自分の経歴について 辜鋭 中国四川省成都市出身 24歳 経済思想史専攻 201105 今の時代は、進まなければ後退あるのみの時代である。自分の経歴と過去をちゃんと整理するの時間は少ない。しかし現在の自分は、歴史の法則のように、性格の形成もそうだった。自分の経歴と環境の変化に合わせて、確かにはさみのように、白紙を裁断して、一歩一歩段階を追って今までの性格を表現されていた。以下は年順に私の経歴について述べる。 最初、私の小学校時代に傾向について話たい。そのときの自分は、周辺の子供たちと違う、自然や山川など不思議な現象を夢中に探求することではなく、好きなのは「上下5千年」(中国5000年の歴史の普及モノ)であり、その時の趣味は歴史の流れに対する各種の物語だった。これは自分の人生の道についての初めての選択だった。私の将来の道は、社会と人文科学に関して主な方向に向かっていることが決まった。それから、高校の3年間で、よき師良き友に出会って、自分の思想が、テキストに縛られず、真理の世界に導きかれるように教えてくれた。その閉鎖的な環境の中でも、幸運に疑惑と質問の精神を学んだ。 中国の諺で「万巻の本を読むより万里を行くがいい」といわれるが、大学以降、私は成長のため、アウトドアに参加した。2006年,大学一年生の時、アウトドアクラブにリーダーを務め、意気投合の友人と一緒に山に登った、5000 m以上の雪山の登頂したり、訪れる人はほとんどないの森にキャンピングしたりなど、いろいろ経験だった。美しな景色を驚嘆する同時に、私たちだけの「行者」の友情を深めた。さらに、目に見えないうちに自分の信念と意志を堅持することを強化された。これは私の一生にも大きな役に立っている。 2007年,大学二年生の時、一人で歩き続けていた。甘粛省、青海、新疆ウイグル自治区に行った、3度の旅行で、累積50日、行程が約3万kmになった。甘粛省南部のチベット人自治区から、チンタオ湖畔のチャン族集落、新疆のパミール高原の塔吉克民族村など、各地に訪れて、彼たちの生活や文化を体験した。途中でさまざまな人に出会ったが、大学の教員、旅行の画家、会社の社長、退職した華僑など、彼たちは私に友達になって、いろいろな意見を与えてくれた。旅は苦しみに満ちていたにもかかわらず、振り返ってみると、思い出に残ったのは、旅という全体の経験の喜びだった。私は信じていることは、もっと高くて立って、もっとより遠いところが見えてきた。 2008年、大学三年生の時、将来の職業や人生の行方など計画していた。中国では、大卒者の進路は、だいたい大学院、就職と留学することであった。最初私は就職を選択した。そして大学三年生から、グローバル企業を目指して、就職活動を始めた。しかし遺憾ながら、2008は世界中で金融危機が深刻になったので、かつ四川大地震のせいで、沈滞した欧米企業は中国で採用人数は例年より大幅減少したが、自分の就職道路も大変になった。2008年9月から09年1月まで、私は四ヶ月の間に100部以上履歴書を出して、60回以上面接を経験した後、最後に自分でも気に入らないの北京IT関係会社を選択した。 2009年、大学四年生、実習しながら卒業論文を完成した。私が「学学士学位証明書」を受け取った時、すでに会社に勤めて半年間になった。そのときの仕事は、販売員としてほとんど顧客から拒否された。9ヶ月間過ぎのに、一つも業務を達成することができなかった。このような仕事に対処することは自分の能力は不十分であると思った。 そのとき、偶然、北海道大北京事務所の情報を見つけた、留学、これらは昔の夢だったが、私は希望を感じ、夢が再び燃え上がった。1ヵ月ぐらい考えて、やっと仕事をあきらめた。日本語を勉強して、夢をもって日本に渡ってきた。 2010年4月、初めて日本の土地を踏んだ。社会人から学生へ転換して、北大で勉強を始めた。 2011年4月、大学院入試に合格して、修士一年生として、この美しいキャンパスで引き続き努力して行くことになる。 |