経済思想史・期末レポート1998
以下に、四人のレポートを紹介します。参考にしてください。
工藤健「経済成長と自然の限界 古典派経済学における「定常状態」比較とその現代的意義 スミス、リカードウ、マルサスおよびJ.S.ミル」佐々木(隆)ゼミ、三年
目次
目次 ……1
第1章 序論 地球が球体であるという意味 ……2
第2章 古典派経済学における経済成長 ……3
第1節 定常状態とは
第2節 スミスの利潤論
第3節 マルサスの「人口の原理」
第4節 リカードウの収穫法則と資本蓄積
第3章 J.S.ミル『経済学原理』における経済発展の理論……6
第1節 ミルの経済発展モデル
第2節 人口・資本の増加が利潤率に与える影響
第3節 生産技術の改良が利潤率に及ぼす影響
第4章 ミル『経済学原理』における定常状態 ……8
第1節 マルサスにおける人間の精神的進歩
第2節 「成長至上主義」批判
第3節 市場における競争と人間精神
第4節 望ましい分配
第5節 自然と人間
第5章 古典派経済学における「定常状態論」の比較 ……12
第1節 「定常状態論」再論
第2節 「定常状態論」比較
第3節 古典派以降の「定常状態論」
第6章 「定常経済」に関する若干の検討 ……15
第1節 自然の限界と定常経済
第2節 「定常経済」の現代的意義〜その他の側面から〜
第3節 限界の克服可能性
第4節 残された課題と展望
参考文献 ……18
第1章 序論 地球が球体であるという意味
人類は,地球が球体であるという事実を近代化とともに受け入れてきた。しかし,その一方で,大多数の人々は,ごく最近に至るまで,地球が球体であるという意味について,しっかりとは考えてこなかったようである。
地球が球体であるという事実は,地球の「有限性」を意味する。すなわち,地表の面積は有限であり,地下資源は無尽蔵には存在しないのである。しかし,近代文明において,資源は無尽蔵に消費され,廃棄物は自然の回復力を無視して排出されてきた。先進国では大気汚染や水質汚濁などの公害が,発展途上国を中心に各地で,人口爆発と飢餓,それに続いて森林破壊が生じた。
このようにして,文明が,有限な自然を無限であるかのごとく扱ってきたことによる矛盾が噴出してきた。こうした中で1972年,ローマ・クラブの『成長の限界』が発表され,世界中に反響を呼んだ。その中では,人類の進歩が限界に達した状況が「均衡状態」(1)として述べられている。その「均衡状態」とは,J.S.ミルをはじめとする古典派経済学者たちによって提出されてきた,人類の進歩の終局的状態としての「定常状態」に他ならない。
本稿は,古典派経済学における主な論者の「定常状態」の議論を比較し,そこから「定常状態論」の現代的意義を探ろうと試みるものである。特に,J.S.ミルの「定常状態」論は,上で述べたような経済成長と自然との緊張関係について考察する助けになるだろう。それに付随する形で,ミルの考え方を,人々の経済倫理,世界的な富の偏在など,さまざまな問題に枠を広げて捉えることも可能である。
本稿の構成を述べておこう。第2章では,まず,第1節で定常状態の定義をし,ミル以前の経済学者たちの定常状態論を見ていく。第2節では,定常状態論の萌芽として,スミスが経済的進歩と利潤率低落傾向とを結びつけた点に注目して見ていく。第3節では,古典派経済学の成長理論に多大な影響を与えたマルサスの「人口の原理」について述べる。この「人口の原理」の,リカードウの経済成長論への影響を第4節で述べる。第3章では,その流れを受け継いだミルの経済成長論について見ていく。
第4章では,社会的進歩の終局的な姿と考えられるミルの「定常状態」を,マルサスからの影響という観点を取り入れて論じる。第5章において,第4章までの議論をまとめる形で,古典派経済学における「定常状態論」を比較検討する。最後に,第6章では,「定常経済」の現代的意義と残された課題について考えてみる。
(1)D.H.メドウズ他[1972:154〜159]を参照。
第2章 古典派経済学における経済成長
この章では,最初に「定常状態」の定義をしてから、ミル以前の経済学者たちにおける定常状態の議論を見ていく。まず,定常状態論の萌芽としての,スミスの利潤論を概観する。次に,マルサスの「人口の原理」を紹介し,リカードウやミルに与えた影響を考察する。
第1節 定常状態とは
定常状態(stationary state)とは,資本や人口の成長率がゼロのまま続いていく社会状態をいう。ゼロ成長の状態では,資本量や人口は一定に保たれる。つまり,そこでは,各々の減少分(人口においては各期の死亡,資本においては各期の減耗分)を充当するための再生産は行われているのである。
古典派経済学の理論体系においては,資本の一部は労働者の雇用を維持する基金になると考えられていた。資本と人口の割合で賃金が決定される(1)のである。そして,その国の経済規模の拡大は資本と人口の増加率によって測られることになる。一般的に,資本の利潤率の低落傾向によって資本蓄積が鈍化していった結果として,社会は経済的な成長を止めて定常状態に至ることになる。
古典派経済学では,ある経済社会における利潤率の低下傾向の原因について,大きく分けて2つの考え方が存在する。ひとつは,定常状態は資本主義的生産システムに内在するものであるという考え方である。もうひとつは,定常状態の究極的な原因は,資本主義経済の成長と自然の収容力との間の緊張関係から来るものであるという考えである。前者の考え方を採るのが,スミスであり,のちにはマルクスもこの系譜に加えられることになる。後者の考えは,マルサス,リカードウらによって,理論化されることになる。ミルは,その両方を採り入れて理論を展開している。これらの系譜をたどりながら,古典派経済学の定常状態論を見ていくことにしよう。
第2節 スミスの利潤論
スミスは,経済的進歩にともなって,利潤が低下する傾向が存在することを指摘した。この考え自体は批判を受けることになるが,後の古典派経済学者たちの経済成長論に影響を与えた。まずは,彼の説について見ていこう。
スミスは,ある産業に流れ込む資本の量が増大すると競争が発生し,その産業の利潤が低下することから,ある国において経済が発展して資本量が増加すれば,競争により一般的な利潤が低下すると類推した(2)。彼は,利潤率そのものの計測は難しいが,利子率を近似的に用いることができると考えていた。そこで,利潤率低落傾向の証拠として,当時,最も経済の発達した国であったオランダにおいて,利子率が極めて低いことをあげている。
スミスの理論では,経済的進歩とともに利潤率が低下していくことになる。それでは,利潤率が低下することによって,その社会は定常状態に入るのだろうか。彼の考えでは必ずしもそうはならない。その理由のひとつは,利潤率がより高い海外に貸付が行われることによって,その国の利潤率が最低水準まで低落しても,資本蓄積は進むからである。
もうひとつの,より重要な理由として,利潤率の低下によって,中小の資本所有者たちが資本の生み出す利子だけでは生活していけなくなり,それを活用する実業家にならざるを得なくなることがあげられる。すなわち,利潤率の低下によって,産業が活発になる側面も存在するのである。そこで,生産的労働がより多く雇用されれば,資本蓄積が以前よりも急速に進むことさえあるだろう。
したがって,スミスの議論では,定常状態は,経済が発展した先進国に訪れるものではなく,むしろ,誤った法制度を採用して産業の発達を阻害している国々に,人為的にもたらされる災厄であるということになる。
スミスによる利潤低下傾向の指摘は,後の古典派経済学者たちも認めるところではあるが,その原因については,スミスとは異なる見解を持っている。すなわち,利潤の低下は資本の競争によるのではなく,労働者の生活資料を生産するための肥沃な土地が希少であるために生じる(4),という理論である。以降の2節において,この理論について検討していくことにする。
第3節 マルサスの「人口の原理」
自然の恵みには限界があるということをいち早く認識し,迫ってくる危機に対する警鐘を鳴らしたのが,T.R.マルサスである。彼は主著『人口論』の中で,「人口は,制限されなければ,等比級数的に増大する。生活資料は,等差級数的にしか増大しない(5)」
[マルサス1798=1973:23]という命題を提出した。
この命題の主な根拠となるのは,過去の経験則(6)である。人口の等比級数的増加の根拠について,彼は次のように述べている。生活資料や早婚に対する制限が存在したために,人口増加が自由にその力を発揮した例はなかったのであるが,それらの制限が極めて少なかったアメリカ合衆国において,25年間で人口が倍増した事実から,少なくとも「人口は,制限されないばあいには,25年ごとに倍加しつづける,すなわち等比数列において増大する」[マルサス1798=1973:28],と。
それに対して,食料をはじめとする生活資料は,当時のイングランドにおける生産量の増加率を参考に,せいぜい25年ごとに現在の生産量の2倍,3倍と増加するにとどまるであろうと予測される。つまり,「生存手段は等差数列において増大する」[マルサス1798=1973:29]ということができる。
これらの増加比率を比較すれば,人口増加が生活資料の増加を上回ることは明らかであろう。以上からわかることは,その社会の人口増加は生活資料の量によって制限されるということである。すなわち,産児制限により出生を減らす予防的制限か,あるいは栄養不足や疫病により死亡が増加することによる積極的制限という2つの方法によって,人口増加が制限されるということである。ちなみに彼は,人々が餓死者を増やすよりも,思慮深い行動によって出生数を抑制することを選ぶのがより望ましいと考えていた。
これがマルサスの「人口の原理」である。その後,マルサスの「人口の原理」は古典派経済学者たちによって受け入れられ,理論的に精緻化されていくことになるのである。
第4節 リカードウの収穫法則と資本蓄積
リカードウは分配理論において,マルサスの「人口の原理」を受け入れ,人口増加に基づく食料価格の騰貴による名目賃金の上昇が,賃金および利潤の実質的下落と地代の実質的騰貴をもたらすという結論を提出した。その結果,人口増加と資本蓄積は止まり,その社会は過大な人口を抱えた悲惨な状況で定常状態をむかえることになる。
リカードウによれば,「土地の使用に対して地代がつねに支払われるのは,もっぱらその量が無限でなく,質が均一でないからであり,人口の増加につれて,質が劣悪であるか,位置が不便な土地が,耕作されるようになるからである」[リカードウ1819=1987:(上)106]。リカードウの分配理論の基礎となっているのは,以上で述べられている,食料生産における収穫逓減の法則とこの法則に基づく差額地代の理論(7)である。
まず,収穫逓減の法則を数値例(8)で説明しよう。ここに一定量の資本と労働を投下することによって,100kgの食料を得られる良質な土地(第1等地)と,80kgが得られる質の第2等地,および50kgしか得られない第3等地が存在するとしよう。当然ながら,1国内において,それぞれの質を持った土地の広さには限りがある。ここから,耕作の拡大によって,雇用されている労働や資本1単位あたりの生産量が減少することがわかる。これが収穫逓減の法則(9)である。
次に,収穫逓減の法則と地代の関係を見ていこう。人口が少ない状態では食料需要が少ないので,第1等地の生産で需要を賄えるものとする。しかし,人口の増加とともに食料需要が増加し,第1等地の生産では賄えなくなると,第2等地も耕作する必要が出てくる。このとき,良質な土地を巡って資本家間の競争が起こり,第1等地に食料20kg分に相当する地代が発生する。同様に,第3等地が耕作されるようになると,第1等地の地代は食料50kg分に上昇し,第2等地にも食料30kg分の地代が発生する。これが,リカードウの差額地代の理論である。
このとき,食料価格の上昇によって,労働者の賃金と資本家の利潤はどのような影響を受けるのだろうか。リカードウの理論では,労働者の実質賃金(食料の量で表される)は長期的には生存ぎりぎりのところまで低下する(生存費賃金説)(10)。そのような状況のもとで,耕作の拡大とともに穀物価格は騰貴し,それとともに貨幣賃金が上昇する。また,同時に収穫逓減の法則と差額地代の理論から,収穫物に占める地代支払い分は大きくなる。結果として,必然的に利潤は縮小することになる。以上から,人口の増加につれて耕作地が拡大することによって利潤が減少し,やがては利潤率が極めて低くなり,資本蓄積に対する誘因がなくなる。つまり,定常状態に入ることになるのである。ここからわかるのは,長期的な利潤率の低落は,肥沃な土地の供給には限界があることから生じる結果だということである。
そこでリカードウは,定常状態に入ることを避けるために,すなわち耕作地の供給の限界を克服するために,安価な穀物を海外から輸入することを主張したのである(11)。それによって利潤率を上昇させ,資本蓄積への誘因を回復させることが,リカードウの食料輸入自由化論の最も重要な目的である。
(1)ミル[1871=1960:276〜277]
(2)スミス[1789=1978:(T)148]。ミルは,このスミスの学説に対して[ミル1871=1961:63〜66]で反駁している。
(3)スミス[1789=1978:(T)161〜162]。
(4)リカードウ[1819=1987(上)]第6章,ミル[1871=1961]第4章第1節などを参照。また,ホランダー[1987=1991:201〜206]は,スミスも,土地の収穫逓減による利潤の減少に気づいていたと指摘している。
(5)マルサスの2つの公準 @食料は人間の生存に必要であること。A両性間の情念は必然であり,ほぼ現在の状態のままでありつづけるとおもわれること[マルサス1798=1973:22]。ここから,人口の原理が導き出されるのである。
(6)[マルサス1798=1973]第3章〜第7章。また,マルサスは,第8章から第15章にかけて,コンドルセやゴドウィンといった思想家の進歩に関する推論を,まったく過去の傾向に基づかないものとして批判している。マルサスの経験論については,大村[1998:27]を参照。
(7)リカードウ[1819=1987(上)]第2章「地代について」,第5章「賃金について」,第6章「利潤について」参照。
(8)これは,リカードウ[1819=1987(上)]第2章「地代について」を参考にして作った数値例である。
(9)同じ土地に資本と労働を投下した際にも収穫逓減が生じる[リカードウ1819=1987:(上)108]。
(10)詳しくは,ホランダー[1987=1991:242〜250],リカードウ[1819=1987(上)]第5章を参照。
(11)リカードウ[1819=1987:(上)189]。もし,輸入する商品が奢侈財であれば,賃金に影響を与えず,したがって,利潤率にも影響を与えない。
