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ウェーバー『社会学の基礎概念』[1921=1987]

 

1.社会学と社会的行為の「意味」との概念

 

・【社会学】=「社会的行為(Handeln)を解明しつつ理解し、これによってその経過とその結果とを因果的に説明しようとする一つの科学」(7)

・【社会的行為】=「行為者……によって思念された意味にしたがって他者の行動(Verhalten)に関係せられ、かつその経過においてこれに方向づけられている行為」

 

◆意味と解明

・社会学でいう【意味】:@行為者ないし平均的かつ近似的に与えられた行為者たちによって「主観的に思念された」意味。あるいは、A概念的に構成された純粋型において、「類型として考えられた行為者によって主観的に思念された」意味。

⇔規範科学(法学や倫理学など)における「意味」(客観的・形而上学的)

・「シーザーを理解するためにはシーザーとなる必要はない。」→「追体験できること」は、理解の明証性のために重要であるが、それは意味解明のための絶対条件ではない。(8)

・【解明(Deutung)】は、すべて「明証性」を得ようとする。@「合理的に明証」とは、知的に理解された場合。A「感情移入的に明証」とは、感情連関が完全に追体験された場合。→感情移入から知的理解へと至ることも奨励する。

□知性と感情の二元論。ここでは実践的理解という範疇がない。九九の理解は実践的であると考えられるが、しかしウェーバーは知的理解であるとしている。

 

◆方法論上の合理主義

・目的合理的な行為を構成すること→類型として社会学に役立つ。

・「あらゆる種類の非合理性(感動、誤謬)によって影響される現実の行為を、純合理的行動の場合に期待されるべき経過からの『偏倚』として理解する」(10)

→例えば「株式恐慌」を説明する場合、非合理的な感動による影響がなかったとしたならば行為はいかに経過したであろうか、をまず確かめる。

・このかぎりにおいて「理解」社会学の方法は合理主義である。(11)

 

◆没意味的

・「意味」:対象(例えば機械)の、手段的ないし目的的な意味。

・「没意味的」:目的と手段の関係に入らないで、ただ行為の機縁、促進、阻害をあらわす限りでは、没意味的に止まる。例えば「河の氾濫」「死亡率」「疲労」など。

→これらは行為の動機決定連関に組み込まれる。(11-3)

□没意味的なものは、何らかの意味・意義をもつが、「理解」社会学的には意味をもたない。この「意味」の定義の特殊性に注意。

 

◆理解

1.ある行為(言語による表現を含む)の思念された意味の現実的理解。

              →@思想の合理的・現実的理解、A感動の非合理的・現実的理解、

        B行為の合理的・現実的理解。

2.【説明的理解】:動機決定的な理解。【説明(Erklären)=「主観的に思念された意味にしたがって、現実的に理解される行為が内属する意味連関の把握」をすること。

w痰ヲば、「木こりが木を切る」という行為を理解するのが「現実的理解」。次に、「木こりは“賃金を得るために”木を切る」と理解することが、説明的理解。これに対して、「木こりは木を切ることによって環境を破壊する」と説明することは、理解社会学における説明的理解の限界事例となる。

 

【理解】:意味または意味連関の解明的な把握。

@個々のケース(歴史的な考察の場合)、

A平均的・近似的に思念された意味連関(社会学的大量現象)、

B反復現象の純粋型(理念型)のために科学的に構成された意味ないし意味連関。

・意味解明の極限の場合:主観的に意識されない意味連関の解明(行為の現実的聯関は、行為者にはさまざまな動機と抑圧から、覆われている場合がある。)(15)

・因果的帰属に達するためには、「思考実験」(動機決定連鎖の個々の成素を思考的におしすすめて、その場合に起こりそうな経過を構成する)という不確実な手段だけがしばしば用いられる。例えば「グレシャムの法則」。

 

・【動機】=「行為者自身にまたは観察者に行動の有意味な『根拠』と思われる意味連関」(17)

・【有意味に適合的】=「平均的な思考習慣および感情習慣にしたがって類型的な意味連関」。

・【因果的に適合的】=「経験律にしたがって、事実上いつも同じような仕方で経過するというチャンスが成立する程度において起こる事象の継起」

・【因果的説明】:一定の観察された事象に他の一定の事象が継起することの確定

→意味適合性を欠くとすれば、どんなに規則性があっても、それだけでは理解しえない統計的蓋然性を表すだけである。(18)

