1999.9.(公開の許可をいただいております)
折原浩先生。
ウェーバー研究者。
1999年10月、日本社会学会大会後の飲み会にて。
橋本努 学兄
拝復
ようやく朝晩、秋の兆しが感じられる候となりました。
先日は、お便りと大著『社会科学の人間学』ご恵送たまわり、まことに有り難うご
ざいました。学兄のお仕事には、いっか正面から対座したいし、そうしなければなら
ないと考えておりましたが、ついつい多忙に追われて、これまで念願が果たせずにき
ました。ご本にまとまったからというわけでもないのですが、その念願をこの機会に
なんとか果たそうと思い立ちました。
まず、学兄が、批判対象を嬢小化することなく、最大限に膨らませ、高めた上で、
乗り越えようとする原則的に正しい(まさに「成長論的な」)対応の一環として、小
生の仕事についても内在的に細大漏らさず追跡した上で、そのようにして(ばあいに
よっては当人も)思わぬ意義まで与えてくださったことに、深甚な謝意を表します。
このように批判され、乗り越えられるのであれぱ、「先輩冥利に尽きる」と申せまし
ょう。
その上で、学兄の精綴な分析的整理にはとてもっいて行けませんし、細かいことは
述べきれませんので、大まかな感想をお伝えしたいと思います。
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小生が、1965年に駒場で駆け出しの教師になったころには、まずなによりもイ
デオロギーの過剰と闘い、開講一番「価値自由」の原則から始めなければなりません
でした。ところが、1996年に停年退職して名古屋大学にきますと、むしろ学生た
ちの居眠りと闘わなければならず、今年1999年、近郊の椙山女学園大学に移りま
すと、こんどは、居眠りばかりか「豊穣な」私語との闘いが待っていました。そこで
四月からは、「机間巡回講義」をしながら、学生が本を読むこと、「価値自由」でな
くともよいからともかく発言し討論すること、そのなかで「自分の問題を見つける」
ように介助すること、を課題として悪戦苦闘しています。ですから、まず状況論的に
いって、価値自由の課題性が薄れ、「近代主体」「可能主体」が魅力を失い、まずは
「問題主体」への自己形成が求められている、という事情はよくわかりますし、その
かぎり、学兄の構想に賛同します。しかし、そのように考えるとすると、問題主体は
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近代主体・可能主体にいたる「起点」ないし「中間ステップ」に位置づけられること
になり、問題主体に「成長論的主体」「拮抗的高揚主体」「運命的闘争主体」という
優れた意義まで読み込み、ヴェーバー的主体を止揚しようとする学兄には、大いにご
不満でしょう。
そこで、小生自身が、原則論的に、近代-可能主体から、学兄が構想される勝義の
問題主体に、まさに発展的に自己成長を遂げられるかどうか、と問うと、なお、疑問
の余地が残されていて、互いに信頼し認め合って相互批判的拮抗閑保を結びたいとは
思いますが、踏ん切りはつかないのです。というのは、究極的問題ないし問題のコア
とはいったいなにか、という問題が残されていて、学兄の叙述からは、その肝心のと
ころが、どうもはっきりしないように思えます。だれもが任意に問題を選び、任意の
問題を究極的と見なし、あるいはコアに据えて、それぞれの評価は、フォーラムでの
相互討議に委ねれぱよい、というのでは、おそらく済まされますまい。
その点、小生のヴェーバー批判を対置することが許されるとすれば、それは、学兄
も正しく読み取って下さっているように、究極最高の価値理念を宙に浮かせておくの
でなく(そのままでは、どうしても偶像を立て、それに向かって背伸びする興奮と激
情が生じざるをえないので)、主観的には究極的として把持されている理念をも、さ
らに背後にまわって(ですからこちら側の経験科学的認識と混同することはなく)、
「主体的主体と客体的主体(人間)との不可分一不可同一不可逆の原関係」という根
源的原点に照らして評価しようとします。つまり、いうところの究極的価値理念が、
原点に発する光を素直に写し出しているか、それとも、原点に背いて窓意的に立てら
れた偶像にすぎないか、情重に吟味するわけです。そして、それまで究極的と思い込
んでいた価値理念が偶像にすぎない、あるいはこれこれの意味で偶像性を帯びていた
と察知したら、素直に改め、さらに(いつふたたび頽落するともかぎりませんから)
吟味-改訂-是正を怠りません。その意味で、価値理念の種の「成長論的」発展を
認めます。しかし、それは、問題のコアを、この根源的原点に発する光の場(二語価
