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レコレコ「コラムと書評」

recorecovol.8., 2004.9-10. pp.64-67

 

橋本努(北海道大学大学院経済学研究科助教授・経済思想)

 

世界を見渡すための10

 

 

ミニコラム(600)「治安軍事資本の論理」

 

 イラク攻撃の背後にはアメリカにおけるネオコンの論理、すなわち「産軍複合体」と呼ばれる巨大な利権構造があると言われる。世界第二の石油埋蔵量を誇るイラクに民主政権を打ち立てることができれば、アメリカはもはや、サウジアラビアの独裁制を擁護する必要がなくなる。さらに中東のイスラム諸国が民主化を遂げるならば、先進諸国はすべて、疚しさを感じることなく石油の安定供給に与ることができよう。世界に自由と民主主義をもたらすというアメリカの大義は、対テロ戦争の先制攻撃を帰結主義的に正当化するのかもしれない。

歴史的にみれば、19世紀から20世紀前半にかけての帝国主義は、「金融資本」によって駆動されてきた。これに対して現在のアメリカは、いわば「治安軍事資本」によって動かされていると言えるだろう。金融資本は利潤を求めて領土の拡張を促したのに対して、治安軍事資本はセキュリティ・リスクの高い場所に治安と軍事と資本を投下する。そこでは官と民の複合資本が主導して、市場と国家財政の両方の利害に適う世界戦略が模索されている。クリントン政権はIT産業の育成によって経済成長を促進したが、今度はこれに代えて治安軍事資本こそが、ブッシュ政権を突き動かしている。日本政府がアメリカに「ノー」と言えないのも、そうした資本の構造に巻き込まれているからなのであろう。はたして日本の国益とは、世界の治安軍事資本へと包摂されることなのだろうか。

 

 

書評10

[1]

小川隆夫著『マイルス・デイヴィスの真実』平凡社2002

 

 ジャズ界の帝王マイルスの伝記、不朽の決定版である。マイルス本人との会話や、百人以上の関係者たちへのインタビューを元に、91年に65歳の生涯を閉じたマイルスの生涯を丹念に描きだす。再構成によって浮かび上がるその人生は、音楽ないし音そのものとの壮絶な戦いの記録である。つねに音楽の最先端を切り開こうとする強靭な精神、才能あるメンバーたちから最上の音楽を引き出す指導的な能力、ドラッグへの陶酔とその克服、そして137枚に及ぶ公式のレコーディング。ピカソにはすべての絵画が凝縮されていると言われるが、マイルスの音楽には20世紀ジャズのすべてがある。マイルスの偉大さを改めて認識させられる一冊だ。

 

1.満足度 4

2.本のリンク マイルス・デイビス/クインシー・トループ著、中山康樹訳、『完本マイルス・デイビス自叙伝』JICC出版局、1991

 

 

 

[2]

田中明彦著『複雑性の世界 「テロ」の世紀と日本』勁草書房2003

 

 小泉政権発足時からイラク攻撃に至るまでの国際問題を扱った評論集。国民国家の枠を超えつつある先進諸国は「新中世圏」を構築しつつあるのに対して、自由民主主義がいまだに未熟な発展途上国は、近代的な民主国家(近代圏)をこれから構築しなければならない。これに対して国家がすでに崩壊しているルワンダやソマリアなどは「混沌圏」にある。著者によれば、それぞれの圏域において相異なる安全保障問題が生じている。「新中世圏」においては民族的アイデンティティの問題、「近代圏」においては国家間の戦争、「混沌圏」においては難民の流出や疫病の伝播などである。先進諸国は今後、ロシアを含めた新中世圏を構築することで、集合的安全保障の問題に対処すべきだと著者は言うが、テロ対策の決め手はないのだろうか。

 

 

1.満足度 3

2.本のリンク  宮坂直史著『国際テロリズム論』芦書房2002

 

 

 

[3]

アンヌ・モレリ著、永田千奈訳、『戦争プロパガンダ10の法則』草思社2002

 

