社会的労働)

政治的公共性

国家:内務行政

小家族的内部空間=親密圏

(市民的知識層)

文芸的公共性(クラブ・新聞・文化財市場)

宮廷:貴族の社交界

「都市」

・ここで民間人は、商品所有者の役割と家父長の役割を兼ねている。(48)

 

17世紀における公共性の転換:貴族の社交界から市民的公共性へ

・芸術と文学の受け手、消費者、批評家としての読者、観客、聴衆を指す。それは第一には宮廷のことであり、上流市民層のことであった。(50)

→しかし、会話を批判へ、警句を論理へ転化させる自律性へ発展することはできない。

17世紀には、知識人が貴族に出会う「喫茶店」が出現する。

・夕食会、サロン、喫茶店は、その範囲・構成・様式・雰囲気においてさまざであったが、私人たちの持続的討論を組織化していった。それらには共通の制度基準がある。@社会的地位の平等を前提とするどころか、そもそも社会的地位を度外視するような社交様式が要求される。A討論は、教会的国家的権威による解釈の独占を問題化する。B文化を商品形態へ転化させ、公衆の非閉鎖性へつうじていく。万人がその討論に参加しうるようになる。

・文学:貴族の召使いとしての文筆家から、出版業者と契約する作家へ(58)

・音楽:儀式音楽から、公衆のいる音楽へ(59)

・絵画:貴族的な通人(connaisseur)収集家のための絵画から、市場のための絵画へ(60)

 

◆市民的家族

・私生活化:「居間」の縮小と、個々の家族成員のための部屋の数の増大。「家の主婦が主人と並んで召使いや隣人の前で家格を具現していた居間のホールの大家族的『公共性』は、夫婦が未成年の子供たちを連れて、住人たちから離れて住む居間の小家族的公共性に席をゆずる。家の祝賀は、社交の夕べとなり、家族の間は応接間となって、そこで私人たちが公衆として集合する。」(66)

・客間=サロンの設立。→私生活圏に公共圏を作る試み。

・市民家族の理念としての「自由意志、愛の共同体、教養――この三つの契機は、人間性そのものに本具のものであると説かれて、まことにその絶対的地位をはじめて形成するフマニテート(人間形成)の概念へ結集する。」(67)

・「市場と自家経営における財産所有者の自立には、家父長に対する妻子の従属関係が対応していた。前者における私的自律は、後者において権威へと転化し、標榜された個々人の自由意志は幻想に帰する。婚姻の当事者双方の自律的意思表示を建て前としている結婚の契約形式も、大幅に擬制であった。」(68)

 

◆私的手紙→小説→文芸的公共性

・経済活動からも独立した、純粋な人間的関係において自己理解すること。そのための、心情の披露としての手紙のやり取り。「手紙は、熱い胸の血で書かれ、涙ながらに読まれるものでなければならなかった。心理的関心は、はじめから、自己自身と相手との二重の関係で生じた。自己観察は、相手の自我の心のそよぎと、一方では好奇的な、他方では共感的な関係を取り結んだ。日記は発送者宛の手紙となり、自己について語ることは、見知らぬ受信者宛のモノローグとなる。いずれも小家族的に親密な人間関係のなかで発見された主体性の実験である。」(70)

・「著者と作品と読者の関係は変化した。それは、『人間的なもの』、自己認識と感情移入にひとしく心理的関心をもつ私人相互の親密な関係となった。……著者も読者も、みずから『心情を披露する』俳優になる。」(71)

・文芸的に媒介された親密性としての公共圏が成立する。18世紀には、小説を読むことが市民層のあいだで習慣になった。「これらの市民層は、初期の喫茶店やサロンや会食クラブなどの施設からはとっくに脱却していて、すでに新聞やそれの職業的批評という媒介機関によって結束させられている公衆を形成する。彼らは、文芸的論説の公共圏を形成し、この中で小家族的親密性から由来する主体性が、自己理解をとげたのである。」(72)

 

◆私生活の権利主張としての近代的=市民的公共性

・近代的公共性は、文明社会の規制として、親密化された私生活圏の権利経験を背景として、既成の国家的権威に反抗する。(73)

・「権威ではなく真理が法を作る」(ホッブスの国家論)