 

◆集合表象の取り扱い

・「他の(例えば法学的)認識目的にとっては、または実践的な目的にとっては、社会諸形象(「国家」……)を個々人とまったく同様に取り扱うことは有効でもあり、かつ不可避でさえある。ところが、社会学による行為の理解的解明にとっては、これら諸形象はただ個々の人間の特有な行為の経過および連関であるにすぎない。」(20)

・しかし、@行為の解明そのものが、一般に理解しうる述語をえるためには、全く類似した集合概念を用いなければならない。そしてそれに別の意味を付与する。A重要なことだが、集合表象は、一部は現実の人間の頭脳に実在し、一部は妥当すべきものとしてある何かについての表象である。そして、現実の人間の行為はこうした表象によって方向づけられるのであり、支配的な因果的意義をもつ。このことを考慮に入れなければならない。(21)

 

◆自然科学との相違

・社会学は、機能的な連関と規則(法則)との単なる確定を超えて、あらゆる「自然科学」が永久に達しえないものをなすことができる。すなわち、これに参加した個々人の行動をまさに「理解する」ことができる。(23)

 

◆価値関係性

・オットマール・シュパンは、社会学に対する機能的な前問題提起が重要な意義をもつと主張している。これは正当である。→いかなる類型的な行為が分析にとって重要であり、かつ問題となるかを、分析に入る前に知らなくてはならない。リッケルトのいう「価値関係性」。(26)

 

◆個人主義的方法について

・この方法が「個人主義的評価」を意味するような誤解はしてしならない。(26)

 

◆法則

・「観察によって確かめられた類型的なチャンス」=「社会的行為の、一定の存在下に期待されるべき経過の類型的なチャンス」。これは、諸行為者の類型的な動機と類型的に思念された意味から理解される。(27)

 

◆心理学は社会学の基礎ではない

・「物理的でないものは心理的である」と考えるのは誤りである。計算問題の「意味」は心理的ではない。また合理的考慮と結果の関係(例えば経済行動)は、心理的に理解が深まるものではない。(28)

au経済行動」は、さまざまな心理状態の下で遂行されるので、心理的には確定されない。だから心理学的に探究しても理解は深まらない。

 

◆社会学の意義

・個々の分析を行う歴史学とは異なり、その諸概念は、具体的現実に対しては比較的「無内容」であり、概念の一義性を高めている。(29)

・【没現実性】:異質な動機によって影響された行為については、動機の「平均」は意味をなさない。この場合に問うことができるのは、「理念的に方向づけられた目的合理性に従うとすれば、いかに行為されるか」という問題である。(30)

・【没世界性】:理念型が鋭く、かつ一義的に構成されればされるほど、没世界的(weltfremd)になり、ますます術語的かつ分類的に索出的(heuristisch)に貢献することになる。(31)

・社会学の構成概念は、外面的に理念型的であるばかりでなく、内面的にも理念型的である。ms為者の思念する意味が理念型的であるであるということ。

 

◆社会的行為

・「社会的行為(不作為や忍容を含む)は、他者の過去の、現在の、または将来期待される行動に方向づけられうる(かつての攻撃に対する復讐、現在の攻撃の防御、将来の攻撃に対する防御手段)。」(32)

・「外的な行為は、それがただ物的対象の動きへの期待に方向づけられるときには、社会的行為ではない。内的な行動は、それが他者の行動に方向づけられるときだけ、社会的行為である。例えば、宗教的行動は、それが瞑想や一人だけの祈りなどにとどまるときには、社会的ではない。」(33)

□日記を書くという行為はどうか。

・「群衆に制約された行為(群集心理)」や「模倣」は、社会的行為の極限事例である。ただし、社会学は、決して社会的行為だけを扱うのではない。(35)

 

 

2.社会的行為の諸動機

 

◆動機による行為の分類

@目的合理的:「外的対象と他者の行動を期待することによって、そしてこうした期待を、合理的に、結果として求められ、かつ考慮された自己の目的のための『条件』または『手段』として利用する」(35-6)