 アメリカがイラク攻撃を正当化するために用いた情報はインチキだったのか。戦争プロパガンダの手法は今も昔も変わらない。政府はまず、「われわれは戦争をしたくないのに敵側が一方的に仕掛けてくる」というイメージを作りあげ、「敵(フセイン)は悪魔のような人間だ」とか、「私たちは領土や覇権のためにではなく、偉大な使命のために戦うのだ」と宣伝する。そして戦争で自国の兵士に犠牲が出ると、「われわれも誤って犠牲を出すことがある」と認めつつ、しかし「敵はわざと残虐行為をしている」とか「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」と言って責任を逃れる。また「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」と宣伝したり、戦争を批判する者には「裏切り者」の烙印を押したりもする。いったい政府はどうしてこうも狡猾なのか。

 

 

1.満足度 4

2.本のリンク サイード『戦争とプロパガンダ3』みすず書房2003

 

 

 

[4]

川端清隆著『アフガニスタン 国連平和活動と地域紛争』みすず書房2002

 

 ソ連の侵攻から23年に渡って戦争を続けてきたアフガニスタン。その間に二百万人の命が失われ、数百万人の人々が難民となった。先進諸国の利害に絡まないことから見放されてきたこの国は、しかし皮肉なことに、テロ事件によってはじめて、和平に向けての本格的な政治を始動させている。ボン和平会議の合意に至るまでの国連の努力、また国連治安支援部隊の活動などを考証した本書は、国連の活動がいかに先進国の利害に左右されてきたかを浮き彫りにする。国連がめざす平和とは、一時しのぎの停戦状態ではなく、よい統治のための健全で安定した政治制度の構築を意味する。そうした統治に向けて先進諸国が乗り出すためには、例えばカスピ海の原油をアフガニスタン経由で輸出するという構想が必要になるという。

 

 

1.満足度 4

2.本のリンク 緒方貞子著『私の仕事』草思社

 

 

 

[5]

フリードリッヒ・フォン・シラー著、小栗孝則訳、『人間の美的教育について』法政大学出版局1972年、2003年復刊

 

 ゲーテと並ぶドイツ後期ロマン主義の代表人物シラーの古典的名著。18世紀ドイツの腐敗した封建的絶対主義の文化(理性を強調する古典主義)に対する批判を意図しつつ、文芸に基づく自由な個性と感情の教育を構想する。理性よりも独創的なもの、特殊で個性的なものを重んじること、そして芸術的情感を形式のイデーによって普遍的なものへと高めること、そうした自由の理想主義を抱いてはじめて、人々は社会のなかで自由な空気を吸うことができるのだという。美的教育による自由の陶冶が優れた国家理性の基礎を作るという理想は、現代の教養教育の原点でもあるだろう。文体は平易な書簡形式で書かれており、パトスに満ちている。貧困にあえぎながら思想と文芸に身をささげたシラーの作品は、私たちの魂を捉えて離さない。

 

 

1.満足度 4

2.本のリンク マルクーゼ著『エロス的文明』紀伊国屋書店

 

 

 

[6]

若松良樹著『センの正義論 効用と権利の間で』勁草書房2003

 

 浅薄な功利主義と深遠な権利論のあいだを行こうとするセンの経済倫理学は、さまざまな理論の「いいとこ取り」をしていると批判されることがある。これに対して本書は、「不正義の申し立てに耳を傾ける」という実践的な観点から、センの理論を整合的に捉えようと企てる。正義の女神が目隠しをつけているのは、ポジティヴには「えこひいき」をしないという意味をもつ。しかし、あるルールに即してえこひいきをしないことこそが「不正義」だと言われる場合、正義の女神は「第三の目」をもって、その訴えに答える必要があるのではないか。センの議論に可能性があるとすれば、それは個人の潜在能力や権利の言語に価値を認めて、既存のルールを再考するための公共的議論を活性化させることにあるのだと著者はいう。

 

 

1.満足度 4

2.本のリンク  川本隆史著『現代倫理学の冒険』創文社1995

 

 

 

[7]

ロバート・アクセルロッド著、寺野隆雄訳、『対立と協調の科学 エージェント・ベース・モデルによる複雑系の解明』ダイヤモンド社2003

 