・「君主の権威の枢密に反対するこの種の合理性の論争的主張は、歴史的には、民間人たちの公共的論議と連関して発展してきた。」(75)「市民的公衆の公共論議は、原理上は、社会的・政治的にあらかじめ形どられたあらゆる階位を無視して、普遍的規則に従って行なわれる。これらの規則は、個人そのものには厳しく外面的なものに留まるがゆえに、彼らの内面性の文学的発揮のために自由な活動の余地を保証し、また普遍的に通用するがゆえに、孤立された人間に自由な活動の余地を保証し、客観的であるがゆえに、きわめて主観的なものにも自由な活動の余地を保証し、抽象的であるがゆえに、きわめて具体的なものにも自由な活動の余地を保証する。同時に、このような条件のもとで公共の論議から生ずる結論は、合理性を主張することができる。すぐれた論証の迫力から生まれる公論は、その理念からいえば、正論と正義とを一挙に言い当てようとする道徳的に高望みな合理性を要求するのである。」(75-76)

・「十分に発達した市民的公共性は、公衆として集合して財産主およびたんなる人間という二つの役割を演ずる私人たちの擬制的同一性にもとづいている。」(77)

 

 

第三章 公共性の政治的機能

◆イギリスにおける公共性の発展

18世紀初頭:ホイッグ党の政治家ハーレイは、党の主義主張をパンフレットや日刊紙で擁護する。これによって「党派精神」を「公共精神」にした。(88)ホイッグ党は、新聞『ロンドン・ジャーナル』を1722年に買い上げる。

・これにたいしてトーリー党は、大規模な政治的ジャーナリズムを創出し、野党として、「民意」を創出した。(89)→これ以降、野党は、「国民感情」「国民一般の叫び」「平民の声」「公共の精神」という言葉を用いて、議会多数派に対して譲歩を迫るという戦術を取るようになる。そのおおよその尺度は、各州選挙の平均的結果である。(94)

 

◆私有化のための市民的公共性

・公共性が政治的機能を引き受けるようになるのは、商品交易と社会的労働が国家の統制から大幅に解放されていくという背景がある。「政治的に機能する公共性は、市民社会が自己をその要求に応ずる国家権力と媒介するための機関という規範的地位を得る。この『発展した』市民的公共性を成り立たせる社会的前提条件は、傾向的に自由化された市場であり、これは社会的再生産の圏における交渉を、できうるかぎり私人相互のあいだの問題とし、このようにはじめて市民社会の私有化を完成するものである。」

・「『私的』という言葉の積極的意味は、資本主義的に機能する財産に対する自由処分権という概念に即して形成される。」(105)

→市民的私法の成立:プロイセンの一般国法(1794)、ナポレオン民法(1804)、オーストリアの一般民法典(1811)

・「このように、私有(民間)圏が傾向的には権力から中立化され、支配から解放されるように、それの経済的基本体制の法律的保証も同じ方向をめざしている。法の保証によって、すなわち国家機能を一般的規範へ拘束することによって、市民的私法体系において法典化された自由権とともに『自由市場』の秩序も保護される。」(110)

 

◆市民的法治国家:公衆の公論による支配は、支配の解消を帰結する

・「公論は、それ自身の志向からいえば、権力の制限でも、それ自身権力でもなく、ましてすべての権力の源泉でもありえない。むしろ執行権力の性格たる支配そのものも、公論の媒介のなかで変容するはずなのである。公共性の『支配』とは、……その中で支配一般が解消するような秩序である。」→権威ではなく真理が秩序を作る。(113)

・「市民的法治国家は、活発な公共性に基づいて、公権力を民間圏の欲求に従属させることを保証するような、公権力の組織化形態であることを標榜している。」(115)

・「公論はみずから支配しないが、その洞察には、啓蒙された支配者は従わざるを得ない。」(136)

 

◆三つの基本権

@論議する公衆のための権利:思想と表現の自由、印刷の自由、集会・結社の自由

A家父長的小家族の親密圏にもとづく個人的自由権:人身の自由、住居の不可侵性

B私有財産主たちの権利:法の前での平等、私有財産の保護(114)

 

◆市民的法治国家の矛盾

・法治国家は、財産によって保証された「私人」たちの自律を基礎としているが、そのような私人は少数者にすぎない。(115)

18世紀の市民は、政治的機能を引き受けるとしても、依然として文人的である。選挙権が制限されていたので、教養と財産が必要であった。(116)

・無政府的な自由市場において、財産主だけが公衆を形成する立場にいた。(118)

→市民としての財産主は、私的秩序としての財産秩序の安定性を配慮すべきだと主張した。ここでは、財産主と「端的な人間」が同一視されていた。(118-19)

 

 

第四章 市民的公共性 イデーとイデオロギー

◆オピニオンという概念

“opinion”とは、@臆見(不確定な判断)、Areputation(他人の評判のなかで帯びる姿、名声、声望)、を意味した。(128)