第3章 J.S.ミル『経済学原理』における経済発展の理論
ミルは,スミス,マルサスやリカードウの理論を継承・発展させる形で,自らの理論を構築した。このことから,ミルは古典派経済学の完成者であるといわれる。そして,彼の経済発展の理論にも,こうした彼の側面が見出せる。
ミルは経済成長の終局点として,定常状態を想定している。定常状態の考察をする前に,経済成長について考えることは有益であろう。それでは,ミルの経済発展モデルを概観していこう。
第1節 ミルの経済発展モデル
ミルの経済発展モデルは,彼の『経済学原理』第4編において詳細に述べられている。そのモデルは,第1編から第3編までに述べられている,経済の諸要因の相互依存関係を叙述する均衡分析,すなわち「静態論」に対して,「動態論」という枠組みで叙述されている。「動態論」とは,均衡がどのような過程を経て運動していくかを観察していく理論的枠組みである。
ミルは「動態論」の冒頭で,社会的進歩が経済にどのような影響を与えるかを説明している。彼は社会的進歩を,科学技術の進歩と社会の安定の増進に見ている。前者は主に生産や輸送に影響を与え,製造品の価格を引き下げたり,物価を安定化させる効果を持つ。後者は,犯罪や専制が少なくなることにより,人々の目を未来に向けさせ,資本の蓄積を促進する効果を持つ。このように,社会的進歩は経済発展を促すのである。
次に,進歩が物価に与える影響について詳しく考察している。産業の進歩が人口増加を伴う場合,食料への需要も増加するだろう。しかし,農業部門において技術革新がなければ,収穫逓減の法則により,食料の価格は上昇していくだろう。これとは反対に,「製造工業の作業というものは,それが行われる規模が大きければ大きいほど,一般にますます低廉に行われうる」[ミル1871=1961:22]ので,工業製品の価格は下落していく傾向があるといえる(1)。
第2節 人口・資本の増加が利潤率に与える影響
そして,ミルは社会的進歩を人口増加,資本の増加と生産技術の進歩という3つの要素に分けて,進歩が利潤や地代にどのような影響を与えるかについて考察している。
まず,資本量や技術は変化せず,人口が増加する場合を考えてみよう。労働供給の増加により,賃金が下落する。賃金の下落は資本家にとって労務費(2)の減少を意味するから,利潤は増大するであろう。地代への影響ははっきりしない。しかし,食料需要は賃金の下落幅ほどは減少しないかもしれない(3)。その場合,人口増加によって食料需要は増加するであろう。その結果,食料価格は騰貴し,利潤は増加せずに地代が上昇することになるのである。これは,リカードウのケースと酷似している。
次に,資本量のみ増加する場合を考えてみよう。資本量の増加は労働需要の増大を意味する。その結果,資本家間の競争によって賃金は上昇し,利潤率は下落するであろう。また,労働者の所得が増大した結果,食料需要が増加し,さらに利潤が減少して地代が上昇する可能性もある(4)。
ここで,人口・資本がともに均等に増加する場合を考えることができる。人口・資本が増加することにより,食料需要が増加してその価格は上昇するだろう。その結果として,実質賃金はそのまま変化しなくても貨幣賃金は上昇する。貨幣賃金の上昇は利潤率の下落を意味するが,資本量そのものが増加しているので利潤は減少しないかもしれない。また,劣等地耕作によって地代は上昇している。以上から,人口や資本の増加によってつねに地主の状態は改善し,資本家の利潤率は下落する傾向があると,結論付けることができる。
第3節 生産技術の改良が利潤率に及ぼす影響
一方,人口や資本量に変化がなく,生産技術の改良だけが行われた場合を考えてみよう。この状態は明らかに短期を想定している。なぜなら,長期的には生産技術の改良が,人口や資本に対して影響を与えないということは考えられないからである。
生産技術の改良が,一般的な労働者は消費しない奢侈品においてのみ起こった場合,賃金,利潤率および地代には影響を及ぼさないであろう。奢侈品を消費する資本家や地主は消費者として利益を得るだけである。ただし,ミルも言うように,生産技術の改良が奢侈品のみにとどまることはあり得ない。改良された生産技術は他の産業にも転用され得るからである。
必需品における生産技術の改良は,利潤率や地代にどのような影響を及ぼすのであろうか。まず,農業における改良(5)と製造業における改良の2点に分けて見ていこう。農業上の改良は,食料価格の下落をとおして地代の下落をもたらす(6)。短期においては人口変化がないので,貨幣賃金は一定のまま実質賃金が上昇することになる。そのとき貨幣で測った利潤は変化しない一方,実質的な利潤は上昇するだろう。しかし,長期的には実質賃金の上昇は食料生産に対する土地需要の増加につながり,結局は食料価格の騰貴によって実質賃金および利潤率の下落と地代の上昇を招くであろう。この結果,短期における賃金および利潤の上昇は,長期的な下落によって相殺されることになる。地代は賃金および利潤とは逆の方向に動く。また,製造業における改良が賃金や利潤に与える影響は農業におけるそれと変わらないが,地代は変化しないことになる。
以上の議論から,人口と資本がともに増加し,生産技術の改良も同時に行われるという一般的なケースを考えることができる。前述の,個別要因の議論から,人口や資本の増加は地代の上昇をもたらし,利潤率を下落させる傾向をもつのに対して,生産技術の改良は,短期的には,利潤率の上昇と地代の下落を引き起こすということがわかる。しかし一般に,人口の増加は生産技術における改良の速さに勝ると考えられる。また,長期的には,農業上の改良は地主にも利益をもたらす(7)ので,社会の進歩は,地主を富裕化させ,利潤率を下落させる傾向がある,そして,やがてはその社会が定常状態に至るという結論を導き出すことができる。
(1)ミル[1871=1961]第2章を参照。
(2)ミルは[1871=1960]第15章第7節において,賃金と労務費の違いについて述べている。労務費とは,実質賃金の支払い分のほかに,労働の生産性や労働者の支出する必需品価格の高低にも依存する。
(3)労働者階級は比較的貧困で,それほど食料消費量を減らせないという事実から。
(4)短期にとどまらない趨勢的な賃金の上昇は,労働者の嗜好を変化させる可能性が高い。高賃金による高級食品(その生産に広い土地を必要とする)の需要増加など。詳しくは,ミル[1871=1961:43]を参照。また,現代世界における実例(中所得国における肉食の増加が飼料穀物消費量に与える影響など)は,ブラウン[1996]第3章を参照。
(5)ミル[1871=1959:339〜341]
(6)ミルは[1871=1961:51〜53]において,この議論を逆説的であると考える人たちに対する批判を行っている。つまり,ここで行われている議論は,地主が自分の土地の改良によって損害をこうむるということではなく,地主が他の地主による土地の改良によって損害をこうむる可能性があるといっているのである。
(7)ミル[1871=1961:61〜62]。
第4章 ミル『経済学原理』における定常状態
前章では,ミルの経済発展の理論的展開を見てきた。彼によれば,経済的進歩の終局点として,どのような形にせよ,「定常状態」が訪れることは不可避である。この章では,彼の「定常状態」に関する議論を見ていくことにする。
ミルの「定常状態」に関する議論は,少なくとも2つの点で,マルサスの影響を受けていると考えられる。第一に,人口増加の「予防的制限」の考え方は,人間の思慮深い行動によって,より少ない人口で定常状態に入ることで,人類が「よりましな」定常状態を迎える可能性を開いた。そして,第二に,『人口論』の第18章および第19章の「神学論」で述べられている,人間精神の成長可能性の議論は,ミルの,定常状態における人間精神の進歩可能性の考え方につながるものである。
そこで,ミルの「定常状態」論に進む前に,定常状態と精神的成長の関係を捉えるために,以上の2点から,マルサスの議論を概観しておくことにしよう。
第1節 マルサスにおける人間の精神的進歩
第2章第3節では,マルサスの「人口の原理」について考察した。この原理は,簡単に言えば,人間の欲望は自由に発揮され得ないということ,少なくとも社会全体でみれば,性欲と食欲は両立し得ないということを述べているのである。「人口の原理」から,どちらかの欲望を抑制しなければならないが,後者を抑制するのには限りがあるので,前者を抑制することを彼は主張する。つまり,自ら人口増加を鈍化させよ,と提言している(1)ことになり,定常状態の議論と深く関わってくる。このことについては,ミルの定常状態に関する議論と結びついてくるので,後の節で詳しく述べることとし,先に,「人口の原理」から,欲望を制限されることによって,人間はどのような影響を受けるかについてのマルサスの考察を見ていこう。
マルサスは,「人口の原理」がもたらす困窮が人間精神を成長させる可能性について考察している。彼によれば,人間の「精神と肉体とはもっとも密接にむすびついている」[マルサス1798=1973:202]のであり,「最初に精神を目覚めさせるおおきなものは,身体の諸要求であるようにおもわれる」[マルサス1798=1973:203]。空腹や寒さといった困難は,人間の活動に対する刺激となって,人々が怠惰と無気力に沈むのを阻止するだろう。そして,そればかりではなく,身体的要求は,学問や芸術といった高度な精神的活動を促す原動力にさえなる(2)のである。
「人口の原理」は,食料入手の困難をとおして,人間の活動に対して他の諸困難よりも大きな刺激を与えると考えられる。人間は食料なしには生きていくことができないからである。そこから,「人口の原理」は,「うたがいもなくおおくの部分的害悪をうみだすが,ほんのわずかな考察だけで,おそらくわれわれはそれをはるかにこえる利益をもうみだす」[マルサス1798=1973:206]という推論が導かれている。
マルサスは,人生におけるかなしみが,社会的共感や慈愛の心をうみだす刺激になることを説明している。彼は「自然の無限の多様性」,すなわち,この地上には能力や境遇,道徳において優れたものばかりではなく,劣ったものや汚れたものも同時に存在するということの意義を主張した。慈愛その他の精神が,「無限に多様な」自然の中で,精神的・道徳的改善と,将来における改良の源泉となる研究活動を切り開くからである。
「人口の原理」をはじめとする人間にとっての害悪は,「絶望をうむためではなく,活動をうむため」[マルサス1798=1973:222]に存在するのである。そして,われわれはそれらの害悪を避けるための活動によって,自分自身の精神の成長を達成することができるのである。
このようにマルサスは,「人口の原理」の生み出す悪徳や不幸が,人間の精神の成長を促す刺激になるという結論を導き出した。これは,われわれが欲望を満たすことに対して何らかの制限を甘受しているときも,精神的な成長あるいは知識の成長が望めるということを意味する。
第2節 「成長至上主義」批判
第3章では,社会の経済的進歩が利潤その他に及ぼす影響についての,ミルの議論を概観してきた。また,前節では,マルサスが「人口の原理」が支配する下での人間的進歩の可能性を論じていたことを示した。この節以降では,経済的進歩の終点である「定常状態」についての,ミルの議論を検討していくことにしよう。
ミルは,経済社会の進歩が終局的に定常状態に行き着くことは,不可避であるとしている。前の章でも述べたとおり,経済的進歩は,利潤を低落させる傾向をもつ(3)。利潤が蓄積の誘因を失わせるほど低くなると,資本の成長は停止し,その社会は定常状態に入ることになる。
ミル以前の経済学者たちは,こうした定常状態が避けられないという事実を,忌避すべきものとして捉えてきた。「これらの人たちの思索の調子と傾向とは,経済的に望ましいことのすべては,進歩的状態とまったくイクォールであり,かつこれとのみイクォールであると見るということであったからである」[ミル1871=1961:102]。ミルは,こうした経済成長を繁栄の指標とみなす「旧学派に属する経済学者たち」の代表として,マカロックとスミスを批判している。ミルにとっては,経済的繁栄とは,富の急速な増加,すなわち経済成長を意味するのではなく,「大量的な生産と適切な富の分配」[ミル1871=1961:102]を意味するものである(4)。こうした意味で,ミルは,経済成長を至上のものとみなす「旧学派」の経済学者たちを批判するのである(5)。
一方,ミルはマルサスの「人口の原理」に基づいてこそ,社会がより良い形で定常状態に入っていくことが可能になると考えた(6)。つまり,思慮に基づいて人口を抑制することこそ,定常経済において人々の生活水準を維持していくために不可欠な要件なのである。
ミル自身は,ある種の定常状態をむしろ望ましいものと考えていた。ここでは,ミルの定常状態に対する考え方を競争と人間精神の関係,分配論,自然の価値という観点から見ていきたい。
第3節 市場における競争と人間精神
ミルは,近代の経済社会を支配している競争について,必ずしも肯定的な態度を示してはいない(7)。「それは,文明の進歩の途上における必要な一段階ではあるだろう。……がしかし,それは決して社会的完成に属するものではなく,」[ミル1871=1961:105]将来にわたって擁護し続けられるものではない(8)。
しかし,当時の社会進歩の段階においては,多くの人間はまだ優れた精神を持つに至っていなかったので,そのような状態に移るまでは,競争というものは,「人間のエネルギーが鈍りよどむよりも,疑いもなくはるかに結構なことである」[ミル1871=1961:106]。 それでも,社会進歩が進んだ豊かな状況において,人間の精神も充分に成長しているならば,そうした競争よりも,「より良き分配」を目指すことが政策目標にされるべきである。ミルの考える定常状態では,まさにそのような社会の状況が実現しているので,競争の必要性は失われるのである。
第4節 望ましい分配
ミルにおける定常状態とは,社会的進歩の終局点であり,厳重な人口抑制と,平等な分配が行われている理想的な社会状態であると考えられる。
ミルは,平等化を目指すための制度というものは,それだけでは,社会の上層を低めるだけであり,社会の下層を永続的に高めるものではないと考えている。したがって,より良き分配は,各個人の思慮および倹約,勤労の果実の正当な請求権と矛盾しない範囲内で,財産を平等化する立法の体系を築くこと(9)によって,達成されるのである。具体的には,相続および贈与によって個人が取得できる金額に厳しい制限を加えることによって,社会階層の流動性を高め,下層と上層の格差を埋めていくのである。