値理念の法廷)と解したばあい、フォーラムを、宙に浮いた諸個人の集合としてでは
なく、この根源的原点に準拠して討議を方向づけ合う個人によって構成される磁場と
限定したばあい、にかぎられます。そうでなければ、過程的に評価するといっても、
成長と頽落とを区別できず、どこに行き着くか分かりません。「糸の一端を止めない
運針」(キルケゴール)、「河底に根を下ろしていない水草群の水面での絡み合い」
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(ベルクソン)にならない保証がありません。これは、他人を水草群として見下し、
われひとり善しとする傲慢で独善的な精神貴族主義ではなく、自分も水草ながら根を
持つことによって「流れに抗する」ことができる、しかもそうすることはときとして
必要なことだ、という自覚を基礎としています。こうした思想が、第一次世界大戦に
反対したベルクソンや、さらに第二次世界大戦もくぐり抜けて抵抗したカール・バル
トらによって孕まれ、提唱されたのも、良識ある人々のフォーラムが、あっという間
にまるごと底上げされ、濁流に呑まれ、あらぬ方向に押し流されることが、人間歴史
の上にはままあるのだ、という痛切な経験をへていたからに他なりますまい。小生が
その意義を学ぶことができたのは、学兄もご指摘のとおり、直接にはバルトの弟子・
故滝沢克己先生の教示によってですが、やはり敗戦後の価値観の激変と社会変動を経
てきていたことを、背景としていました。
*
つぎに、そうした原点志向的主体が、「真理」につき、「一致説」にもとづいて自
説を権力的に押しっけるのではないか、という危倶については、小生自身の来し方に
よってお答えするほかはありません。学園闘争当時から、小生は、自説をパンフレッ
トに認めて状況に投企しました。これは、立論の根拠を確実に読者に示すことによっ
て、反論・反証を促し、その材料をむしろこちらから提供し、「よりよい説明を試み
る人には耳を傾けようとす」る姿勢の表明でした。そればかりか、問題はたんなる学
術論争ではなく、大学当局にたいする造反でしたから、処分の正しさがより説得的に
説明されたならば、こちらは非を認めて辞職するほかはないという決意を秘めた(闘
争としては、けっしてうまいやり方ではない)一種の決断でもありました。さて、小
生がこの姿勢を学んだのは、ヴェーバーよりむしろデュルケームから(『デュルケー
ムとウェーバー』上、p.55)でしたし、この線に沿って、後の「実証主義論争」に
ついては、アドルノ、ハバマスにたいしてポパー、アルバートのほうに軍配を上げま
した。その後の論文や著書でも、つねに反証材料を著者側から読者に提示する、とい
う原則を堅持してきたつもりです。むしろ、問題は、こちらがどんなにそうしても、
反論・反証して討議・論争関係に入ろうとはしない学者が多すぎる、ということでし
た。テキストの読みについて、ひとつの正しい読みがある、と想定してかかるのも、
そうでなければ、「いろいろあっていいではないか」「誤読こそ創造なり」「声を大
にし、ジャーナリズムに乗ったほうが勝ちだ」とでも感得しているのか、討議・論争
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にならないからです。むしろ、「ひとつの真理」「ひとつの正しい読み」という規範
的要請を引き受ければこそ、それをめざして異説間にも討議が起こり、活性化するの
ではないでしょうか。むしろ、不都合なことには黙っている、あるいはかえって批判
者のスタイルばかりあげつらう、という「討議シニシズム・ニヒリズム」がはびこっ
て権力主義を誘い出すことこそ、わが国の学問文化の問題と考えざるをえません。も
とより、学兄の構想は、そうした学問文化ないし風土に対決して、自由主義的討議を
活性化させようとの方向をめざすものとして、そのかぎり大賛成です。だからこそ、
現実の学問文化を直視し、これと対決して、規範の是非を問いなおしてほしいと思う
わけです。
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以上、大まかな感想と部分的反論を述べさせていただきましたが、あるいは、こう
した論点は、学兄の精綴な分析的論点整理のなかで、すでに反駁されてしまっている
のかもしれません。もしそうでなけれぱ、上記のような問題を、学兄の構想のなかに
とりいれて発展的に活かしていただければ幸いです。いずれにせよ、学兄の大作は、
「やがては乗り越えられることを目的とする」研究者としての小生にとって、近年に
なく、この上ない慶びでした。
なお、残暑の醐、くれぐれもご自愛のほど、祈り上げます。
1999年9月11日
折原浩