・ホッブスは、conscience(意識=良心)とopinionを同一視した。(129)

・ロックは、神の法、国家の法と同格のものとして、「意見の法」を述べた。それは、「美徳と悪徳の基準」「民間の風習(folkways)」「私的検閲の法」であり、非公式的な、社会の間接的統制力である。「意見の法」は、公共の討論のなかで成立するものではなく、「法律を作る権威のない私人たちの合意」にもとづく。「意見」は、公論のように教養と財産という前提条件に制約されていない。

・イギリスでは、「意見」は「偏見」から区別される。しかしフランスでは「偏見」との縁が切れない。(131)

・英語では、「意見」から「公共精神」へ、そして「公論」へと言葉が発展する。

 


◆意見と公共性

・【公共精神】:万人が議論し得ないとしても、すべての人が感知できるもの。信頼できる常識にたよって生きる人民の精神である。そこには、@正義と正論とを直接に感じとる素朴な感情、A論議の公共的対決を通じて「意見」を「判断」へと明確に分節する反省、という二つの意味が混在している。(133)

・フランスでは、啓蒙された公衆(public éclaire)によってはじめて、公論は「批判的討議を通じて真の見解へ浄化された意見」という厳密な意義を帯びてくる。ここでは、意見と批判の対立が解消する。(135)

・健全な常識=良識(bon sens):新聞とサロンの討論を通じて与えられる「啓蒙された公衆」の意見(138)

→フランスの「公論」概念は急進化している。公衆の批判的能力は疑う余地がないとされている。(140)

 

◆カント:政治と道徳の媒介原理としての公開性

・「公共的に論議する私人たちが絶対主義的支配に対抗して提起した批判の審廷は、みずからは非政治的なものであるという自己理解をもっていた。すなわち公論は、道徳の名において政治を理性化しようとするものなのである。」(143)

・カントは、公開性によって、政治と道徳の合致を保証しうると考えた。

泓攝ォの公共的使用:「公共性は学者の共和国の内部のみで実現されるのではなく、その心得のある万人の理性の公共的使用のなかで実現される。」(146)

・カントにおける市民的自由について(149-)

气Jントにおける二つの発想:(157)

@公式的構想:自然強制のみから自然に出現する世界市民的秩序

A非公式的構想:政治は、法治状態の形成にこれから進まなくてはならない。そのために、公共性のなかで、万人の経験的諸目的の叡智的統合が成立し、倫理性から合法性が出現しなければならない。歴史哲学は、この意図をもって、公衆を指導する任務を引き受けなければならない。

 

◆ヘーゲル:市民的公共性の分裂

・市民的公共性の基盤である私有財産制度と商品交易に、内的矛盾が生じると、市民的公共性の理念はイデオロギーとして批判されるようになる。(159)

・公論の格下げ:ヘーゲルによれば、公論は学問ではない。「いやしくもその名に値する学問は、私念や主観的見地の地盤に立つものではなく、そしてその論述の仕方も、話術や風刺や暗示の術ではなくて、語義と意味とを明晰判明に表現することにあるのだから、学問は公論とよばれるものの部類には属さない。」(ヘーゲル)(160)

→公論は、多数者の主観的私念という水準に転落した。これは「市民社会の分解現象」からの必然的帰結である。(161)

・ヘーゲルによれば、「身分会議の公共性」こそ、@公論をはじめて真理の思想に導く。A国家の官庁の業務や才能や徳性や練達を見知って尊敬することができるようになる。B個々人や大衆の独善に対する解毒剤であり、彼らに対する教育の具である。(163)

→こうして「公論」は「私見(opinion)」の圏内へと追い返される。

・「ヘーゲルが市民的公共性の理念からその先鋭さを奪うのは、無政府的で敵対的な社会が、支配から解放された権力に関して中立化された意思疎通の場ではなく、自律的私人たちが公衆となって政治的権威を理性的なものへ転化させうる交渉圏ではなくなってきているからである。市民社会も、支配なしですますことはできない。それは解体への自然的傾向を備えているだけに、むしろ政治権力による統合を必要とするのである。」(164-65)

 


◆マルクス:市民社会の解体

・マルクスは公論を虚偽意識として弾劾する。公論はブルジョア的階級利害の仮面である。自律的人間というのは私有財産主たちにすぎない。(166)

・私有財産主になるための資格を得る機会の平等は、開かれていない。(167)

→非ブルジョア階層が政治的公共性へ侵入して、新聞や政党や議会に参加するようになると、市民社会の内部で公論が分裂し、解体する。マルクスによれば、選挙法の改革は、「市民社会の解体の要求」なのである。(169)

