HOME

ヴェブレン『有閑階級の理論――制度の進化に関する経済学的研究』

[1889=1998]ちくま文庫

 

 

第一章 序説

・「有閑階級(leisure class)という制度がその最高の発展を遂げているのは、たとえば封建時代のヨーロッパや封建時代の日本のように、野蛮時代の文化が高度化した段階においてのことである。」(11)

・「どのような封建社会でも、最も尊敬される仕事の筆頭は戦闘であり、ふつう聖職者の仕事が戦闘の次にくる。」(11)

・【上流階級の非産業的な職業】:統治、戦闘、学術、宗教的職務、狩猟、武器や装具の世話 ⇔ 肉体的労働、勤労、手作業、生産的労働、生活の糧の入手という日常的な仕事(下層階級)(12,93)

・低い階層の有閑階級:有閑階級の職業に付随する職業:武器・武具の製造と保管、馬・犬・鷹などの手入れや躾、宗教儀式用具の調整(13)

・【有閑階級をもたない社会】:そのような社会は「小集団」であり、単純な(archaic)構造から成り立っている。それはふつう「平和愛好的」で「定住的」であり、貧しく、しかも私的所有権は経済システムの支配的な特徴になっていない。(17)

→有閑階級という制度は、好戦的な生活慣習へと移行する間に漸次的に発生した。始まったばかりの有閑階級を構成する男は、暴力や策略によって危害を加えることに慣れていなければならない。

→産業に従事する仕事よりも、英雄的行為に属する仕事。勤勉よりも勇敢な行為の強調。「集団が他の集団と敵対的な接触を持つようになるやいなや、機能の分化は、英雄的行為と勤労との間の区別という発展した形を呈するようになる。」(24)

・【製作者本能(workmanship)「人間はあらゆる行為規範のなかに、なんらかの具体的で客観的な、さらには、一般的な目的の達成を望むような主体である。このようなエージェントであるということにより、人間は効果的な仕事に対する愛好と、ムダな努力に対する嫌悪をもつようになる。人間は有用性や効率性を高く評価し、不毛性、浪費すなわち無能さを低く評価する、という感覚をもっている。この習性ないし性向は、製作者本能と呼ぶことができる。生活の環境や伝統が能率をめぐって人と人とを比較するという習慣をもたらすようなところでは、製作者本能は、結局、人と人との間の競争的な、あるいは妬みを起こさせるような比較をもたらすことになる。……〔そのような社会では〕目に見える成功が追求すべき目的になってくる。……結果的に、製作者本能は競争心にもとづく(emulative)力の誇示をもたらすことになる。」(27)→産業的な有用性をめぐる競争へ。

→「製作者本能」は、平和愛好的な文化段階に、素朴で非競争的なものとして出現した。(244-45)⇔「野蛮文化の際だった特徴は、階級間や個人間の野放図な競争心と敵愾心である。」(246)

・「目に見える武勇の証拠(戦利品=トロフィー)」の必要性。

・抗争は、自己を主張する価値の高い慣行として公認される。(28)

・「尊敬に値する」とは「畏怖させるような」であり、「価値がある」とは「優勢な」ということである。

・【進化】「未開の集団が文化的な進化のなかで、当初の平和愛好的な段階から、闘いを公認の特徴とする次の段階へと移行した」(29)

 

 

 

第二章 金銭的な競争心

・「有閑階級の登場は、所有権の開始と時期を同じくしている。」(33)

・所有権の根底にある動機は「競争心(emulation)」である。(37)

・「所有権は、生存に必要な最低限といったものとは関係のない根拠に基づいて開始され、人間の制度として成長した。」(37)

・【競争心に基づく比較】:戦闘的段階では、財産は、「成功した侵略・略奪・横領の証拠」である。→文化の発展とともに、ますます「半平和愛好的」な遊牧民の生活様式となり、財産は「財産の所有者として他の人々よりも優越している証拠」となる。(38-39)「半平和愛好的」というのは、あまりにも多くの強制と階級的敵愾心があるから。(77)