以上のような立法によって達成される社会状態とは,「労働者層の給与が高く,かつ生活の裕かなこと,ひとりの人の生涯の間に獲得蓄積されたもの以外には,莫大な財産というものがない」[ミル1871=1961:107]状態であり,そこでは,人生の美点美質を自由に探求し,他の人たちが成長するための手本となるような中間層が大きくなると考えられる。
このような優れた社会状態は,「ただ停止状態と完全に両立しうるというばかりでなく,また他のいかなる状態とよりも,まさにこの停止状態と最も自然的に相伴うようである」[ミル1871=1961:107〜108]。つまり,最も進歩した社会においては,後述するような自然との調和も考えると,経済成長よりも,より良き分配が指向されるべきなのである。
第5節 自然と人間(10)
ミルは,技術の向上や資本の増加により,世界にはなお人口増加を受け入れる余地があると考える。しかし,彼はそれを望ましいとは考えていない。なぜなら,あまりに人口が多いと,人々の思索と精神的成長に必要である,孤独になれる時間と場所が少なくなってしまうからである。
また,経済成長の結果として,「自然の自発的活動のためにまったく余地が残されていない世界を想像することは,決して大きな満足を感じさせるものではない」[ミル1871=1961:108]。つまり,より大きな人口が食料を得るために,耕作可能な土地がすべて耕作され,野生の動植物が邪魔者として根絶されて,自然が失われることは決して望ましいことではない。したがって,そのような状態になってしまうのであれば,自然の限界から必要に強いられて定常状態に入る前に,人間は自ら進んで定常状態に入るべきである,と彼は主張するのである。
このような「より良い」定常状態においては,人間は豊かな自然との交流によって,思索や人格の向上を最も良く実現できる。すなわち,自然は人間の知的あるいは精神的成長に寄与するといえる。
したがって,人口および資本の定常状態は,人間的進歩の終わりを意味するものではない。むしろ,産業における改良は,従来の富の増大という目的から解放され,「労働を節約させるという,その本来の効果を生むようになる」[ミル1871=1961:109]。その結果,少ない資源と労働で生活するのに充分な品物が入手できるようになり,自然と余暇を獲得した人々は,より一層,精神の成長を達成することが可能になるのである。
以上から,ミルにおける「望ましい定常状態」は,競争からの解放と自然との共存をとおして,人間精神を向上させるものである。また,人間精神の成長は定常状態において最もよく進むと考えられるのである。
(1) これは,ミルが「…私は後世の人たちのために切望する,彼らが,必要に強いられて停止状態にはいるはるかまえに,自ら好んで停止状態に入ることを。」[ミル1871=1961:109]と叫ぶことと似ている。
(2)「欠乏が詩人の想像に翼を与え,歴史化の流麗な文章をつくりだし,また学者の研究にするどさをくわえ」[マルサス1798=1973:204]る。
(3)利潤の低下を阻む要因もある。商業的反動(恐慌・不況)は資本を減少させることによって利潤率を上昇させる。生産における改良は生産費を下げる。また,低廉な必需品および資本財の輸入も,同様に利潤を上昇させる。そして,資本の輸出によって,国内の利潤は上昇する。[ミル1871=1961]第4章第5節〜第8節を参照。
(4)こうした考えの背景には,多数を占める労働者階級の幸福増進を目的とする功利主義者としてのミルの側面が見られる。[馬渡1997:327〜328]
(5)ミルは言う,「いやしくも人口の増加なり或いはその他の何事かなりによって,国民の大衆がこれらのもの(注:生産と蓄積の増加)の恩恵の一部にあずかることを妨げられているかぎり,それ自身としては重要性に乏しいものである」[ミル1871=1961:106]。また,ミルは,後進国における経済成長は重要な目的でありうることも指摘している。[ミル1871=1961:106]
(6)ミル[1871=1961:103〜104]
(7)しかし,同時に[ミル1871=1961:194〜199]において,彼は,競争の有用性を強調する議論を展開している。なぜなら,現在の利潤追求をよしとする道徳観を与えられたものとすれば,競争の不在は,その財・サービスの供給者に独占への誘因を与えるからである。ここでミルが述べているのは,競争の有害性ではなく,経済における競争という状態が,人間の精神が充分に発達して,そのような道徳観が変化したのちも,永遠に続くか否かということである。
(8)四野宮は,資本主義社会の発達とともに利潤追求が唯一の目的とされるようになると,人間の思考が狭くて単純なものになりやすいことを指摘し,幅広い人間性の育成という観点から見て不幸であると述べている[四野宮1977:63〜64]。ミルの定常状態論は人間性の回復という点からも支持されるのである。
(9)[ミル1871=1960]第2章を参照。また,[四野宮1997:128〜134]も参照。
(10)四野宮[1977]および[1997]第2部では,ミルの自然観と定常状態との関連が強調して述べられている。
第5章 古典派経済学における「定常状態論」の比較
ここまで,古典派経済学における「定常状態論」をスミス,リカードウ,マルサスおよびミルを取りあげて見てきた。この章では,それらを整理してから,比較検討していくことにする。そして,補足として,古典派以降の経済学の「定常状態論」についても概観する。
第1節 「定常状態論」再論
スミスは,資本の競争により利潤率が低下すると考えた。しかし,彼は,利潤率が低下しても産業が発展して資本蓄積が急速に進む余地があると考えていた。つまり,定常状態は経済的進歩の結果として訪れるのではない。むしろ,誤った法制度のもとで,農業や工業が規制されている後進国で,定常状態に入る可能性が高くなるのである。そのような定常状態の下では,賃金が伸び悩み,一般の労働者が苦しむことになる。しかし,誤った法律と制度を改革することによって,その状態から脱出できる。最良の法律と制度をもってしても定常状態に達するということは,彼にとっては,あり得ない話であった。
マルサスは,自然状態においては,人口増加が生活資料の増加を上回るため,人口は生活資料により制限されるという「人口の原理」を発表した。そこから生じる困難は,不幸や悪徳を生み出すが,同時に人間的成長という大きな便益も生じさせるのである。これは,定常状態における人間の成長可能性の議論を開くものであった。また,「人口の原理」から引き出される予防的制限は,のちに,ミルの定常状態論にも大きな影響を与えた。
マルサス以降の経済学者たちは,「人口の原理」を各々受け入れ,土地における生産の限界から,地代が上昇し,利潤が低下してって,やがては定常状態に達するという議論を展開した。リカードウは,資本蓄積を重視する立場から,利潤率低落を防ぐために,すなわち,定常状態の到来を避けるために,安価な穀物の輸入を主張した
(1)。
ミルは,資本および人口の成長が停止しても,人間の知的・精神的発展は止まらないという観点から,定常状態を忌み嫌うべきものではないと主張する。さらに彼は,自然との共存や人間の成長を考えると,むしろ,進んで定常状態に入るべきであるとして,定常状態の意義を積極的に認めたのである。
第2節 「定常状態論」比較
以上の議論からわかるように,定常状態を忌避すべきものとして捉える見方と,積極的に捉える見方に分けることができる。前者の見方をとるのが,スミスとリカードウであり,後者の見方をとるのが,マルサスおよびミルである。しかしながら,それぞれの論者の立場により,同じ見方をとっていても微妙な違いが生じている。各々検討していこう。
スミスは,経済成長の限界が,経済の自然的秩序に反する制度や法律によってもたらされると考えていた。それらの法制度は,人々から不当に経済的利益を奪うものであるから,廃止すべきものである。これは,彼の重商主義批判(2)にも通じる考え方である。したがって,こうした政策を改めることにより,経済は定常状態を回避することができるのである。
それに対して,マルサス以降の論者たちは,経済成長の限界の主たる原因は,土地および自然の希少性からもたらされるものと認識していた。マルサスは,定常状態は終局的には避けられないので,人々の思慮によって人口を抑制することで自然の限界への到達を防ぎ,より低い成長に甘んじることで,「よりましな」定常状態に到達すべきであると考えた。そして困難に対する苦闘から,人間的成長が達成されるというのである。
リカードウは,労働者の消費する食料を外国から安価に輸入することによって,国内の土地の制約から免れることができると考えた。すなわち,穀物の自由貿易を許せば,国内の土地の肥沃度ばかりではなく,世界中の土地の肥沃度に依存することが可能になるのである。
ミルは,マルサスと同様に定常状態は不可避であると考える。ミルにおいては,人間的成長は自然との交流により達成されるものである。したがって,自然はそれ自体が重要な価値を持つことになる。その自然が失われる前に,人類は進んで定常状態に入るべきなのである。以上の議論をまとめると表1のようになる。
表1
論者 定常状態に至る原因 定常状態 悲惨な状況を回避する方法(4)
スミス 農業や工業の発展を阻害する誤った制度 停滞による高い利潤率と低い賃金 成長を阻害する法制度の廃止
リカードウ 人口増加↓劣等地への耕作拡大 地代の騰貴,利潤・賃金の絶対的低下 穀物輸入の自由化
マルサス 1人当たり食料の減少 予防的制限による人口抑制
ミル 人口増加による耕作拡大と経済的進歩 人間の精神的成長 人口および資本の成長の抑制
以上から,次のように結論づけることができる。リカードウは,定常状態は地主を除く社会の大多数の階級に対して苦難を強いることになると考え,定常状態を避ける方策を提示している。このような,成長制約を打ち破ろうとする思潮が,現代に至る人類の進歩を支えてきた力の一つになっているのは事実である。しかし,それは定常状態の到来を一時的に遅らせるに過ぎず,彼の観点から言っても,根本的な解決にはならないはずである。そのようにして,やがて来る定常状態は,そうした方策が採られなかった場合よりも大きな人口を擁し,より悲惨な状況を生み出すだけである。
稠密な人口によって地球環境に対して多大な負荷をかけている現代世界において,人類は地球自然の限界を認識しつつある。このような状況では,むしろ,マルサスやミルのように,定常状態を不可避のものとして捉え,より良い形で定常状態を迎えるべきであるという議論こそ,進むべき方向を示すものであると考えられる(3)。次章において,このマルサス=ミル型の定常状態の現代的意義に関して考察する。
第3節 古典派以降の「定常状態論」
この章の補足として,古典派以降の定常状態論について見ていこう。実際のところ,古典派以降は,メドウズに至るまで「成長の限界」を論じることは主流にはならなかった。
その理由のひとつは,先進各国における「人口転換」(5)と農業および工業の生産性の向上である。イギリスでは,1870年代後半から出生率が急速に低下し始め,1930年代には,低死亡・低出生の状態に達した。人口増加率が落ち着いたと同時に,次々に技術革新が起こることによる農業および工業の生産性の上昇や,また,先進国の産業構造の中心が農業から工業,さらにはいわゆる第三次産業に移ることによって,表面上,資源の制約を打ち破ったことも,自然の限界から目をそらす原因となった。
もうひとつの理由は,経済理論に内在的なものである(6)。古典派経済学では自然の有限性が意識され,その上で,自然の限界にまで経済規模が拡大するまでは自然を無限と考える仮説のもとで,理論を構築してきた。つまり,無限の自然を仮定する成長論と,経済が自然の限界に達した後の定常状態論の両方が存在していたのである。しかし,自然の収容力が限界には達していなかった当時の状況から,成長論が中心に据えられることになった。この流れを後の経済学が無批判に受け継いだことにより,定常状態論は忘れ去られることになったのである。
しかし,1970年代に入り,次々と自然の限界が露呈される中で,メドウズの『成長の限界』がしだいに受け入れられていくようになった。それでもなお、自然の限界は主流派の経済理論の中に明示的には採り入れられてはいないようである。21世紀における経済学の課題のひとつとして,こうした問題は避けられないであろう。本稿の目的のひとつとして,自然の限界を採り入れた新しい理論を築く礎を提供することがあげられる。
(1)リカードウの,人口増加対策としての穀物輸入自由化論についてのミルによる批判は,ミル[1871=1959:355〜361]を参照のこと。
(2)スミス[1789=1978(U)]第4編を参照。
(3)ホランダー[1987=1991]によれば,ミルは定常状態の到来を遠い将来のことと考えていた。したがって,彼の定常状態論は人間精神の進歩状態に対して,いささか楽観的である。現代において定常経済に移行しようとすれば,人々の倫理観や生活様式に大きな改変が必要になるだろう。それは,定常経済の実現を妨げる要因になるかもしれない。
(4)スミス,リカードウが定常状態を悲惨な社会状態であると考えたのに対し,マルサス,ミルは定常状態を必ずしも悲惨なものとは考えず,幅を持った状態として考えていた。ここでは,マルサスとミルについては,「悲惨な」定常状態を避け,「より良い」定常状態に移る方法として提示する。
(5)速見[1995:61〜63]。
(6)中村[1995:123〜154]。
第6章 「定常経済」に関する若干の検討
この章では,前章で述べたマルサス=ミル型の「定常状態」の現代世界における意義と,残された課題について述べておこう。まず,第1節で,今まで述べてきたことを踏まえながら,自然の限界と定常経済の関係とその意義について述べる。第2節では,その他の側面から定常状態の意義について簡単に考察する。また,第3節において,現代世界が自然の限界を克服できる可能性について探る。そして,最後の第4節では,残された課題について検討してみる。
第1節 自然の限界と定常経済
定常経済の意義は,地球が球体である以上避けられない有限性の問題を,人々に否応なく直視させることである。多くの問題を抱える現状から,人類は地球の限界を認識し,その限界を超えないような対策を早期に実施することが求められている。
今まで,人類は周囲の自然の限界を,主に科学の進歩によって克服しつづけてきた。古くは牧畜や農耕の開始にさかのぼり,治水・灌漑技術の向上による生産増加の努力も古代から行われてきた。近代に入って,人類は目覚しい科学の発展により,それまで以上の速度で諸困難を克服していき,ひとりひとりが獲得できる財貨の量を増大させていった。
その一方で,地球に対する負荷は,発展に伴って大きくなってきた。経済発展による自然への負荷は,2つに分けて考えることができる。ひとつは,量的拡大による自然への侵食であり,もうひとつは,質的な高度化によって自然の機能不全を招く点である(1)。