A価値合理的:「絶対的に固有の価値(倫理的、美的、宗教的など)をまったく純粋に、結果とは無関係に意識的に信ずることによる」

B感動的(情緒的)(affektuell/emotional)

C伝統的

 

◆以上の分類についての注意

・伝統的行為や感動的行為は、意識的に「有意味に」方向づけられている行動の限界に位置する。

・感動的行為が感情状態の意識的な発動として起こる場合は、「昇華」という。これは、価値合理化や目的行為への途上にある。(36-7)

・価値合理的行為は、一貫した計画的方向づけをもつ。その他の点では感動的行為と共通点をもつ。

・目的合理的行為の観点からすれば、価値合理性はつねに非合理的にみえる。(38)

 

 

3.社会関係

 

・【社会関係(soziale Beziehung)】=「その意味内容に従って相互に定位づけられ、かつそれによって方向づけられた、多数者の行動」。社会関係は、一定の仕方で社会的行為の営まれるチャンスのうちにある。(39)

・社会関係は、「国家」のような社会形象が問題であるときでも、「その意味内容に従って一定の方向で相互に定位づけられた行為が生じた、生ずるまたは生ずるであろうというチャンスのうちに、もっぱら、かつそのうちにだけある。このことは、これらの概念の『実体的』把握を避けるために、常に固執すべきである。たとえば、『国家』というものは、ある種の、有意味に方向づけられた社会的行為が経過するというチャンスが消滅するや否や、社会学的には『存在する』のをやめる。」(39-40)

【実体主義から関係主義へ】「行為のチャンス」(方向づけ)は実体的かつ可能的にに存在する。(「関係的かつ現実的」ではない)

・相互行為は、つねに意味内容の相互性をもつわけではない。(40)

・社会関係の存続は、意味対応行動が生ずるという大きな蓋然性の存在(=チャンス)のみを意味する。(41)

・社会関係を永続的に設定する意味内容は、「格率」のうちに定式化されうる(42)

 

 

4.社会的行為の諸類型:習慣、慣習

 

・【習慣(Brauch)】:社会的行為の定位の規則正しさが存立するチャンスが事実上の実行によって与えられている場合。しかもそれのみの場合。(43)

・習慣→【慣習(Sitte)】:その事実上の実行が「なじみ」に基づく場合。

   →【流行(Mode)】:当該行動の新鮮味が行為を方向づける。慣習と対立。

   →【利害状態(Interessenlage)】:その経験的な存立のチャンスが単に個々人の行為を同様の期待に純目的合理的に方向づけることによって制約されている場合、“利害状態によって制約された”、と名付けられる。

   →【因習(Konvention)】:慣習は妥当性を要求しないが、因習は妥当性を要求する。例えば「衣服の形」。これに対して「朝食をとること」は慣習。

   →【法(Recht)】

・行為の「合理化」の一つの本質的な要素は、なじんだ慣習への内的順応を利害状態への計画的適応によって置き換えることである。(45)

 


 

5.正当的秩序(legitime Orduung)

 

・行為、社会的行為、社会的関係は、関与者たちの側から、正当的秩序が存立するという表象(Vorstellung)に方向づけられうる。この秩序が「妥当」するということの意味は、表象の方向づけが事実起こる、というチャンスである。(46)

・【妥当】:単なる規則正しさ以上のもの。例えば、管理が毎日決まった時刻に役所に現れる場合、彼は、自己の利害状況によって制約されているだけでなく、命令としての秩序(服務規程)の妥当によっても制約されている。それゆえ、命令の侵害は不利をもたらすだけでなく、「義務感」によっても価値合理的に忌避される。(46-7)

・【秩序】:行為が一定の格率に方向づけられるような社会関係の意味内容

・目的合理的な動機からのみ遵守される秩序は、慣習によって行われる秩序への方向づけよりも不安定である。後者は、(拘束性などの)「正当性」とみなされる威光とともに現れる秩序に比べればまったく不安定である。

・「妥当」は「遵守」と区別される。(48)

・シュタムラー批判:経験的妥当と規範的妥当の区別(49)

 

 

6.正当的秩序の種類:因習と法

 

◆秩序の正当性の保証パタン(50)