・無産者大衆が政治問題を公共の場で取り上げるようになると、社会生活の再生産そのものが一般の関心事となる。→経済的管理という問題へ。

 

◆ミルとトクヴィル:自由主義における公共性の両価的把握

・公論は、自律的な社会的生産過程を原則的に保証するような、公共性の自然基盤を発見するものと考えられた。市場の自然秩序によって利害の衝突と官僚的独善を最小限に削減し、これらがどうしても避けられない場合は信頼できる公開された基準で判定するということである。(173)

・しかし「市場の自動調整からは満足を期待しえない集団的欲求は、国家の側からの統制を志向するようになる。これらの諸要求を今や媒介せざるをえなくなった公共性は、暴力対決という荒々しい形態を取った利害競争の場となる。」(175)

・公論の支配は、その都度の多数派の支配という姿で、強制権力として現れる。トクヴィルによれば、公論は批判の力というよりも画一化の力である。「寛容の要求は、公論に対して突きつけられるのであって、かつて公論を抑圧していた検閲官に向けられるのではない。」(176-77)

・議論する公衆は、もはや一つの理性的合意、一つの公論へは至らない。したがって、公共性のなかで競合する利害関係の合理的解決を断念しなければならない。ミルによれば、「人知の現状では、ただ意見の相違のみが、真理のすべての側面に公正競争の機会を与えるからである。」(178)

・「政治的機能をもつ公共性は、もはや権力解消の理念をかかげず、むしろ権力配分という目的に奉仕すべきである。こうして公論は、たんなる暴力制御にすぎなくなる。」(179)

・ミルの代議制統治論:「政治問題は無教育な大衆の知見や意志を直接もしくは間接によりどころにして決定されるべきではなく、とくにこの任務のために教育された比較的少数の要員によって、適切な考量を経て形成された見解にもとづいてのみ決定すべきである。」(180)→トクヴィルもこれに賛成する。具現的階層秩序の公共性へ。

→しかしこれは、人間をどこまでも幼児の状態につないでおこうとする。(182)

・公共性は、ますます広範な社会圏へ浸透する。他方で、その政治的機能、すなわち公共化された事態を批判的公衆の統制下に服させるという機能を、ますます失っていく。(184)

 

 

第五章 公共性の社会構造変化

◆公共圏と私的領域の交錯傾向

・市民的公共性は、国家と社会の緊張場面において展開されるが、それ自身はあくまで私的(民間)領域に属している。(197)

19世紀末から、民間領域への政府の干渉政策が増大する。干渉主義は、民間圏内で解決しきれなくなった利害衝突を政治の場面へ移し替えることから生ずる。こうして、国家と社会の分離は掘り崩され、再政治化された社会圏が成立し、社会の再封建化をまねくことになる。(198)

・経済的弱者は市場で優位である者に対して政治的手段で対抗しようとする。(201)

・社会的諸勢力の競合する利害が政治力学へ転換される。→公私の基準がつかなくなる。(204)

 

◆家族の変容:私生活圏の空洞化

・「私生活圏の私的性格が失われていくにつれて、かつては私生活圏全般の中心であった親密圏は、いわばその周辺におしやられる。自由主義時代の市民たちは、原型的には職業と家族のなかで私生活を営んでいた。」しかし「家族はますます私的になり、労働と組織の世界はますます公的になる。」(208)

・「大経営によって、私圏と公共圏の分離に対して中立的な社会形成体が、社会的労働の支配的な組織類型になる。」(209)→「職域」という準公共的領域。

・「職業圏が自立化するのと同じ度合いで、家庭は内へひきこもっていく。自由主義時代以来の家庭の構造変化の特色は、消費機能が増して生産機能が失われたという点にあるよりも、むしろ家庭が社会的労働一般の機能体系から次第に脱落していったという点にある。」(210)

・「家族は資本形成の機能を失うとともに、次第に養育と教育、保護と補導の基本的な伝統と人生案内の機能をも失うようになる。家庭は市民的家庭では私生活の内奥ナイオウとみなされていた領域における躾の機能も失っていく。」(211)

・「家族がその社会的任務から解除されるにともなって、これと相補的に、人格的内面化の力も失われた。」→父権の解体(212)

 

◆都市の変容:私生活圏の台頭

・都市化の過程:「個人に保護と支持を与える私生活圏がなければ、個人は公共性の渦に巻き込まれ、そして公共性自身もまさにこの過程によって変質する。公共性にとって必須の距離感という契機が脱落し、その仲間が袖の触れ合うほどになると、公共性は大衆へ転化する。」→都市全体を公共性の空間として掌握することができなくなっている。(215)