前者は,人口増加による耕地の拡大の例から容易に想像がつく。つまり,人口増加によって,食料獲得の必要から森林を焼き払って耕地にしたり,やせた土地を休ませることなく使用することによって地力を奪ってしまうという,主に発展途上国で起きている実例を考えればよい(2)。このような拡大は科学技術の発展により緩和される側面もある。しかし,それも次に述べるように,万能ではない。
後者は,科学技術の発展による,人工の新しい化学物質が,自然で分解されずに生物界に害を与えている事実を見れば分かるだろう。例えば,自然界では分解されない化学物質の一部が,地球環境に悪影響を及ぼしているという事実がある。最近話題になっている環境ホルモンやフロンガスも科学の発展によって生み出された「生産物」のひとつである。
このようにして,経済成長によって,人類は自然に過大な負荷を与える方向に進んできた。このままの形で人類が成長を追求していくと,いずれは破局をむかえることが避けられない。したがって,手遅れにならないうちに,地球の収容力に合わせた経済システムを構築することが,長期的に見て,人類にとっては望ましいといえるのである。「定常経済」は,その有力なモデルになるだろう。
第2節 「定常経済」の現代的意義〜その他の側面から〜
これまで,古典派経済学における定常状態について,スミス,リカードウ,マルサス,ミルをとおして見てきた。前節では,マルサス=ミル型の定常状態に速やかに入ることが,人類の将来にとって望ましいということを示した。それでもなお,いくつかの反論が残るであろう。最後に,いくつかの想定される反論に答える形で,「定常経済」の現代における意義を考察する。
まず,考えられる反論は,定常状態が望ましいものであるとしても,それを達成するのは現実には不可能ではないか,というものである。この意見は大きく2つに分けることができるだろう。
ひとつは,人口や消費の成長を止めること自体,不可能であるという意見である。これについては,社会の進歩とともに人口成長率が低下している先進国の例や,中国の人口政策のように成功している例もあることから,少なくとも人口抑制に関しては,不可能であるとは言えない。また,大量消費を改める動きも,先進国において始まりつつある。具体的には,資源を効率的に使用する技術の開発や,資源の再利用の進展などがあげられる。現在はまだ小規模の動きであるが,これからの発展可能性は十分にあるといえる。
もうひとつは,成長を止めることは可能であっても,人類が人口や資本などの変数を操作して,適切な状態に維持・管理することは不可能であるという意見である。確かに,中国における「一人っ子政策」がある程度の成功を収めたと言っても,近年になって急激な高齢化が進み,将来の社会保障を中心に不安が高まったため,一部の政策を断念せざるを得なくなったという事実もある。
事実,多くの場合において,人口は必ずしも政府や政策意思決定者にとって操作可能な変数ではない。「定常状態」の適切な維持・管理は,これからも難しい課題として残るだろう。
もうひとつの反論は,定常状態の望ましさを説くのは,富裕な先進国の住人の勝手な感傷であり,低所得国における現状を見れば,まだ世界経済の成長は必要である,というものである。
では,従来の世界的な経済成長は何をもたらしたというのだろうか。確かに,経済成長は潜在的にすべての人々に恩恵を与える可能性がある。しかし,経済成長率を越える人口増加があったり,適切な分配がなされなければ,経済成長は経済的な格差の拡大を助長するにとどまり,大多数の人に何ら恩恵をもたらさない。実際に,経済成長を指向してきた世界経済は,人口では圧倒的な少数派である先進国が圧倒的な富を支配する,事実上の寡占状態を生み出した(3)。また,高所得国の経済成長率が低所得国のそれを上回り,格差がますます拡大する傾向にある。
前述の通り,ミルも後進国の経済成長の必要性は認めている(4)。むしろ,世界的な分配の平等化という観点からすると,発展途上国の成長は望ましいといえる。したがって,先進国が率先して定常状態に入ると同時に,発展途上国の経済成長に対する援助も行っていくことが望まれる。
このようにして国際的な分配の平等化を図ることによって,自然の限界を超えることなく,より多くの人々の経済状態が改善されうる。先進国は,「定常経済」に入る際のコストを支払う能力もあるし,歴史的に見て支払う義務があるといっても過言ではないだろう。このような分配政策は,「定常経済」において可能なばかりでなく,「定常経済」において最も実効性がある政策であるといえる。
「定常経済」で問われるのは,数量ではなく質である。人間にとってそれほど必要ではない財貨を大量の資源を動員して生産することは,無駄であるばかりではなく,将来世代の財産となるはずの資源を収奪していると言っても過言ではない(5)。
成長が鈍化すれば,特に労働において完全雇用の達成が困難になるのは事実である。しかし,ミルの考えでは,労働需要の停滞・減少は,失業をとおして労働市場の需給均衡に向かうのではなく,個々の労働者における余暇の増大という形で,完全雇用を維持しつつ均衡へ向かうことが可能である(6)。人々が利潤のみを追い求めることをやめれば,労働者の所得を維持しながら余暇を拡大することは可能なのである。
以上のように,現代世界において「定常状態」は望ましいばかりではなく,最も人類の幸福に合致した状態であることが分かる。
第3節 限界の克服可能性
人類が従来そうしてきたように,経済成長を指向したままで自然の限界を克服することは可能であろうか。われわれ人類は,科学技術の発展や産業構造の転換を通じて,自然の限界を克服しつづけてきた。これからもそれは可能かもしれない。しかし,科学的発見を産業に応用して限界を乗り越えることは,徐々に難しくなるだろう。成長と自然との対立から生まれる問題は複雑さを増し,その解決により長い時間をかけざるを得なくなる一方で,成長は幾何級数的に進んでいくからである。
したがって,限界の克服が可能であっても,そうした方策に頼るだけでは不十分であり,やはり「定常経済」に向かう必要性は依然として残るのである。
第4節 残された課題と展望
この章では,われわれが「定常経済」に向かうことが望ましいという根拠を,現代世界経済が直面している,自然の収容力の限界という観点から示した。では,そこで言う「定常経済」とは,どのようなものになるのだろうか。
ひとつの理想形としては,いわゆる「循環型経済」があげられる。再生可能な資源・エネルギーをインプットとして用い,アウトプットとともに出てくる廃棄物も可能な限り再資源化を行う。また,分解不可能な有害物質はできる限り使用せず,そうした物質の排出を最小限に食い止めるために,低い水準のスループットを達成することを努力目標とする。こうした経済システムには,高い技術を持つ先進国から入っていき,後から来る後進国への技術援助も行う。
より具体的な方策を立てるためには,新しい「定常状態論の経済学」が必要になる。まだ,その具体像は提示できないが,ここで,その概観を示しておこう。現在の経済学は,理論的に精緻化される一方で,その射程を著しく限定されてきた。そこで,市場経済に限定される分析の範囲を拡大する必要が出てくる。ポランニー[1977=1980]のいう,実体的=実在的な意味での経済にまで経済学の対象を広げることによって,人間の相互関係だけではなく,自然と人間の関係も捉えなおすことができるようになるのである。また,その中で,廃棄物および負の生産物の概念や,資源の利用量の限界,自然の磨耗という,定常経済においては欠かせない考え方も導入していくことができるだろう。
経済という言葉の意味を問い返すだけでも,このように分析枠組みを広げることが可能である。ここから,定常経済の理論的基礎としての新しい定常状態論を構築していくことが,われわれに残されたこれからの課題になる。
(1)四野宮[1997:107〜115]参照。
(2)実は,量的拡大による自然への負荷は古代から存在しつづけてきた。いくつもの古代文明が森林を伐採することによって農地を拡大し,短期的には繁栄したが,結局は表土の流出などにより農業基盤を破壊され,廃墟と化した[中村1995:53〜56]。
(3)1996年現在,アメリカ,日本,ドイツ,フランス,イギリスの5カ国を合わせると,人口は世界全体の1割程度であるのに対して,GDPは世界の60%を占める。これにイタリアとカナダを加えると,世界のGDPの66%をたった7ヶ国で占めることになる。[経済企画庁1998:10]
(4)ミル[1871=1961:106]
(5)ミルはいう,「……すでに必要以上に富裕になっている人たちが,裕福さを表示するという以外にはほとんど或いはまったく快楽を生むことがないところのもろもろの物を消費する資力を倍化するということが,あるいは多数の個人が毎年毎年中産階級から富裕階級へと成り上がり,あるいは有業の富裕者から無職の富裕者に成り上がるということが,なにゆえに慶ぶべき事柄であるか,私には理解できないのである」[ミル1871=1961:106]。
(6)ミルが望んでいる技術革新のあり方は,利潤追求のためではなく,労働者の余暇を増大させる方向に進むことである[ミル1871=1961:109]。この結果,人々は煩雑で機械的な労苦から免れ,真・善・美を追求することが可能になるのである[ミル1871=1961:107]。
参考文献
※訳書の発行年については,[原書初版発行年,訳書の底本となっている版の発行年(版)=訳書の発行年]という順に表記してある。ただし,本文中では[訳書の底本となっている版の発行年=訳書の発行年]という表記にした。
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A.スミス著,大河内一男他訳,『国富論T〜V』中公文庫,[1776,1789(5)=1978]
佐藤陽介「資本主義形成期のプロテスタンティズムとウェーバーの思想」
17960078経済学部経済学科3年
吉野ゼミ
(1)はじめに
マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904/1905)(以下『プロ倫』)は,その第一印象の「突飛さ」とそれを見事に裏づける論理的構成によって,多岐にわたる分野に影響を与え続けてきた。その「突飛さ」,つまり「資本主義の精神」がプロテスタンティズムの「世俗内的禁欲」の意図せざる結果であるという主張に対しては,L・ブレンターノをはじめとする多くの反論がかつて存在した。しかしそれらの反論が否定されるにつれ,もちろんのことながら『ブロ倫』の正当性は高まり,資本主義成立に関する1つの立場を築くまでに至ったのである。
しかしウェーバーの活躍した時代(19世紀後半〜20世紀前半)において,資本主義はもうすでに成熟期にさしかかっており,資本主義形成期,黎明期の歴史認識か現在より勝っていたとは思えない。ここで私は歴史認識の正誤確認がウェーバーの理論を評価する1つの方法であると考え,これをテーマとし論述をはじめたい。
(2)マックス・ウェーバーの思想
最初にウェーバーの思想について簡潔にまとめたい。彼はまず,経済活動全般をさすような広義での「資本主義」と分けて,「近代資本主義」という概念を用いた。そして「近代資本主義」のもつ独自の合理性に注目し,合理主義こそ近代西欧の資本主義を特徴づけるものと考えた。ここでの合理主義は,合理的な資本計算と自由労働の合理的組織化といったものであり,それぞれが「近代資本主義」のもつ大きな要素である。しかしこの合理主義は,「近代資本主義」の特徴のみならず西洋文化全体の特色として捉えることも可能であり,経済合理主義がその他の分野,例えば社会科学全般,技術,芸術,宗教における合理主義と密接に関係していることに彼は気づくのである。
ウェーバーには様々な著作があるが,それらのなかには世界の宗教に関する著作が相当量残されている。この事実が示すとおり,彼は宗教の分野に経済合理性と関連している部分が多いと考えた。この理由については後に触れることとし,彼の宗教研究はプロテスタンティズムから「近代資本主義」が発生したことを証明するための反証的研究と捉えることができる。よってこのことに関する彼の思想の根幹は,『プロ倫』に集約されているといってもいいだろう。
ウェーバーは『プロ倫』の中で,「近代資本主義」の生成の原因を営利と経済合理主義が結合した「資本主義の精神」なる工一トス(倫理的態度,倫理的雰囲気)に求め,さらにその「資本主義の精神」をプロテスタンティズムの「世俗内的禁欲」の産物であると規定した。そして「資本主義の精神」はプロテスタンティズムの倫理に立脚し,初期の資本家と労働者に共通する精神的態度であるとみなしたのである。この共通する精神的態度なる概念は,ウェーバーに対する代表的反論者L・ブレンターノと論点を異にするところである。ブレンターノはウェーバーに対時する際,「資本主義精神」なる工一トスを使用した。噴本主義の精神」と「資本主義精神」とでは担い手に差異が生じる。この点は大塚久雄が『社会科学における人間』(1977)においてわかりやすく説明しているのだが,「資本主義精神」の担い手は労働者のみであり噴本主義の精神」における共通する精神態度の概念とは比較できない。よってブレンターノの反論は端から無効なのである。
しかし,必ずしも反論の失敗がその理論を正当化するとは限らない。先に述べたようにウェーバーの理論の前提は,資本主義形成期にその担い手となった資本家や労働者が内包している「世俗内的禁欲」の存在である。この有無が,彼の理論の是非を判断する材料となるだろう。
(3)資本主義成立に関する諸説
さて資本主義形成期の社会を考える上で,資本主義の成立に関する諸説を確認しておく必要がある。それはウェーバーの主張が「資本主義の精神」,つまり資本主義形成の際,原動力となった担い手たちの精神構造についてのものであり,封建的社会がどのように資本主義社会に移行したかについて,必ずしも明確な答えを与えるものではないからである。
ここでは2つの代表的立場を挙げよう。1つは貨幣経済または商業(資本)の発達説であり,もう1つは中産的生産者層の両極分解説である。両説については,その字面である程度の内容が推量できるだろうから,詳しい説明は省略する。