1.純内的に保証されるケース

 @純感動的に、感情的献身によって

 A価値合理的に、(倫理的・美的など)究極の義務的な価値の表現としての、秩序の絶対妥当にたいする信仰によって

 B宗教的に、救済財の所有が秩序の遵守に依存するということの信仰によって

2.特有の外的結果の期待によって、つまり利害状況によって保証されるケース

 

・【因習】:違反する場合には一定の人間圏のなかで「非難(Mißbilliguung)」を受けるチャンスによって秩序の妥当が外的に保証される場合の秩序。(51)→例えば、日常の挨拶、人並みのものとして通用する衣服、形式と内容とからする交際の節度。

・【法】:物理的ないし心理的強制のチャンスによって秩序が外的に保証されている秩序。→「法」の概念には「強制幹部」が存在するということが決定的である。「慣例(Komment)」の諸規則もまた法である。

・【道徳的尺度】:人間のある特殊の価値合理的な信仰を人間行為の規範とみるもの。(54)

 

7.正当的秩序の妥当根拠:伝統、信仰、制定律

◆妥当根拠(55)

@伝統(常に存在したものの妥当)

A感動的・情緒的信仰(新たに啓発されたもの/模範的なものの妥当)

B価値合理的信仰(絶対に妥当なものとして推論されたものの妥当)

C合法性があると信じられる実定的制定律

 →a)これに対する利害当事者たちによって。

  b)支配と服従の正当とみなされる強制(Oktroyierung)によって。

 

・価値合理的妥当の最も純粋な理念型は「自然法」である。(56)

・今日、最も広く知られている正当性の形式は、合法性の信念であり、言い換えれば、形式的に正しく、かつ普通の形式をとって成立した諸制定律に対する服従である。(57)

 

8.闘争の概念

 

・【闘争(Kampf)】:行為が一人または複数の相手の抵抗を排して自己の意志を遂行する意図に方向づけられている限りの社会関係。(58)

・【「平和的」闘争】(⇔暴力的闘争)

@【競争(Konkurrenz)】:望まれるチャンスに対する自己の処理権を求める

 A【淘汰(Auslese)】:「相手に対して有意味な闘争意図なく、生存のチャンスや残存のチャンスを求める個々の人間の、または人間類型の(潜在的な)生存闘争」

 

・闘争の種類について(59)

・闘争の条件について:「肉体的な力かそれとも不謹慎な老獪さか、精神的能力の強さかそれとも肺の力と扇動技術とであるか、上司に対するへつらいかそれともおだてられた大衆に対するへつらいか、独創的な能力かそれとも社会的適応能力か、非凡な性質かそれとも大衆の水準を出ないありきたりの性質か——これを決定するものは、闘争条件と競争条件とである。」

・闘争は、行為の一定の様式が、他の様式によってしだいに排除されるということを意味する。(60)

・ある社会関係(様式)が偶然な理由で排除されることは、その社会関係の一般的「適応」を否定するものではない。(62)

 

 

9.共同社会関係と利益社会関係

・【共同社会関係(Vergemeinschaftung)】:社会的行為の定位が、関与者たちの主観的に感じられた(感動的情緒的、伝統的な)共属(Zusammengehörigkeit)にもとづく限りでの社会関係。(62)

→家族共同社会

→「共同社会関係」という概念は、わざとまったく一般的に定義している。(64)

→共同社会関係は、闘争の対立概念である。

 

・【利益社会関係(Vergesellschaftung)】:社会的行為の定位が合理的に(価値合理的、目的合理的)に動機づけられた利害調整または利害結合にもとづく限りでの社会関係。(62)

→@市場における目的合理的な、自由に協約された交換(63)

 A自由に協約された目的結社

 B価値合理的に動機づけられた信念結社

 

 

10.開放的関係と閉鎖的関係

11.行為の帰責。代表関係

・【帰責(Zurechnung)】は、@ある人の行為が全関与者に帰責される連帯責任と、

A一定の関与者たち(代表者)の行為が他の関与者たち(被代表者)に帰責されるものなどがある。(71)

・帰責における、受動的責任と能動的責任(72)

・帰責は、人間だけでなく、神や精霊に対しても方向づけられる。

・帰責は、「代表者によって行われる何らかのチャンスの支配を彼ら自身の行動に対して合法的なものとして妥当させる」(72-3)