・「私的所有権の体制の下で、誰の目にも分かるように目的を達成する最も手近な手段は、財の獲得と蓄積によって与えられるものである。そして、人間と人間との自己中心的な対立関係がはっきりと意識されてくるにつれて、すぐれた業績を求める性向――製作者本能――は、ますます金銭的にすぐれた業績を達成するという点で他人を凌ぐための努力へと、姿を変えていく傾向がある。」(45)

・「妬みを起こさせるような(invidious)比較」

 

 

第三章 顕示的閑暇

・下層階級においては、金銭的な名声を求める闘いは、「勤勉と節約の増加」をもたらすだろう。これに対して上層階級においては、節約を回避し、勤勉にならず、生産的労働を回避する方向に向かう。(48)→労働の回避を顕示すること。労働は窮乏の証拠である。

・「ギリシア哲学者の時代から現代に至るまで、人間生活の日常的な目的に直接役立つ産業過程に従事することから免除されたり解放されたりしている程度が、思慮深い男にとって価値がありすばらしいもの、つまり非のうちどころのない人生の前提条件である、とずっと思い込まれてきた。閑暇な生活は、それ自体としてもその結果としても、文明人の目にすばらしくしかも高貴なものと映るのである。」(50)

・有閑階級は、生産的な努力によって富を増加させることを動機としていない。(52)→勤労による富の取得は、気高い男にも無一文な男にも、等しく不可能になる。彼らに許されている代わりの選択肢は、乞食か貧乏である。→【二次的な有閑階級】の登場:みじめで貧しく、欠乏と不快に満ちた心もとない生活を営んでいるが、しかし収入ある仕事に身を挺することができない人々。

・【有閑(レジャー)】:「時間の非生産的消費」を意味する。(怠惰や静止状態を意味するわけではない。)時間が非生産的に消費されるのは、(1)生産的な仕事はするに値しないという意識からであり、(2)また、何もしない生活を可能にする金銭的能力の証拠としてである。(56)

→有閑紳士の生活全体は、観衆の眼前で過ごされるわけではない。→@英雄的行為に基づくトロフィーの獲得(地位、称号、位階)。A準学問的なたしなみや、人間生活の増進には直接役立たないような出来事に関する知識の獲得(過去の言語や秘学、伝統的な正字法、文章論や韻律学、家庭音楽や料理や手芸、装飾や家具や装飾具に関する最新の礼儀作法、競技会やスポーツ、犬や競走馬のような道楽に飼われている動物、などに関する知識)。

・【行儀作法】:「たんに人間的卓越性の外生的な刻印であるだけでなく、賞賛に値する人間精神の不可欠な特徴だということになった。」(60)「洗練された趣味、行儀作法および生活習慣は、上品さの便利な証拠である。というのは、立派な教養を身につけるためには、時間と努力とお金が必要であり、したがって、時間とエネルギーをもっぱら労働に吸い取られてしまっている人々には、達成しえないものだからである。」(61)「行儀作法の最終的な価値は、有閑生活を保証するものである、という事実にある。」(62)「顕示的閑暇は、立ち振る舞いの入念な修練や、どのような消費財が上品でありそれを消費する上品な方法とはどんなものか、にかんする鑑賞力と識別力の教育へ向けて、漸次発展してゆくことになる。」(63)→何が正しく優雅であるかに関する趣味の審査基準は、有閑的閑暇という法則によって監視されている。そこには身分という規範体系がある。(64-65)

・【代行的閑暇】主人に奉仕するための、貴婦人や従僕の閑暇。→補助的で派生的な有閑階級の発生。(72-73)

 

 