ウェーバーの主張する共通する精神態度の概念を考えると,彼の思想が後者に近いことがわかる。資本家と労働者が共通の五一トスとして「世俗内的禁欲」を内包していたとするならば,その起源が同じ階層から生じたものと考えて何ら不思議でない。ウェーバーは,「世俗内的禁欲」を発達させた主な担い手たちをカルヴァン派や再洗礼派などとしたが,それを踏まえた上で大塚は,「禁欲的プロテスタンティズム,たとえば,カルヴァン派の信徒のなかにはとくに大商人が多かったなどと書いている書物もしばしば見られますが、これは歴史的事実として正しくないようです。」(同掲書,p139,11-4)と述べ,中産的生産者層がそもそもの禁欲的プロテスタンティズムの主要部分をなしたとしている。これに関して大塚は,さらに局地的市場圏論を展開し,資本主義形成期の具体的な記述をしている。それによれば,封建制を掘り崩しながら成長してくる独自の生産様式としての産業資本の歴史的起点は,農村の内部から展開してくる社会的分業を基礎とする小生産者層相互間の新しい商品経済形成にある。これが局地的市場圏であり,この市場圏の広範な形成が,封建制の崩壊と産業資本の自生的成立,つまり中産的生産者層の成立と分解をもたらしたと主張した。この理論に「世俗内的禁欲」の存在の確かな証明が加われば,私はウェーバーの理論に合理性を見出せそうだ。
(4)教義としての「世俗内的禁欲」
禁欲,ここでは行動的禁欲のことであるが,ウェーバーはそもそもカトリック社会における修道院のなかでのみ「世俗外的禁欲」という形態の禁欲が存在し,「世俗内的禁欲」は宗教改革の際,ルターによって明らかにされた天職観念がもたらした産物だと説いている。私はこれを,職業に対して勤勉であること,考えられる最低限の生活をすることという単純な2項員で捉え,このことが実践されていたかを考察した。
これについては次の文章がその手がかりとなろう。西洋経済史の専門書には,「前者(カルヴァン派)にあっては,予定説の前に不安におののくに対し,みずからの救いを確信して,合理的=禁欲的生活態度で職業労働に励むように説き,後者(再洗礼派)でもキリストの再臨を告げる聖霊の声を心静かに待つため心正しく職業労働にいそしむことを教えた。」(石坂昭雄他『新版西洋経済史』,1985,
p140,164, p141,17)とある。これは当時のギ資本主義の精神」の担い手たちが,教義として「世俗内的禁欲」を提示されていたこと示しており,問題は担い手たちと教義との関係ということになる。
(5)「世俗内的禁欲」の有無
ここではカルヴァン派を「資本主義の精神」の担い手の'例として理論を展開したい。教義として提示された「世俗内的禁欲」について,カルヴァン派の宗教的根拠は予定説であった。折原潜はカルヴァン派と予定説との関係について,「〈予定説〉によれば,被造物としての人間は,神からく深淵〉によって隔てられており,この〈隠れたる神〉は,人類のうちのごく少数を選んでく永遠の生命〉に予定した。そして,この少数者にのみ,〈永遠の死滅〉に呪われた多数者との鮮やかなコントラストにおいて神の自己栄化(この世における神の栄光の増進)に仕える〈道具〉としての〈使命〉を授けた。なんぴとも,神のそうした永遠の決定一予定を覆せないのみか,その理由を詮索することもできない(〈神強制〉の完全な廃棄としての〈脱硯街化〉の〈完結〉)。この教理のまえに立ったピューリタンは,なんぴともかれを助けえないという絶対的な〈内面的孤独〉のなかで,<この自分は,はたして選ばれているのか,捨てられているのか〉との深甚な不安にとらえられ,自分の〈選び〉の確信に到達して不安を鎮めるべく,〈選び〉の〈証し〉を求めて,自己の〈使命〉に蓬進したのである。」(『マックス・ウェーバー基礎研究序説』1988)と説明している。このように,予定説は「資本主義の精神」の担い手たちを何よりも強力に束縛するものであった。これでウェーバーが宗教における合理主義を何よりも重視したことに納得できる。
折原の記述はまた,カルヴァン派の教義が,ユダヤ教の教義として有名な選民思想に近いことも示している。これは完全に原始キリスト教本来の教えとは異なるものであり,カルヴァン派にとっての信仰の対象たる神は「差別の神」ということになる。つまり「本主義の精神」の担い手たちが,何の疑いもなく利己的に自らの救いのみを求め,予定説にあるような選ばれし少数者を目指したとするならば,容易に「世俗内的禁欲」はその担い手たちに内在したと考えられる。そして予定説の内容を考えると,担い手たちの強力な首尾一貫性が,選ばれた少数者になりたいがための必死の手だてだったこともわかる。こう考えるとウェーバーの理論は相当の説得力をもってくる。
(6)ウェーバー理論の是非とユダヤ教
私が冒頭で設定した命題は,ウェーバーの歴史認識の正誤確認によるウェーバー理論の評価であった。そしてその歴史認識は,資本主義形成期における噴本主義の精神」の担い手たちに内在した「世俗内的禁欲」の有無によって,一面的ではあるが判断できると考えた。ここまで私が述べてきたなかでは,合理的な根拠をもとに「世俗内的禁欲」が存在したという結論に達した。よってウェーバーの理論,とくに『プロ倫』における主張が,その担い手たちの教義までさかのぼって検討した上で,論理性を含んだ有力な1つの説であることを,ある程度示すことができたと思う。
さて,以上で私の提示した命題に関する理論は一応の完結をみた。しかし予定説とユダヤ教の類似性を指摘した際,それではなぜユダヤ教が近代資本主義の直接の起源たりえなかったのか,大きな疑問が残ったと思われる。
史学的見地からでは,ユダヤ教にある種の「資本主義」的社会形態が存在していたとされている。しかしその担い手は高利貸しなどの非合理的な経済主体であり,近代西欧を特徴づける合理主義はいまだ見当たらない。これはウェーバーが,『古代ユダヤ教』(1915〜1919)のなかで述べているパラドックスと大いに関係する。パラドックスとは,ウェーバーが近代西欧合理主義の起点としてユダヤ教を考えていた点にほかならない。
これはどういうことか。まずウェーバーはユダヤ教をキリスト教,イスラム教にあらゆる面で影響をあたえたものと考察したうえで,合理主義の起源をもその1つのファクターと位置づけた。ここでもう1つウェーバーが重要視しているのは,ユダヤ教が奇跡的な過程で形成された,きわめて偶発的な宗教だということである。ウェーバーは『古代ユダヤ教』にてその過程をこと細かに記述することで,ユダヤ教の特殊性を浮き彫りにしており,その結論がユダヤ教のもつ二重遺徳の倫理として述べられている。
二重道徳とは,ユダヤ共同体内外における道徳の使い分けをさしている。内部での道徳,これは「世俗内的禁欲」に通ずる合理主義をあらわしており,また外部での道徳,これは高利貸し的な「資本主義」的社会形態をあらわす。この態度をユダヤ共同体の外から眺めたとき,嫌悪の情をもって迎えられる可能性は高い。つまり近代西欧はユダヤ教から,その選好によって取捨選択を実施し,みずからに適した,みずからの好む合理主義を取り出したと考えてよい。これが「近代資本主義」の担い手たちと,ユダヤ教の信仰者たちの決定的な差異である。
きわめて一般論ではあるが,私は以前から信仰とはときに人間を盲目的にするものだと感じていた。ユダヤ教から合理主義が取り出されるきっかけとなった取捨選択も,また資本主義が形成される原動力となった「世俗内的禁欲」の形成過程も,この信仰特有の性格が叙述に見受けられる。またいずれも偶発的な経緯をたどった結果,現代社会を支配する考え方につながったという点も非常に興味深い。二重道徳の存在は「近代資本主義」におけるウェーバー理論の正当性を高めるだけでなく,我々にみずからの存在意義を問いかける意味で,史学的にも評価されてしかるべきであろう。
(7)終わりに
折原はみずからの境遇とウェーバーを重ね合わせて,「気負い」という言葉でプロテスタンティズムに通ずる誤った使命感を表現している。マルクス登場以来,その理論の虜にされてきた人々の資本主義社会に対する反感の発端は,その不=浄なイメージか,その非人道性か,そのほか色々あるだろう。今日,崩れ去った社会主義国の姿を眺め,マルクス理論を否定することは正しくない。しかし「気負い」によって成立した資本主義社会が,社会主義社会を打倒していく姿を考えると,社会学上ウェーバーと並べて語られるマルクスの理論にも批判的な立場から考察する意欲が湧く。
参考文献
●マックス・ウェーバー著,大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』1904/1905=1989,岩波文庫
○マックス・ウェーバー著,内田芳明訳『古代ユダヤ教』1915〜1919=1996,岩波文庫
●大塚久雄著『社会科学における人間』1977,岩波新書
○石坂昭雄,船山栄一,宮野啓二,諸田実著『新版西洋経済史』1985,有斐閣双書
●折原浩著『マックス・ウェーバー基礎研究序説』1988,未来社
●安藤英治,内田芳明,住谷一彦編『マックス・ヴェーバーの思想像』1969,新京杜
●内田芳明著『ヴェーバーとマルクス』1972,岩波書店
●伊藤誠編『経済学史』1996,有斐閣
宮下愛「戦争と資本主義」17960158経済学科3年
1.はじめに
ヴェルナー・ゾンバルトの著作についての検討を行う。彼は資本主義発展の分析において、きわめてユニークな構想を打ち出した経済学者である。そこで、彼が近代資本主義の形成にあたって、富の神と武の神という二柱の神が演じた役割を指摘している二著作に着目した。『恋愛と賛沢と資本主義』(1913年)、『戦争と資本主義』(1913年)の二作である。前者のなかで彼は、近代ヨーロッパの人々を著修にふけらせた原動力は女性であると論じ、そして著修こそ資本主義発展の前提の」一つであると述べている。また後者は、戦争が資本主義を助長したという彼の考察を詳しくのべた著作である。普通、戦争は文化や経済を破壊し、したがって資本主義にも大損害を与えると見られている。しかしゾンバルトは、近代国家の軍隊は、武器弾薬・食糧・衣服(軍服)・船舶などを整備・充一実させる二とから、資本主義関連産業の改良発展を大いに促すものであると主張している。そして私は、上述の二作を対象としたレポ』トを作成するべく両書を読み進めていたが、特に後者『戦争と資本主義』におけるゾンバルトの、非常に説得力のある論理展開に強い関心をおぼえ、また、彼の主張が、現代社会における戦争観にも大いに関わってくるのではないかと考えた。そこで今回、当レポートでは、『戦争と資本主義』に焦点を絞って、その内容を見ていったのちに、それに対する訳者の見解、私なりの見解を順にあげていきたいと思う。
2.『戦争と資本主義』におけるゾンバルトの主張
〈1〉戦争と資本主義の関係
ゾンバルトはこの著作における序文のなかで、中世から19世紀のはじめにかけて、もろもろの重要な都市国家と大国が備えてきた債務総額を明示した。それらの数字のなかには、まったく確実に、資本主義が戦争によって受けた巨額の重い損失が表されている。しかし、それでもなおかつ戦争がなければそもそも資本主義は存在しなかった、と彼は言う。戦争は資本主義の組織をたんに破壊したり、資本主義の発展をたんに阻んだばかりではなく、それと同様に資本主義の発展を促した。そればかりか戦争は、資本主義の発展をはじめて可能にしたといってもよいであろう。それというのも、すべての資本主義が結びついているもっとも重要な条件が、戦争によってはじめて充足されなければならなかったからである。戦争は近代的壷隊を創出し、そして近代的軍隊が資本主義経済の重要なもろもろの条件を充足させた。ここで観察の対象となるもろもろの条件とは、資金の創出、資本主義の条件、そしてとくに大市場である。ゾンバルトの行う研究は、軍国主義と資本主義との発展の間に存在するもろもろの関連を明らかにするとの課題をもっている。彼はこの本のなかで、ひたすらその発生を追求すべき近代の軍隊が、どのくらい@資金の創出者として、A志向の形成者として、B市場形成者として、資本主義の経済組織に協力したかと証明するべくつとめている。〔以上『戦争と資本主義』P3〜25〕
〈2〉近代的軍隊の誕生
彼はまずはじめの章で、近代的軍隊の誕生について記述しているが、ここでは陸軍と海軍を区別している。陸軍における近代的軍隊とは常備軍であり、国家の軍隊である。この二つの要素は早い時代からつねに存在する傾向である。(国家の代表者としての)王公を唯一の司令官とし、彼に持続的に軍隊を委ねることは結局効果をあげ、普遍的妥当性をもつようになった。この二つの原則の勝利は、たとえ同時に近代軍隊の根本理念にとって切実な現代的な意味をもたなかったとしても表面的に言うなれば、象徴的な表現となった。そこでまず、国家の常備軍の調達、装備のための資金を持続的に用意し、準備する。そのさい資金については王公が自由に裁量することができるようにする。これにより王公は軍を管理し把握することも、軍の存続期間を己の意志どおりに決めることもできる。このようにしてつくられた王公の物質的な能力のなかで、近代的軍隊の二つの本質的な標識が一体となる。すなわち常備軍であること、国家の軍隊であることが有機的に統一されるわけである。さらに王公は「資金と民衆」を入手する。これによって軍隊はその新しい形式のなかで保証される。そして軍隊はあるべき定められた姿になる。この近代的軍隊は、集合的軍隊あるいは民衆の軍隊、あるいは軍団と呼ばれる軍隊として表される。この民衆の軍隊の特殊性は、とりわけ、その巨大なことの他、戦術的に統一された大勢の戦士であるが故に効果をあげることにある。その大勢の戦士たちのなかで、そして彼らを通じて、共通の精神に満たされた大集団の超個人的な統一体が活動する。この精神の共通性は司令官から発せられた命令によってつくられる。(精神の)指導と(肉体の)行動の機能はしたがって分離され、異なった人間によって遂行される。この指導する機能と実行する機能の分化は、経済生活のなかで、手工業から資本主義へと進展する有様に通ずるものがある。一方、海軍についてであるが、海戦が陸戦と異なる要素は、海戦において作戦は根本的に当初から集合的効果を狙って行われた、という部分である。戦いの成否は本質的には艦船がいかにすばらしい機動性を発揮するかにかかっていた。海戦における作戦は個人的な業績よりも、しばしばはるかに重要な、異常なほど多くの物量の消費に常に結びついていた。陸軍に比べ、比較にならないほど多くの資金が必要とされる艦船が、海戦には登場するわけである。そして、海戦における物量の圧倒的な消費量ゆえに、早くから常備艦隊と名づけることができる艦船を導入する結果となった。また、海軍の国有化は陸軍の国有化のはるか以前にさかのぼる。さらに、二のような近代軍隊(陸軍・海軍)に内在する拡大傾向はたいへん重要な特性をもっている。それは、この拡大傾向がもっとも重要な経済的作用を及ぼし、とくに状況が同じ場合には需要の多い軍隊の不断の強大化が、それだけ早期に大衆需要の増大に導かれるからである。〔以上『戦争と資本主義』P27〜73〕
〈3〉軍隊の維持
続く章でゾンバルトは、軍隊の維持について述べている。戦争を行うことは、あらゆる時代においてたいへん金のかかる事柄であった。中世において軍備と兵力の維持に使われた金額に接すると、その巨額なことにただただ驚く他はない。彼は、16世紀の間、そしてとくに17および18世紀にもっとも重要な軍事大国で、軍事目的に支出された金額を、二の章では具体的に列挙している。そして軍事目的遂行のための物資の調達が、近代経済生活の形成にどんな重大な意味を達)っていたのかという疑問について、以下の四点の解答を出した。