□責任の付与=合法性ないし妥当性の付与。

 責任を問うこと=妥当性の問題視ないし排斥。

 

12.団体の概念と種類

 

・【団体(Verband)】「社会関係の秩序維持が一定の人々の、すなわち指揮者(Leiter)の、……場合によっては同時に行政幹部の、秩序維持の遂行にとくに定位した行動によって保証されるときに、外部に向かって規制的に制限されたまたは閉鎖された社会関係」(74)

→ここでは「秩序の強制に定位した行為」という特徴が重要。すべての閉鎖された関係が団体ではない。たとえば、恋愛関係や、指揮者のない氏族共同社会は「団体」ではない。

→【自律的/他律的】:団体の秩序が団体の能力によって設けられるかどうか。

→【自首的/他首的】autokephal/heterokephal:指揮者と団体幹部が内部の者によって任命されるかどうか。他首は、例えばカナダの州知事にみられる。自首的であるが他律的な団体は、例えばドイツ諸邦にみられる。(76-77)

 

 

13. 団体の諸秩序

 

・「利益社会関係の制定諸秩序は、a)自由な協定によって、または、b)強制と服従とによって成立しうる。」(77)

→「すべての関与者の個人的な、自由な協定によって成立しない各秩序は、この述語の意味で強制されている。したがって、少数者が服従する『多数決』もまた、そうである。」(78)

→「形式的に『自由な』協定もまた、一般に知られているように、きわめてしばしば事実上強制されている。……このさい、社会学にとっては事実上の事態だけが肝要である。」(78)

 

 

14. 行政秩序と規制秩序

 

・【行政秩序(Verwaltungsordung)】:団体行為(=「行政幹部自身の行為」と「計画的に行政幹部によって指揮された団体関係的なすべての行為」)を規制する秩序。行政団体。(79)

・【規制的秩序(Regulierungsordung)】:他の社会的行為を規制し、この規制によって開かれたチャンスを行為者たちに保証する秩序。規制団体。ノ例えば貨幣秩序。

→多くの団体は、行政団体であるとともに規制団体である。

→「完全に共産主義的な経済組織においては、およそすべての社会的行為が行政秩序の概念に含まれるであろうが、他方、完全な法治国家においては、裁判官や警察署や陪審員や軍人の営為と、立法者および選挙人の活動とだけがこれに含まれる。」(80)

 

 

15. 経営と経営団体、結社、アンシュタルト

 

・【経営(Betrieb)】:一定の種類の継続的な目的行為。政治上の事業も含まれる。

→【経営団体】:継続的に目的行為的な行政幹部をもつ利益社会関係。(80)

・【結社(Verein)】:協定によってできた団体。

・【アンシュタルト(Anstalt)】:一定の標徴(出生、居住、一定の施設の使用)に該当する各人に対して、強制された秩序。例えば国家、教会。

 

 

16. 権力、支配

 

・【権力(Macht)】:社会関係のなかで抵抗に逆らっても自己の意志を貫徹するおのおののチャンス。

・【支配(Herrschaft)】:一定の内容をもつ命令に一定の人々が服従するチャンス。

・【規律(Disziplin)】:習熟した定位によって一定の多くの人々が迅速に、自動的に、かつ方法的に命令に服従するチャンス。

 

 

17. 政治団体、教権政治団体

 

・【政治団体(politischer Verband)】:自己の存続と自己の諸秩序の妥当とが一定の地理的領域のなかで行政幹部の側で物理的強制を使用し、これでもって威嚇することによって継続的に保証される場合、かつその限りでの支配団体のことをいう。

→政治団体にとっては、暴力行使は正常な行政手段ではなく、つねに最後の手段(ultima ratio) である。

・【国家(Staat)】:自己の行政幹部が諸秩序の実施のために物理的強制の正当な独占(Monopollegitimen) を効果的に要求するとき、かつその限りでの政治的アンシュタルト経 (Anstaltbetrieb)。

・【教権政治団体(hierokratischer Verband)】:自己の諸秩序の保証のために救済財の施与かまたは拒否による心理的強制が用いられる場合、かつそのかぎりでの支配団体。

・【教会(Kirche)】:自己の行政幹部が正当な教権政治的強制の独占を要求するとき、かつそのかぎりでの教権政治的アンシュタルト経営。