第四章 顕示的消費

◆有閑階級の発展

(1)経済発展の初期段階:惜しみなく財を消費すること。

(2)産業社会:食べ物や飲み物などをめぐる品質上の優秀さに関する儀式ばった区別が発展する。→有閑紳士はもはや、「たんに成功した攻撃的な男(すなわち、力と富と蛮勇をもつ男)では不十分である。頭が足りないと思われないためには、眼識(tastes)を養わなければならない。というのは、消費財のなかで、高貴なものから劣ったものまでかなり微妙な区別を行うことが、いまや彼の責務になってくるからである。彼は、優秀さの点でさまざまに異なるすばらしいご馳走、男にふさわしい飲み物や小間物、上品な服装や建築、武器、ゲーム、舞い手や麻薬に関する目利きになる。このような審美眼を養うためには時間と精励が必要であり、したがってひとたびこの方面で紳士に対する要求がなされると、その生活を方向転換させて、まさしくその名に恥じない仕方で有閑生活を送るための方法を学ぶ仕事に飽きず精励する、という傾向が生じてくる。」(88-89)「育ちのよい生活の作法というものは、顕示的閑暇や顕示的消費という規範に適合するような細目から成り立っている。」(89)

(3)「富が蓄積されてくると、有閑階級は機能においても構造においてもさらに発展を遂げ、その階級内部で差別化(differentiation)が生じてくる。」(90)

→【無一文の有閑紳士階級】が生じる。「低い階層の有閑紳士、とくに無一文だったり限界的な立場にある有閑紳士は、みずから隷属したり忠誠を尽くすという方法で、有力な紳士に仲間入りする。」(91)

→【中流階級】の下層では、代行的閑暇と消費という義務的な仕事を妻一人にゆだねている。つまりこの階級では、主人にはみせかけの閑暇さえ生じない。(95)「時の常識が求める程度の代行的閑暇を妻が夫のために適切な形で遂行するために、夫の方がこの上なく勤勉に仕事に没頭している、という惨状」(96)「妻は世間体というものによって、家族と家長に対する好評判を守るために一定の財を顕示的に消費するよう求められる。……妻は、当初は退屈かつ単純な仕事を担うと同時に男の家畜であったが、進化の結果、男が生産する財の儀礼的な消費者になってきたのである。」(98)

 

◆規範を与える階級

・「名声という点では、有閑階級が社会的秩序構造の頂点に立っている。だからこそ、その生活の作法と価値基準が社会全体に対する規範(norm)を与えるわけである。……現代的な文明社会では、社会階級相互間の区分線は不明瞭で流動的になっている。……上流階級によって課せられた名声の規範がもつ強制的な影響力は、ほとんど妨げられることなく社会秩序の最下層にまで及ぶことになる。その結果、おのおのの階層に属する人々は、彼らよりも一段上の階層で流行している生活図式こそ自分の理想的な礼儀作法だと認識した上で、生活をこの理想に引き上げるために全精力を傾注する、ということが生じる。」(98-99)→「各々の階級は、社会的階梯を一つだけ昇った階層を羨望すると同時に、それと競い合う。……支出をめぐる礼節の基準は、競争心の目的と同様に、名声の点でわれわれ自身より一等級だけ上位に位置する人々の習慣によって定められている。……世間体にかない、名声に値するものとしてどのような生活図式を社会が受け入れるようになるか、を決定するのは有閑階級である。教示や例示によって、最高かつ理想的な形でこの社会的救済の図式を説明することが、有閑階級の人々の職務なのである。」(120)

 

◆顕示的消費の出現

・「階層分化がいっそう進展し、より広範な人間環境にまで広げてゆく必要性が出てくると、世間体を保つ手段としては、閑暇よりも消費のほうが評価され始める。」→現代的な産業体制においては、互いに顔を見知らぬ機械的な関係になる。その場合にもなお隣人から与えられる高い評価は、著しい効用をもっている。「日常生活における冷淡な観察者たちに、自らの金銭的能力を見せつけるために利用しうる唯一の手段は、たえず支払能力を見せつけることである。」(102)

・「都市住民はお互いに相手に負けまいとする闘争のなかで、自らの通常の顕示的消費の標準をよりいっそう高いところに設定する。一定水準の金銭的な上品さを都市でひけらかすためには、結果として、相対的にこの方向の支出をさらに大きくせざるをえなくなるのである。」(103)