(1)軍事物資の調達により、資本形成が促進された〜軍事需要充足のための物資が集められる方式は、公共機関が一一般に収益をあげるとき(税収入・借款・補助支払い金など)の方式といささか変わりはない。そして、さまざまの形式で資本主義をつくりあげた市民の富のかなりの部分が、16,17そして18世紀に(とくにフランスで)税の賃貸借によって、そして(とくにオランダとイギリスで)公債に関する利息の収益および両替の差額による収益によって発生した。
(2)軍事物資の調達は、経済生活の商業化を促した〜16世紀の最初の国際的な証券取引所は公債の請求権の取引から直接発生した。公的借款組織の発達を通じて、有価証券取引所は完全に成熟するようになった。一言で言うならば、戦争が証券取引所をつくったということになるであろう。
(3)補助金の支払いが経済生活に与えたと思われる作用がある〜たとえば、補助金払いによって実施されたような外国への巨額な現金支払いが、イギリスにとって都合のよい為替相場の決定に作用した。これは輸出にとって奨励要素として働き、したがってイギリスの輸出は持続的な現金供与によって強力に促進され、産業的資本主義は大躍進をとげた。
(4)巨額の資金がある国とくに、戦争の賠償の形式で流入することが、資本主義の発展の動きを活性化する働きがある〜これは特別の理由づけの必要もないほどよく知られた事実である。創設期(1871〜73年)のドイツで見られた現象「10億フランの至福」はいつの時代にも見られる現象であった。
上級の関係機関が面倒を見ている場合、軍隊の維持はつねに、物資の調達・物資の利用という二つの行為を通じて完成する。物資の利用は軍隊の装備と同じことを意味する。国家は利用できる物資を、その目的の命ずる規定どおり使用することによって軍隊を装備することになる。軍隊装備の組織は軍隊管理の」部である。これは軍隊の存在と正確な機能にとって不可欠なすべての物資を供給するという任務をもっている。ゾンバルトは、当時の数世紀の間に軍備組織がどのように発達したか、そしてこの発達が、近代資本主義の発達にとっていかなる意味をもっていたかを追求しようとするならば、その着眼点を軍備組織と市場形成との間、および物資の需要との関連に向けねばならない、と述べている。これは、とりわけ大量需要と名づけられている軍隊の需要がいったいどのくらい、どのようにして生じたかの追求である。なぜなら、軍隊の需要によって最初の巨大な大量需要が生じた事実のなかに、資本主義に及ぼした軍国主義のもっとも主要な影響の一つが見られるからである。ここでいう「大量需要」とは、@技術、A組織原則(大量需要は軍備組織の集中化が強力に推進されればされるほど明らかにそれだけますます容易に発生する、という原則)という二つの要素が影響を及ぼす、個々の消費市場の集積のことである。そしてまた大量需要は、他の条件が同じときには、装備される軍隊や艦隊が巨大になればなるほど、それに軍備義務の期間が長ければ長いほど、それだけますます容易に発生する。さらに、戦争が起これば起こるほど、陸軍部隊や海軍艦艇が根拠地から遠く離れて進出すればするほど、そして最後に、需要の充足にさいして統一一化の原則が発達すればするほど、それだけますますたやすく発生することになる。またゾンバルトは以降の章で、軍隊が経済生活に与える作用を、軍の装備・給養・被服・船による輸送、というような個々の分野に分けて観察している。これは、それら個々の分野の作用を集積させて考える場合には、あまりにも異なった性質をもちすぎていると考えられるからである。〔以上『戦争と資本主義』P75〜106〕
〈4〉装備
それではまずはじめに、装備についての分析である。14世紀とユ7世紀の間、軍隊の装備とその更新にさいし、技術はたとえ決定的ξは言えないまでも、きわめて重要な役割を演じた。革命的な影響を与えた技術上の現象は、火薬のなかに秘められたエネルギーを弾丸の発射に利用する二とであった。この発明を利用できるようにした武器は、一方では大砲であり、他方では小銃などの携帯用火器であった。これらの武器の需要は戦争とともに増大した。いわば外延的には、陸海軍の増強が武器需要の増大を求めるようになり、また内包的には、軍備の」層の向上が同じ方向で作用した。これらの増大する武器需要を充足させる必要性は、経済生活の発展にとっては、まず需要が山積みし、販路が拡大され、これによって商業あるいは生産を資本主義的な組織にする可能性がつくられる、という重大な意味をもっている。そうしてまもなく、小銃製造業はマニュファクチュアの段階を克服し、工場方式に組織変えされる運びとなった。ヨーロッパの軍事大国で、武器産業はそれらの国の筆頭産業となったのである。武器そのものの生産と平行して、必需品の弾薬を製造する工業の著しい発展などもあったが、増大する式1器需要が経済生活の形式に及ぼし、それによる資本主義の発展の成行きを決定づけた作用のうち最大のものは、それが製品の上からも代表的ないくつかの産業に与えた刺激であろう。その産業とは製鋼・製錫、そしてとくに製鉄業である。これらは武器の原材料を提供する産業活動の…分野である。軍の組織とくに現代の軍備が経てきたもろもろの変化の直接の作用の下に、これらの産業が資本主義への決定的転機を迎えたといってもよいであろう。
武器需要が増大したとき、まずはじめに大量に欲しがられた金属は、初期の大砲の原料である銅と錫であった。増大する銅需要はまず銅山への関心を高め、その結果銅山開発の範囲が広げられ、それが資本主義の軌道の上を走るようになった。同じことが錫工業と錫取引きにも起こった。少なくともイギリスの重要な銀鉱山では、16世紀に本格的な生産の拡大が見られた。この時代にはちょうど、鉱山業の資本主義的組織への移行が行われた。そして、ついに軍国主義が、資本主義的製鉄業の誕生にさいしても重大な役目を果たしたことが、さまざまな方式を通じて確認されるのである。それは、各国における鉄製の大砲生産と弾丸生産の生産量から顕著に見てとれる。軍隊が、その頃唯一の本格的な鉄の大量消費者・最大の消費者であったことが、それらの数字に表れている。こうして軍隊において製鉄業の運命は決定した。それというのも、その時代においてこそ製鉄業が、資本主義にいたる道の第一一歩を踏み出したからである。また大砲を、(高価な青銅に代わって)より安価な鉄から鋳造しようとするときには、どうしても高炉を用いねばならなかったことから、鉄製大砲の増加する需要は、製鉄業のなかへの高炉方式の発明・導入の強制として作用し、二の点でも、軍隊が資本主義的製鉄業の発展に大きく貢献したことが示される。さらに大砲の鋳造は、鉄の鋳造技術の促進にも役立ち、反射炉の溶解導入のきっかけを与え、同様に鉄の加工のための本来の工作機械の改良をも促した。〔以上『戦争と資本主義』P107〜161〕
〈5〉軍隊の給養
二つ目にゾンバルトは、軍隊の給養について分析している。近代の陸海軍が誕生したとき、はじめて当然のことながら本格的かつ恒常的な食料品の大量需要が発生した。そしてこれらの需要にこたえるべく、軍隊へ給養(糧食)を配給する機関として、給養組織が成立した。当時における給養組織が、近代資本主義形成のさいにどのような役割を演じたかについて、ゾンバルトは以下のように記述している。
(1)陸軍はヨーロッパの中世ばかりか、最近の数世紀には一般に、彼らの需要を購入によって充足させていた単なる消費者集団であったという事実がある。二の事実は交換経済がやっと始まったばかりの土地では、なんとしても貨幣をもつ者が、こうして絶えず需要を増やすことによって、市場向け生産への刺激がつくられるところから、疑いも卒く経済生活を解体させるような具合に作用する。したがって交換経済の関係は、その範囲も強度も増大する。そしてこのことは、ほとんどいたるところで、交換経済の組織を出発点とする資本主義の発展を疑いもなく促進することを意味する。
(2)大軍団が経済生活の発展に及ぼす作用として、こうした軍団が都市造成の要素としてもつ意味がある。この意味は、当然のことながら、軍隊がもろもろの都市に駐屯している場合、あるいは、いずれは都市が発生するような場所に軍隊がしばしば駐留している場合に見受けられる。あらゆる都市の発生や拡大は、つねに、資本主義へと導くコースに入ることを意味しており、この二とが歴史的発展の前提となる交換経済組織をもっているのと同様に、都市への人口集中もそうした意味をもっている。都市人口の急速な増加によって、資本主義が大いに促進されることは否定できないと思われる。
(3)資本主義が、近代国家における軍隊の給養組織が経てきた発展によって直接的に促進された要因を考えてみると、明らかに、農業の「大経営組織」が、軍事行政からの注文によって促進されたことがあげらね、る。そしてこれが資本主義の軌道上を走る農業の大経営を推進するわけである。
以上主だった役割をあげてきたが、結局、ヨーロッパでは、17世紀はじめの三十年戦争の頃から、すでに大量の食糧を国家が買い付けていた。そのため穀物需要は増え、農業は大農式となり、アムステルダムやダンツィを拠点とする国際穀物交易がさかんになったというわけである。これが農薬面における資本主義の促進を意味する。〔以上『戦争と資本主義』P163〜206〕
〈6〉軍隊の被服
三つ目にゾンバルトは、軍隊の被服について分析している。はじめのころは、各戦士は自分の被服についても自分で面倒を見ていた。ところが16から17,18世紀へと軍組織を一丸とした軍事行動がさかんになるにつれ、被服組織の国家管理と統」化が進み、軍服も統一化(ユニフォーム化)されていった。この軍服の統」化は大量購入と大量生産の可能性をつくり出し、被服や、被服材料に対する多量の需要が市場で発生することになった。そしてこれらの大量需要の発生が、各国の軍需産業としての紡績業、さらには同様に、亜麻布工業・帽子製造業・衣服製造業、その他もろもろの被服をまかなう産業の発展に、刺激的影響を与える結果となった。また、軍隊の被服需要は、軍服のユニフォーム化によって、製品の多量・迅速・同質の供給という要求を打ち出した。そして、この要求を充足させることが自営の手工業者たちには困難であったために、必然的に、マニュファクチュア、あるいは工場制の労働組織が成立し、さらには大経営組織・資本主義的企業家精神の発達が促進される結果となった。織物工業は、軍服生産のために手工業的段階から、一挙に近代的生産方式に移行したわけである。〔以上『戦争と資本主義』P207〜239〕
〈7〉一造船
最後にゾンバルトは、造船について分析している。造船には、造船所における船舶の建造ばかりでなく、造船材料を整える多くの産業、それに造船材料の面倒を見る多くの商業分野が関係している。ここで、造船が経済生活に及ぼす影響を考えると、@造船が多量になればなるほど、A巨船が建造されればされるほど、B造船が」層総合的となり、集中的になり、さらに密度が濃くなるほど、C造船が迅速に行われれば行われるほど、それだけますます影響力は大きくなるであろう。そのため、造船の発展を決定づけた要因である軍事的関心(_戦争)の果たした役割は大きい。この主張は、軍事的関心が、@造船量、A船舶の大きさ、B造船の促進、C造船技術の集中、に本質的な影響を及ぼしたことを明らかにすることによって証明される。まず@の造船量についてであるが、当時の各国の商船と軍艦の船舶数の割合を比較すると、軍艦の圧倒的多さから、商業的関心よりも、強力な軍事的関心が造船に対して、より大きな刺激を与えていたことがわかる。次にAの船舶の大きさについてであるが、戦時にあって、戦いのための軍艦はより巨大であることが求められた。そのため艦船のタイフはみるみる大型化し、したがってそれをつくるための造船所も大型化していった。ここから、大型船型の発展史において、資本主義的関心よりもむしろ軍事的関心が、圧倒的に効果のある推進力となったことが推定できる。続いてBの造船の促進についてであるが、軍艦の勢力が増大するにつれ、海軍側の要求(いかに迅速に船がつくられるか)が活発になったために造船が飛躍的に発展した二とを考えると、軍事的関心の影響の大きさが納得できるであろう。最後はCの造船技術の集中についてである。軍事的関心により、より多くの船・より大きな船・より短期の完成が求められたことによって造船は、従来の手工業から、大がかりな近代化へと進められた。つまり、造船に関わる労働者が、手工業の孤立状態を脱却して共同の仕事のために技術を結集した、最初の巨大な経営が出現したのである。
見てきたように、造船が近代の経済生活の形成、とくに資本主義の発展にとってもっ、重要な意義が証明されたように思われる。そして造船と資本主義との間、さらに広い意味では戦争と資本主義との間に存在し、当時の軍事的な活動を、おそらくその全体的な巨大な作用のなかで判然と示す一つの関係が存在するといえる。つまり、製鉄と造船が戦争の所産である」方、戦争はヨーロッパの森林の破壊者となった、ということである。しかしこの破壊から再び新しい創造的な精神が台頭した。すなわち木材の不足と、日常生活の必要が、木材に代わる物質の発見あるいは発明を、そして燃料としての石炭の利用を促し、さらには製鉄のさいのコークス処理の発見に駆り立てたのである。そしてこれは19世紀における資本主義のまったく大がかりな発展によってはじめて可能になったのであった。〔以上『戦争と資本主義』P241〜291〕
3.『戦争と資本主義』に対する訳者の見解
以上のように、ゾンバルトの著書『戦争と資本主義』についてまとめてきたが、彼はこの本のなかで、戦争がとくに資本主義を促進した時代を、近代的軍隊創設の頃から18世紀末まで(ナポレオン戦争まで)と述べている。しかし、同書の訳者、金森誠也氏は、遅れて資本主義を発展させた近代目本に、この著書の論旨がかなり適中する面もある、と指摘している。以下にその要約をあけておく。
「日本では明治維新以降、廃藩置県・西南戦争を経て、国民皆兵という徴兵制度に基づく天皇制軍隊が生まれた。日本では軍隊の育成にあたって武器生産にはげみ、とくに重工業面では、政府主導の下に鉄鋼の生産、造船など陸海軍の需要に応じる工業が促進された。日清戦争・日露戦争は、日本にとって過重の戦費を強いることになったが、これらの戦争は日本の資本主義に拡大の気運をもたらした。いわゆる富国強兵政策の実現である。とくに一流海軍国をめざした日本では造船がさかんになった。また、艦艇以外の兵器の生産では、主として陸海軍の工廠を中心にして行われたが、世界的な爆発力をもっと言われた下瀬火薬が1888年に発明されたほか、各種の銃砲等の生産が活発に行われるようになった。また、これらの兵器や軍需品の生産は民間工場でもさかんになった。