 「繰り返し囚人のジレンマゲーム」で話題をよんだ前著『つきあい方の科学』の続編。著者は国連の招きを受けて、旧ユーゴの対立を解決する方法を研究することにも従事したという。本書ではそうした経験が生かされて、複雑適応系の研究がより具体的な政治問題へ応用しうることを示している。ユニックスのOS開発戦略、イギリス・ドイツ・日本の公共政策の差異と信念パターンの比較、米ソの国防アナリスト二人による戦略決定シミュレーションなどの研究も興味深い。理論を応用するために、プレーヤー間の誤解、行動規範や共通文化の構築、あるいは不平等な権力や組織の形成といった条件が理論的に考察されており、哲学的にも示唆に富んでいる。数式は最小限にとどまり、文章も軽快で読みやすい。

 

 

1.満足度 4

2.アクセルロッド著『つきあい方の科学』ミネルヴァ書房1998

 

 

 

[8]

ユルゲン・ハーバーマス著、河上倫逸/耳野健二訳、『事実性と妥当性 法と民主的法治国家の討議理論に関する研究(上・下)』未来社2003

 

 社会哲学の巨人ハーバーマス晩年の主著、待望の翻訳である。社会の合法的な支配を法的に基礎づけるのは、法実証主義にもとづく形式的な正義の観念ではない。またロールズのような規範的正義論にもとづく妥当な合意命題にあるのでもない。むしろ合理化された生活世界に根ざした日常言語の多様性のなかで、人々が「討議」を実践することのうちにあると著者は主張する。それは法律専門家たちの解釈実践にもとづく憲法共同体ではなく、むしろ「平等な素人」という意味での公衆に根ざした実践でなければならない。討議的理性の陶冶は、依然として近代未完のプロジェクトである。例えば欧州共同体の法的基盤を生み出すという企図においても、彼の目指す「支配の手続的正当化」という構想はまだ魅力を失っていないだろう。

 

 

1.満足度 4

2.本のリンク ハーバーマス著『コミュニケイション的行為の理論(上・中・下)』未来社

 

 

 

[9]

ハンナ・アーレント著、佐藤和夫訳、『精神の生活(上・下)』岩波書店、1994

 

 ユダヤ人大虐殺の責任者アイヒマンの裁判を傍聴したとき、アーレントはアイヒマンがひどくつまらない人間であること、そして少しも悪人には見えないことにショックを受けたという。大虐殺は、悪を積極的に意志する人間によってではなく、何も考えていない無思考な人間によってなされたからだ。「悪」は人々の無思考性に由来するのではないか。著者によれば、私たちに必要なのは科学的理性ではなく哲学的な思考であり、思考のためには世界からいったん引きこもり、自己内対話を通じて「存在」の意味を問う必要があるという。主著『人間の条件』が人々の「活動」が現われる世界(公共圏)を描いたとすれば、本書は、その背後にある精神の活動を意味づけた珠玉の哲学。下巻では近代に発見された意志と内面性の関係が検討される。

 

 

1.満足度 4

2.本のリンク 斎藤純一『公共性』岩波書店

 

 

 

[10]

黒住真著『近世日本社会と儒教』ぺりかん社、2003

 

 徳川期の儒教を描いた渾身の作。二〇年近い研究に裏打ちされた大成果である。第一部では、徳川期における儒教の興隆と明治時代における再編についての導入がなされ、第二部では伊藤仁斎、第三部では荻生徂徠が論じられる。儒教といえば、明治以降に生まれた二つのイメージがある。近代主義者によって「アジア的・封建的」と批判されたもの、および、東亜文明論者たちによって「国民道徳論」として担がれた訓育である。しかし徳川期の儒教は、すぐれて世俗的な治世・処世の技法であった。中世における神仏との直接的関係を離れ、きわめて実践的な知的主体化の技法を編み出したのであり、とりわけエリート主義や原理主義を排して洋学や国学との融合を受け入れたことに、儒教の役割をみることができる。

 

 

1.満足度 4

2.本のリンク 丸山真男著『日本政治思想史研究』東京大学出版会