・「出発点では、閑暇が第一等の座を占めていた。」(閑暇は、下賤な労働を免除されていることを示していた。)(107)→顕示的閑暇は、名声の基盤としては相対的に利用されなくなる。その理由の一半は、富の証拠としての消費の有効性が、相対的に上昇したことにある。もう一つの理由は、「製作者本能」である。「他の事情が許すかぎり、生産的な努力や人間が利用しうるものなら何でも好ましい、と思わせるように仕向けるのは、この本能である。」(108)「製作者本能の現れ方は、実質的な有用性というのではなく、一見してムダだと分かるものに対して不快の念を抱かせたり審美的な拒否感を抱かせるような、普遍的な感覚の強調になってくる。」(109)→無益な閑暇は、非難されるようになってくる。(111)「その結果、有閑階級が遂行する顕示的閑暇に一定の変化が持ち込まれる」→「みせかけ(make believe)」に訴えること。儀式的な性格を秘めた数多くの込み入った上品な慣例的儀式や社会的義務が開発される。(112)

・「顕示的消費の進化の全体を貫いている明白な含意は、消費主体の名声を効果的に上昇させるためには、それは過剰な支出でなければならない、ということである。名声に値するものであるためには、浪費的でなければならない。」(112-13)

・【浪費】「ここで『浪費』と呼ばれる理由は、この類の支出が全体として人間生活や人間の福祉に役立たない、ということにあるのであって、それを選択する個々の消費者の見地からみた場合に、浪費あるいは方向違いの努力や支出になる、ということではない。」(114)「当初は浪費的なものとしてはじまったのに、消費者の理解の上でやがて生活必需品になってしまう、ということが生活水準の構成要素のなかでしばしば生じる。」(115)「この点を決定するためにあらゆる支出に課される審査は、それが全体としてみた人間生活を高めるのに直接役立つかどうかという問題である。……慣習的な支出は、その基礎にある観衆が差別的な金銭的比較を行うという習慣に起因するものであるかぎり、浪費という項目の下に分類されなければならない。」(116)

☆ここにヴェブレンの価値評価基準がある。

 

 

第五章 生活様式の金銭的な標準

・「あらゆる現代的な共同社会に住む大部分の人々が、肉体的な快適さを保つために必要以上の支出を行う原因の大半は、高価さの点で人目を引きつけて目立とうとする意識的な努力というよりも、消費する財の量という点で、慣例的な礼節の水準に従って生活しようという欲求である。……その水準は柔軟性に富んでいる。……それは無限に拡大しうるものである。」(118)

・「自己保存の本能を除けば、最強にして最も機敏であり、しかも最も持続的な経済的動機は、おそらく競争心である。……ほぼ余すところなく基本的な肉体的必需品が提供されてしまった後には、顕示的浪費の必要性が、社会の産業効率や財の産出高のいかなる増加分をも、即刻吸収してしまうのである。……産業効率の上昇がますます少量の労働による生活手段の入手を可能にすると、共同社会の勤労階級のエネルギーは、歩調をゆるめて快適さを求めるよりもむしろ、顕示的支出におけるさらに高い成果の達成を目指して邁進することになる。」(127)

Semantikの進化として読む。

 

 

第六章 好みの金銭的な基準

◆消費のコード

・「社会的に認知された消費の規範体系(code)は、顕示的消費の法則の監視の下で淘汰的にでき上がるが、その役割は、財の消費や時間と努力の重要をめぐって、高価さと浪費性の点で消費者を標準に達するようにすることである。」(133)

・「卓越した財に対する高い評価は、ほとんどの場合、美そのものの評価というよりも、卓越した名誉を与えるような性質に対する評価なのである。顕示的な浪費性を満たすという要請は、われわれの美的感覚のなかに意識的に存在しているものではないが、それにもかかわらず、美とは何かに関するわれわれの感覚を淘汰的に形成したり、維持したり、さらには何を正当に美と認識し、何を認識しないかに関するわれわれの区別を誘導するにあたって、制限的に作用する規範として存在しているのである。」(147)