このあたりまでの発展は、まさにゾンバルトの著書『戦争と資本主義』に見られる軍需産業の発展史と相通ずるところもあるが、日本の資本主義の歩みには、あまりにも軍事優先が目立った。そしてこれが日本工業の発展に、後年に至るまで破竹的性格・不均衡性を与えた。戦前の日本の工作機械工業や金属工業などは、欧米列強に比べて見劣りがした。しかも日本には閉鎖的な融通性の欠如が見られた。日露戦争から太平洋戦争にかけて日本の兵器生産は拡大され、航空母艦・酸素式魚雷などすぐれた兵器も出現したが、三年半に及ぶ太平洋戦争の間、鎖国状態にあった日本では軍事技術は進歩せず、他方、性能を数倍にのばした米軍の兵器(とくに航空機)によって攻撃され、日本軍は壊滅し、降服への道を歩んだ。この戦争によって日本の国民生活は圧迫され、米軍機の空襲により日本全土は焦土と化した。太平洋戦争は日本の資本主義にとって最大の害悪だったといえるであろう。
しかし、戦後の日本経済の発展の歩みを見ると、どん底にあった日本の経済は、意外にもよその国の戦争によって大いに強化された。朝鮮戦争とベトナム戦争による特需がその例である。ここに、ゾンバルトの、「戦争は資本主義を発展させる」という主張がいみじくも立証された感がある。
もちろん最近では、米露などの大国を含め各国が、軍備の負担によって財政状況を悪化させており、軍事費は経済にとってマイナスであるという見方が強まっている。しかし、歴史の」時期、それも近代のみならず現代でも特定の時期、特定の地域においては、ゾンバルトの理論が通用する場合もあるのではないかと思われる。」〔以上『戦争と資本主義』訳者あとがきより〕
4.私白身の考察
最後に、以上のゾンバルトの主張、それに対する金森氏の見解をふまえた上で、現代社会における私自身の戦争観を考察として提示してみたいと思う。
「戦争は資本主義を発展させる」というゾンバルトの主張は、彼の著書、そして全世界のこれまでの歴史をみると、たしかに立証されたといってもよいであろう。しかし彼は、少なくとも『戦争と資本主義』のなかでは、戦争の利点ばかりを並べており、さらに言えば戦争を推進しているかのようにも見える。もっとも、彼が二の本を書いたのが1913年ということもあり、世界中がまだ資本主義の発展途上にあったために、このような主張をするに至ったことは、批判すべきではない。だが、彼の生きた時代には通用していた理論も、一世紀近くたった現代にあてはめてみると、明らかにさまざまな問題が浮かび上がってくるのではないだろうか。
80年代終わりまで続いた「戦争と革命の時代」も、「冷たい戦争」がソ連の完敗、西側の完全勝利をもたらす形で終結し、それからは「軍縮」が世界全体の基調として定着するという方向がはっきりしてきた。もちろん地域紛争、あるいは小国間の武力行使で、局地的に世界の秩序を撹乱する動きが繰り返し発生する可能性はこれからもあるだろう。しかし、もはや「核戦争」の脅威はほぼ完全に消滅し、大国間で本格的な「戦争」が発生する可能性はまずないと言ってよいのではないだろうか。現代における核戦争の勃発が世界の終わりを意味することは、周知の事実だからである。しかし、こうした核の脅威を知りながらも、いまだに世界の大国は軍事兵器を捨て切れずにいる。それはゾンバルトの言うように、軍需産業が世界の大国において、大きな政治的・経済的影響力をもつからである。もちろん、世界の大国のなかで、「軍縮」の動きが急速に高まっていることは事実であるが、それでも軍事兵器の完全撤廃までには至っていない。それどころか、「軍縮」をうたいながらも、軍需産業による「工業化」の推進を望む第三世界(=発展途上国)へ、武器の輸出を行っている大国もある。1990年のイラク軍によるクウェート侵攻は、まさにこのような事実が発端となった典型的な例であろう。これは、武器輸入を行っていた小国が、世界の大国よりも威力のある大型軍備を保有する軍事大国に変身してしまった、非常に危険な例である。
結局のところ、武器・兵器を製造することも、保有することも、輸出することも、現代においては、その国だけでなく、全世界が危険へとさらされる結果につながるのである。そこで、日本は、世界でただ」国「武器輸出禁止」を国の基本政策としている先進国であり、被爆国として核兵器の脅威も熟知しているはずであるから、その日本が率先して、国際連合の舞台を通じ、「武器輸出禁止」さらには「武器・兵器の完全廃棄」という世界平和のための原則を守るよう、世界各国に説得工作を展開していくべきだと思う。
「戦争の放棄」を大大的に憲法に掲げているこの「日本」こそが、世界のモデルとなり、また、「武器輸出禁止」などの平和の原則を、これからの世界に共通した国際的な原則として確立するための努力を、積極的に主張してゆく必要が大いにあるのではないだろうか。大きな目で見て、「資本主義」が浸透し、成熟してしまったこの現代の世界において、もはや「戦争」は必要ないものであろう。
●参考文献
ヴェルナー・ゾンバルト著・金森誠也訳『戦争と資本主義』1987-91・論創杜
ヴェルナー・ゾンバルト著・金森誠也訳『恋愛と賛沢と資本主義』1996・論創杜
三谷太一郎著『近代目本の戦争と政治』1997・岩波書店
長谷川慶太郎著『新しい世界秩序と日本』1990・講談杜
吉沢南著『ベトナム戦争と日本』1988-89・岩波書店
早坂忠編著『経済学史』1989-95・ミネルヴァ書房
八木紀一郎著『経済思想』1993一一96・日本経済新聞社
生垣 琴絵「マルクス『共産党宣言』にみる共産主義の考察」
1. はじめに
2. 『共産党宣言』の時代背景
3. 「ブルジョアとプロレタリア」
4. 共産主義批判
5. おわりに
1. はじめに
『共産党宣言』は、当時の国際的な労働者組織「共産主義者同盟」の大会で、マルクスおよびエンゲルスにきそうがゆだねられた「綱領」であった。さらにマルクスおよびエンゲルスの理論的、政治的、組織的な活動の産物でもある。「歴史上初めて国際的な革命的労働者組織を作りだそうとしていた当時の労働者階級にとって、この『共産党宣言』は、この上ない行動の指針となった。」[マルクス・エンゲルス(解説)1998:167]
『共産党宣言』は、「ブルジョアジーとプロレタリア」「プロレタリアと共産主義者」「社会主義的および共産主義的文献」「種々の野党にたいする共産主義者の立場」の四節からなる。本稿では、とりわけ第二節「プロレタリアと共産主義者」の部分を中心に、文中で投げかけられる共産主義者にたいする批判について、またその批判にたいする反論について、共産主義を批判する立場で考察していきたい。考察をすすめるうえで注意すべきは、当時の社会的背景と現代とでは大きな差があるということであるが、ここでは、現代社会をふまえたうえでの共産主義という観点で考えていきたい。なぜなら、ソ連の崩壊や他の社会主義国の失敗を見てきた今、どのように共産主義をとらえればよいのかということを問題にしていきたいからである。
2. 『共産党宣言』の時代背景
『共産党宣言』が書かれた時代はどのような状況だったのだろうか。「『共産党宣言』は、1848年2月末にロンドンで刊行された。」[同:161]「1840年代には、イギリス、フランス、ドイツを中心として階級闘争がしだいに激化してきたが、1845年からは、フランスおよびドイツの農業が、穀物の不作とヨーロッパ全土を襲ったジャガイモ病とのために、深刻な危機におちいり、餓死するものが相次ぐとともに、飢えた人民の暴動がおこった。さらに、1847年なかごろには、イギリスに経済恐慌が生じ、フランス、ドイツその他の国々に急速に波及したために、ヨーロッパの革命的情勢は強まったのである。」[同:162-163]
このような世の中で、マルクスとエンゲルスはプロレタリアートにいわば理論的武器を与えることで革命の契機をつくろうとしていたのである。「彼らは……『ドイツ・イデオロギー』(1845-46年執筆)において、……資本主義社会の滅亡の不可避性と共産主義革命の必然性とを説いて、プロレタリアートによる政治権力の獲得の必要性を強調する「革命的実践」の理論をうちたてた。ここに、人類の思想史上でまったく新しい世界観、科学的社会主義の理論的基礎がすえられるにいたった。」[同:163]
3. 「ブルジョアとプロレタリア」
『共産党宣言』を読みすすめるうえで、ブルジョアジーとプロレタリアートという二つの階級の関係はきわめて重要となる。ここでは、『共産党宣言』第一節に基いて二階級を紹介していく。
第一節冒頭にみられる、1888年英語版でのエンゲルスの注によれば、「ブルジョアジーとは、近代的資本家の階級、すなわち社会的生産の所有者で賃労働の雇用者である階級を意味する。プロレタリアートとは、自分自身の生産手段をもたないで、生活するためにその労働力を売ることを余儀なくされている近代的賃金労働者の階級を意味する。」[マルクス・エンゲルス1998:49]という説明がされている。本文中からそれぞれの特徴をあげてみる。
第一節前半はブルジョアジーについての記述が見られる。
「封建社会の没落から生まれた近代ブルジョア社会は、階級対立をなくしはしなかった。それはただ、新しい諸階級、新しい抑圧諸条件、新しい闘争形態を、古いそれらに置き換えただけであった。」[同:50]「ブルジョアジーは、歴史においてきわめて革命的な役割を演じた。ブルジョアジーは、それが支配するようになったところでは、すべての封建的、家父長的、牧歌的な諸関係を破壊した。」[同:52]「ブルジョアジーは、すべての国民に、いわゆる文明を自国にとりいれるように、すなわちブルジョアになるように強制する。一言で言えば、ブルジョアジーは自分の姿に似せて世界をつくるのである。」[同:56]「ブルジョアジーは、農村を都市の支配に従属させた。ブルジョアジーは、ますます、生産手段、所有および人口の分散をなくする。ブルジョアジーは、人工を密集させ、生産手段を集中し、そして所有を少数者の手に集積した。」[同:57]
以上のような、ブルジョアジーに関する記述がみられるが、あくまでも共産主義者から見たブルジョアジーということであって、これは一側面でしかないであろうということが言える。
後半は、プロレタリアートが登場する。
「ブルジョアジーが封建的制度を打ち倒したときに用いた武器は、いまやブルジョアジー自身にたいして向けられる。しかし、ブルジョアジーは、自分に死をもたらす武器をきたえただけではなかった。ブルジョアジーはこれらの武器をとるであろう人々をも生みだした――すなわち、近代的労働者、プロレタリアである。」[同:60]「ブルジョアジーすなわち資本が発展するのと同じ割合で、プロレタリアートすなわち近代的労働者の階級が発展するが、近代的労働者が生活することができるのは彼らに仕事があるあいだだけであり、また彼らに仕事があるのは、彼らの労働が資本をふやすあいだだけである。」[同:60]「産業の発展とともに、プロレタリアートは数を増すだけではない。それはいっそう大きな集団に結集され、その力は増大して、プロレタリアートはますます自分の力を感ずるようになる。」[同:63]「個々の労働者と個々のブルジョアとのあいだの諸衝突は、ますます二つの階級のあいだの諸衝突という性格をおびてくる。労働者たちは、ブルジョアに対抗する同盟をつくりはじめる。」[同:64]「ときには労働者たちは勝つこともあるが、それはただ一時的でしかない。彼らの闘争の本来の成果は、直接の成功ではなくて、労働者たちがますます広く自分のまわりにひろげてゆく団結である。」[同:64]「したがって、以前に貴族の一部分がブルジョアジーに移行したように、いまやブルジョアジーの一部分がプロレタリアートに移行し、とくに、歴史的運動全体を理論的に理解するまでに努力してきたブルジョア・イデオローグたちの一部分がプロレタリアートに移行する。」[同:66]「こんにちブルジョアジーに対立しているすべての階級のうち、ただプロレタリアートだけが真に革命的な階級である。他の諸階級は大工業とともに零落して没落し、プロレタリアートは大工業のもっとも固有な産物である。」[同:66]
このように、プロレタリアートに対する記述は、彼らの団結をうながし、闘争に駆り立てるよう書かれているように思われる。最後の部分において、「ただプロレタリアートだけが真に革命的な階級である。他の諸階級は大工業とともに零落して没落し、……」という部分からは、ブルジョアジーを非難するだけでなくプロレタリアートのみを擁護するのだという姿勢がうかがわれる。
第一節は、次のように締めくくられているが、この部分からは革命の意志を読み取ることができるであろう。
「社会は、もはやブルジョアジーのもとで生活することはできない、すなわちブルジョアジーの生活はもはや社会と両立することができないのである。ブルジョア階級の存在および支配のためのもっとも本質的な条件は、私人の手中への富の累積、すなわち資本の形成および増大である。資本の条件は賃労働である。賃労働はもっぱら労働者相互のあいだの競争にもとづいている。ブルジョアジーがその意志のない無抵抗な担い手である産業の進歩は、競争による労働者の孤立化の代わりに、結社による労働者の革命的な団結をつくりだす。それゆえ、大工業の発展とともに、ブルジョアジーの足元から、ブルジョアジーが生産して生産物を取得する基礎そのものが取り去られる。ブルジョアジーは、なによりもまず、自分自身の墓掘り人をつくりだす。ブルジョアジーの没落およびプロレタリアートの勝利は、ともに避けられない。」[同:70]
ここには革命のため、闘争のための敵としてのブルジョアジーが描かれ、プロレタリアートのためのプロレタリアートによる社会がつくられることへの情熱的なものを感じることができるのではないか。われわれは、その描かれた、理想の世界すなわち、共産主義社会をどうとらえることができるのか。理想は理想でしかないのではないか。
4. 共産主義批判
ここから、第二節にもとづいて『共産党宣言』における共産主義に対して批判をしていきたい。第二節の記述の仕方として、共産主義者に対する批判を示し、次にそれに対する反論を書くというかたちがとられている。ここでは、本文中の批判、反論それぞれにあたると考えられる部分を示し、それらにたいする自分なりの解釈や、批判を述べていくというかたちですすめていくことにする。
4−a 財産の所有について
批判:「ひとは、われわれ共産主義者を非難して、われわれが、自身で獲得した、みずから労働して得た財産、すなわち自身のあらゆる自由、活動および独立の基礎をなしている財産を廃止しようと思っている、と言った。」[同:73]
反論:「資本は、共同社会的な産物であって、社会の多くの成員の共同の活動によってのみ、それどころか、結局は社会のすべての成員の共同の活動によってのみ、運動させられることができる。だから、資本は、自身の力ではない。それは社会的な力である。それゆえ、資本が共同の所有に、社会のすべての成員に属する所有に転化されても、自身の所有が社会的所有に変わるのではない。所有の社会的性格だけが変わるのである。所有は、その階級的性格を失う。」[同:74]