 

◆市民的公共性の崩壊

・大衆紙、テレビの出現:政治的性格を失う

・知識層の出現:「公衆は、公共性なしに論議する専門家たちからなる少数派と、公共的に受容する一方の消費者たちの大衆へと分裂し、こうしてそもそも公衆として特有なコミュニケーション形態を喪失するのである。」(231)

・利害の妥協的解決:「今日では合理的討論の代わりに、競合する利害の示威的行動が現れる。公共の論議において達成される合意は鳴りをひそめて、非公共的に戦いとられ、あるいは力尽くで貫徹された妥協に席をゆずる。このようにして成立した法律には、たとえ多くの場合に普遍性の契機が保たれているにしても、もはや『真理性』の契機を認めることはできない。」(235)

 


第六章 公共性の構造転換

◆新聞の商業化

→民間領域における、公的生活と私的生活の境界があいまいになる。

・新聞の発展段階:@通信新聞(商業ベース)→A思想新聞、文筆家の新聞(金持ちの道楽)(250)→B市民的法治国家の成立とともに、新聞は論争的な立場からおりて商業ベースへ。1830年代以降。(252-54)

・新聞は「私的利害が公共性へ侵入してくる水門」となる。

 

◆ラジオ・テレビ:民間の施設を政府が統制化していくという歴史

・公営ないし半民半官的経営体。

・マス・メディアの発達→公共圏の拡大→メディアの公共性は、私的利害の圧力にますますさらされるようになる。(256)→メディアに入る私的利害の特権的顕示化

・広告業界によるソフトな強制:商業的な意図に基づく広報活動(public relation)→公共的権威に向かって人々が抱くような敬意(疑似政治的信用)を動員する。これは「公論」でも「公益」でもない。ここでは、「合意」というものが、知名度や権威的信用にもとづく「ムード的順応」と一体化する。(263)

 

◆国家権力の移譲化

・国家と社会の相互浸透:福祉国家における行政権力の拡大→副国家的な民間管理機構へ移譲。私生活圏と公共性の境界がなくなり、公共性のための自治基盤もなくなる。

→「国家と社会を媒介する」機能は政党や圧力団体へ。

・政治的問題の肥大化→議会だけでは対処できなくなる。→たとえば労賃交渉など、民主的公共性が出現する。国家的公共性をこえる公共性。(266-67)

→団体的利害を普遍的利害としてもっともらしく代表し顕示すること。(268)

→公衆の好意的受動性を確保すること。これは封建制下の公事と似てくる。広報活動は、公論にかかわるのではなく、威信としての評判にかかわる。

→公共性は、公衆の前で威信を展開すべき朝廷となった。一時的に選挙民の人気をとらえようとして、人びとの政治的未熟さには手をつけないようにする。(272)公論の代わりに、拍手喝采の気風、ムード的意見の気風がみなぎる(286)

→議会は、審議機構から威信機構へと変化した。ショーとしての討議。(274-5)

 

◆ハバーマスの主張277

・利害と妥協の政治を、公開性に基づく公共性の復権によって、批判・統御する。

・「ただの意見」を「公論」として熟成すること(288)

・社会福祉的官憲国家から、社会福祉的民主国家へ

・政治的に機能する公共性を保証する基本権(言論と思想の自由、結社と集会の自由、報道の自由など)を積極的に利用すべし(296)

→大衆を公衆として人格的に発展させること。

・ミニマルな市民的公共性から批判的公共性へ(302)

 

 

第七章 公論の概念のために

◆公共性と公論の二つの意味

@批判的機能:政治的社会的な権力執行について規範的に要請される公開性のために、公論を批判的審廷として活用すること。A操作的機能:人事や制度、消費財や番組のために、示威的操作的に流布される広報活動との関係で、公論を受動的審廷として利用すること。(321)

 

◆「公論」概念を救う二つの道

@リベラリズムの立場:相対的に最善の情報と知性を備えた市民たちが代表する見解として、公論を位置づける。代表者の見解。(323)

A議会において支配的な政見としての公論。それは政府を拘束する。(324)

 

 

◆選択肢

@貴族主義。一部の議論する人びとに政治を任せる(公共性の貴族制)

A公衆を大衆として捉え、政治諸集団の公式見解と同一視する。(反公共政治)

→公論は、一方では公衆なき私人たちの非公式的意見へ、他方では広報的に活動する諸機関の公式見解へ集中された。この間を、「批判的公開性」によって媒介する。