・専有され、独占されうるもの(148)。美しくかつ高価なもの(149)

 

◆財の二つの価値

@個人生活の充足をもたらすこと。A他者からの評判をえること(競争的な目的)。(174)「ディオゲネスのように、名誉に値するものや浪費的な要素を消費のなかからすべて除去するよう主張する人々は、現代の市場では、最もありふれた自己の必需品を満たすこともできまい。」(177)

・「ありふれたもの」に対する嫌悪感(180)

 

 

第七章 金銭的な文化の表現としての衣装

・「衣装(dress)のなかに現れるのは、とくに財を顕示的に浪費するという規則である。」(188)「めだって浪費的な衣服の着用者や購入者が抱いている意識的な動機は、社会的に確立している慣行に従うという必要性や、好みや評判の公認の水準にしたがって生活するという必要性である。」(189-90)「好みと有用性という二つの理由から、『安かろう悪かろう』という格言にしたがって、安価な衣服は劣悪だと評価される。」(190)

・衣装は、単なる浪費的な消費の露骨な証拠ではない。「顕示的閑暇」の原理が働く→「その着用者がいかなる種類の生産的労働にも従事していないということを、あらゆる観察者に分かるようにしなければならない。」(191)→優雅なドレス、フレンチヒール、スカート、髪の毛を長くたらすこと、コルセット。

・【浪費と流行】:一方では製作者本能によって忌み嫌われる。しかし他方では顕示的に消費される。→「浪費性の法則が許容する唯一の救済は、同じようにムダで同様に支持しがたい何らかの新しい構図に助けを求めることになる。こうして、本質的な醜さとファッショナブルな盛装の絶え間ない変化が現れる。」(199)

 

 

 

第八章 産業からの免除と保守主義

・【制度の進化】「社会構造の進化は、制度の自然淘汰の過程であった。……制度それ自体は、たんに普及し、支配的なタイプになっている精神態度や習性を形成する淘汰的で適応的な過程の産物であるだけではない。それは同時に生活と人間関係の特定の体系であり、それゆえ、次の機会には淘汰をもたらす要因になるのである。したがって、変化する制度は、次の機会に最適な気質に恵まれた諸個人をさらに選び出すのに役立つだけでなく、新しい制度の形成を通じて、個人の気質や習慣を、変化しつつある環境によりいっそう適応させるのにも役立つのである。」(212)

・「人間主体の方は、……主として好都合な変異を淘汰的に保存する、という規則に従っていることは間違いない。好都合な変異の淘汰は、おそらくその大部分が民族類型(ethnic type)の淘汰的な保存から成り立っていると見てよい。」(213)

・【制度】:「制度とは、実質的に言えば、個人や社会の特定の関係や特定の機能に関する広くゆきわたった思考習慣なのである。」(214)「制度は過去のプロセスの産物であり、過去の環境に適応したものであり、それゆえ、決して現在が要求しているものに完全に一致することはない。」「今日の状況が、淘汰的で強制的なプロセスを通じて、人間の慣習的な物の見方に作用を及ぼすことによって明日の制度を形作り、こうして、過去から受け継いできた物の見方や精神態度を、変更したり強化したりするのである。」「今日の制度は、今日の状況に完全に適合しているわけではない。と同時にまた、現在の人間の思考習慣は、環境が変化を強制しないかぎり、無限に持続する傾向をもっている。」(214-15)→社会的惰性・心理的惰性、すなわち「保守主義」の要因である。

・【社会の進化】は、「過去の異なった一連の環境の下で、もはやそれに合致するように形成された思考習慣を許容しないような環境の圧力を受けて、個人の側でなされる精神的な適応の過程なのである。」(216)

 