この批判に対する、反論は反論というよりも説得であるだろう。この反論の前には、ブルジョアジーがもつ財産を「自身で獲得した」などとはけっして言えないのだ、ということを述べている。「プロレタリアの労働は、プロレタリアの財産ではなく、「資本」をつくりだす。そして、その資本は…」というようにつながると考えれば、この部分を簡潔にいうならばブルジョアジーが財産、すなわち資本を私的なものとしている考えがまちがいなのだ、ということになるだろう。この項目の内容については次の「私的所有の廃棄」の部分で関連して述べる。
4−b 私的所有の廃棄について
批判:「諸君は、われわれが私的所有を廃棄しようとしていることに驚いている。」[同:76]「私的所有の廃棄とともにすべての活動がとまって、全般的な怠惰がはじまるであろうと非難された。」[同:77]
反論:「諸君の現存の社会においては、私的所有はその成員の10分の9にとっては廃棄されている。私的所有が存在するのは、まさに、それが10分の9にとって存在しないことによってである。」[同:76]
「[私的所有の廃棄とともにすべての活動が止まり怠惰がはじまるの]だとすれば、ブルジョア社会は、ずっと前に怠惰のためにほろびていたにちがいない。というのは、そこでは、働くものはもうからず、もうかるものは働かないからである。」[同:77]
私的所有の廃止は、共産主義の特色として真っ先に思い浮かぶものである。この項目については、つぎの引用の内容が妥当であると考える。「生産関係の変革の基本は生産手段を私的所有から国有に転化することに絞られるべきではなく、労働力の商品化の廃止に向けて、働く人々の社会的経済的決定への多様な形での参加の拡大をはかり、企業の公的性格を拡大する方向が重視されてよい。」[伊藤1998:55]すでに、現代では国有企業のほかに半官半民の企業や、協同組合企業など、全面的な国有化ではない形態が多様化している。そして、それらはさまざまな可能性を含んでいると考えられる。「多様な企業の組織形態の可能性が、全面的な国有路線によったソ連型社会主義への代替案として広く模索されつつある」[伊藤1998:55]というように、ソ連型の失敗は、「全面国有化」という極端さが、困難な状況に追い込んだとも言えるのではないだろうか。
しかしながら、伊藤の考えのなかにはいくつか不明瞭な点が見られる。それは、「働く人々の社会的経済的決定への多様な形での参加の拡大をはかり」というのは、労働者自身がどのようにするべきかということが読み取れないということである。つまり、労働者自身が運動をすすめることによってそれを勝ち取るべきであるのか、社会全体が労働者のためにそのような場を設けるべきであるのかという部分について明確に示すことが為されていない。これに私なりの結論を下すとすれば、『共産党宣言』のなかにおいては、労働者を喚起するような記述が多くみられそれがこの書のねらいだと見れば、ここでは、前者の解釈をするべきであろう。
4−c 家族の廃止について
批判:「家族の廃止! もっとも急進的な人々でさえも、共産主義のこの恥ずべき意図に対して憤激する。」[同:78-79]
反論:「現在の家族、ブルジョア的家族はなににもとづいているか? 資本に、私的収益にである。それは、ブルジョアジーにとってのみ完全に発展して存在する。しかし、それは、プロレタリアの強制された無家族状態および公認の売春制度をその補足物としている。ブルジョアの家族は、この補足物の廃止とともに当然になくなり、資本の消滅とともに両者ともに消滅する。」[同:79]
「共同社会のなかで、家族とそのもとでの子どもの生育を廃止し、社会的共同関係に置き直してゆくのか、資本所有によるのではない新たな社会的基礎の上に家族と親子の関係を容認し、社会経済の構成要素としてゆくのか」[伊藤1998:57-58]。伊藤はどちらの解釈をするべきかがこの部分のみでは、読み取りきれないという批判をしている。私はどちらの解釈をしたとしても、家族の解体は為されるべきではないと考える。前者の解釈、すなわち大まかに言うならば社会全体で子どもを育てることは、具体的にどうするという問題をさしおいても不可能ではないかと思われるし、後者の場合は新たな社会的基礎がしっかりと進んでゆくのであれば、問題ないかもしれないが、それも現在となっては信憑性のないものになってしまっているからである。
家族というものがどのような機能を持っているかということを考えた場合、家族の廃止は人間としての感情を歪める恐れがあるように思える。情緒的発達と、愛情に包まれて育つことの関連は深いのではないだろうか。私は家族は血縁ということよりも、家族という社会的単位のなかで生活をし、それをもとにして社会的活動を行なっていくという人間の発達の要素という意味に重要性があるのだと考える。その意味で家族は人間の社会的活動に必要なのではないだろうか。家族を解体したとしても、別の形で家族の機能を果たすものができるのだとしたら、それは家族を解体しなくても十分だということの証明となるだろう。
しかし、一方で子どもの問題を差し引いて家族というものを考える場合、その不可避性すなわち自分がこの家族がいいというように選択が許されないし、この家族は嫌だから別の家族に入るということもできない。すなわち、自分の手の届かないところで運命的に決定してしまうために、もしその家族に囲まれていることが苦痛であったり不幸を招いたとしても、なんらかの形でかかわることを余儀なくされるのである。家族のこのような部分がもし社会的に多く見られることになってしまう場合は、家族を解体することによって解消されるのではないか。
ここまで述べてきたことをまとめるならば、家族の不可避性が人に苦痛や不幸を招く一方で、家族は子どもにとって社会的活動のための出発点でありその機能は人間にとって不可欠であるということである。私はこのどちらの側面も重要であると考える。子どもにとっての有益性は然り、不幸を招く側面も必要なのではないか。不幸という状況自体が必要なのではなく、その状況におかれるということで自己の力ではどうしようもないことがあるということを実感できるのではないか。そして、それを実感し乗り越えることができるとき、確実にそれはマイナスのものではなくプラスのものとして働くことができるのではないだろうか。不幸というものも、見方を変えることであるプラスの要素を生みだすこともあるだろう。この意味で、家族というものは存在するべきで、マイナス面があるからといって解体してしまうということはあまりにも短絡的な結論ではないか。
4−d 社会的教育について
批判:「諸君は、われわれが家庭教育の代わりに社会的な教育をおくことによって、もっともうちとけた関係を廃棄するものだという。だが、諸君の教育もまた、社会によって規定されてはいないか? 」[同:79]
反論:「共産主義者は、教育にたいする社会の作用を発明するものではない。共産主義者は、この作用の性格を変えるだけであり、教育を支配階級の影響から引きはなすのである。」[同:79]
教育に社会が影響を与えるかといえば、それは肯定されるだろう。現代の資本主義社会の場合は、それが多様化してさまざまな分野が必要とされ、それに応じて教育も多様化するという意味で、悪影響を与えているとは言えないだろう。しかし、共産主義社会の場合、マスコミにおける「情報操作」と同じようなことが行われているのではないだろうか。すなわち、国にとって共産主義を壊すような疑問を持たせるような内容を省いた教育ということである。
実際に北朝鮮で生活を送ってそこで個人的にではあるが『授業』を受けた高野生は次のように記述している。「「金日成同志万歳!」最後の力で少女は叫び、倒れた。今夜はじめて観せられた、北朝鮮製の「思想教育映画」は2本目もまた同じラストシーンだ。祖国解放戦争(朝鮮戦争)に従軍している美少女の看護婦が等と国家に対する自己犠牲の精神に徐々に目覚め、やがて無条件に身も心も捧げるようになるのだ。」[高野1988:41]これには、嘘はないのかもしれないが何かが歪んでいるような印象を受けるのは私だけだろうか。このような映画は多数あるらしいが、このような内容のものを繰り返し見せられることは、一種のマインドコントロールではないだろうか。「「偉大な金日成主席は、敗けたことがありません。抗日武装闘争、祖国解放戦争、社会主義建設における革命活動中、一度も敗けたことがありません。一度も誤りを犯したことがありません。」[高野1988:162]これは、「先生」の発言である。「先生」は「朝鮮革命史とは、金日成主席革命活動史だ」と言ったことに対して、高野は「みんなでするのが革命ではないのか? 」と反論する。しかし、「先生」は「偉大な首領が存在しなければ大衆が団結することはできない。」とする。そして、前述の発言に至るのであるが、なぜ、ひとりの人間を絶対化できるのか。教育というのは、絶対的なものを押し付けることではないはずである。既存の理論や歴史や積み重なってきたものを与えていくのが教育ではないのか。資本主義社会の教育がそのようになされているかは疑問であるが、少なくともある一つの物事の押しつけということは存在していないように思われる。教育の結果は、それを吸収したあと何を残すか、新たにどんな展開を見出せるかということにあるのではないだろうか。絶対的なものを教えるということは、それを打ち破るような展開は見られないということである。そしてまた、個人にとっては教育によって得られる自分自身の可能性をせばめてしまうことになるのではないか。プロレタリアートとしての個人は尊重されても、このような形で個人が抑圧されるのは共産主義と言えるのだろうか。
4−e 女性共有制について
批判:「君たち共産主義者は女性共有制を採用しようとしていると、ブルジョアジー全体はわれわれに反対する叫びを合唱する。」[同:80]
反論:「ブルジョアは、自分の妻をたんなる生産用具と見ている。彼は、生産用具が共同で利用されるべきだと聞くと、当然、共有の運命が女性にも同じようにあてはまるであろうとしか、考えつくことができない。問題はまさに、たんなる生産用具としての女性の地位を廃止することにあるとは、ブルジョアは感づかないのである。」[同:80]
「ひとが共産主義者を非難できるとしても、せいぜい、共産主義者が、偽善的におおいかくされた女性共有制の代りに、公認の、公然たる女性共有制を取り入れようとしている、ということくらいであろう。」[同:81]
この部分だけでは、女性共有の意味がわかりづらいが、「女性の地位を廃止する」ことは、当時の社会を考えると、女性の地位を認めようということと同義であるのだろうか。それを踏まえた場合、「ソ連型社会主義は、女性の就業比率をほぼ男性並みに高め、職場での差別も大きく縮小する方向を示した」[伊藤1998:58]というこの状況ならば、賛成するべきであろう。今日の社会においても女性の地位はまだまだ認められていない部分もあり、それによって被る不利益が女性が社会的な意味で生きていくということを妨げている。これは、被害を受ける女性自身の責任によるものではないし、かといって現代の男性、言うなれば社会が責任を取るというものでもないと私は考える。長い間受け継がれてしまった意識、すなわち女性の地位を認めないという意識が、現代においても流布しているということにすぎないのである。これは裏返せば、その意識の受け継ぎを止めることができれば、女性が女性だというだけで虐げられてしまうこの状況を奪回できるということである。しかしながら、そのためにいくら制度を整えてみても、実際その意識を全部の人々が拭い去るということは不可能ではないだろうか。また、女性自身もその意識を持たれることに(持つことに)慣らされてしまっている部分もあるだろう。
これらのことを考えたうえで、結論としては女性の地位を認めることは重要であり為されるべきであるが、その実現には一人一人の意識の持ち方が関わってくるため困難が生じるということである。この部分を解消できるのが、共産主義が示す女性共有の廃止、すなわち国の計画として定めてしまって、その意識を断ち切らせることではないだろうか。もし、このようなことが可能なのだとすれば、共産主義はこの観点においては賛成できるものである。
4−f 国民性の廃止について
批判:「共産主義者は、祖国を、国民性を廃止しようとしたと非難された。」[同:81]
反論:「労働者は祖国をもっていない。労働者がもっていないものを、労働者からとりあげることはできない。プロレタリアートは、まず政治的支配をかちとり、国民的階級にみずからを高め、国民をしてみずからを組織しなければならないから、ブルジョアジーの意味で言うのでは決してないが、それみずからやはり国民的なのである。」[同:81]
労働者が祖国を持っていたかどうかは別として、国民性をなくするという危惧はもって当然ではないだろうか。共産主義という単一のシステムを想定した場合、多種多様という発想は生まれてこない。むしろ、画一的で計画的なイメージが支配する。
一方で、反論の部分では「国民的」のブルジョアジーと共産主義者とのとらえかたの差異のようなものが示されているが、そこで共産主義の言う「国民的」は「"共産主義,,国民的」ということであるだろう。
5. おわりに
『共産党宣言』の文面から、共産主義に対する批判を与えてきたが、われわれの現在の社会において、共産主義を提言する意外にもこの書にはさまざまな記述がなされている。ブルジョア社会についての記述には現在の資本主義社会に通じる部分が見られるし、十分な書き方をされていない部分からはわれわれにたいする問いかけ、すなわち考えるべき問題を提起しているとも取れるだろう。マルクス自身はこの部分を『共産党宣言』の後のさまざまな書において深く掘り下げ書き記している。共産主義の中から現代の資本主義社会の不具合を解消するものが、隠されている可能性もあるのではないか。今回のレポートではその可能性についてはふれることはできなかったが、大きくとりあげるべき問題であるということとともに、この書の書かれた年代を思うとこの『共産党宣言』の偉大さを感じずにはいられないのである。
【 参考文献 】
(1) マルクス・エンゲルス[1951] 『共産党宣言』 大内兵衛・向坂逸郎
訳 岩波書店
(2) マルクス・エンゲルス[1998] 『共産党宣言・共産主義の諸原理』 服部文男
訳 新日本出版社
(3) 伊藤 誠 [1998] 「現代世界と『共産党宣言』150周年」 『思想』1998 12月号
(4) 廣松 渉 [1990] 『今こそマルクスを読み返す』 講談社
(5) 高野 生 [1988] 『20歳のバイブル[北朝鮮の200日]』 情報センター出版局
(6) D・ベンサイド [1998] 「共産党宣言の「なお有効な今日的意義」に関する今日的な考察」 『思想』1998.12 岩波書店