・【保守主義】富裕な階級は、環境のもつ淘汰圧力から保護されているために、思考習慣や生活様式を変化させることが遅く、保守主義的傾向を帯びる。(217)→「有閑階級は保守的な階級である。」「この階級の構成員のなかに、〔生活を脅かされるという〕差し迫った必要性がないということもあって、現行秩序に対する著しい不安感――習慣になっている人生観や生活方法の放棄をすべての人々に納得させうる、唯一のもの――は、たやすく生じることがないのである。社会進化における有閑階級の任務は、進展するものを妨げ、時代遅れのものを存続させることである。」(222)通俗的な説明では、「富裕な階級が革新(innovation)に反対するのは、彼らが現状維持を望んでしかるべき既得権、賞賛に値しない類の既得権をもつからである」とされる。しかしむしろ、この階級は、「承認済みの行動様式やものの見方から離反することに対する本能的な嫌悪」をもっている。(-223)「保守主義は、上流階級の特徴であるがゆえに上品なものであり、したがって逆に、革新は、下層階級の現象であるがゆえに卑しいものなのである。」(224)「より富裕な階級は、作法の権化としての高い地位のおかげで、その階級の単なる数字上の強さが割り当てるものをはるかに超えて、社会の発展に対して阻害的な役割を発揮するようになる。」(224)

・【革新】は、「社会構造の根底を揺るがし」「社会を混乱に陥れ」「道徳の基礎を転覆させ」「人生を耐え難いものにし」「自然の秩序を混乱させる」と言われてきた。(227)

 

・【有閑階級制度】「有閑階級制度は、下層階級から可能なかぎり多くの生活手段を取り上げてその消費を減少させ、結果的に、新しい思考習慣の習熟や適応に要する努力の遂行を不可能にしてしまうほど、彼らの利用可能なエネルギーを減少させる。こうして、下層階級を保守的にする、というわけである。」(228)「有閑階級という制度は、直接的には(1)その階級自体に固有な不活発さにより、(2)その顕示的消費と保守主義との命令規範的な例示を通じて、そして、(3)間接的に、その制度自身の基礎をなす富と生活資料の不平等な配分システムを通じて、文化的発展を阻害する」(229-30)

→「その階級の特徴的な態度は、『存在するものは、これすべて適切なり』という格言に要約できよう。他方、人間の制度に適用した場合の自然淘汰の法則は、『存在するものは、これすべて不適なり』という公理を与える。」(231)「慣習や思考習慣は累積的に成長するものであって、それが、慣例と生活方法の淘汰的適応なのである。」(232)

 

 

第九章 古代的特質の保存

・「顕示的浪費と産業からの免除という二つの一般的な原理が、文化の発展に影響を及ぼす方法は、以下の二つの点に要約できる。人間の思考習慣を誘導することを通じて、制度の成長を結果的に規制すること、そして、有閑階級体制の下での生活の便宜に役立つ一定の人間性の特性を淘汰的に保存することを通じて、社会の実際的な気質を規制すること、これである。有閑階級という制度が人間性を形成するという点でもっている大まかな傾向は、精神的な存続(survival)と先祖返りという方向で伝えられる。」(236-37)

・【社会進化】は、「共同生活の環境がもつ圧力の下で、気質と思考習慣とが淘汰的に適応してゆくプロセスである。思考習慣の適応が制度の成長である。」(237)

 

◆原始未開人→野蛮文化→共同体の文化へ

(1)原始未開人:アニミズム的意識、弱さ、非効率、創意工夫の欠如、従順で救い難いほどの愛想のよさ、正直、平和愛好性、善意、人間や事物に対する非競争的で非差別的な関心→集団内部での生活を助長する。(248)人の好さ、公平さおよび無差別な共感(247)

(2)略奪段階:勇猛さ、身勝手、氏族的団結の強さ、不正直(暴力や策略への自由な依存)→「階級間や個人間の野放図な競争心と敵愾心」(246)

(2’)「競争体制の下では、個人が成功するための条件と、階級が成功するための条件は、必ずしも同じではない。階級ないし集団として成功するには、強固な氏族的連帯意識、主人への忠誠心、教義への執着心が前提となる。他方、競争的な個人がその目的を最もよく達成できるのは、野蛮なエネルギー、創意、自利の追求および不正直とを、未開人にみられる忠誠心や氏族連帯意識の欠如と結びつけた場合である。」(250)

→「産業的にずっと成熟した共同社会における経済生活の進化は、社会の利益がもはや個人の競争的な利益と両立しえないような傾向をもたらし始めた。共同的な(cooperate)産出能力であるがゆえに、このような発達した産業社会の成員は、生活手段や生活権を求める競争相手であることをやめつつある」(250-51)

(3)集団主義的産業社会:「複雑で、包括的で、本質的に平和愛好的で高度に組織化された現代産業社会」(252)→「〔産業効率を求める〕集団的利益は、正直、勤勉、平和愛好性、善意、自利心の欠如、さらには因果関係の習慣的な理解……によって最もよく促進される。」(251)⇔「略奪的なタイプの人間はこれらの諸特性をごくわずかしかもっていないから、現代的な集団生活の目的にとって貢献するところがない。」(252)

→「現代的な産業は、遂行中の仕事に対して非人格的で競争心にもとづかない関心を抱くように要請する。」(266)→自己中心的で打算的な「経済人」は、現代的な産業の目的にとって役に立たないものである。

 

◆現代経済制度の二つのカテゴリー(253,263-65)

@金銭的な制度:所有権や取得と関連をもつもの。有閑階級。→金銭的な職業の規律は、略奪的習性や略奪的敵愾心のいかほどかを保存したり啓発するように作用する。

→競争心に基づく利己的な精神。意欲、質的関係、身分ないし価値に関する人間的な見地。

→貴族的・ブルジョア的な美徳(破壊的で金銭的な特性)

A産業的な制度:製作者本能や生産と関連をもつもの。労働者階級。

→競争心に基づかない経済的な精神。因果関係、量的関係、機械論的効率ないし使用に関する非人間的な見地。→産業的な美徳(平和愛好的な特性)、機械産業。

 

◆有閑階級の補充:「金銭的な点で成功を収め、それゆえ、略奪的な特質をたんなる補完物以上に付与されているに違いない人々から補充される。有閑階級への入り口は金銭的な職業の前に開かれており、こうした職業は淘汰と適応を通じて作用しながら、上の階層にある者だけを金銭的な適合性をもつ血統――略奪的な試練の下でも生きることができる血統――として認知するのである。そして、非略奪的な人間性への先祖返りがこのような上層階級で現れた場合には、ふつうそれは寸暇をおかず取り除かれ、低層の金銭的階級へと投げ落とされる。」(259)

→「成り上がり者(nouveaux arrivés)」による淘汰的な加入のプロセス(260)

 

◆有閑階級への同化:「有閑階級が名声の手本としてもっている規範的な地位は、有閑階級の人生観を形作る多くの特徴を、下層階級に押しつけてきた。結果的に、つねに社会全体にわたって、このような貴族的特性の多少とも永続的な培養が続けられてきた。それゆえにまた、このような特性は、もし有閑階級という教訓と模範がなかった場合に比べて、人民集団の間で生き残りのための機会を増大させることになる。」(267)

・「〔有閑階級の〕制度は、社会の産業効率を引き下げ、現代的な産業生活が要請する自体に対する人間性の適応を遅らせるように作用する。それは広く普及し、実際に機能している人間性を保守的な方向に向けるように影響するが、その経路は、(1)階級内部での遺伝的継承と、有閑階級の血統を階級外へ注入すべく、ありとあらゆる手段を講じた古代的特性の直接の継承、または、(2)古代的体制がもつ伝統の保存と強化、である。」(269)

 

◆古代的な気質や有閑階級の人生観

・「古典古代の有閑階級の間で大流行していたような、生活、理想、思索および時間や財の消費の仕方などを沈思黙考する習慣に由来する喜びや好みといったものは、……現代社会のありふれた人間の願望、知識および日常生活に同様に親しんでいることから結果的にえられる喜びや好みよりも、さらに『高級』で『高貴』で『価値がある』ものと考えられる。最近の人間や事物に関する純然たる知識を内容とする学問は、比較的『低級』で『卑しく』、『下品な』ものなのである。」(424)